骨踊り(4)

向井 豊昭


 はじめて原紙を使ったのは、四十年も前だった。下北の新制の中学校を卒業して、地元の鉱山の事務所に勤めたのである。雑用だった。お茶汲みもしたし、セメント袋もかついだ。
 朝、事務所のみんなにお茶を汲むと、あてがわれた自分の机で言いつけられる仕事を待つ。待つ間が長くなると、いたたまれぬ思いで、両手の茶椀を強くにぎったものだった。茶碗の底をのぞいてみると、滴ほどの茶が残っている。茶椀のふちを唇に運び、その尻を両手で持ち上げるのだ。飲んだふりを喉で作り、茶椀を唇から離す。両手からは離さなかった。離してしまえば、することがなくなる手だった。
 引き出しを開けようか、開けまいか、その日の手は迷っていた。前の日から戸籍謄本がしまわれていたのだ。郵便で、東京から取り寄せたものだった。父の欄には『空欄』と書かれている。それが手にためらわせた。労務に渡す約束の日は、もう過ぎていた。
「これ、頼むのかな」
 隣の机の労務の声が背筋を引き伸ばした。あわてて茶椀を机におき、目の前に差し出された紙を取る。紙の上に枠を取って刷られている手書きの文字は読めるのだが、その使い道は分からない。
「その通りにガリを切って」
 心細くて返事ができなかった。それを仕上げるために、また何枚かの原紙をこっそり捨てなければならないのだ。
「あ、戸籍謄本、きた?」
「はい」と、声は薄墨のようだった。
「持ってきた?」
「はい」と、声はやはり薄かった。
 引き出しがノロノロと引き出され、封筒をつかむと、心臓の音が手をふるわせた。
 隣の机から手が伸びてきた。封筒を渡した右の手で、心臓の音を隠すように引き出しを戻す。隠した心をむき出すように、労務は封筒の中から戸籍謄本を抜き、それを開いた。
 横目で労務をうかがいながらペン皿の鉄筆を取ると、鉄筆は心のように重い。
 戸籍謄本を一瞥し、労務は未決の箱に投げ入れた。あしらうような手さばきが、重い心を一層重くさせた。
 ヤスリを置き、原紙をのせると、定規を当て、引っかくように線を引いた。悲鳴のような音がする。原紙を持ち上げると、線は原紙を破いていた。手早くたたみ、足元の屑籠にそっと手を伸ばした。
 ガラス戸が開く。老眼鏡のつるの一つが所長の耳から外れ、あごの下にぶら下がっている。
「オイ」と呼びかけるあごの動きで、老眼鏡は横柄にゆれた。「これ、トレスしてくれ」
 目の前に突き出た手は、折りたたんだ鉱区図をにぎっている。迷路のように出入りする等高線をオイルペーパーが透かしていた。
 頭が迷路に追いやられた。『トレス』などという英語を、中学で習いはしなかった。そんな中学の一年生の教科書からやり直している定時制高校で、学べる程度はたかがしれていた。
「それ、急ぐのか?」と、机の上がのぞかれる。
「さあ」と、返事はにえきらなかった。
「君、君」と、声は労務へ向けられる。
「ハッ?!」という返事と一緒に、算盤をはじく手が止まった。
「これ、急ぐのか?」と、五本の指が机の上の原稿を何度も叩いた。
「いえ、いえ、急ぎません」と、労務があわてた声で言った。
「急がないんじゃないか! はっきりしろよ、はっきり!」
 鉱区図が机の上に投げつけられた。二枚目の原紙が、あおりを受けて屑籠の上に舞い落ちた。
 窓の外には、フキノトウが芽を出している。道端には、点々と雪の山が残っていた。一冬の汚れを浴びた残雪は黒く、光っているのはフキノトウだった。光るものは癪である。
 昼休み、弁当をかっ込むと、外に出た。こらえた心が爆発し、フキノトウに長靴がいく。えぐるように長靴を動かすと、緑色の血を出してフキノトウは潰れた。一つ一つ踏み殺しながら、細い坂道を登っていった。
「自由」と言葉が小さく洩れ、「平等」と声が小さく続いて出る。振り返ると、事務所は坂の下に隠れていた。
「自由! 平等!」と、声は大きくなる。かっ込んだ弁当がゲップになって唱和した。中学校の教科書『あたらしい憲法のはなし』で習った言葉である。
 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き/\(*反復記号)としげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。
 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。
 またわれわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。
「こん畜生!」
 呶鳴り声は震えていたが、どこ吹く風で流れているのは目の前の小川である。
 ズボンの前ボタンを外し、指をこじ入れた。下腹に力を入れる。激しく噴き出た小便が小川を打った。小便の長い影が川の光を汚し、泡の影が水底の石をゆらした。
 小便が止まった。影は消え、泡はなく。石はもう不動だった。憤怒はまだおさまらない。長靴が川を掻きまわした。ベルトをゆるめ、ズボンの腰に手をかける。股引き、パンツにも手をかけて、一挙に下へ押してやった。
 尻が出て、風が当たった。そのまましゃがむと、水面が尻を濡らした。削がれるように冷たかったが我慢した。負けたくなかった。
 便意もないのに、力みを入れる。腹を押して力んでみたが無駄だった。
 水面に映る顔に唾を吐き、「テテナシゴ!」と罵ってみた。唾より多く涙が流れ、水面に浮かぶ顔がかすんだ。
 空は青く高かった。高い空の果てからは、人の姿など見えもしない。見えるはずもないのに、人は尻を隠して生きていくのだ。
 ならわしに従い、ズボンを上げた。そろそろ昼休みの終わる時間だった。……
 鳴ったのは鉱山のサイレンではなく、学校のチャイムだ。一時間目が終わり、トイレにいく子どもたちのざわめきが廊下に聞こえる。教室の戸が開き、サチコが首を突き出した。「先生、学級通信できた?!」
「うん、今、印刷するとこだよ!」と、升目の埋まったファックス用紙を高く上げる。
 小走りに教室の中に入ってくると、サチコは勢いよく紙を取った。取った紙を教卓に置き、ひじを広げて顔を近づける。
 髪がたれ、顔はよく見えなかった。たれた髪を掻き上げてやる。もつれた髪の乾きが手につたわった。
 髪を受けたまま、手の動きを止める。彼女の皮膚を目でなでた。黄ばんだブラウスの襟元から喉がのぞき、喉の左右の皮膚の下には視線の動きを拒むように骨が張っていた。
 拒む鎖骨を視線が越える。鎖骨を越えるサチコの肉が波を打っていた。波は二つのふくらみを作り、ブラウスの左右をこんもりと盛り上げている。
 髪を受ける手を離す。落ちた髪を払ってサチコの首が光のように動いた。
 サチコの腰に両手を伸ばす。椅子に座ったセンセイの膝の上に彼女の体が後ろ向きに引き寄せられた。うなじの産毛がうっすらと渦を巻いている。洗いざらしのスカートが花のように開いていた。
 ブラウスの前にまわした手で、腹をもんでやる。
「今日は、おなか痛くないの?」
「痛くないよ」と、サチコは膝の上から振り返った。
 目が一つ笑っている。もう一つの目は髪の下だ。髪に手をやり、目を二つに整える。顔を近づけると、パッチリと開いた目の中に映る男がいた。少しずつ男を近づける。少しずつ男が溢れていく。
 サチコを乗せたまたの真ん中でうずくものがあった。ズボンを突き上げ、うずきがはじける。心がはじけ、血がはじけた。
 チャイムが鳴る。
「あっ、はじまった」と、サチコの足が床に伸びる。2時間目の図工室が彼女を待っているのだ。
「刷っといてね」
 彼女の顔が振り返る。
 ゴキッ!
「いいから、ここにいろよ」
 呼び止めるのは十八人目だ。十八人目の口をふさぐ十九人目の手が声を殺し、言葉はサチコに届かない。ふさぐ手を振りほどき、彼女を追いかける自分がいた。
 外れて残った自分が一人、胸を押さえ、息をあえがせる。心が萎え、陰茎が萎え、潮はもう引いていた。
 煙草を吸う。外れて残ったいびつな瘤を吐き出して、自分の表面を滑らかに整える。表面は整うが、心のいびつはおいそれとは整わなかった。
 心を無視して、学級通信の原稿を取る。階段を下りて、印刷室に入った。
 印刷機には、ザラ紙がたっぷりとセットされていた。受け口に原稿を差し込み、『製版』の文字を人差し指で押す。原稿が動き、いつものように試し刷りが一枚飛び出してきた。次は印刷枚数の数字である。
『3』を押す。子どもの数はこれに0だが、余分を取って『5』を押す。『35』という光の数字が、これもいつものようにカウンターに並んだ。
『印刷』の文字を押すと、機械は動きはじめる。正確なリズムが少しずつ心を整えていった。
 突然、機械が動きを止める。カウンターの数字は、まだ0になってはいなかった。数字の隣に文字が現われ、光っている。
カミヅマリ ホンタイノ ナカ マタハソト
 それ以外に、どこに詰まるところがあるというのだ。これでは下手な心理学者と同じである。
ヨウジョゴウカン ハンザイシャノ ナカ マタハ ソト
 機械の外から先ずはのぞく。ザラ紙をのせた皿の奥に、引っ掛かっている一枚が見えた。引き抜いて、丸めてごみ箱に叩き入れる。
 皿のザラ紙を持ち上げて、机の上で四方を揃え直した。髪の引っ掛かりの原因は、紙の揃いの乱れからくることが多いのだ。人間も、やはり揃わなければならないのだろうか?
『reset』の文字を押し、もう一度『印刷』の文字を押す。機械はまた動き出し、カウンターの0と一緒に止まった。
 刷り上がった一枚を、かたわらの箱の中に入れる。管理職が目を通す一枚なのだ。
 残りを持って教室へ戻る。先ずは座って煙草に火をつけた。
 教室の後ろに掛かっている時計の針が九時五十分を指している。腕時計に目をやると、一分遅れの時間だった。一分が人生の岐路を決めるような切迫した時間は、幸か不幸か持ってはいない。二時間目は、後三十五分、あるいは三十六分も残っているのだ。
 残っているのに、煙草の吸い方が速くなる。教卓の上に子どもたちが積んだ漢字の宿題に丸をつけてしまいたかった。
 まだ半分も残っている煙草を灰皿にこすりつける。見開きになって積まれた漢字練習帳の山を崩し、赤いボールペンを持った。使命感がボールペンを滑らせ、どんどん進む。
 終わった。腕時計を見る。後二十分も残っているではないか。掛時計を見る。後十九分も残っているではないか。
 今度は作文に赤ペンを入れる。サチコ以外の作文はなかった。三十人の子どもを六つのグループに分け、持ってくる曜日をグループごとに決めてはあるが、思うように集まらないのだ。
 かな違い一本にしぼり、文字を拾って直していく。たたみかける文体や、せめぎ合う行をいじくりまわし、噴き上がるサチコの内部を削ぐことはできない。学級通信にも、かな違いを直しただけで載せたのだが、それもまた野生の肌に鉋傷をつけることなのかもしれなかった。オセッカイが身についたセンセイの仕事である。
 最後のかな違いを訂正し、今度は励ましの言葉である。とても一言では書ききれないが、百言でも書ききれない。
すごいかんそうぶんをかいたね。こころがいっぱいつまっています。
 ボールペンの動きが止まる。赤い文字が目に染み、心に染みた。真っ赤な心がサチコのうなじを追っていく。産毛が目の裏で渦を巻いていた。渦は心を濁し、重たくする。体も濁り、そして重たい。
 文字をあきらめ、鼻の穴に人差し指を突っ込んでみる。ぐるりとまわして、鼻糞をほじくった。そんなことで軽くなる体ではない。ティシュペーパーにこすりつけ、屑入れにほうり込むと、トイレにいった。
 開け放したまま、釘で留められている入り口のドアだ。子どもの溜まり場とならないように、見通しをよくしたらしいのだが、大便所のドアだけはさすがに閉まっている。
 鍵をかけ、尻を出して、重たい体を下におろした。小便がみみっちい音をたて、ウンコがこぼれ落ちる。今にも壊れそうだった朝の残りが、固くて太いわけがない。ウンコは一本につながらず、便器の底でバラバラに千切れていた。こんなものの排出では、体はやっぱり軽くはならない。尻を拭き、重たい手で水洗のハンドルを引き、ベルトを締めた。だらりと手を下げ、教室へ戻る。
 壁の時計は十時十三分を指していた。腕の時計にも、また目をやる。一分遅れに変わりはなかった。後十二分か十三分、たっぷり煙草とつき合って、心と体を軽くしよう。
 煙草に火をつけ、ゆっくりと吸う。無念無想。窓の外の青い空をただ黙って眺め続ける。
 チャイムが鳴った。二時間目の終わり、十時二十五分である。腕時計はピッタリだ。掛時計はやはり一分先を示している。棚に足をかけ、針を直した。ケチな習性である。
 足音が廊下に乱れた。教室の戸が勢いよく開く。
「ただ今!」
 元気な声と一緒に、絵の具ケースを抱えた子どもたちが七、八人飛び込んできた。サチコの姿は見えない。
「先生、ぼくたち、もう描いちゃったんだよ」
「何を描いた?」
「お風呂の絵」
「チンポも描いたか?」
「うん、描いたよ」
「どんな形してるのかな?」
「見せてあげるよ」と、ベルトに手をかけたのはおチビのカズヤだ。
「いいよ、いいよ」と、あわてて手を振ったがもう遅かった。腰から膝へ半ズボンとブリーフを落とし、むき出しのチンポを突き出してよこす。女の子たちが悲鳴を上げて逃げだした。
「ぼくも見せてあげるよ」と、ノッポのハルノブが出す。
「ぼくも」
 太った腹に手をやって、ヨシキも出した。
 合わせて三つのチンポが攻めてくる。細く、しなやかに、艶を帯びたチンポたちは、つぼみのように尖っていた。まとめて言えばそうなるが、とてもまとめられるものではない。
 人の先頭を取ろうとするカズヤのチンポは、ヒューンと長く突き出ていた。背は一番低いのに、チンポは一番長いのだ。
 褒めると照れ、照れてたこになってしまう心のひだを見せるように、ハルノブのチンポの先は念入りに縮れていた。
 真ん丸お月さんのヨシキのチンポは、体のわりには一番小さく、遠慮深い。
 感心してはいられなかった。ここは白昼の教室である。
「やめてくれェーッ!」
 逃げ出すと、チンポを突き出したまま追いかけてくる。廊下へ逃げると、三人は教室の中で女の子たちを追いかけはじめた。
「今日は、みんなで遊ぶ日だろう。そんなこと止めて、早く外へ行け!」
 入り口から首を突き出して呶鳴りつける。「まだチンポの絵描いてる人いっぱいいるから、みんなで遊べないよ」と、カズヤが言う。
「よし、それじゃあ、自由遊びだ」
「ワーッ!」と、三人は半ズボンを上げ、女の子たちは手を叩いて廊下に出た。集団遊びを喜ばない子どもたちなのだ。子どももまた、太い一本のウンコになりきることはできないようだ。
 廊下の突き当たりの非常階段へ一人で向かう。看護当番に当たった者は、朝の登校指導の他に、二、三時間目の間にある二十分休みの見まわりをしなければならないのだ。放課後の見まわりもあった。
 四年一組、四年二組と、教室の前を横目で通り過ぎる。教室は空っぽだった。つまらぬ注意をしなくてもすみ、心と足が軽くなる。はずみをつけて非常階段を駈け上がり、四階の廊下に足を入れる。
 六年二組の教室で、女の子が二人、机をはさんで笑い声をたてていた。マンガクラブで一緒になる顔なじみの子どもである。
「外へ出なさいよ」と声をかけると、「ナンデー?」と、言葉が返ってきた。言葉は一人のものだったが、にらみつけてくるのは二人である。ナンデ外に出なければならないのか、確かにそこが問題なのだ。春夏秋冬、雨の日以外は、外へ外への二十分休みである。
「図書委員会からお知らせします。今から本の貸し出しをするので、図書室にきてください」
 校内放送が子どもの声をつたえる。二階の端の図書室では今日も客が少なく、図書委員の子どもたちは恨めしそうに校庭を眺め続けるのだろう。二十分休みには、本の貸し出しもおこなわれることになっているのだ。
「ナンデー?」
 女の子の口調を真似、廊下をいく自分を問う。こうして働き、こうして生きる自分の意味を問いつめると、『ナンデー?』は、この世をひっくり返す言葉だった。
 出発点の三階に戻る。二階も一階も、まだ巡視していないのに、足はもう下へはいかない。
 三年二組の教室に近づくと、走りまわる子どもたちの音がした。黙って教室の中に入る。図工室から戻ってきた子どもたちが、思い思いの時を過ごしていた。
 追いかけ合っている子ども。マンガをノートに描いている子ども。それを取り巻き、しゃべり合っている子ども。本を一人で読んでいる子ども。一つの本を読み合っている子ども。窓辺にたたずみ校庭を眺める子ども――思い思いの子どもたちを、同じ帽子、同じ体育着、同じ上靴、同じ教科書、同じページと、数え上げたらきりのない同じ同じの洪水の中に飲み込んでいるのである。
「先生、これ、いつくれるの?!」
 教卓の椅子からサチコが叫んだ。そこから外れて追いかけていった十八人目の姿は見えない。数名の女の子たちがサチコを取り囲み、学級通信を読んでいた。
「三時間目がはじまったら渡すよ」
「いいなあ、サチコちゃん。わたし、まだ一回ものっていない」と、サチコのそばで一人が言った。
「きっとのせるよ。みんなの作文をのせるのがセンセイの目標なんだから」
 言いながら教卓に近づく。椅子を空けて立ち上がったサチコの肩に、さり気なく手をかけた。肩のぬくもりがつたわる。歯止めをかけるように話しかけてくる子どもがいた。
「先生、先生、今日順番じゃないけど、作文書いてきていい?」
「ああ、いいよ。原稿用紙持っていきな」
「ワーイ!」と、黒板の隣の棚に子どもが走る。
「わたしも、書いていい?」とサチコが言った。
「いいよ」
「ワーイ!」とサチコが後を追う。
「わたしの作文の順番、金曜日だから、その時に書いてくるからね」
「わたし、月曜日」と、言い逃れる子どももいる。最後に残った一人の子どもは、「先生、肩もんであげようか」と、機嫌をとって作文から逃れた。
 肩もみをはじめた子どもの後ろに列ができる。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十」と、手の動きに、みんなは声を合わせる。十回もむと交代なのだ。
 チャイムが鳴った。
「ありがとう。これで終わりにしよう」
「先生、わたしまだやってない」と、サチコが肩に手をかける。
「今度やってもらうから」と邪険に立ち上がり、黒板に近づいた。
『しゅくだい かん字2122ページ』という文字が右の上隅に書いてある。黒板消しを取り、21と22を消した。チョークに持ち替え、23と24を書き入れる。それをメモ帳に書き写すことになっているのだ。
 本意ではない。前の担任がそうしていたから、そうしてくれと、参観日に言われてしまったのだ。宿題一つ、頭の中に入れられないようでは稗田阿礼が泣いてしまう。古事記が気に入らなければアイヌのユーカラでもいい。あれら口誦の人類の能力をお母さんたちは撲滅するのですか。――そう言いたかったが、話の通じぬ相手には黙るより他なかった。
 机に座った子どもたちが、国語の教科書、ノート、筆入れを出しはじめる。メモ帳を出す子どもたちは、いつも通り数名だった。
「今日はテストをやるから、教科書とノートはいらないよ」
「ワーイ!」と声が上がる。子どもたちはテストが大好きなのだ。
 蛍光灯のスイッチを押し、やや暗い廊下側だけを明るくする。今日はじめての点灯である。節約は乏しい時代を生きてきた人間の習性なのだ。
「今日の係」と、それぞれの班の当番を呼ぶ。当番は先を争って、小走りに寄ってきた。
 手に取ったのはテストではなく、学級通信だ。五枚ずつ数えて、六人の当番に渡す。六人目の子どもの後ろに、列がまたできていた。班の子どもに配り終え、再び戻ってきた当番たちである。テストが渡るのを待ちかまえてのことなのだ。予想を外して棚からつかんだのは原稿用紙だ。
「みんな座りな! まだ挨拶してないよ!」
 日直のミチヨの声が不意にとどろく。ミチヨにとっては不意ではなかった。不意なのは先生だ。授業のはじまりの掛け声をせっかく掛けようとしたというのに、挨拶抜きで、ずるずると三時間目に入っていこうとする先生はルール破りなのだ。
「ごめん、ごめん」と、笑ってあやまる。直立不動で立ったミチヨは、笑ってくれなかった。
「ごめん、ごめん」と、今度はもう一人の日直にあやまってみる。あやまる前から、ヨシキはもう笑っていた。
「先に、作文の紙を渡してしまうから、一寸待ってね。今日はセンセイ、集まりがあってさ、給食が終わったらすぐ出かけなくちゃ駄目なんだよ。だからさ、忘れない内に、渡すものを渡しとくからね。サチコさんの作文も学級通信に載せといたから、後でよく読んでおいてね。明日、上手だと思ったところをみんなに聞くからね」
 ことわりを入れて、順番に当たっている子どもたちに原稿用紙を渡して歩く。赤ペンを入れた原稿も、サチコに返した。ニコッと笑ったサチコの笑顔を振り切って正面に立つ。あちらこちらからおしゃべりが聞こえ、体のゆれも見られるが、まあ、ましな方である。早くテストにとりかかりたいという子どもの意欲が口を閉ざし、おしゃべりの数を上まわっていた。
「姿勢をよくしてください!」
 日直の二人の声も、意欲をのせてピッタリと重なる。意欲に押されて、おしゃべりは止まった。
「これから、三時間目の勉強をはじめます!」
 子どもたちの頭が一斉に下がる。
「ナンデー?」と、六年生の子どもの声が耳元で鳴った。授業のたびに、ナンデおじぎを繰り返さなければならないのだろう? 教師は芸人、子どもは客。客におじぎを強いるのは、どう考えてもおかしいのだ。
 棚に近づき、業者から買った国語のテストの束をつかむ。当番の子どもが六人、また並んだ。机と椅子が動き、子どもたちは前後左右の間隔を広げ、テスト用紙を待っている。この素早い反応が、センセイの芸への反応ではないのが残念だ。顔も知らない人間が、知らない部屋で考えたテスト一枚への反応である。
 芸で子どもを引きつけたことが、なかったわけではない。『うんこいし』がそうだった。鳥浜貝塚の糞の化石に引きつけられ、『うんこいし』という文章を子どもたちのために書いたのだ。鳥浜貝塚を眺めに出かけ、ウンコ石を展示する若狭歴史民俗資料館からは四册の発掘報告書を買ってきた。それらを元に、こんな文章をザラ紙に印刷したのは、四年前のことだった。
     うんこいし
 ふくいけんの みかたこと いう みずうみに ながれる かわの きしで、おおむかしの うんこが たくさん ほりだされました。うんこは、つちの なかで、かたい いしに かわってしまい、もう、あの、くさい においは しません。でも、かたちと、いろは、いまの にんげんの うんこと かわりません。
 ほんとうに にんげんの うんこなのだろうかと、だいがくの せんせいは かんがえました。ちうら みちこと いう せんせい です。
 みちこせんせいは、じぶんの たべるものと おなじものを、じぶんの うちの いぬに たべさせました。じぶんのうんこと、いぬの うんこを くらべてみる ためです。くらべて みると、いぬの うんこには、たべものの もとのかたちが ほとんど のこって いないのに、みちこせんせいの うんこには、さかなの ほねや、とうもろこしの かたちが のこって いました。そして、はりだされた おおむかしの うんこにも、さかなの ほねなどが はっきりとのこって いたので、これは、にんげんの うんこに ちがいないと、みちこせんせいは おもったのです。
 みちこせんせいは、うんこいしを かたちで わけて みました。うんこいしは、6つの かたちに わけられ、はじめ、ちょくじょう、しぼり、ばななじょう、ころじょう、ちびじょうと いう なまえが つけられました。
 はじめと いうのは、うんこの ではじめの ところ です。ちょくじょうというのは、まっすぐな かたちと いういみで、はじめに つづいた ところ です。しぼりは、うんこの さいごの ところ です。うんこの さいごは、しぼりだすように するので、とがって います。ばななじょうは、ばななの かたち、ころじょうは、ころころした かたち、ちびじょうは、ちびの かたちのもの です。ちびの かたちに なったのは、やわらかい うんこが くずれて、ちいさく、ばらばらに なって しまった ためです。
 みちこせんせいは もっともっと、うんこいしの ことを しらべるつもりだったのですが、びょうきで しんで しまいました。まだ 35さいの おかあさんせんせい でした。いま、うんこいしは、だれかが かわって しらべて くれるのを まって います。
 うんこいしを しらべると、おおむかしの ひとたちの たべた ものが わかるのです。おおむかしには、どんな きが はえて いたのかも わかるのです。きの かふんが、みずうみや かわに おちて ながれ、その みずを のんだ ときに、かふんが いっしょに おなかの なかに はいって、うんこに まじって でて くるからです。けんびきょうは、そういう かふんを うんこいしの なかから みつけました。
 うんこいしが ほりだされた ところは、おおむかし、もう ひとつの みずうみが あって、その きしに ちかい ところ だったと いわれて います。おおむかしの ひとたちは、きしに ちかい みずうみの なかに くいを うち、その うえに いたを のせたようです。そこから、したの みずうみに うんこを したらしいのです。
 みずうみの みずが なくなり、いつのまにか つちで うまってしまった その ばしょを ほると、うんこいし ばかりで なく、うったままの すがたで、くいも でて きました。まるきぶねも、でて きました。くいの ばしょは、ただの べんじょ では なく、まるきぶねを つないで おく ばしょでも あったのでしょう。
 にんげんは、うんこを します。いぬも、うんこを します。うまも、うしも、うんこを します。にんげんも、いぬも、うまも、うしも、どうぶつ なのです。
 発掘報告書からコピーした写真や図も入れた。鳥浜貝塚の位置図、三方湖の写真、六つの形に分類したウンコ石の写真、縄文時代の鳥浜の想像図、そして発掘された杭の写真である。
 相手は二年生の子どもたちだった。五月のことである。五月といえば、二年生になったばかり。漢字まじりの教科書を読み通すことができない子どもも中にはいた。ひらかなばかりの文にしたのは、そのためである。
 文は先ず、センセイが読んで聞かせるか、リレー方式で子どもに朗読させるのが学校では普通である。普通のやり方は取らなかった。はじめから、自分一人の力で読み通してしまわせたかった。
 子どもたちの目が一斉に文字に食い入る。一番勉強のできなかったヒロユキは、指で文字をたどりながら目を動かせていた。目だけでは足りず、つぶやくように声を出して読んでいる。彼にとっては、生まれてはじめて、独力で文を読み通した日になったのだ。

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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