骨踊り(6)

向井 豊昭


 元禄二年から二百三十三年たった大正十一年、知里真志保の姉、幸恵は、日本の心に充ち満ちた美しい文章を書いている。ローマ字書きのアイヌ語に、日本語の対訳をつけた『アイヌ神謡集』の序文に、彼女は花鳥風月を見事に散りばめているのだ。
 冬の陸には林野をおほふ深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟かな陽の光を浴びて、永久に囀づる小鳥と共に歌ひ暮して蕗とり蓬摘み、紅葉の秋は野分に穂揃ふすゝきをわけて、宵まで鮭とる篝も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼何といふ楽しい生活でせう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、此の地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けてゆく。
 序文の中の『花咲く音』という言葉を考えてみよう。アイヌは、花の美には心を惹かれなかった。福寿草の花を『チライ・アパッポ』と呼ぶ地域があるが、これは『イトウの花』という意味である。福寿草が咲くと、イトウという魚が川に上ってくる。そろそろイトウを食べられるぞという漁期を知らせるものとして花はあったのだ。アヤメの花は『イチャニウ・アパッポ』、『鱒の花』と呼ばれる地域がある。鱒漁の準備を告げる花なのだ。
 『永久に囀る小鳥』はどうだろう。『永久』に当てはまるアイヌ語はない。あえて当てはめれば『ランマ』かもしれない。『いつも』という意味があるからだ。しかし、『普段』という意味もある。『ランマ』は日常なのに、『永久』は日常を越えた厳かな観念なのだ。アイヌにとって、厳かなものは日常を越えてはいない。日常に交わっている。チライ・アパッポも神であり、鳥もまた森羅万象、無数の神の一つなのだ。
『涼風泳ぐみどりの波』を考えてみよう。『涼風』と『みどり』は対になり、さわやかさを広げてくれる。海だけではなく、地上の森のみどりさえも言葉は飲み込み、広いイメージをもたらしてしまうのだが、そういう美意識は花同様にアイヌから遠く、『みどり』にピッタリのアイヌ語もないのだ。
 あえてアイヌ語は当てはめるなら、『シウニン』だろう。青も、青っぽい紫も、青っぽい黄も、みんな一まとめに、アイヌは『シウニン』と呼んでいたのだ。赤、赤っぽい紫、赤っぽい黄は、一まとめにフレだった。白はレタル。黒はクンネ。これら四つの色名で世界は識別されていたのである。食べられる色なのか、食べられない色なのかの識別。嵐がくる色なのか、こない色なのかの識別。死人の色なのか、生きている色なのかの識別――識別されない世界の謎は神々の手にゆだねられていた。
『円かな月に夢を結ぶ』はどうだろう。円かな月に象徴される夢は、勿論、悪夢などではなく、のどかな夢である。だが、のどかな夢を見たことを人に語るのは、アイヌのタブーなのだ。人に語ると、せっかくの平安を逃してしまうと言われ、反対に、悪夢は直ちに家人に告げ、笹や蓬の葉などで体を叩いて清めてもらうことになっていた。そのため、アイヌの日常語では『夢』を全て『ウエン・タラプ』、『悪夢』と言い、良い夢に悪魔が近づかないように配慮したのだ。
 知里幸恵の日本語の、ほんの少しだけを考えてみても、アイヌである彼女が、アイヌの世界から遠ざかった場所でアイヌの世界を語っていることが分かってくる。彼女が語っているのは、もはやアイヌの世界ではないのだ。花鳥風月の日本語は、こうしてアイヌを変えてしまった。
 ベンチを立ち、句碑の奥の公衆便所に足を運ぶ。犬のように匂いを残していきたかった。赤い舌をたれ、荒い息を吐きながら、何度でも帰ってこなければならない、ここは贖罪の場所のようだ。
 卑小な犬の小便は細く、すぐに止まった。それでも力みを何度も入れる。力みのたびにたれる小便は点滴のようだった。そんな点滴で救われるものは何もない。
 縮んだ姿をいたわるように中へ隠す。チャックを閉じ、棚においた鞄を持つと、人間の顔をよそおって公衆便所を出た。
 腕時計は三時になるところだった。橋を渡ってコツ通りを歩けば、南千住駅までは十分ほどのはずである。
 橋のたもとに足を止めて振り返る。車の流れが目を走り、車の音が耳を走った。目をしばたたくと、後ろ姿が二つある。お伴の曽良(*曾良)を従えて、歩いていくのは芭蕉だった。
 川風にゆれる裾の音が耳に届く。車の流れも、車の音も不意に消え、代わって聞こえるのは芭蕉と曽良の衣の音だけではなかった。江戸へ江戸へと上ってくる飢えた人間の音も聞こえるのだ。
 痩せ細った素足の引きずり・かすれきった喉の呼吸。末期に向かってうごめき続ける人間の流れに逆らい、芭蕉と曽良は歩いていく。飢えを踏み、屍を踏んで、花鳥風月の道を歩いていくのだ。
 飢えは人間の日常だった。北の果ての南部藩では、三百年の江戸時代に七十六回の凶作、飢饉に襲われている。南部藩大畑村の百姓がお上に差し出した愁訴の文面はこうだった。
乍恐条数奉願上候事
一個物四十文米三十文新役の事
一海草並魚油増役之事
一鯣並に糟鱶一手買之事
一濁酒並他領酒増役之事
一鰯絞糟廿分一新役之事
右箇条並に新役立何卒御赦免被成下度様奉願上候必竟酉戌両年凶作当年に至雑穀喰尽蕨根海草等にて相凌罷在候得は重立候方より救之合力並に当秋入引当に仕借受等も頼見申度候得共近年莫大之分限割其丘御時節柄之御事故商役等も被仰付罷在候て市中取引不通に成行候得ハ其義も出来申間敷殊更材木類柾等も前代未聞之下直侯て御山筋之者も面倒候二付杣働之者共難渋に及漁稼之者共は一手買入二て窮迫尚又北地雇入之者は去々酉年より漁場処々松前町人受負二相成候二付以来半減同様之給金二候上昨年彼地不漁故二給分皆無相渡不申も多分有之極窮難申尽候得は当秋豊作に相成候ても家業方も千万無覚束不得止事離散等二も相及可申歟ト疑敷奉候間御憐愍ヲ以幾重二も御申立被下前文之箇条総而新役等御免之愁訴御添慮ヲ以願之通被仰付下置候様被成下度候以上
 文化十二年  赤川百姓惣代半右衛門
   七月五日 木野部百姓惣代孫兵衛
        高橋川百姓惣代佐兵衛
        湊町百姓惣代 多 蔵
        南町百姓惣代 長兵衛
        本町百姓惣代 忠兵衛
        東町百姓惣代兵右衛門
        新町百姓惣代弥五兵衛
        検断伝蔵宿老清右衛門
        宿老小七郎同栄左衛門
        同伝兵衛
沼宮内亘理様 中里伊左衛門様
太田源五平様
 文字の中に、日々の言葉は跡形もない。日々の言葉で呻いてみれば、こんなふうになるのだろうか。
布四十文、米三十文の新税だってか?!
海草、魚油の増税だってか?!
するめ、糟魚賁(*一字でエイ)、お上の買い占めだってか?!
濁酒(だく)も、他領(ほか)の酒も増税だってか?!
いわしの絞りかすァ、二十分の一の新税だってか?!
勘弁(かに)してけろじゃ。去年も一昨年(おどどし)も飢饉(けがず)だべ。今年ァ雑穀まで食ってまて、わらびの根っこだずが、海草だずがで、やっと生ぎてきた吾等(わど)ァ、助けてもれえてんだね。秋の収穫に返済(すま)すして、貸してくれる人(ふと)ァいねえかと思(も)ってるんだばって、貸せる人達(ふとど)ァ莫大な税ばお上に取られてまって、蔵ァ空だべ。そればりでねえ。ロシアの軍艦彷徨(ばやめ)いて、商いの船ァ止まってまるし、動けば動いたで税金ふんだくられ、売るも買るもなんねえんだね。銭(じぇん)こも米も、貸せる人(ふと)ァ一人もいねえじゃ。まんだあるど。材木と柾ァ、聞いたごとねえ様(よん)た不景気で杣夫(やまご)ァ苦しみ、漁師ァお上の漁の安い買い占めで困ってまってらね。そればりでねえ。一昨年(おどどし)から、北の漁場のあちゃこちゃ、松前(まつめ)の町人の請負になってまったどこで、出稼(でかへ)ぎの者の給金ァ半分こと同(ふとつ)だね。去年ァ去年で、松前(まつめ)、不漁だべ。銭(じぇん)こ何(な)ももらわねえ者も沢山(ずっぱり)あったし、今年の秋、豊作になったたって、どすもこすもなんねえね。夜逃げだじゃ。新税も増税もやめてけろじゃ!
 書状に名を連ねている検断の伝蔵は、五代前の祖先である。村の顔役の伝蔵は餓死もせず、血はこの世につたわった。五代たったバカな子孫は、¥16743813の退職金に励まされ、江戸に上ってきたのである。江戸の入り口の橋のたもとで、下北半島の生の言葉から遠く離れ、したり顔で考え込んでいるのだ。
 トボトボと千住大橋を渡りはじめる。苔色の川の水面を風が渡り、さざ波がゆれていた。波は光を刻んでいるが、心に光はやってこない。
 背を丸め、橋を渡ると、自転車のベルの音が背後でした。右側に体を寄せると、ブレーキの音がきしむ。あわてて左側に体を移すと、右足めがけて自転車がぶつかった。
「痛い!」と、思わず言葉が飛び出てくる。
「よけてくれたっていいでしょう!」と、それより強い言葉の逆襲だ。
 口紅を引いた女の唇が唾で濡れていた。Tシャツをつけた胸のふくらみが赤いジャンバーをはだけている。にらんだ目を前方に戻し、女の足はペダルを踏み直した。歩道の真ん中を、我が物顔に自転車は走っていく。
 ゴキッ!
 外れて飛び出す自分がいた。女を追いかけて走り続ける二十人目の自分をよそに、二十一人目の自分は立ち止まる。
 道は二つに分かれていた。女を追って走っていった日光街道と、南千住駅に届くコツ通りだ。コツ通りにいくためには、信号のある横断歩道を渡らなければならない。
「自由か」とつぶやいてみる。自由は赤い信号で止められていた。自転車の女は捨て科白を自由に投げつけ、息子は自由に高校をやめてしまった。赤い信号のない、あれらの自由が自由なのか。赤い信号で足を止め、青い信号で歩き出す、これが自由というものなのか。
 息子が高校をやめたのは、一年生の、それも五月のことである。夜、勤め先のPTAの集まりが終わり、帰宅をすると、息子はめずらしく居間にいた。
「パパ、聞いて。高校をやめたいんだって」
 ソファに座ろうとする体の動きを妻の言葉が止めた。距離をおいた椅子のひじ掛けに、息子は両ひじを張って座っている。高校に入ってから、急に夜遊びと外泊がはじまり、欠席もするようになっていた息子である。
 その地方ではAランクの高校だった。中学のセンセイには、もっとランクの低い高校を受けるように言われたのに、言うことを聞かない息子はギリギリの点数で入ってしまったのである。中学二年の二ヵ月のつまずきは息子の学力を落としていた。入学はしたものの、勉強についていけないあせりが、息子の行動に現われるようになったのだ。
 一週間前の朝だった。
「パパ! また学校を休むって言ってるわ! 何とか言ってよ!」
 けたたましい妻の声に起こされ、息子の部屋に乗り込むと、体半分を布団から起こし、息子は煙草を吸っていた。
「子どものくせに、お前、何だそのザマは!」
 言葉が噴射し、両手を突き出して息子の胸倉に飛びかかる。
 ベッドから飛び下りながら、息子の右手が灰皿に煙草を捨てた。捨てただけではない。右手は大きく弧を描くと、父の頬を逆襲したのだ。
 目がくらんだ。後ろへ向かって倒れていく自分の体を起こそうとして、足を踏ん張る。踏ん張りきれず、二つの足がもつれると、カーペットを尻が叩いた。背中が叩き、頭が叩く。ひっくり返った体から、助けを求めるように両手を突き出した。
「何をするの! あんまりだよ! パパにあやまりなさい!」と、妻はふるえた声で叫びながら、倒れた体に手を伸べた。
「なぐらなかったら、おれがなぐられるべ」と、息子の声は低かった。
 妻の手に引かれ、にぶい動きで立ち上がった。心臓の音が体中に響き、目がかすんでいた。鼓動を押さえるように胸に手をやり、それから目にやった。眼鏡がない。
 痙攣したかのように首が動き、カーペットの上を目は探した。つるを上に突きあげて眼鏡がかすんでいる。ひっくり返った持ち主のように眼鏡は不様だった。
 あわてて拾い上げ、顔の上にそれを戻す。目に焦点は戻ったが、心はまだかすんでいた。……
 一週間前のかすみは、心をまだおおっている。ひじ掛け椅子の息子に近づくと、かすんだ権威を取り繕うように、腕を組み、膝を折って座ってみた。正直言うと、あぐらは苦手な自分だったのだ。
「どうしてやめたいんだ?」
「高校って、もっと楽しいとこと思ってたのに、一寸も自由がないんだもん。中学校よりひどいんだ」
 自由という言葉が父の胸をふるわせた。フキノトウを踏みつけながら自由と平等を叫んだのは、息子と同じ年齢だった。季節も同じ、春のことである。
「自由なんか、どこにもないわよ」と妻が口をはさむ。
「そう言ったらおしまいだよ」と妻をたしなけ、息子への言葉を探す。どんなに表現を変えたところで、出てくる言葉は同じ穴の狢だった。
「高校ぐらい出なかったら、今の世の中、エラくなれないんだぞ」
「エラくなんか、なりたくないもの」
「そうか、エラくなんかなりたくないか。……パパと同じだな。パパも、校長にも教頭にもならないで、五十二歳になっちまったもんな」
「パパ、話を曲げないでよ」と、妻がまた口をはさむ。
「曲げてなんかいないよ」
 険しい顔で言葉を追いやり、息子を見つめる。うつむいた彼の頬をつたわって流れるものがあった。それは結晶のように光り、彼のズボンに落ちた。
「学校にいかないで、何になるつもりなの? 何をして働くの?」と、妻の言葉が問いつめる。
 息子が顔を上げた。濡れた目が母親を見つめる。海のような目だった。海へ流れる巨大なヘドロをはじこうとするかのように、まつ毛がゆれた。
 ヘドロはもう息子を埋めているのだ。匂いを知り、色を知り、重さを知り、息子は一人の青年だった。
 言葉の出ないいらだたしさが彼のこめかみをふるわせ、頬をつたわる光の動きが勢いを増した。小賢しい大人の智恵を光は流し、光が洗う。
「よし、分かった。退学しろ。これから勉強したいと思った時、自分の思うやり方で勉強すればいいんだ」
 息子の目が大きく開く。妻は目頭を押さえたが、すぐにその手を離して言った。
「さあ、今度はママの出番だからね。退学した後の職探しをしなくちゃ。忙しくなってきたよ」
 濡れた妻の目を押しやって、その歯は笑っている。
「おれ、センセイを辞めるよ。みんなで東京にいこう。東京なら、いろんな仕事もあるし、みんなで力を合わせて生きていこうよ」
「うん、そうしよう。ママも働く」と、妻は大きい声で言った。……
 信号が青に変わり、歩く自由がおとずれる。あの夜、息子と父の心をつないだ自由という言葉には、信号のような色もなければ、形もなかった。色や形をつけてしまえば、二人の自由は、まったく違う二つのものなのかもしれなかった。
 コツ通りの両側には商店が続いている。かつて飯盛女でにぎわっていた通りには、ほんの数軒の簡易旅館が点在し、山谷の男たちが眠るためにだけ泊まっているのだ。
 崩れた髷の笄と簪が目の前でゆれていた。藍染めの打ち掛けには白抜きの千鳥が飛び、緋の腰巻を割って蒼白な二つの足がのぞいている。この飯盛女にも、よがり声の自由はあった。陰茎どころか、手首を深く受け入れて、よがり声をたててしまう自由は残っていたのである。
十八のマサノ肌ハ貧乏ナ年増ノソレカトバカリ荒レテガサガサシテイタ。タッタ一坪ノセマイ部屋ノ中ニ明カリモナク、異様ナ肉ノ匂イガムットスルホド込モッテイタ。女ハ間モナク眠ッタ。余ノ心ハタマラナクイライラシテ、ドウシテモ眠レナイ。余ハ女ノ股ニ手ヲ入レテ、手荒クソノ陰部ヲカキマワシタ。シマイニハ五本ノ指ヲ入レテデキルダケ強ク押シタ。女ハソレデモ目ヲサマサヌ。オソラクモウ陰部ニツイテハ何モ感覚モナイクライ、男ニ慣レテシマッテイルノダ。何千人ノ男ト寝タ女! 余ハマスマスイライラシテキタ。ソシテ一層強ク手ヲ入レタ。遂ニ手ハ手首マデ入ッタ。「ウウ」ト言ッテ女ハソノ時目ヲ覚マシタ。ソシテイキナリ余ニ抱キツイタ。「アアア、ウレシイ! モットモットモット、アアア!」十八ニシテ既ニ普通ノ刺激デハ、何ノ面白ミモ感ジナクナッテイル女! 余ハソノ手ヲ女ノ顔ニ塗タクッテヤッタ。ソシテ、両手ナリ、足ナリヲ入レテソノ陰部ヲ裂イテヤリタク思ッタ。裂イテ、ソウシテ女ノ死骸ノ血ダラケニナッテ闇ノ中ニ横ダワッテイルトコロヲ幻ニナリト見タイト思ッタ! アア、男ニハ最モ残酷ナ仕方ニヨッテ女ヲ殺ス権利ガアル! 何トイウ恐ロシイ、嫌ナコトダロウ!
 ローマ字書きの原文の石川啄木の日記である。明治四十二年の浅草の話だ。
 指や手首を拒む自由は、金で買われたマサにはない。残された自由はただ一つ、よがるか、黙るかの自由だった。
 マサは選んだ。陰門をゆるめ、スッポリと手を受け入れる。狂暴な五本の指を千本の花に変え、マサは叫んだのだ。
「アアア、ウレシイ! モットモットモット、アアア!」
 花の色はこの世を越え、花の弁は浄土に届く。どん底からのマサの叫び声に啄木はたじたじとなり、殺意を込めてマサの顔を汚したのだ。
 マサの自由には、かなわない。
「マサ」と、つぶやいてみる。心の中をヒュルヒュルと昇り、花火のように炸烈(*ママ)するものがあった。
 光が開き、光が散る。開いた光はコツ通りを照らし出し、散った光はコツ通りに降り注ぐ。亡者は輝き、生者もまた輝きながら歩いていた。
 顔がゆるみ、笑いがこぼれてくる。定期券を見せる手の爪の先までも微笑んでいた。
 階段を昇る足がはずむ。ホームの時刻表を見る目もやわらかだった。
 電車がくるまで五分ある。自動販売機に近づきながら、鞄の中の財布を取った。百円玉をつまみ、販売機の穴に入れる。
 百円の缶コーヒーとは、みみっちい祝盃(*ママ)である。自由を本気で祝うなら、金はバラ撒いてしまえばいい。弐拾六萬七阡七百七拾四円也の給料を月に一度もらうばっかりに、どんなに多くの自由を縛られているのだろう。バラ撒け! バラ撒いてしまえ!
 内から湧き立つ炎を消すように、冷えたコーヒーを流し込む。歩きづめの疲れた体にコーヒーは染み透り、ベンチの背もたれは体の重さを受けていた。
 隣接する隅田川貨物駅の広い敷地が目の前に横たわっている。踏切の遮断機は開いたまま動かず、点在する貨車は錆びた姿で動かなかった。かつて石炭でにぎわった貨物駅は、もうその役目を終わってしまったのだ。安らぎではない。死である。だが、冷えたコーヒーは疲れた体に安らぎを与え、物音一つしない風景に体は安らぎを映してしまう。バカにならない百円玉の力である。
 電車がきた。残ったコーヒーを飲み干して、籠の中に空き缶を投げ捨てる。溜まっている空き缶の山にぶつかり、小さな音が響いた。
 小さな快感が体を走る。大きなものは決して捨てず、無抵抗の缶一つを相手に威張っているあわれな男だ。マサを相手の啄木と違うところは一つもなかった。
「マサ」と、つぶやきながら電車に乗る。花火がまた上がった。無数の光が尾を引いて、乗客を照らし出す。男もなく、女もなかった。老人もなく、子どももない。そこに乗る全ての人間と、マサは光で結んでくれるのだ。
 シートに座る体がゆるみ、風のように心がただよっていた。疑いを捨てた目は、ケチな識別を忘れ、光だけを感じていた。
 光をふさぎ、車窓に石垣が流れてくる。高さが下がり、墓石を載せた石垣が目をよぎっていた。乗り換えの日暮里には谷中墓地があるが、墓石の位置はこれほど低くない。おかしいなと思った時、電車は駅の構内を止まらずに走っていた。
『うぐいすだに』という文字がホームに見える。常磐線は日暮里の次にある鶯谷を無停車で過ぎ、終点の上野に着くことになっているのだ。
 いまいましいと舌打ちはしない。マサが浅草から招いているのに違いなかった。
 電車が止まった。階段を昇り、精算所を探す。定期券を見せ、百二十円を払うと、浅草口改札口を出た。
 浅草行きの地下鉄に向かって階段を下りる。五十年ぶりの訪れに足ははずんでいた。
 母に連れられ、よくいった浅草である。東京の地下鉄は、これから乗ろうとする銀座線しかない時代だった。その線の中でも、上野と浅草の間は、一番はじめに開通したものだ。
 券売機のある壁には、『浅草まで おとな120円 こども60円』と刷られた紙が何枚も並んでいる。さびれた盛り場の懸命な呼び込みのように、文字は大きかった。
 電車はガラ空きである。誰もいない向かい側の席の窓に、自分の顔が映っている。五十年前の思い出が、不意によみがえってきた。座席に膝立ちになり、ガラスに額をこすりつけながら、窓の外を眺め続けたものである。空もなく、ビルもなく、木もなければ、人もいない。そんな地下鉄の闇そのものが一つの風景だったのである。闇の中のコンクリートの壁のしみや、間を取りながら通り過ぎる壁の電灯の光――窓に映る自分の顔を叩く掌の動きは鼓動のようにはずみ、幾重にもこだまを重ねた車輪の音は、そこが地下であることを教えるようにしつこく響いてくるのだった。
「これが地下鉄の音だったんだな」と、思わずつぶやく。半年勤めた新聞屋には、地下鉄の丸ノ内線と有楽町線を乗り継いで通勤した。音にも闇にも心を動かさないで、女の体や車内広告を相手に時間をつぶして乗っていたのだ。
 三つ目の駅の光がくる。浅草だった。ホームに下りると、出口を示す文字がある。
 
  ← 浅草観音 吾妻橋方面―松屋 隅田公園方面 →
 
 松屋を選んで右に行く。五十年前の東京の子どもにも、松屋は驚きだった。地下鉄がデパートにつながっているという、今では北の札幌でも見られることが驚きだったのだ。
 電車を下りて駅を出れば、鐘紡の工場のくすんだ塀が立ちはだかっている。それが子どものころ住んでいた大井の駅前だった。工場がデパートに変わってしまった今の大井だが、かつてデパートはどこにでもあるようなものではなかったのだ。そのデパートの店内が、ホームに続いていきなりある。それは闇の果ての、爛漫と咲く光の世界だった。
 階段を昇り、改札口で切符を渡す。いきなり続くデパートは、入り口さえも見えなかった。光の花の記憶を裏切り、地下道の光は乏しい。道に沿った左側には靴屋があり、その先には弁当屋があった。くすんだ光にぴったりの小さな店である。
 弁当屋を過ぎると、大きなガラスのドアがようやく見えた。ドアの向こうにオレンジの山はあるが、爛漫にはほど遠い、ただのデパート、ただの食品売り場である。
 首をかしげて地下道を戻る。改札口の前で地下道を見つめ直し、歩数を数えて歩き出した。靴屋までは十歩である。二十六歩で弁当屋。デパートのドアまでは六十歩ちょうどだった。子どもの歩幅なら二倍以上にはなるだろう。二倍にして百二十歩の記憶は切られ、いきなりデパートの店内を記憶はつかんでいたのである。光にとって、取るに足りない百二十歩だったのだろう。百二十歩を切り捨てて、光の記憶は百二十倍に輝いていたのだ。
 百二十分の一の光に戻ったデパートの地下から、エスカレーターに乗って一階へいく。アーケードが外に見えた。入り口のアーチには、『新仲見世』という文字が掲げられている。
 赤信号で止められていた人たちが、道を渡ってアーケードに吸われていった。後を追って歩き出す。マクドナルドがあり、レストランがあり、洋服屋がある。どこの街にもあるただの商店街だった。
 十字に重なった通りに出る。どうやらこれが観音様に届く、昔の仲見世のようである。せんべいを焼く匂いがした。雷おこしが並び、提灯や鈴が江戸の情緒を伝えていた。
 往来の流れの半分を亡者がおぎなっている。生者の動きを気遣いながら、亡者の流れは川のように左右にゆれていた。
 マサは、どこだ?
 マサは、いないか?
 それらしい亡者を探しては、流れを縫って近づいていく。追い越しながら顔をのぞいた。向こう側からやってくる亡者には、歩をゆるめて横目をやる。
 耳、額、まゆ毛、まつ毛、目、鼻、頬、唇、あご――それらの形をずらしながら、亡者たちは固有の顔をさらしていた。顔のずれと比べるなら、マサの運命のずれは大きい。銭の所有の桁外れのずれのせいである。
 マサは、どこだ?
 マサは、いないか?
 マサの顔を知らない男に彼女が分かるはずはない。体はいつか山門を通り抜け、本堂に近づいていった。
 戦災で焼ける前の本堂で、母ととった写真がある。回廊の角でしゃがんだ紫木蓮の着物の母は、顔をかたむけて笑っている。かたむけた顔を頭で受けながら、正面を向いて立っている子どもの胸には白い蝶のようにリボンが留まり、蝶の色と同じ歯が大きく開いた口からのぞいている。
 リボンの下には、小さな両手でにぎられているものがあった。黒い服の色にほとんど溶け込みそうな長方形の物体は、両手から大きくはみ出しているが、それが何なのか識別するのは難しい。それを識別できるのは写真の母子であり、その物体を子どもにくれた一人の男なのだ。
 その日、母に手を引かれて観音様の本堂に近づいた時、男は階段の下から片手を上げ、笑顔を見せて近づいてきた。子どもには知らない顔だったが、早足になった母に引かれて、小さな足は小刻みに駈け出した。
 男は背広の内ポケットに手を入れた。出した手の先で長方形の物体が光った。森永のミルクチョコレートである。ショーウィンドウのガラス越しに見とれたことは何度もあったが、まだ一度も手にふれたことのない一番大きなチョコレートなのだ。
「ハイ、坊や」と、男はそれを差しのべた。
 出かかった手を止めて、母を見上げる。
「いただきなさい」と、母は微笑みながら言った。
 うやうやしく両手を出す。片手では持てないような感じだった。
「ハハハハ、かわいいわねえ」と男は笑った。笑いに合わせて、男の肩に下げているカメラがゆれた。……
 財布の中から百円玉をつまむ。賽銭の相場は十円玉に決めているが、今日は特別だった。響きを残して賽銭箱に吸われていく百円玉は、十倍の気分を与えてくれる。十倍強く目をつぶり、十倍強く手をあわせ、十倍の思いを入れて、心の中で念仏を唱えた。
 母の顔が浮かび上がってきた。忘れていた母の匂いも鼻をついてくる。小さな住所録に残していった匂いだった。ページに残る母の化粧の匂いをかいでは、幼い自分をどれだけ慰めたことだろう。かぎとられ、匂いの失せた母の住所録は、今でも貴重品を入れた箱の底に残っている。
 知らない名前の多い住所録だ。その中のどれとどれに、母はまたを広げたのだろう。チョコレートをくれた男はどれで、父の名前はどれなのか。問いはいくらでも出てくるが、答えを出すことはもうできない。
 チャリ、チャリン、チャリン――
 参詣人の投げ込む賽銭の音が響いてくる。地獄の沙汰も金次第。まして、この世の母の苦労は大変なものだったろう。
 母がカフェーの女給になったころ、二人の弟はまだ小学生だった。それなのに、その父親は働く気力を失し、散歩と読書で日々をつぶすようになっていたのだ。
 母の顔が遠のき、開いたまたが浮かび上がってくる。この世の悲しみに縮れている陰毛を割って、純白の愛液が涙のように滲み出ていた。
 チャリ、チャリン、チャリン――
 またの間の裂け目に向かって、投げつけられるのは銭である。
 指が入る。手が入る。
「アアア、ウレシイ! モットモットモット、アアア!」
 母の声がした。母はマサであり、マサは母であったのだ。
 合掌を解き、目を開けた。または消え、金ピカの祭壇だけが目の前にあった。
 まわりを見まわしながら、本堂の階段を下りる。和服の亡者を目で探した。探しては柄を確かめる。紫木蓮の花はないか?
 目をしばたたき、首を突き出した。本堂の真ん前の大きな香炉の前に、立っているのは紫木蓮だ。参詣人と一緒になり、病魔を払う線香の煙を手で受けているのは、確かに母である。
 受けた煙を胸に運ぶ。胸の中を結核菌にむしばまれた母だった。だが母よ、煙は股座にこそ運ぶべきではないのだろうか。指と陰茎にむしばまれた股座に、あなたはなぜ煙を運ばないのか?
 思いが風になり、香炉の上に立ち昇る煙をゆるがした。風になびき、煙は折れて横に流れる。なびいた先にはおみくじ売場の屋根があり、屋根の上には鳩がずらりと並んでいた。
 風や煙にびくともせず、鳩は山門に向き合っている。反対側の本堂に向き合う鳩もいた。鳩にもまた、それぞれの自由の方角はあったのだ。
 紫木蓮と鳩と風――花、鳥、風まで揃ってしまった境内で、まさかと思い空に目をやる。五重塔の後ろの空は橙色に染まりはじめているが、頭の上はまだまだ青い空だった。
 青い空をぐるりと見まわす。山門の左高く、何と半月が光っているではないか。半月のふところ深く、母への思いを映したように青い影が宿っていた。

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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