骨踊り(8)

向井 豊昭


 骨踊りがまたもやはじまる。外れて飛び出すのは、二十二人目の自分だった。もう財布をつかんでいる。女を買うほどの銭はないが、少年を腹一杯にさせる銭はあり、銭で買える食べ物もあった。肩をゆさぶり、少年に近づいていくのだ。車にはねられる亡者を見捨て、車に刃向かう自分を見捨てたのは、二十二人目の自分よ、お前ではなかったのか?
 ♪バラバラバラバラ
 目をそらし、改札口へ向かっていくのは、二十三人目の自分である。そらすことの繰り返しなのに、もう一つの出来事をそらされない。そらされず駅員を見る。改札口の駅員の顔が、二年前の出来事の相手の顔でなければいいが……
 国鉄がJRになって数日後の四月のはじめだった。北海道で買い求めた切符を持って、妻と二人で上野の桜を見にきたのだ。切符に記されている有効期間は、その日で終わりだった。有効期間を活用して、何度も途中下車をしながら東京にやってきた切符である。東京では、既に娘と息子が暮らしていたし、妻と二人での気ままな寄り道が繰り返されたのだ。
 東京に着き、大塚駅を出る時も、途中下車のつもりで切符を見せた。駅員は見せた切符を取り上げなかったし、次の日、一人で出かけた大井でも同じだった。大井町駅から大森駅までのなつかしい道を歩き、再び大塚駅に戻ってきたが、切符はやはり途中下車の扱いだった。
 上野の桜を見に出かけ、大塚駅に戻ってくる。――切符とは、そこで別れるつもりだったから、その日、上野駅の中央改札口を出る時も切符はにぎったままだった。
 改札口を通り抜けた瞬間、「アッ、一寸」と駅員が呼び止める。振り返ると、駅員は体を伸ばして切符をひったくった。駅員の前を過ぎる妻の手からもひったくられる。
「返してください。まだ使えるはずですよ」
 右手を突き出して駅員に詰め寄ると、「出たら終わり、出たら終わり」と、子どもをあしらうように駅員は言った。
「何が出たら終わりなんですか? 北海道から東京まで、何度も途中下車をしてきたんですよ。東京じゃあ、大塚駅でも大井町駅でも取られなかったんですよ。なぜ、ここで取られるんですか?」
「東京都内は、一度出たら、もう使えないんです」
「へー、そうかい。それならそうと、はじめから分かりやすく言ったらいいじゃないか。出たら終わり、出たら終わりだなんて、人をバカにしたような言い方はないだろう!」
「すいませんでしたねえ」と、駅員の声はとぼけていた。顔はこちらを向いていない。ふくれた横顔を見せて、客の列をさばいていた。
 客の流れに体は押され、駅員との距離が遠ざかる。距離を縮める大声を気にも留めず、客の列は次々に改札口から散っていった。
 未熟な大道芸人は、言葉を探して考える。出てきた言葉はこうだった。
「何がJRだ! この前、テレビで見たけどよォ、JRじゃあ、デパートにおじぎの仕方を習いにいったそうじゃないか。サービス、サービスって唱えながら、こんな態度をとるのがJRなのか!」
 芸はやはり未熟だった。蔑むように横目をくれる客は、まだいい方である。客のほとんどは一瞥もくれずに通り過ぎ、相方のボケはなかなかオチに導いてくれない。
「ですから、申し訳ございませんと、先程から謝っているでしょう」と、相方は逆に突っ込んでくるのだ。
「へー、申し訳ござま[い]せんだって? いつ、そんな言葉を言ったんだい? そんな殊勝な言い方なんて、してないじゃないか! 顔を横に向けて、すいませんでしたねえって、とぼけたように言っただけだろう!」
「あなたの名前、覚えとくわ。清原さんね」と、妻の声が後ろから聞こえた。駅員の胸のプレートには、なるほど『清原』という文字がある。西武ライオンズのホームランバッターと同じ姓だ。ファンである娘の影響で、妻にはなじみの姓だった。「清原は清原でも、大違いの清原だわ。相手にするには足りないわよ。パパ、いきましょう」
 残酷なオチをつけてくれた妻のおかげで、ようやくその日のもめ事は終わったのだ。
 まじめに切符を確かめて、まじめに回収したはずの駅員にとって、何という理不尽な客であったことだろう。JRなるトレードマークを新調し、サービス本位のイメージを強調しても、どっこい現場はそうはいかない。ひったくり、「出たら終わり」でかたづけなければ、改札口の流れは止まり、混乱がはじまってしまうだろう。それなのに、こともあろうに「何がJRだ」となじってしまった。JRを楯にとり、ふんぞり返ってしまったのだ。それは過疎地を切り捨て、楯つく者のクビを切り、金もうけ主義の線路を走るこの国のシステムそのものを認めてしまったことになる。……
 うつむいた姿勢で切符を出す。上目づかいで見た胸のプレートは、願った通り清原ではなかったが、鋏の音は痛かった。
 痛みを遠ざけるように、ズボンのポケットの奥に切符を押し込む。山手線のホームに向かって足を急がせた。
 電車に乗り、空席を探す。一つ空いた席の左側は若い女だった。ブラウスの白い色が包帯のように痛みをくるみはじめ、女の隣に体はもう座っていた。
 横目づかいで女を見る。首を折り、女は眠っているようだった。長い髪が女の顔にたれ、鼻の先まで隠している。髪を分けて、伸びているのはブラウスの袖だ。白いブラウスを透かした雲上の肌の色は、長い袖の先から生身の手首となって近づき、マニキュアのピンクが目をくすぐった。
 居眠りをする女の体が横に傾く。やわらかなぬくもりが肩につたわり、髪が数本、頬をさすってきた。
 あたりを見まわし、乗客の視線をうかがう。移していく目の先に紫木蓮が現われ、目をしばたたいた。
 斜め前の席を占める着物の柄を上へたどる。柄はとぎれ、襟から出た首の上には母の顔がのっていた。
 目がにらんでいる。肩をすぼめ、首を縮めた。縮まった体の幅が、もたれかかった女の安定を奪い、女の体がゆれた。ゆれが女の眠りを覚まし、女は姿勢を整える。
 目はもう女には向いていかない。まともに母へ向けることもできなかった。視線を落とした靴の先から、床をたどって母の足元にたどり着いてみる。草履の鼻緒が白足袋の指を分け、指は目のようににらんでくる。押し戻された息子の目は、自分のズボンのチェックの模様を迷路のようにたどっていた。
 電車のスピードは六回ゆるみ、ドアは六回開閉した。そのたびに、目はおそるおそる床を這い、足袋ににらまれ引き返した。
 七回目、足袋をのせた草履が二つ、流れるように目をよぎる。母の立つドアの外を灰色のビルの壁がゆっくりと通り過ぎ、広告塔が目の前に止まった。『うまい酒両関』のネオンの管はまだ光を見せていない。
 大塚駅である。ドアが開き、母の背中が見えなくなる。間を置いて座席を立ち、ベルの鳴るホームへ飛び出した。
 階段の上から下を見ると、母の背中はもう見えなかった。前にふさがる人々がもどかしい。すぐ前の腰を押すように定期券を突き出して外へ出た。
 首をまわして母を探す。看板の明かりがにぎやかに目をこすった。母の姿はどこにも見えず、明かりにこすられた目が痛い。
 眼鏡を上げ、指で目を押さえてみた。揉んで離し、眼鏡の位置を整える。眼鏡の向こうに母はやはりいなかった。
 朝の光に見とれてしまった五人目を置き去りにしたのはこの場所だ。どこにいったか、その自分もまた見えてこない。自分も消した自分なのに、母を消すのは不思議ではないだろう。
 ゆっくりと歩き出す。
 ポァーン。
 警笛の音がいたずらっ子のように耳の中を転がった。足を止めると、都電がゆっくりと目の前を横切っていく。運転手が頭を下げて、ゴメンナサイの合図を送った。合図を受けて、電車の外も頭が下がる。
 イイエ、コチラコソ、ゴメンナサイ
 踏切などはここにはない。道に沿った往来自由の都電の線路なのだ。
 東京中に張りめぐらされていた都電の線路は、今ではこの荒川線だけになってしまった。こののどかさは、はたして今なのか。それとも、母と生きた昔なのだろうか。ここがもし昔ならば、生身の母が何かの用事で歩いていても不思議はないだろう。
 あたりを見まわしながら線路を渡る。母の姿はやはり見えず、息子は母の年齢の二倍近くを生きてしまった。白髪の増えた頭髪は黒く染められ、白い数本の陰毛はブリーフ、ステテコ、そしてズボンの三重の守りでおおわれているが、そり残しの髭の中の白いちらつきは隠されない。
「いらっしゃいませ!」
 はずんだ声が店先に積んだ野菜の向こうからかかってくる。その声に引かれて、苦い思い出のさつま芋を買って帰ったこともあった。
 店先に吊した籠のゆれが止まる。籠と一緒に吊しているビニール袋の束から威勢のいい音をたてて一枚が引き抜かれ、ほうり込まれた野菜が客に手渡されていく。引き換えの札やダラ銭はたちまち籠に飲まれ、籠からつかんだ釣り銭は一円の間違いも許さず客の掌に渡されていく。取り引きが終わり、手から離れた籠は、次の取り引きをうながすように再びゆれをはじめるのだ。
「いらっしゃいませ!」
 声がまたかかってくる。この世の悪を払うように手を振って通り過ぎるが、貨幣に囚われた体は和菓子屋の前で止まってしまう。BC七百年、トルコ西部のリディアで鋳造されて以来という長い歳月に人類はもう太刀討ちできないのだろうか?
 豆大福を八個包んでもらい、銭と取り替える。忘れていた母の命日を償うためだが、八個という数は、家族四人に二個を掛けた数だった。
 包みを鞄に入れ、坂を上がる。鉄板の囲いの中から工事の音が響いていた。小さな建物が絶えず壊われ、大きな建物が建っていくのだ。
 スナックや居酒屋の看板が坂をのぞいていた雑居ビルの跡地に、ベニヤ板の肌をさらした立て札が立ったのは産休代替教員になったころだった。マジック書きの文字は威丈高に右肩を突き上げ、『告知』といういかめしい言葉がいきなり頭に現われる。続く文の面白さに、その場でメモをしてしまったものだ。
大島桃太郎は昭和六十二年十月三十一日までに一切の家財道具を運び出すという約束をしたにもかかわらず履行しなかった。その後建物を取壊さなければならない事情が発生し大島桃太郎の行方を捜したが見つけることができず昭和六十三年二月十日家財道具を一時的に移管しました。本社社員同行の上早急に引渡したいと思うので連絡を下さい。
右告知する。
 札を立てた年月日が書かれ、不動産屋の住所と社名、社長名が締めとなり、告知なるものは終わるのだが桃太郎とは面白い。面白いと言ってしまっては桃太郎さんに気の毒だが、正義の名前を持った男が鬼の不動産屋にやっつけられてしまったのだ。
 一筋縄ではいかない不動産屋だ。『履行しなかった』と先ずは極めつけ、『移管しました』『連絡を下さい』と、敬体を使って揉み手に変わる。そして最後は『右告知する』と法律用語でふんぞり返るこの文には、不動産屋の商法が巧まずして表われ、これもまた面白い。
 立て札の立っていた場所には、今、棕櫚の木が立ち、二倍のフロアに姿を変えたオフィスビルがある。
 坂の勾配が消え、春日通りの車の往来が目に入ってくる。信号待ちをしながら眺めることのできたサンシャインビルは、信号の近くにできたビルに塞がれ、見えなくなってしまった。
 ビルが建つ前、軒を並べてそこにあった商店の屋根越しにサンシャインビルは聳え、ああ、東京に住んでいるんだなあという実感に浸らせてくれた。日常に飲まれていく心をふるいたたせてくれたものだった。時には夕焼けがサンシャインの背後の空を染め、一層の彩を心に与えたのだ。
 北海道の夕焼けとは違う。北海道は、頭の上から地上まで、九十度にわたる広い夕焼けがあった。まだ青い空の色と混じり合い、薄紫に空を染めているのが頭の上の夕焼けだった。地上の果てにある太陽の位置に近づくにつれ、次第に紫は色濃くなり、やがて命の血の色に変わっていくのである。
 東京の夕焼けには、頭の上まで光を届ける力はない。仰角およそ四十五度の高さに見えるサンシャインビルのてっぺんから、およそ二十度の瓦屋根の間、二十五度の狭い角度に押し込められる夕焼けなのだ。押し込められた夕焼けの頬からは血の色が失せ、紫一色にくすんでいる。くすみながらも頬を見せる夕焼けの生命力は、北海道では味わうことのできない情念を与えてくれたものだった。その夕焼けを、目の前のビルは、サンシャインビルと一緒にすっぽりと押し込めてしまったのである。
 昭和六十四年一月七日、鉄骨の立つ建設現場には人の気配がなく、路上にはクレーン車もいなくなっていた。微かな動きを見せるものは、ポールの旗だけである。社旗と安全旗は外され、代わって掲げられたのは黒い布を伴った日の丸だった。
 手抜かりを見せるように社旗と安全旗が掲げられ、日の丸の弔旗がない現場もあるにはあった。だが、よく見ると、二つの旗の位置は下がり、半旗となってやはり弔意を表わしているのだ。
 その日は、定時制高校の受験料の納付を受けつける最初の日だった。期限は二月三日まで。まだまだゆとりのある一月七日だったのに、その日、郵便局に納付に出かけることは、とっくの前から決めていた。次の日は日曜日で郵便局は休みになる。その次の日からは三学期がはじまり、勤めに出なければならなかった。
 受験するのは親ではない。息子だった。空港の機内掃除、ブティックの店員、ペリカン便の荷物かつぎ、バイク便のライダーと、三年間に四つの仕事をさまよったあげく、学歴社会の袋叩きに遭った息子は、もう一度、高校生活をやり直すことを決意したのだ。
 仕事をしないで家にいる息子だった。郵便局ぐらい息子にいかせてもよかったのに、定時制卒の父には特有の感慨があった。自分の歩いた道をたどろうとしている息子に、父は自分の姿を重ね、我が事のように落ち着かなかったのだ。
 その日の朝、眠りを覚ましたのは、ふすま越しの妻の声だった。娘が起こされ、息子が起こされ、夫は寝床の中で妻子が囲む居間のテレビの声を聞いていた
「パパ、起きてきなさい!」
 ふすま越しでは言うことを聞かない夫に向かって、妻はふすまを開けて顔を出す。
「分かってることじゃないか。そんなにあわてることないだろう」
「ナマの第一報よ! 昭和の終わった瞬間よ! 寝てたら味わえないでしょう!」
「……午前六時三十三分……」という臨終の時間がテレビから聞こえてくる。腕時計を目に近づけると、もう八時だった。
「一時間半も前のことじゃないか」
 文句を言いながら居間に出ていく。食卓には、まだ朝食の用意はしていなかった。土曜のその日は、職場が休日の妻なのだ。
 勤めのある娘は、化粧のために自分の部屋に戻っていく。朝食抜きの彼女ではあるが、弁当に持たせるはずのおにぎりを作る気配は妻にはなかった。
 冷蔵庫を開け、パンを探す。パンはあったがジャムは見えない。
「ジャム、どこ?!」
 不機嫌な問いで、妻はようやく体を動かした。
 牛乳、生卵、栄養剤――いつもと同じ朝食をとり、顔を洗ってウンコをする。いつもと同じように朝刊も届いていたが、テレビ番組の欄はまったく役にたってくれない。どのチャンネルも番組は変わり、延々と同じ内容が続いていくのだ。
「歌舞音曲は控えるんだって! あんたの会社、歌舞音曲だから、今日は休みなんじゃない?!」
 娘の部屋のふすまを開けて、官房長官の談話を妻がつたえた。娘の勤め先は楽譜の出版社なのだ。
 扇動にのった娘は、プッシュホンのボタンを押してしまう。
「もしもし、慥柄ですけど、おはようございます。……アノー、今日は、会社休みなんでしょうか?……ハイ……ハイ……ハイ」
 ガチャンと娘は受話器を置く。
「笑われちゃったヨーッ!」と一声叫び、娘はあたふたと自分の部屋に消えていった。
「おにぎりどうするんだ?」と、妻に向かって口を出す。
「アッ、そうだ。忘れてたわ。どうしよう? 御飯がないわ。まあいいや。お姉チャーン!」と妻はふすま越しに叫んだ。「今日はおにぎり作らないから、何か買って食べてちょうだい!」
 娘の出勤より一足早く、受験料の振り込みに出かける。近くのマンションの一階にある大塚第五郵便局の前にくると、入り口の弔旗が目に飛び込んできた。その素早さに驚いて、弔旗の下で立ち止まる。ミシンが掛かった黒いリボンは、にわか仕立てではないようだ。
 昭和最後の日付を押した受取をもらうと、足は春日通りを池袋へ向かって歩きはじめていた。建設現場の弔旗を仰ぐ商店の低い弔旗もあるにはあったが、東池袋五丁目界隈では、その後に出会う弔意の洪水を予想することはできなかった。
 豊島消防署の弔旗の下で立ち止まり、もう一度リボンを眺めてみる。よく見ると、ミシン掛けどころではない。旗竿に結ぶ紐を通したリボンの穴は、金具をはめて守られているのだ。入念な仕上げである。
 消防署の前から道を曲がり、サンシャインビルの裏へ向かう。ビルの中のアルパ通りは、まだシャッターの上がらない時間だ。
 人影の少ないアルパ通りから地下道にさしかかると、人の姿が増えてきた。手には号外が見える。
 号外の場所を探して足を急がせた。数人がかりで、あわただしく門松を外す物音がする。
 地上に出ると、TOKYUHANDSの前では、読売新聞が号外を渡していた。生まれてはじめてもらう号外に、心は思わずはずんでしまう。手に持って池袋駅へ向かうと、駅前の銀行は軒並みの弔旗だった。儲けの大きさを誇示するように、旗はどれもバカデカい。
「袋に入れて、とっとくと、宝物になるよ」
 声に振り向くと、今度は東京新聞の腕章をしたオジサンが号外を渡している。そこでももらって目の前の明治通りを渡ると、駅の入り口近くでは世界日報が、かなりの若者を動員して号外を配っている。ここでもまたもらってしまい、駅の階段を下りる。電車で帰るつもりだったが、気を変えて、西武デパートのエレベーターの前に立った。
 開いたドアの向こうにいるエレベーターガールに目を見張る。エレベーターに乗り込んで、頭の先から足の先まで観察した。この季節は、黄緑のブラウスに、赤い服のはずなのだ。枯草色の帽子とスカート、そして同色の靴でまとめているエレベーターガールのはずだった。それなのに、帽子はない。ブラウスは白に変わり、服とスカート、そして靴は、黒一色に変わっているのだ。
 昇りきったフロアに出てみたが、同じエレベーターにすぐに乗って下りてしまう。宮城前のナマの姿を急に見たくなったのだ。
 地下鉄の券売機に近づく足が、方向を変えた。もう一つ、あのあたりのナマの姿を先に見よう。
 地下道を進み、階段を上がって外に出る。目指すは、歌舞音曲のストリップ劇場の界隈である。
 見慣れたオジサンの顔がいつもの場所に見えた。いつもの位置より、はるかに低く顔がある。オジサンは道端にしゃがんでしまっているのである。いつもは束で持っているファッションヘルスの割引券は一枚もなく、手は膝を抱えている。
 背中を丸めて立ちつくすオジサンのはずだった。背中の形とは裏腹に、割引券を差し出す時のオジサンの手さばきはあざやかなのだ。へそのあたりから空を切って、歩いている相手の体の前、五十センチでピタリと止まる。受け取ると読むや手は近づき、受け取らぬと読むやサッと手は遠のいてしまう。人の流れをせき止めないあざやかな手さばきが、どうしたことか今日は見られないのだ。
 臨時休業になってしまったのだろうか。それならそれで過ごし方はあるだろうに、日々の習性は、今日もこの巷にオジサンを招いてしまったものかもしれなかった。
 映画館の呼び込みの声がする。胸を見ると黒いリボンがついていた。今日の新手だ。切符売り場のガラス越しにも、黒いリボンが見えていた。
 映画館の横の小路を入っていく。いつもは聞こえるパチンコの響きはなく、シャッターには張り紙がしてあった。
 『本日休業』
 実に簡潔だ。このパチンコ屋の御主人とは友達になれそうな気がしてくる。その向かいの歌舞音曲、ストリップ劇場の張り紙は、弁解じみているのが残念だった。
 『天皇陛下崩御のため九日迄休業』
 小路の突き当たりのピンクホテルでは、立ち止まって考えてしまう。
『弔文 天皇陛下の崩御を哀悼申し上げます』
 文字は多くなり、かしこまってくるが、はたしてここは休業なのか、営業なのか。紙を張ったガラスのドアは何も言わない。玉虫色の文章美学は、この日が日本の一日であることを示してくれているようでおかしかった。
 駅の方角に背を向けて、東池袋五丁目への道を歩き出す。体の奥に渦巻くものがあり、足は大股に動いてしまう。渦巻く体を押し込めて、電車に乗っていることなどできなかった。
 マンションの階段を駈け上がり、ドアを引っ張る。靴を蹴散らし居間に入ると、言葉は立て続けに飛び出してきた。おごそかなテレビの報道に逆らうように勢いづいてレポートをするのだが、相手になってくれるのは、目の前の妻と息子の二人だけだ。無名のレポーターには勝ち目がない。
 二人を誘って、皇居前に出かける。マンションの近くのもう一つの駅、地下鉄の新大塚駅から乗車し、東京駅で下車した。昼食を先にとろうと、JRの構内を抜けて八重洲地下街に向かう。出会う駅員のどの胸にも黒いリボンがついていた。地下街の食堂では、ウェイトレスもレジ係もやはり黒いリボンだった。
 食事が終わり、丸の内口にまわる。ポケットには『ぴあMap文庫』を忍ばせてきたが、道の心配は不必要だった。ベルトコンベヤーに乗ったように流れていく群れの中に身をまかせていればいい。至る所に立つ警官の制止でベルトコンベヤーはしばしば止まり、生産性は向上しなかった。 
 皇居前広場がようやく見えてくる。記帳のためのテントが並び、流れは玉砂利の音をたてはじめた。
 流れから外れ、二重橋に近づいてみた。鎖が張られ、堀は遠い。
 鎖の前から風景を眺めた。櫓、松、二重橋――五十年近く前、国民学校の教室の正面に掲げられていた額入りの写真と変わるところは少しもない。朝の教室で額の仰ぎ、歌を歌うことから一日ははじまったものだ。
♪海ゆかば水漬く屍
山ゆかば草むす屍
大君の辺にこそ死なめ
かえりみはせじ
 歌の次は、父母への誓いの言葉だった。
「お父さん! お母さん! 今日一日! 真剣に勉強します!」
 声を合わせて叫ぶ教室の正面には、二重橋とセットになったもう一つの額があった。父母の名前を子どもたちの筆で書いて収めたものである。びっしりと半紙に書かれた文字は近寄らなければ読みとれないものではあったが、父の名前が欠落した白い一つの余白はどの席からでも分かった。
 目を逸らし、いつも唇をあいまいに動かす一人の子どもがいた。子どもの喉から、誓いの声は、ただの一度も出たことはない。身の置き場に困りながら、子どもは朝のセレモニーに堪えていたのだ。……
「いこうか」
 妻と息子をうながし、二重橋に背を向ける。玉砂利の果ての側溝の石のふたが広場の入り口へ向かって続いていた。
 ふたの上に人が点々と立っている。ジャンパー姿もあれば、背広姿もあった。くだけた姿勢を見せながら思い思いの場所を取る男たちの耳には、一様にイヤホーンが差し込まれている。
「見ろ、私服だ」と、妻に耳打ちをして教えてやる。
「どうして私服だって分かるの?」と、妻はすぐには信じてくれない。
「イヤホーンしてるだろう」と、息子が口をはさんだ。
「へー」と、目を丸くして妻は立ち止まった。
「そんなにジロジロ見るのやめろよ」と、妻の脇腹を突く。突ついた手で、ポケットの地図を取り出した。
「これからどうするの?」と、妻の目は地図に移る。
「楠木正成を見ていこうよ」
 ページをめくる手の動きが止まらない。
「わたし、聞いてくる」
 言葉より早く妻の体が動き、私服の一人に近づいていった。
 私服の指の方角に妻は首をまわすと、何度もうなずき戻ってくる。
「どうして私服なんかに聞くんだよ」
 逃げ出すように歩きながら、追いすがる妻に文句を言う。
「すぐ人に聞くんだから。恥ずかしいよ」と、息子が追い討ちをかけた。
「いいじゃない。聞いた方が早いんだもん」
「よりによって、私服なんかに聞かなくてもいいだろう」と、今度は夫だ。
「この辺のことは、あの人たちの方がくわしいでしょう」と、妻の言葉は理に合っている。
 足の動きをゆるめながら、妻と並ぶ。銅像に導いてくれるはずの妻をないがしろにはできないのだ。
 道は人の流れから外れていた。機動隊が数人、向こうからやってくる。楯もなく、ヘルメットもなく、防弾チョッキの分厚さもないが、皮の長靴のいかめしさは充分だ。
 一人の手にある探知機がマンホールのふたに当てられる。近くの松の根元には、残った隊員の目が当てられていく。
「見ろ、爆弾探してるぞ」
「そんなこと、どうして分かるの?」と、妻は相変わらずの善人だ。
「探知機持ってるだろう」と、息子はまた口をはさんだ。
「へー、あれが探知機?」
 すれ違いざま、妻の言葉があたりに響き、彼女の脇腹がまた突つかれた。
「アッ、あれだ!」
 妻の対象は、するりと正成に変わってしまう。馬にまたがる銅像が松の枝越しに見えるのだ。
 後醍醐天皇を守るために、命を捨てて戦った彼である。祖父の散歩のお伴をして何度もたずねてきたこのあたりだが、そのころの正成は忠君愛国の鑑だった。はたして今は何の鑑か? 教科書からも、絵本からも姿を消され、それでも彼はこの場で堪えた。四十三年と数ヵ月の戦後、皇居の方角を見守りながら手綱を取り続けてきたのである。その忍耐、その執念は、やはり忠君愛国の鑑と言っていいのだろう。
 見上げながら像に近づく。鳩が数羽止まっていた。オシッコの跡が数本、像を汚している。太い鎖が張りめぐる台座一面、種のように散らばっている小さな粒もあった。
 鎖をまたいで腰をかがめる。鳩のウンコだ。ウンコ石の大きさとは一緒にできない。あれは人間。こちらは鳩だ。だが足元のウンコの形は、鳥浜そのまま、瓜二つの形だった。
 バナナ状がある。はじめがあり、直状があった。しぼりもあれば、コロ状があり、チビ状もある。そして鳥浜の水が引き伸ばしてしまったとぐろ状が、ここでは主流となって残っているのだ。
 にんげんは、うんこを します。いぬも、うんこを します。うまも、うしも、うんこを します。にんげんも、いぬも、うまも、うしも、どうぶつなのです。
 そういうふうに締めくくった文に、鳩こそ書き加えなければならない。忠君愛国など気にも留めずウンコで囲む鳩たちは、やはり平和の使者なのだった。
 種のようなウンコの粒をじっと見つめる。これを蒔き、もう一度、自由と平等を育て直すことはできないものか?
「パパ、警察」
 低く鋭い妻の声がした。電気を浴びたように体がはねる。鎖の外に飛び出して、像を見上げ取り繕った。
 胸の前で組んだ腕に、妻の手が伸びてくる。熱々のアベックを装って、夫を守ろうとする健気な妻である。怪し気な親を見捨てて、息子はとっくにその場を離れ、売店の前のドリンクのボタンを押していた。
 植え込みの一つ一つを探りながら、機動隊のグループが近づいてくる。さり気なく背を向けて、手を組んだまま歩き出す。販売機の前で、妻はようやく腕を解いて財布を取り出した。
 親二人は紙コップ入りのホットコーヒーだ。ぬくもりを掌で楽しみながら、コーラを持つ息子と並んでベンチに座る。追いかけるように近づいてきた機動隊は、目の前の植え込みを探りはじめた。
 突っ込んだ手が動く。引いた手の先に紙袋がつかまれ、まわりの隊員の動きが止まった。ベンチに座る三人も思わず目を見開いてしまう。
 紙袋を開く音がガサガサと響いた。紙袋の中の手が袋の口から上がってくる。手の先にあるものは、ホットドッグが一つだった。紙袋に落とし込むと、機動隊員は御生(*ママ)大事に片手に下げ、次の植え込みに移っていく。ベンチでは笑いが三つ、声を殺して重なっていた。……

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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