UFO小学校のさんかん日
むかい とよあき
東京都豊島区池袋*―**―**
向 井 豊 昭 58歳 無職 TEL ****・****
雨をすった花だんの土からは、水じょう気が立ち上っていました。つゆのあいだのはれまを見せた青い空です。空にむかって、小さなはっぱをつけたアサガオやヒマワリがせのびをしていました。つぼみは、まだまだ先のことです。
花だんをとおりぬけると、目のまえにタラップが下りていました。校しゃのまるいおなかについた出入口は大人のせたけよりもたかく、校しゃとじめんをむすんでいるのはタラップなのです。 一本のタラップは、かいだんとエスカレーターにわかれています。エスカレーターは、上りと下りにわかれていました。
ひろ子ちゃんの車いすがエスカレーターを上っていきます。車いすにならんで、かいだんを上っていくのは、ひろ子ちゃんのおとうさんとおかあさんでした。
お年よりが二人、上りのエスカレーターに足をかけるところです。二人とも、つえをついて、あぶなかしい足もとでした。
大ちゃんのパパは、しんぱいになってかけ出しました。二人をうしろからまもるように、エスカレーターに足をかけようとします。
バタンと音がして、いたが左右からひらきました。パパのまえに二まいのいたがふさぐのです。
「げん気な人は、エスカレーターにのれないのよ!」と、ママがうしろから大きなこえでいいました。
「らくをしたかったんじゃないんだよ。お年よりをまもってあげたかったんだ」と、パパはひくいこえでいいました。ひくいこえでも、きこえるきょりです。
「だいじょうぶよ! のってるあいだは、じしゃくみたいにすいついて、ころばないようになってるのよ!」と、ママはあいかわらずの大ごえです。
大ちゃんは、はずかしくなって、はしり出しました。パパとママをおいて、タラップのかいだんをはね上がっていきます。
タラップの上には、鳥男(とりお)くんがたっていました。二人のお年よりが上ってくるのをまっているのです。鳥男くんのおじいさんと、おばあさんなのでした。
鳥男くんのおとうさんと、おかあさんは、さんかん日にくることができません。鳥男くんが赤ちゃんだったとき、こうつうじこで、しんでしまったのです。
チャイムがなりました。ほうそうのこえがひびきます。うた子さんのこえでした。
「おはようございます。みんながまったさんかん日がやってきました。いいお天気でよかったですね。きょうは、中に入ったら、まずきょうしつにいってください。名ふだをよういしてありますから、みんな、じぶんの名ふだをさがして、むねにつけてください。うちの人には、子どもの名まえがかいてある、おなじものをよういしています。べんきょうがはじまるのは三十ぷんあとですが、それまでは、学校の中を見てあるいたり、おしゃべりをしたりしていてくださいね」
きょうしつは一かいです。一くみから六くみまで、六つにわかれているのです。ミカンのふさをおもいうかべてください。あんなふうに、校しゃの中しんから、そとがわにむかって、きょうしつはひろがっているのです。
きょうしつときょうしつのあいだに、かべはありません。カーテンがあるだけです。カーテンをひらくと、となりのきょうしつとつながって、いっしょにべんきょうもできます。
校しゃの中しんには、つつのようにはめこまれたうんてんしつがあります。一かいから二かいまでつづいていますが入ることはできません。UFOになって空をとばなければならないときは、うちゅう人がくることになっているのです。
二かいのうんてんしつをとりまいて、一かいとおなじようにあるのはとくべつきょうしつです。りかしつ、ずこうしつ、音がくしつ、かていかしつ、としょしつ、ほうそうしつ、ほけんしつ、じどうかいしつ、それにプレイルームも入れて、かずは九つになります。九つは、かべでくぎられ、となりのへやに音がきこえないようなかべになっています。そして、一ばん上の三がいは、入学しきもやった、たいいくかんになっているのです。
それぞれのかいは、タラップのように、かいだんとエスカレーターでむすばれています。
子どもといっしょに上り下りをする大人のかずがふえてきました。パパをあんないする大ちゃんの目は、大人たちのむねの名ふだばかり見ています。
子どもたちが学校で名ふだをつくったのは、きのうのことでした。ふだんは、子どもたちも名ふだをつけていないのです。名ふだなんかつけなくたって、子どもどうしなら、すぐに名まえをおぼえてしまいますからね。
名ふだを見ながら、「太(ふとし)くんのおとうさん、おかあさんだよ」と、大ちゃんはささやきます。
「ひろ子ちゃんのおとうさん、おかあさんだよ」と、大ちゃんはささやきます。
パパとママは二人そろってあいさつをはじめますが、ママのあいさつはながく、パパと大ちゃんは足をとめたままになってしまいます。じぶんのむねの名ふだをいじりながら、まんぞくそうにできばえをながめて大ちゃんはママをまちました。パパは、あくびの出る口を手でおおってママをまちます。きのうのばん、パパはおそくかえってきて、ねぶそくなのでした。
チャイムがなり、うた子さんのこえがスピーカーからきこえてきました。
「九じになりました。これから、べんきょうのじかんになります。それぞれのくみに入ってください」
「まだ、ぜんぶ、まわってないのに」と、パパがいいました。ママのおしゃべりのせいだと、せめないところがパパのやさしさです。
「あとで、まわればいいわよ」と、ママは先になって、かいだんを下りはじめました。
かいだんを下りると、きょうしつをまるくかこんでろう下があります。一くみからじゅんばんにならんでいるきょうしつのまえのろう下をぐるりとまわると、さいごは六くみで、となりは一くみにもどってくるのです。
「一くみには、こないでしょう?」と、ママは一くみのまえでいいました。 「いきませんよ」と、パパがこたえます。
「よかった」といって、ママは、じぶんのくみの一くみに入っていきました。 パパと大ちゃんは、大ちゃんのくみ、六くみです。
つくえが、まるくならんでいました。
「大人のみなさんは、つくえをかこんですわってください」と、鳥男くんがいいます。いすは大人のかずしかなく、子どもたちは大人のうしろで立っています。
「それでは、これから、べんきょうをはじめてください」と、鳥男くんも立ったままです。
ガサガサとかみの音がしました。ジャンパーのポケットから、けいばしんぶんをとり出したのは、太くんのおとうさんです。そでをまくった手で、耳にはさんだ赤えんぴつをとりました。
「鳥男くん、きみたち、立っててべんきょうできるの?」と、大ちゃんのパパがたずねました。
「べんきょうするのは、大人なんですよ」と、太くんのおとうさんが、けいばしんぶんから目をはなしていいました。太くんは五年生なので、おとうさんは、この学校のさんかん日になれています。
「さんかん日なのに、わたしたちがべんきょうするんですか?」
「この学校は、じぶんのやりたいことをやる学校ですからね。子どもたちのやりかたで大人もやってみて、こんなにたのしいことなのかと、じゆうのありがたさをかみしめる日なんです。そういう大人のすがたを子どもたちが見て、じゆうのすばらしさを、あらためてしることができるんですよ」
太くんのおとうさんは、けいばしんぶんに目をもどしました。
「どんなべんきょうをしたらいいのかなァ」と、大ちゃんのパパはつぶやきました。
「なんでもいいんですよ。わたしのべんきょうは、あさっての『たからづかきねんレース』なんですからね。スーパーホワイトが二十れんしょうできるかどうかです」と、太くんのおとうさんは、けいばしんぶんをながめたままいいました。
「スーパーホワイトだって」と、大ちゃんは、パパの耳もとでささやきました。 パパは、あくびでこたえます。
「十九れんしょうでストップだとおもうわ。のびざかりのビッグブラックには、かなわないわよ」
けいばしんぶんにくびを出し、太くんのおかあさんが口をはさみました。
「ビッグブラックなんか、あい手じゃないよ」と、おとうさんが口をとがらせました。 「わたしも、そうおもいます」
「わたしは、おくさんのいうとおりだとおもうわ」
あちらこちらから、こえが出ました。こえといっしょに五、六人が立ち上がり、太くんのおとうさんのまわりにあつまります。けいばのべんきょうがはじまりました。
「おじいさん、そとへいきますよ。花だんをながめながら、はいくでもつくりましょうよ」
鳥男くんのおばあさんが、おじいさんをさそいます。
「わしは、ここにのこるよ。けいばのほうが、おもしろそうだ。おばあさん、一人で、はいくをつくりなさい」
「わたしを一人にするんですか?」と、おばあさんがいったとき、あちらこちらからこえが出ました。
「おばあさん、わたしに、はいくのつくりかたをおしえていただけませんか?」 「わたしも、なかまに入れてください」
「これはこれは、うれしいことを」と、おばあさんはえがおになって、つえをにぎりしめました。
つえの音を先とうにして、五、六人の大人たちが、きょうしつから出ていきます。あとについていく子どもたちもいました。
「ちょうどいいや。ぼくは、しばいの、だい本をかこう」 かばんの中から、げんこうようしを出したのは、ひろ子ちゃんのおとうさんです。
「海野(うみの)さん、このまえのおしばいは、おもしろかったですねえ。こんどは、どんなおしばいをやるんですか?」と、たずねるこえがしました。
「ぼくのつくったしばいを見ていただけたんですか?」 「見ましたよ」 「ぼくも見ました」
「わたしも見ましたよ。さいごのばめん、すばらしかったわ」
「それなら、みなさんのかんそうをくわしくきかせていただけませんか? あたらしいしばいのために、やく立てたいんです」と、ひろ子ちゃんのおとうさんがいいました。 五、六人があつまってきます。
「鳥男くん、わたし、こえのれんしゅうをしたいんだけど、空いてるおへやをつかっていいかしら?」
ひろ子ちゃんのおかあさんがたずねました。おかあさんはアナウンサーなのです。 「いいですよ。じゆうにつかってください」
鳥男くんがこたえると、べつのこえがしました。 「きれいなこえの出しかたを、わたしにおしえていただけません?」
「わたしにも、ぜひ、おねがいします」
「人さまにおしえるほどではありませんが、いっしょにべんきょうというつもりで、いきませんか?」と、ひろ子ちゃんのおかあさんはいいました。
五、六人の大人が、きょうしつを出ていきました。あとについていく子どもたちもいました。
大ちゃんのパパは、きょうしつを出ません。けいばのべんきょうにも、しばいのべんきょうにも、入らないで、いねむりをはじめていました。
こまったかおの大ちゃんは、パパのかたをゆさぶろうとしました。けいばのべんきょうに入ってもらいたいのです。二十れんしょうをまえにしたスーパーホワイトは、大ちゃんのママのおとうさんのぼくじょうで生まれたというのに、パパはしらぬふりしていねむりをしているのです。
パパのかたにかけた大ちゃんの手を、鳥男くんがはずしました。
「ここは、なにをしてもいいばしょなんだよ。いねむりだってしてもいいんだ」と、鳥男くんがささやきます、
大ちゃんは、となりのきょうしつにはしり出しました。きょうしつにもどってくる大ちゃんより早く、ママが、となりのきょうしつからとびこんできます。
「二十れんしょう、まちがいなしよ! スーパーホワイトは、げん気なのよ! スーパーぼくじょうのむすめ、この森山小子(もりやましょうこ)がいうんだから、まちがいないわよ!」
子うまのときからの、いろいろなはなしをママがしゃべりはじめます。しばいのべんきょうをしていた人たちもよってきました。
「たからづかきねんは、ぼくも気になっていたんですよ。でも、スーパーホワイトの二十れんしょうに、もう、うたがいはありませんねえ」
ひろ子ちゃんのおとうさんが口をはさみました。 「うたがいありません」 「ぜったいです」と、さんせいのことばがつづきます。
「わたしも、そうおもうわ」 まっ先にはんたいしたはずの太くんのおかあさんもいいました。
「なあんだ。じゃあ、もうべんきょうすることないじゃありませんか」と、太くんのおとうさんがいいます。
「だったら、けいばごっこしません?」 大ちゃんのママのこえでした。 「けいばごっこ?」と、みんなはききかえしました。
「おとうさんがうまになって、子どもをのせてはしるのよ。ばけんも、うり出すの」 「手をついてはしるんですか?」
「そんなことしてはしるのは大へんですよ」 「おぶってはしればいいんじゃないですか?」 「いい、いい。そのほうがいい」
「でもね、ばけんは、だめよ」 「いいじゃないですか。ばけんがなかったら、おうえんの力が入りませんよ」
「そんなこといって、お金でたのしむのは、はんたいです」 みんなのことばが、まじりあいます。
「ただで、ばけんをわたしましょうよ。あてるのは一ちゃくだけにして、あたった人には、しょうひんを上げたらどうかしら?」と、あたらしいかんがえが出てきました。
「そのしょうひん、わたしが出すわ」といったのは、大ちゃんのママです。 「おくさん一人に出させるのは、わるいですよ」
「いいのよ。お金でかったものじゃないんだから」 「お金でかったものじゃないって、どんなものなんですか?」
「スーパーホワイトにもらったもの」
「スーパーホワイトに?!」と、みんなはいっせいにおどろきます。一ばん大きなこえを出したのは、太くんのおとうさんでした。
「そうよ。スーパーホワイトにもらったものよ」 「もらったものって、なんですか?」 「あたってみてからのおたのしみよ」
「それ、いま、ここにもってるんですか?」と、太くんのおとうさんのしつもんはつづきます。 「そうよ。いつも、からだにつけてるわよ」
「まるで、おまもりみたいですね」 「そうね。にたようなもんね」
みんなの目が、大ちゃんのママをなめまわします。大ちゃんの目も、おなじでした。スーパーホワイトにもらったものなんて、大ちゃんだってきいたことがありません。
ママのむねの、まるいペンダントが目に入ります。いつも、からだにつけているペンダントでした。でも、スーパーホワイトが、ペンダントをくれるわけはありません。
「あたってみてからのおたのしみ――それでいいじゃないですか。おくさんから、そのしょうひんをいただきましょうよ。チラシをつくり、そとをあるいてる人にもくばりましょう。こんなたのしいことを学校だけでやるのは、もったいないです」と、ひろ子ちゃんのおとうさんがいいました。
「チラシの文は、わたしがかきます」
しわがれたこえがしました。鳥男くんのおじいさんです。みんなは、かおを見あわせました。いすにすわったおじいさんのこしはまがり、むねが、ひざにくっついています。
「ペンをもてば、おじいさんのこしはのびるんですよ。おじいさんは、むかし、スポーツしんぶんではたらいていたんです」と、鳥男くんが、しんぱいするみんなにいいました。
「おねがいしましょう」
げんこうようしを手にもって、ひろ子ちゃんのおとうさんが立ち上がりました。おじいさんの目のまえにげんこうようしをおくと、おじいさんは、むねのポケットから、まん年ひつをぬきとりました。
むねが、ひざからはなれます。こしがのび、目がひかり、もうおじいさんではありません。
「もんだいは、だれが、うまになるかです」と、ひろ子ちゃんのおとうさんは、みんなを見まわしました。
「こんな、おもい子をおぶって、はしるわけにはいきませんねえ」 太くんの大きなおなかをつつきながら、おとうさんがいいました。
「太くんは五年生でしょう? やせていたとしても、五年生じゃおもいですよ。一年生か、二年生ですね」
「ヒーローコー、イーチーネーンセーイー」と、ひろ子ちゃんいいました。
「ごめんね、いっしょに、はしってあげたいんだけど、からだのふじゆうなひろ子は、うまく、せ中につかまれないだろう?」と、おとうさんは、ひろ子ちゃんのあたまをなでながらいいました。
いすの音がします。立ったのは、大ちゃんのママでした。かおをうつぶしてねむっているパパのせ中を、ママはポンとたたきました。
「パパ、大ちゃんをおぶりなさい」 目をこすって、ことばのいみをかんがえますが、なにがなんだか、パパはわかりません。
「一人きまったわ」と、ママはかってにいいました。一、二年生は、まだいるのに、ママのことばにつづくものはいません。
「ほうそうをして、学校中からあつめましょう。ひろ子、おかあさんに、ほうそうしてもらいなさい」と、ひろ子ちゃんのおとうさんがいいました。
ひろ子ちゃんの車いすが、きょうしつから出ていきます。チャイムがなり、おかあさんのこえが学校中にひびきました。
ほうそうが、おわるか、おわらないうちに、きょうしつのそとで女の子のげん気なこえがしました。 「おとうさん、ここだよ!」
先になって入ってきた女の子のむねには、『三くみ・一年生・早井光子(はやいこうこ)』という名ふだがついています。
あとをついて、おとうさんが入ってきました。
「あっ」と、みんなはいっせいにいいました。みんなの目のまえにいるのは、二年まえのオリンピックでマラソンの金メダルをとった早井せん手なのです。さらい年のオリンピックでも、もう一ど金メダルをとるだろうといわれている人でした。
「あっ」と、早井せん手もいいました。大ちゃんのパパのかおを見ています。パパにむかって、かるくあたまを下げました。みんなにはわからない、あたまの下げかたでした。
「おとうさん、ここだよ!」 おとうさんうまをつれてくる子どもたちのこえがまたします。 「チラシの文ができましたよ!」
こんどのこえは、鳥男くんのおじいさんでした。 けいばごっこをはじめるために、みんなはうごきはじめました。
チラシをいんさつする人、くばる人、ばけんをつくる人、ラインをひく人、ほうそうのよういをする人……
みちをいく人のながれがかわりました。おまわりさんが、あせだくになって、こうつうせいりをはじめます。五、六年生とおやたちは、おまわりさんを手つだいました。
千まいのばけんはすぐになくなり、もう千まいつくります。その千まいもすぐになくなり、レースのはじまりになりました。
おとうさんうまは、ぜんぶで十とうでした。むねには、くじできめたゼッケンをつけています。あたまには、うまのおめんをかぶっていました。
おめんをつくったのは子どもたちですが、おしえてくれたのは太くんのおとうさんです。人ぎょうのあたまをつくるのが、おとうさんのしごとでした。
ふえのあいずがひびきます。 「五ばん森山、わずかにリード、九ばん早井、そとからおいかけます。つづいて五ばん……」
ほうそうは、ひろ子ちゃんのおかあさんのこえでした。学校のまどは、ぜんぶスクリーンになって、子どもをおぶってはしりつづけるおとうさんうまがうつし出されています。
校しゃ一まわりが四百メートルのコースでした。四百メートルは、大ちゃんのパパが一ばんとくいなコースだったのです。こうとう学校のりく上きょうぎ大かいで、四百メートルのチャンピオンになったことがあるパパでした。そのとき、二とうになったのは早井せん手だったのです。
大学に入ったパパは、りく上きょうぎをやめました。りかのべんきょうのほうがすきだったのです。りく上きょうぎのほうがすきだった早井せん手は、マラソンのはしりかたをべんきょうしてつよくなりました。
パパは、どんどんとばしていきます。早井せん手を五メートルもはなして、先とうをはしりつづけていました。
いまのチャンピオンに、むかしのチャンピオンがかてるなどと、パパはおもいません。どうせまけるなら、せめて、と中までは一ちゃくをとろうとおもったのです。
ママは、目をうたがいました。むかしのパパをしらないのです。パパは人にじまんをするのがきらいなので、ママにも大ちゃんにも、はなしたことがありません。
さいごのコーナーをまわって、パパがゴールにむかってきます。 「パパ! パパ!」と、いすの上にのっかって、ママはさけびました。
いすとつくえをそとに出して、ばけんをわたしたママなのです。早井せん手が一ちゃくになることは、ママにとって大へんなことなのでした。早井せん手のかおを見て、千九百九十八人の人が、早井せん手にかけてしまったのです。もし、早井せん手が一ちゃくになってしまったら、どうやって、やくそくのしょうひんをわたしたらいいのでしょうか?
「がんばれ! がんばれ!」と、大ちゃんはパパのせ中でさけびました。 「がんばれ! がんばれ!」
光子ちゃんのこえが、うしろでひびきます。足音がちかづき、早井せん手のいきが、大ちゃんのくびすじをおそってきました。
パパのいきのあらさに、早井せん手のいきも、まけてはいません。あまりのパパのとばしすぎに、早井せん手はあわててしまったのです。
あわてておいかける早井せん手は、すっかりいきをみだしていました。みだしながら、ジリジリとおいつめていくのは、オリンピックチャンピオンの力でしょう。
あと二メートル―― おとうさんうまがならびます。大ちゃんのパパは、オリンピックチャンピオンにまけてしまうのでしょうか?
パパのくびが、グイとのびました。まえのめりになって、パパはあごからたおれます。ガツンと、あごがじめんをうち、パパの石あたまが大ちゃんのはなをうちました。
「ゴールイン! 一ちゃく森山! 二ちゃくは早井!」 ほうそうのこえに、みんなのためいきがかぶさります。
「いたいヨーッ!」と、大ちゃんは、パパのせ中でなき出しました。
大ちゃんのおしりにまわした手を、パパはほどきました。大ちゃんのはなぢが、パパのせ中をそめています。でも、パパが手をはなしてたおれていたら、大ちゃんは、はなぢぐらいですまなかったでしょう。じめんになげ出され、ほねの一本はおったはずです。
「アッフッフッフッフッ」と、こえをもらして、パパのあごはうごきません。大ちゃんをまもったパパのあごのほねは、見ごとにはずれていました。
きゅうきゅう車のサイレンの音が、人ごみをかきわけてきます。
「早く、しょうひんをもらいにきて!」と、ママは、つくえの上にのっかってさけびました。しょうひんをわたさないうちは、はなれることができません。
太くんのおとうさんがはしってきます。ばけんには、ハンコでおしたDという大ちゃんのパパのばんごうがありました。そのばんごうにかけたのは、たった二人――もう一まいのDのばけんは、ママがもっていたのです。
ペンダントをくびからはずし、ママはふたをあけました。糸のような白いものが、うずまきになって入っています。
「もしかして、それ、スーパーホワイトのしっぽじゃなありませんか?」 太くんのおとうさんは、目をまるくしてたずねました。
「スーパーホワイトとわかれるとき、一本だけ、もらってきたのよ。あのうまのように、がんばりたいとおもってね」 「おまもりですね?」
「おまもりじゃないわ。うまもりよ」
ママは、はさみで、うまもりを二つにきりました。もし、オリンピックチャンピオンが一ちゃくになっていたら、千九百九十八人にわけなければならなかった一メートルのうまもりです。
「よく、うちのパパにかけてくれたわね。わたしと二人だけよ」といって、ママはじぶんのばけんを見せました。
「スーパーホワイトのぼくじょうのおじょうさんのだんなさんが、ぼうやをおぶってはしるんですよ。これを見すてたら、けいばずきのわたしの名まえがよごれますよ」
そういって、太くんのおとうさんは、りょう手をさし出しました。
けいばごっこのチラシにおりたたんだ一本をおとうさんにわたします。おとうさんは、あたまをふかく下げました。
のこった一本をペンダントにもどすと、ママはペンダントをにぎってはしり出しました。パパは、もう、きゅうきゅう車の中です。大ちゃんがしゃくり上げながら、パパのかおをのぞいていました。
ママは、パパのくびにペンダントをかけました。きゅうきゅう車がはしり出します。
とおざかっていくサイレンの音をききながら、鳥男くんのおじいさんがいいました。 「おばあさん、はいくは、できたかね?」
おばあさんはノートをひらいて、はいくを一つよみ上げました。 「つゆばれや、おや子あそんで、花のびる」
アサガオも、ヒマワリも、あさにくらべて、はっぱのかずがふえたような気がします。
〈了〉
続き
戻る |