骨踊り(9)

向井 豊昭


 マンションは、もう目の前だ。信号が足を止める。朝、横断歩道の真ん中で尻を出してしゃがんでしまった四人目の姿はなく、ウンコもなかった。ホットドッグのように、つまみ出されてしまったのだろうか?
 つまみきれない人間の影のように、白線の上に黒い染みがへばりついている。黒い染みと重なって、錆色の染みが飛び散っていた。それは四人目のウンコの跡なのだろうか。それとも血しぶきの跡なのだろうか?
 タイヤの跡も重なっている。車道の表面では貝殻のように砂利が光り、あたりは一面の遺跡だった。アスファルトにめり込んだあれらの砂利は、タイヤに潰され、砕かれた亡者たちの成れの果てなのかもしれない。亡者の姿は、もうあたりには見えないのだ。
 あたりを見まわす目が止まった。マンションの前に、紫木蓮が立っている。視線が合い、たもとが動いた。マンションを指で差すと、母はピロティの中に消えていった。
 ピロティは駐車場になっている。通り抜けるとエレベーターと階段があるが、マンションの玄関は、ピロティよりも遠いのだ。内部の事情を知らなければ、ピロティから入っていくなどということは考えられないことだった。
 横断歩道を人が渡っていた。信号は青に変わっている。ならわしに従って足は前に出るが動きは重い。横断歩道を渡りきると、足は一層重くなった。
 おそるおそるピロティに近づく目に、道の遠くから振る手が映る。手の下の顔が笑っている。妻だった。
 腕時計に目を逸らすと、針は五時二十分だった。いつもの自分の帰宅時間とずれはほとんどなかったが、妻の時間はいつもより一時間も早いのだ。はたしてあれは生身の妻なのだろうか?
 嗅ぎ慣れた香水の匂いをただよわせて、目の前五十センチに妻が立つ。だが香水は生身の匂いではない。
「早かったね」
 言いながら顔をのぞき込む。
「今日は残業がなかったの」と、顔の中の口が動いた。はがれかかった口紅が唇の上でささくれだち、生身の唇は屍斑のように青かった。
「残業がないなんて、めずらしいな」と、生身を確かめるように言葉を返す。
 会社、官庁、大学等に、電話で科学技術書を売りつける妻の仕事である。一册数万円という高価な本を先ず試読本として受け取ってもらい、気に入ったら、それをそのまま買ってもらう。いらなかったら着払いで送り返してもらうのだが、試読本としての受け取りを承諾してもらった相手には、その日、残業で荷造りをすることになっているのだ。日に十五册のノルマである。
「新刊が出来上がってこないもんだから、今日は一日、名簿を広げて、これから電話をかけるお客さんの名前をチェックしてたの」
 唇の上下のたびに歯がのぞく。上はずらりと入れ歯であり、おまけに作りが悪かった。しゃべり出すと、上唇を押し上げて入れ歯が突き出てしまうのだ。生身の顔が変えられてしまったのは五年も前のことである。今更生身にこだわることはなかったのだ。
 駐車場に並んでいる息子の50CCに目をくれながら、エレベーターの前に止まる。妻がボタンを押した。その奥の集合ポストの中をのぞき、すぐそばの階段を昇るのがいつもの自分のならわしなのに、妻と一緒にエレベーターに乗ってしまう。ならわしから大きく外れた出来事の数々は、ポストをのぞく小さな一つを忘れさせていた。
 妻の指がフロアを示すボタンを押す。3の数字に明かりがついた。
「どうして3なんだよ」
 言葉と一緒に2を押すと、妻はけたたましく笑った。八重歯と笑窪が光る笑顔は、今はもう見られない。入れ歯のために八重歯は抜かれ、笑窪は消されてしまったのだ。それでも、そそっかしい妻の生身は変わっていない。
「これで三回目よ。わたしったら、どうして何回も間違ってしまうのかしら。会社が三階だもんね。いつも3を押すでしょう。うっかり3を押して、301号室へいっても、201と作りが同じだから気がつかないのよ。鍵が掛かってるもんだからチャイムを鳴らしたら、『どなたですか?』でしょう。『わたし、わたし』って答えたのに、また『どなたですか?』って聞いてくるもんだから、その声が知らない女の人の声なのにまだ気がつかないの。娘のヤツ、作り声をして人をからかってるって思って、『ふざけないで早く開けなさい!』って言ったら、ドアが開いたもんね。顔を見たら知らない奥さんでしょう」
 そこまで一気にしゃべり続けた時、エレベーターのドアは開いた。
 もう五回は聞いた話である。五回が悪いと言うのではない。繰り返しはこの世の常。自由、自由と念じながら、四十年がたってもいる。
「二度目の時は、鍵がかかっていなかったもんね。……」
 廊下に足を踏み出しながら、妻のおしゃべりが続く。勿論、粗筋は分かっていることだ。ノブをまわして引っ張ったら、奥から聞こえたのは犬の吠える声だったのだ。さすがにそれは作り声とは思われず、あわててドアを閉め、逃げ出したのだという。粗筋はこれだけだが、学生演劇で鍛えた妻の話術にかかると、何度聞いても、ついつい引き込まれてしまうのだ。
 引き込まれ、笑って全てを忘れたい。だがエレベーターから出た体は、妻の体と離れてしまう。立ち止まり、廊下の左右を見まわして、母の姿を確かめようとするのだった。
 201のドアが不意に開いた。おしゃべりをやめた妻の手は、まだドアに届いていない。おでこ目掛けて開いてくるドアの表を片手で受け止め、妻は後ずさりをした。
 三人目の指を挟んだ朝の傷みが、二十三人目の自分の指に響いてくる。一日中うずくまり、とうとう出てきた自分なのか?
 出てきたのは、鞄を持った息子だった。定時制がそろそろはじまる時間なのだ。
「びっくりしたァ!」
 妻の声がけたたましく廊下に響いた。
「おれの方がびっくりしたぞ」
 苦笑しながら、息子は怪談へ出るドアを押した。
「いってらっしゃーーい!」と、妻の声は相変わらずのにぎやかさだ。
 靴を脱ぐ妻の体を避けて、半開きにしたドアの内側を背中で支える。二人並んで靴を脱ぐ空間がそこにはないのだ。そこに倒れた三人目のせいではない。三人目は影も形も見えなかった。
 尿意が込み上げている。バッグをほうり出し、トイレの前にたってしまったのは妻である。尻を出した二人目は、便器にまたがったままなのだろうか?
「ぼくが入りたかったのに」
 あわてて靴を脱ぎながら文句を言う。
「じゃあ、先に入りなさい」と、妻の体は今に戻った。
 バッグのわきに鞄を置き、おそるおそるトイレを開ける。二人目はいなかった。心の膿をしぼるように力んでみるが、出るのはただの小便である。沈んだ顔でトイレから出ると、妻の陽気な音が代わって響いた。
 響いた音に励まされ、ふすまを開けて寝室に入る。布団はたたまれ、一人目の自分の姿は見えなかった。
 お揃いで、ウンコ石でも見にいったのだろうか。鳥浜貝塚は、もう一度、いって見たい場所なのだ。
 訪ねたのは冬だった。おまけに雪が降っていた。頬を思いきりふくらませて無数に空から押し寄せてくる雪のために、視界はさえぎられていた。視界をさえぎる雪の勢いは慣れている。慣れていないのは雪の湿度だった。氷点下の厳しさを降ってくる北海道の雪は、湿度を削がれ六角形に研ぎ澄まされる。踏んで歩けば、雪は音をたてて抵抗し、潰れて融けて靴が濡れるなどということはなかったのだ。
 履き慣れた皮のブーツで小浜にやってきた前日、バス停から若狭歴史民俗資料館までのほんの僅かな雪道でブーツはすっかり濡れた雪にやられてしまった。靴下までも濡れてしまい、旅館の暖房で夜通しかけて乾かしたのである。
 小浜では積もった雪との出会いだったが、降ってくる雪との出会いは、次の日、汽車に乗ってからだった。窓ガラスに粘りついて風景をふさぐ雪を恨めしく眺めていると、汽車は三方駅に着いた。ワイパーを動かしながらタクシーが一台止まっている。深いわだちが雪をえぐっていた。ウンコ石の時代、雪をえぐったのは獣の足だ。足跡を頼りに獣を追うウンコ石人にとって、雪は天の恵みだった。獣を追えない旅行者にとって、天の恵みはタクシーである。
「鳥浜貝塚までお願いします」
 コートの雪を払いながら行き先を告げると、「いっても、何もありませんよ」と運転手は御親切だった。
「いいんです。景色を見にきたんですから」
 返事の代わりに、タクシーは動き出した。低い家並みをすぐに抜け、雪に埋まった田圃が現われる。遠くには橋が見えた。その下を流れる川の底が、ウンコ石の場所のはずなのだ。
 雪の粘る窓に額をすりつけて外をのぞく。車は橋を渡り、川の位置を変えて曲がった。流れに沿った雪の上で、わだちを引いて車は止まる。
「ここですよ」
「一寸、下りていいですか?」
「はい、どうぞ」
 エンジンは音を止めず、無線が次の客をせっかちにつたえてくる。雪の中から突き出た発掘現場の鋼板の枠は、花鳥風月を遮って冷たかった。冷たい冬に訪ねたのは、怪我の功名だったのだろう。
芭蕉翁が奥に行脚のかへるさ越後に入り、新潟にて「海に降る雨や恋しきうき身宿」寺泊にて「荒海や佐渡に横たふ天の川」これ夏秋の遊杖にて越後の雪を見ざる事必せり。されば近来も越後に遊ぶ文人墨客あまたあれど、秋のすゑにいたれば雪をおそれて故郷へ逃帰るゆゑ、越雪の詩歌もなく紀行もなし。稀には他国の人越後に雪中するも文雅なきは筆にのこす事なし。
 江戸時代、越後塩沢で呉服屋を営みながら、雪の実相を書き続けた鈴木牧之の『北越雪譜』には、こんな言葉があるのだ。……
 玄関に戻り、置き放した鞄を持つ。豆大福の包みを取り出すと、足はまた寝室に向かった。
 布団を敷けば足元になるふすまの前には小さな箪笥が置かれ、箪笥の上には曽祖父手作りの仏壇がある。両開きの扉が外れ、バラバラに壊れたのは、十年以上も前のことだ。木肌をむき出した蝶番の跡に黒いニスを塗ったものの、仏壇本来の黒く沈んだ塗りの中から薄っぺらい光沢を見せてニスは浮き上がっていた。木捻子の穴の跡が三つずつ、浮き上がりを戒めるように残っている。塗って繕った妻の責任ではない。祖母の死後、新しい仏壇を買おう、祖母との約束だったのだと言う妻の言葉にうなずかず、百年の仏壇にこだわった夫が悪いのだ。
 真鍮の台の小さな飯の山が干からびていた。償うように明かるいのは、花瓶に差した野草の花である。昨日、勤め先に近い東大の農学部の構内に、昼休みの散歩に出かけた妻が摘んできたものなのだ。干からびた飯とのチグハグはあるが、祖母の死後、仏壇を守ってきたのは妻である。
 豆大福の包みを仏壇にのせ、仏壇の横からマッチを取る。そこにマッチを置いたのは妻だった。
 マッチを擦り、ろうそくに火をつける。そこにろうそくを立てたのは妻だった。
 マッチの火を消し、小さな器の穴に軸木を落とす。祖母の納骨のために下北へ旅をした時、その器を恐山で買ったのも妻だった。
 線香入れから、線香を二本取る。その線香入れも恐山で妻が買ったものである。勿論、線香も妻が用意したものだし、二本取ったのは、数年前のクラス会で友人のお坊さんから聞いてきたという妻の言葉によるものだ。日々の祈りでは、先祖一同に線香を一本。誰かの命日に当たる時は、その仏様のためにもう一本と伝授されてきた妻である。
 ろうそくの火を移し、線香を灰に立てる。灰の下に隠れてはいるが、線香立てには白い砂が埋められているのだ。それもまた恐山の極楽ヶ浜から妻が持ってきたものである。
 故郷の下北を離れた北海道の教員住宅で祖母は死んだ。
「もうじき、お山にいくよ」と、祖母は生前よく言っていたものだ。お山というのは下北の霊山、恐山のことで、そこにいくということはあの世への旅立ちを意味するものだったが、まだ幼かった娘は「おばあちゃん、沙流川、とってもきれいだよ。沙流川にいこうよ」と口をはさんだものである。緑色の川は教員住宅のすぐそばにあったが、寝たきりの祖母は曽孫の誘いに応えられずにお山にいってしまったのである。妻が恐山の白砂や仏具を用意したのは、そういう祖母への鎮魂であった。
 仏壇の奥の過去帳が目に留まる。祖母の命日のページだった。手を伸べてページを変える。
 お経の本を開き、般若心経を唱えはじめた。恐山で夫が買った唯一のものだが、唱えるのはほとんど妻の役目だった。
「めずらしいわね、パパ」
 妻が背後から過去帳をのぞく。
「あら、お母さんの命日! 大変だ! わたし、御飯をお供えしなかった!」
 妻の声を般若心経で遠ざける。
「舎利子、色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、受想行識、亦復如是……」
 着替えをはじめる妻の衣ずれの音を遠ざける。居間へ出ていく妻の足がカーペットをこすり、テレビが音をたてた。冷蔵庫のドアの音、鍋の音――それら一切の音は消え、般若心経は体の中をめぐっていた。
「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶、般若心経」
 お経の本を静かに閉じ、鐘を叩く。澄んだ音が体の中に滲みていった。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
 目をつぶり、念仏を唱える。せっかくの念仏に逆らって、聞こえてくる声があった。
「いやらしい子だねえ。お世辞が丸見えだよ」
 母の声である。
「そんなこと言うもんじゃないよ。せっかくの信心じゃないか」と、たしなめる祖母の声がした。
「何が信心よ。あの子の一日を見て御覧なさい。いやらしいったらありゃしないわ。わたし、見るに見かねてあの子の前に出てしまったのよ。おばあちゃんは、あの子を甘やかし過ぎたわ。あの子ばかりじゃない、嫁の教育だってなってなかったから、御覧なさい。二日も前の御飯をまだ上げてるじゃない」
「今の人は御飯を毎日たかないんだもの、仕方ないでしょう。その代わり、昨日はお花を上げてくれたでしょう」
「何よ、あんな花。ただの野草じゃない」
「ただの野草じゃない。おれの青春、一高の野草だ」
 今度は祖父の声である。母のすすり泣きが聞こえた。
「二人がかりで……わたしを……いじめるのね……」
 切れ切れに母の言葉が洩れる。
「いじめるだなんて、何もお前、わたしだって、孫夫婦の肩ばっかり持つわけじゃないんだよ。こんな古ぼけたお仏壇にわたしたちを入れといてさ。不平不満は、わたしにだってあるんだよ」
 取り繕うのは祖母の声だ。
「イチさん」と、祖母の名を呼ぶ声は聞いたことがない。
 念仏をあきらめ、おそるおそる目を開けると、仏壇の中はまるで大広間のようだった。左右に分かれてぎっしりと並ぶ御先祖一同の上座は遠く、顔は小さい。
「古い、新しいで価値を判断してはならん。古いというなら、このお仏壇よりはるかに古いのは諸々のお経じゃ。そのお経が今でも人の口で唱えられてしまう。――その意味を考えてみなければと、わしは思うのだがな」
 下座の顔は間近に大きい。その中の一つの顔の白いあご髭が唇の動きと一緒にゆれていた。声を聞くのははじめてだが顔はアルバムで知っている。仏壇を作った曽祖父なのだ。「申し訳ございません。お許しくださいまし」と、祖母は舅に手を突いて謝った。
 母の顔がこちらを向く。にらみつける目の下が引きつり、言葉が飛んでくる。
「お前のおかげで、こんな騒動になってしまったんだよ! 謝りなさい!」
「もういい。責めてはならん。罪を感じ、お経を唱えたではないか。それで充分なのじゃ」
 はるか上座のそのまた奥から重々しい声が聞こえてきた。首を突き出し、顔を確かめようとしたが、顔は点のように小さく、遠かった。御先祖様の御威光に、母はもう黙っている。この世もあの世も、権威あっての秩序なのか。
 口を尖らせ、ろうそくを吹きつける。
「フーッ!」
 炎が吹き飛び、青い煙がゆらめきながら消えていった。ろうの匂いが炎を探して走っていく。
 大広間は消え、正座の列はもう思えなかった。見えないだけだ。御先祖一同がいることに変わりはない。
 暗がりの中で、過去帳の紙の表がまばらに光っていた。一面に塗られていた銀粉のはげ落ちた残りである。過去帳の最後には『文政十一戊子年慥柄伝蔵幸堅謹記』という文字が銀粉にのせて認められてもいたが、はげた銀粉と一緒に墨は欠け落ち、文字は辛うじて読み取れる。
 仏壇の引き出しには、和紙をつないだ長い家系図もしまわれている。達筆が書き継ぐ家系図の最後には、稚拙なペン字で、祖父母と、その子三人、たった一人の世継ぎとなってしまった孫の名前が書いてある。
 孫がそれを書いたのは、まだ国民学校の五年生の時だった。祖母と二人で、この世に取り残された年である。
 蒲田の町工場の家政婦になって出かけていた祖母の帰りは、いつも遅かった。電燈の真下に、引き抜いた仏壇の引き出しを置き、古文書を広げては空腹と寂しさをまぎらわしたものだ。古文書のくずれた文字は、歳をとった今でも読み取りが難しい。だが家系図だけは、どの筆跡もきっちりとした楷書で書いてあるのだ。
 電燈の笠の上からおおった黒い布は真下に向かってたれ下がり、明かりは引き出しの上に小さな縁を落としていた。爆撃機の標的にならないようにと強いられていた燈火管制のためである。
 文字のつらなる家系図の末尾の余白が光を反射する。祖母は文字を書けなかった。余白を埋める者は孫一人なのだ。見つめる心を吸い込んで、余白は夜ごと輝いていった。
 ある夜、電燈の下に机を出し、墨をすった。返してもらったばかりの学校の図画が、裏返しになって硯の隣に並んでいた。モノの乏しいその時代の貴重な画用紙の裏である。
 小筆の先に墨を含ませ、練習の穂先を下ろす。力みの入った穂先は折れ、太い線が画を重ねてしまうではないか。
 力を抜いて、穂先が折れぬように書いてみる。手がふるえ、筆の跡もふるえてしまった。何度繰り返しても、うまくいってくれないのだ。
 母の残した引き出しのペン軸を思いつく。取り替えたペン先を硯にたまった墨に入れた。紙の上で墨が落ちてしまわないように、ペン先を硯の表で軽く押す。余分な墨をそこに落とし、画用紙の裏にペン先を当てた。ふるえを押さえて力を入れても、文字は毛筆のように太く重なりはしなかった。
「これにしよう!」
 そうして書いた子どもの筆蹟が、今も残る家系図なのだ。
 その家系図や過去帳をビリビリと破ることはできるのか? 火をつけて灰にしてしまうことはできるのか? いや、最早、火をつける空間さえないこの東京である。ビニール袋に叩き込み、ピロティの隅のポリバケツに運ぶまでが精一杯の反抗だ。顔も知らぬ作業員に集められ、場所も知らぬ処理場で焼かれてしまう。自分の手で焼き、自分の顔で炎を感じる生身の反抗の手応えさえ奪われた場所に住んでしまっているのだ。
「パパ、仏サンの御飯持ってきて!」
 妻の声が御先祖様の御威光のようにとどろいた。右手が伸び、五本の指が真鍮の台をつかむ。二歩歩いて敷居を踏み、三歩目はもう食卓の前である。
 食卓をはさんで、妻は台所に立っている。朝、彼女がセットをしていった自動タイマーの役目は終わり、電気釜のふたはもう開いていた。
 プラスチックのしゃもじをにぎり、妻は御飯をほぐしている。湯気と匂いが空腹を刺激し、思わず生唾が出た。ゴクリと飲むと、生唾は即効薬のようにこの世に自分を戻してしまう。
 仏サンの干からびた御飯を妻は指ですくい取った。すくった御飯を流しのごみ入れに叩き込む。
 祖母が生きていたころ、それは罰当たりの最たる仕業だった。指でつまみ、口に入れ、感謝の念を込めるように、いつもゆっくりと祖母は噛んだ。安物の入れ歯が外れ、飛び出そうとする。それはあまりの旨さが入れ歯を押しのけているかのように見えてくるのだった。
「おばあちゃん、ぼくにもちょうだい」と、手を突き出してねだったものである。……
「ポ〜〜ン」
 ごみ入れの中から御飯の悲鳴が響いてくる。悲鳴と感じる心はあるが、なじる言葉は出てこない。
 湯気のたつ御飯を妻は装った。妻の体が動き、隣室に消える。般若心経がとどろき、鐘が響いた。紙包みを開く音が止まると、妻は隣室から現われる。
「あの豆大福、パパが買ってきたの?」
「ああ」と、煙草をくわえたままの返事である。
「偉いわ。さすがお母さんの命日は忘れていなかったのね」
 言葉の代わりに煙を吐く。ゆらめきに乗せて重い心を遠ざけたいが、どっこい重みは遠ざかってくれなかった。
 吸ったばかりの煙草をもみ消し、いつものように電話のわきの椅子の上に背広を脱ぎ捨てた。手紙と夕刊を取りにいく。遅まきながら、駒の狂いは直したい。
 サンダルを突っかけて階段を下りた。マンションのミニチュアのようにポストが並んでいる。201のふたの隙間から中をのぞいた。
 ある。ある。
 ふたを開けて手に取った。印刷の文字が並ぶ葉書がたった一枚だ。葉書の下に隠れていた小さなチラシが現われる。チラシを取って目に近づけると、『▽恋人にしてネ!▽自宅出張▽(*▽はハートマークの代用)』というハートに囲まれた文字があった。
 母の険しい目が火花のように頭に散る。にぎりつぶし、ポストの隅の屑籠に叩き入れた。屑籠の中には、同じチラシが積み重なっている。
 葉書に目をやりながら階段を昇った。老眼には難しい細かな文字だが、『NTT』は読み取れる。
 ドアを開け、たたきに入る。ドアの裏側についている新聞受けのふたを開き、夕刊を取った。
 ごちそうの匂いが、たたきに流れてくる。
「今日のおかず、なあに?」
 いつもの言葉で心を繕い、居間に入った。
「鰈の煮つけ」
 コンロの前から振り向いて妻は微笑む。夫の好物なのだ。
「ああ、いいなあ」
 どうやら日常は戻ってきたようである。天気予防(*ママ)をテレビはやっていた。
「明日は雨かァ」
「エーッ、雨ーッ!」
 豆腐を刻む手を止めて、妻はテレビに目をやった。
「本当だ。どうしよう。明日は会社のごみを捨てる日なのよ。清掃車の場所まで結構あるんだから。困ったなァ」
 雨は明日だけのものではない。雨の日とごみの日はもう何度も重なり、妻の愚痴は何度も聞かされてきた。
 耳をやらずに、明日の体育を考える・場所の割り当ては校庭なのだが、雨でそこが使えないとなると、さて、どうしたらいいものか。体育館の割り当てになっている隣の組に頼み込み、一緒にドッジボールをさせてもらえば子どもは喜んでくれるだろう。だが体育の研究授業を二週間後に控えている隣の組だ。やることがマット運動ときているから、その練習に体育館は欠かせない。となると、体育の授業を潰すよりないだろう。潰して何をやる? 二時間続きの国語。二時間続きの算数――待てよ。図書室の隅っこに紙芝居が積んであった。あれを読んでやろう。よし、それに決まった。――
 雨は明日だけのものではない。雨の日と校庭割り当ての体育の日はもう何度も重なり、何度も授業のやりくりを考えてきた。夫はそれを頭の中で処理するが、妻は「どうしよう」と言葉に出してしまうだけだ。ごみや体育の心配のために明日があることに変わりはない。
 ソファーの隅に置いたNTTの葉書を取り、眼鏡を額に押し上げる。
「おい、電話代、二万円を超えてるぞ」
 食卓の上に葉書を投げるより早く、妻の声がした。
「エーッ?! 大変だ! 電話代ももらわなきゃ! 一万円値上げしよう!」
 娘が親に支払っている六万円の生活費のことだ。この家で最も多く電話を使う娘でもあった。
 眼鏡を戻して夕刊の見出しを拾う。リクルートと天安門が紙面をまた埋めていた。汚職をなじれる自分ではなく、中国人民を支持できる御立派な自分でもない。つい先週の家庭訪問では、二軒の家で寸志を押しつけられてしまったのだ。何度も押し戻し、とうとうそれをもらってしまった。断り切れなかったとは言わせない。電車の座席に座るなり、膝にのせた鞄を開き、鞄の中でこっそりと寸志を確かめたあの卑しさは何だ。
「ほんのジュース代ですが……」
 そう言って渡された封筒の中が三枚のビール券だった時、なぜ眉をしかめたのか。苦手のアルコールだったからだとは言わせない。
「粗末なものですが……」
 そう言って渡された小さな包みの中に五百円の商品券が二十枚も入っていた時、笑みを浮かべたお前なのだ。
 眼鏡を額に押し上げる。テレビ番組の小さな文字を見るためである。
 見たい番組は特になかった。天気予防が終わり、カーレースの番組がはじまりかかっている。
 食卓の隅からリモコンのスイッチを取り上げ、チャンネルを変えた。ニュースである。ここでも内はリクルート、外は天安門を奏でていた。
「御飯食べましょう」
 妻の言葉にうながされ、食卓の前で膝を折る。子どものころのしつけのためか、あぐらをかくのは今でも苦しい。勿論、しつけには手抜かりもあった。例えば箸の持ち方である。どの指も拳骨をにぎったように深く折り、見た目には幼児のようにぎこちないのだ。見た目であり、当の本人は豆一粒をはさむのにも苦労はしない。
 今日はじめての味噌汁を先ずはすすり、豆腐をつまんで口に入れた。
「今日ねえ、新しくバイトの学生がきたの。それでね、アサカワさんの本磨きを手伝うことになったの」
 本磨きというのは、送り返されてきた本の天と地、そして前小口の三面の汚れをサンドペーパーで磨く仕事だ。真新しく変装させて、再び新しい客に送り込む。妻の会社の話から仕入れてしまった知識の一つである。
「そしたらねえ、バイトの学生ったら、イヤホーンをして、ラジカセを聞いてるの。本磨きをしながらよ。それで、アサカワさんが『仕事中はイヤホーンを外したら?』って注意したらね、バイトの子、怒っちゃってね、『空いてる耳をどう使おうって、ぼくの勝手でしょ』っていって出てっちゃったの。それきり、もう帰ってこないのよ。一時間もしない内に、やめちゃったのよ。アサカワさんたら、しょんぼりしちゃってね」
「しょんぼりすることないじゃないか」と、鰈を箸でほぐしながら言う。妻の手の箸は、タクトのように踊り続けているだけだ。
「しょんぼりするわよ。高い広告料を出して、せっかく見つけたバイトなのよ。社長に悪いじゃない」
「ああ、そういうことか。でも、注意することはなかったな」
「どうして?」
「ぼくのこの正座見てごらん。正座をくずせない人間もいれば、あぐらしかかけない人間もいるだろう。正座できても、ほら、ぼくのこの不器用な箸のにぎり方だ。バランスのとれた人間なんていないんだ。大体、ぼくはこの箸のにぎりを不器用だなんて思わないことにしてるからね。見かけじゃないんだ。イヤホーンで音楽を聞いて、それで能率が上がるなら、それでいいじゃないか。能率を上げるために、わざわざ音楽を流す会社もあるって、この前、新聞に出ていたぞ」
「フーン、そう。そうかもしれないわね。でも、わたし、あの学生を許せないわ。だってね、出ていく時の捨て台詞がまだあったのよ。『科学技術書の整理って広告にあったから、もう少し品位のある仕事だと思ったら、これは何ですか? だまされましたヨ』だって!」
「ハハハハ」
「笑っちゃ駄目! その先がまだあるの。『中央大学法学部のやることじゃありませんネ』って言うのよ」
「そいつ、中央大学法学部なのか?」
「そうなんだって」
「参ったなァ。許せないね。絶対、許せない」
「でしょう」
 同意を得た妻の箸がようやく食事をとるための動きをはじめる。動きはすぐに止まり、妻はまたしゃべった。
「今日ねえ」
 枕言葉と一緒に、飯粒が一つ、妻の口からこぼれる。今度は昼休みのラジオ体操の話だった。息子に録音してもらったテープを使って、ビルの屋上で、同僚の女性二人を誘って今日からラジオ体操をはじめたのだ。
 今日ねえ――と、夫もまた出来事をしゃべりたいが、さて、どこからどう切って盛りつければいいのか。出来事は鎖のようにつながって、心をグルグルと縛っているのだ。
「ああおいしかった。ごちそうさま」
 鎖を断ち切るように陽気な声を作ってみるが、食べた量は陽気ではない。鰈が一切れに味噌汁一杯、そして一膳の飯である。
 箸を置き、ソファーに寝そべった。寝そべったまま煙草を吸う。立ち上がり、クッションを当てがっていた首をまわす。小便にいく。またもや寝そべってチャンネルを変える。煙草を吸い、チャンネルを変え、小便に行く。――
「おい、二人とも遅いな」
 テレビはニュースステーションの真最中である。娘が遅いのはめずらしいことではないが、ニュースステーションの前にはいつも帰ってくる息子なのだ。
「遅いわねえ。学校に電話してみようか」
「いいよ、そんなこと」
 ドアの音がした。妻と顔を見合わせると、この家一番の身長の息子の顔が寝そべった頭の上に現われた。
「遅かったなァ」
「うん」
 短く答えて、息子は一人掛けの椅子に座る。テレビに向けた体の方向を妻は座布団の上で移した。
「遅かったじゃない」
「職員室に寄ってきたんだァ」と、息子の答えはやや長くなる。
「悪いことしたんじゃないんでしょうね」
「するわけないだろう。先生と話し合っただけなんだァ」
「何話し合ったのさ」
「うん、自主退学しろって友達が言われたんだァ。だから、それ、取り消してくれって先生に頼んできたんだァ」
「友達って誰?」
「誰でもいいだろう」
「男?」
「いや」と、息子の顔は赤らんでいる。
「どうして自主退学になっちゃったの?」
「あいつ、うるせえんだァ。授業中、おしゃべりばっかで、先生の声が聞こえなくなるんだもん。だから自主退学になっちまったんだけど、おれ、謝れって言ったんだァ。説教臭いことグダグダと言いたくなかったからさァ、おれ、言葉に気をつけたさァ。なるべくカッコつけねえように言ったんだァ。謝る気あったら、一緒に職員室にいってやるって」
「フーン、それで先生は何て言ったの?」
「自主退学取り消し」
「よかったねえ。いいことしたじゃない」
「飯、飯」と、息子は照れるように母との会話を打ち切った。
 寝そべった父の体は、いつの間にか起き上がっていた。斜め前に座っている息子の顔がひどく目映い。目をしばたたき逸らした先には、テレビの画像があった。キャスターの饒舌な口の動きがいやらしい。
 クッションに頭を当て、また寝そべる。目をつぶると、息子との遠い日々がよみがえってきた。

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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