骨踊り(2)

向井 豊昭


 小さな公園があった。ベンチに座り、煙草を吸って自分をなだめる。足元の土の上から、小さな光が反射していた。見まわすと、あたり一面に、宝石をばらまいたように光が散らばっていた。
 ベンチから尻を離し、目を近づけた。ガラスの破片である。地面をまぶしたガラスの破片は、傍若無人に日の光をむさぼっているのだ。
 休日だというのに、ブランコはたれ下がり、人はいない。たとえ遊びにきたとしても、はだしで遊ぶことを知らない子どもたちにとって、ガラスの破片など気にするものではないのかもしれない。塾へ追いやる親にとって、無用の公園のガラスなど放っておいていいものだろう。
 この世を乗っ取り、誇らしげに光を放つガラスたち――ほしいままに光を与える太陽は、バカだ。アホーだ。
 ゴキッ!
 駅前広場に立ち止まり、うっとりと朝の光を眺める五人目の自分から、外れていくのは六人目だ。置き去りにされた五人目は、神の啓示に出会ったかのように動かない。立ち止まった時間の遅れを取り戻そうと、六人目は走り出す。
 亡者たちの白い顔が、ここでもゆれていた。走り出した右腕が亡者の一人を押し飛ばし、右の腕がもう一人を突き飛ばす。亡者の毛髪一本も目に入らぬ東京人の一人になっていた。
 改札口を出入りする人の流れは工場のようだ。
 隅田川のほとりにあるビール工場に、クラスの子どもたちを連れていったのは昨年だった。ベルトコンベヤーで運ばれてくる瓶は、無抵抗に直立していた。一本一本の瓶の中味をじっと座って検査する人間がいる。大きなマスクで顔がおおわれ、光っているのは目だけだった。瓶を追って、白目の中を、右に黒目が走っていく。素早く左に黒目を戻し、右に向かってまた追いかける。ひたすらそれを繰り返す目の動きは、体からも心からも分離したモノの動きのようだった。
 改札口の駅員も、ひたすら黒目を動かしている。客の列は瓶の流れだ。
「おはようございます」と、瓶に向かって、一本調子は駅員の言葉が繰り返される。瓶は言葉を持たず、駅員はただのコンピューターである。
 人間は、いないのか?
 人間は、いる。
 階段を昇る女の尻が目の前でゆれていた。白いブラウスの背中で、長い髪もゆれている。ゆれと一緒に降り注いでくる香水の匂いが鼻を引き寄せた。
 ホームに立つ女の後ろを通り過ぎる。一メートルほどの距離をとり、女の横顔に目をやった。艶やかな頬は、朝の草花の露である。口紅が彩る二つの花びらは、今にもこぼれ落ちそうなふくらみを見せていた。
 電車が止まり、女が乗る。引きつけられ、女に続くと、ドアが閉まった。いつもの車輌のドアではない。いつもは一輌目の最後のドアから乗り込んでいるのだ。反対側のドアの近くに体を移すと、そのドアは、乗り換え駅の日暮里の階段の前で開く仕掛けになっている。
 仕掛けに逆らう。逆らわせる女のスカートにズボンがふれ、ズボンの下のももがふるえる。ふるえは全身につたわり、体は一本の弦だった。
 しびれるような音の弾き手に、そっと手をやる。スカートの下のやわらかな肉のぬくもりが指につたわり、指は五弦の楽器になる。
 こらえきれない五弦のふるえがスカートをつかんだ。つかんで、はぎ取る。肉をおおう、この世のすべてをはぎ取って、肉の足元に叩きつける。
 日暮里駅のホームが窓の外に現われてきた。窓の外にはおかまいなく、裸にむかれた女の乳房を背後からつかむ。肉もこの世、骨もこの世。この世のすべてをはぎ取ろうとする六人目の内部で、肩をゆさぶる七人目がいた。
 ゴキッ!
 ゆさぶって二つに外れ、ドアの外に一つはこぼれた。
 ひしめきを縫い階段の下にたどりつくと、人は更に滝のように落ちてくる。ベッドタウンからやってくる上りの電車を乗り換えて、都心に向かう人たちだ。
 下りの電車に乗り換える少数の人間は、滝に逆らい、鯉のように昇っていく。鯉とは思えず雑魚となる一匹の自分は、肩をすぼませ、階段の隅をいくのだ。
 跨線橋も半分を過ぎると、人はまばらになってくる。常盤(*磐)線のホームに下りる階段は、しばしの休止符を打っていた。のんびりとしてはいられない。三分間隔の上り電車は、階段へ向かってすぐに人を吐き出してしまうのだ。
 間隙を縫って階段を駈け下りると、銀色に車体を塗った下りの電車がホームに入ってきた。銀色は南千住では止まってくれない。止まるのは緑色なのだ。
 待ち時間を過ごすためにホームを進む。禁煙時間のホーム上に、煙草を吸える秘密の場所が残っているのだ。秘密の場所にふさわしく、頭の上には斜めにかぶさった階段があり、跨線橋の底がある。灰皿はないが、ベンチがあった。
 ベンチに座った三人が煙草を飲んでいる。一人ではないということが心強かった。見慣れた顔の男が吸殻を踏み潰し、階段へ向かって歩きはじめる。しばしの解放区からの出撃なのだ。
 男の背中に親しげに視線を送りながら火をつける。煙の匂いが鼻を刺激し、吸口をはさんだ唇がすぼむ。煙を受けた喉の縮みと広がりはマグマのような動きとなり、体は噴煙の活火山だ。一吸いごとに、どうやら働く意欲が戻ってくる。
 緑色が目の前に着いた。まだ三分の二も残っている煙草の長さは、いつもと同じである。
 立ち上がって踏み潰す。煙草を惜しむ自分はいない。いつもの若い女の後ろ姿が開いたドアから入っていくのだ。
 連れの男といつも乗り込み、楽しそうに会話をはずませる彼女だった。軽やかな唇の動きが今日も心を和ませ、鼻にずり落ちる銀縁の眼鏡がのどかな気分を与えてくれるだろう。
 車内はいつものようにガラ空きだった。いつものように女の前に席を取る。連れの男はなぜかいなかった。女の唇も、銀縁の鼻眼鏡も、うなだれた首のために見えないが、広いおでこがかわいらしくこちらを向く。
 ゴキッ!
 立ち上がって女に近づくのは、七人目の自分である。目をそむける八人目を尻目にして女の肩を抱く。おでこに唇を軽くふれた。女の首が上がり、マニキュアの指が下がった眼鏡を戻す。眼鏡の中の目がおびえていた。
「あなた、独りぼっちだから、心配してるんですよ。どうして、今日は一人なんです? いつも、彼氏とお話してるでしょう。そうするとね、ぼくの方も楽しくなってくるんですよ。ねえ、一人なら、今日はぼくとお話してくれませんか?」
 女の目が見る見るうるんでくる。
「ごめんなさい。いやならいいんです。お話はいいから、せめて、こうしてあなたの隣に座らせていてください。座っているだけでいいんです」
 眼鏡をおでこに押し上げて、女は二つの手で顔をおおった。
「ごめんなさい。泣かないでください。ぼく、あっちの車輌に移りますから」
「あなたの……せいじゃ……ないんです。……あの人が……悪いんです」と、女はとぎれとぎれに言葉を言う。
「あの人がどうしたんですか?」
「結婚しようって……言ったくせに……わたしを……裏切ったんです……ア、アーン、わたし、どうしよう!」
 女の体がぶつかってくる。胸の中で泣き叫ぶ女の髪を静になでた。
 七人目の手の動きが、チラチラと目をくれる八人目の心の中に遠い思い出を運んでくる。なでてくれるのは妻だった。結婚前のことである。
 弘前大学の野辺地分校でセンセイになる勉強をしていた彼女と知り合ったのは、青森市の郊外にあった結核療養所でのことだった。病状の軽かった彼女は先に退院をしたが、復学して間もない彼女を野辺地の下宿にたずねていったのだ。療養所を抜け出しての小さな旅である。
 二人は公園のある丘へ登った。下北半島の山並みが正面に見える。その下北では、祖母が病院の付添婦をやりながら一人で暮らしていた。もう八十歳に近かった。
 山並みからは海が続き、海から目の下へ野辺地の町が広がっていた。丘の上の公園に吹いてくる海の風は、かすかに髪をゆらすほどだが、間近な雪を告げるように肌に冷たい。
 足音の重なりがした。振り返ると、クリーム色のトレパンと、同じ色のシャツをまとった一団が坂を駈け上がってくる。首に巻いた青いタオルが初冬の光を反射していた。
 前後左右に足は跳び、軽くにぎった二つの拳は素早いパンチを宙に繰り出す。空気を切るさわやかな音を残して、学生たちは基の方角へ下りていった。
 背筋を伸ばし、草の上に立ち上がってみる。首をもたげる弱い心を打ちのめすようにフットワークを真似てみた。フックを打ち、ストレートを打ってみる。
 軽いめまいがした。ノックダウンを真似て倒れる。
「大丈夫?」と、彼女の顔がのぞいた。
「駄目だなァ、手術しないうちは」
「そうだよ。手術して、早く退院しな」
「退院したら、何すればいいんだべ」
「わたしの秘書をやって」
「秘書?」
「わたし、算盤ができないから、学級費なんか計算するのに困るんだァ。だからさ、わたしの秘書になってくれない?」
 笑いで頬が崩れてしまう。崩れた頬はたちまち引きつり、言葉を返すことができなかった。笑わせたのは天真爛漫な彼女の言葉であり、引きつらせたのは明日への心の重さである。
「秘書がいやなら、先生になっちゃえばいい」と、彼女の声はやはり明るい。
「なるっていったって、そう簡単になれないべ?」
「通信教育でも免許取れるんだって」
「通信教育?」
「うん、家にいて、レポートを書いて送ってやってね、単位取る試験なんかは、青森だとか、弘前だとかでやるんだって。後は、夏休みにスクーリングというものがあってね、その時だけ、東京の大学で勉強するんだって」
「へえ、そういうものがあるのかい」
「ねえ、先生になんな。そしたら、わたしたち、おんなじ仕事だもの、いろんなことで助け合えるし、人間相手の仕事ってやりがいがあるよ」
「人間を相手か」
「そうだよ、人間が相手」
「何だか、その気になってきたぞ。先生になって遠くに行こうか」
「遠く?」
「新しい生活なんだもの、新しい場所ではじめたいよ」
「ねえ、北海道にいかない?」
「北海道かァ」
「広々としたイメージがあって、素的(*ママ)でない?」と、彼女の笑顔は思わずうなずかせる。
「うん、いい、いい」
「決めた。わたし、先に北海道へいって先生をやってるから、必ずおいでよ」
「握手」と、彼女に向かって手を伸べる。彼女の手も伸びた。
「あっ、とんぼ」と、その時、彼女は声を上げ、出した右手を草の上にやった。
 黄ばんだ草にとんぼが一匹止まっている。季節遅れのとんぼの羽は難なく彼女の指に挟まれ、目の前に突き出された。
 挟まれなかった片方の羽が思いもかけぬ激しさで上下に動く。朽葉のようにボロボロの羽だった。
「見な、こんなになっても生きてるんだから」と、彼女は目を見張っていった。
 とんぼを持つ手を高く上げる。羽をつまんで閉じている彼女の指が花のように開いた。指を離れたとんぼの姿は、青い空に溶けながらゆっくり消えていった。
 心の中から噴き出すものがある。とんぼを追って飛ぼうとする夫への噴き出しだった。とんぼに打ちのめされた地への噴き出しでもあった。噴き出しは脳天を貫き、喉をふるわせる。大の字に倒れた体から思いきりの泣き声が溢れ、涙で空がかすれた。
 膝を折った彼女の顔がのぞく。濡れた頬が笑っていた。赤ん坊を寝かせつけるように、目の下の男の髪をゆっくりとなで続ける。……
 都営住宅のくすんだコンクリートが窓をふさいだ。電車はスピードを落とし、南千住駅に近づいている。
 目の前の席でたわむれ続ける七人目を置き放して、八人目は立ち上がった。思い出がたがのように胸を締めつけ、八人目は一つの手桶だ。手桶の水に、妻より他は映らなかった。
 ホームの時計は八時五分を指している。いつもの通りだった。いつもの通り階段の右を下り、通路の右をいく。改札口へ向かう人の群れから外れて、いつもの通りトイレへ入り、小便をした。いつも、いつもがつながって、いつもと違う丘の思い出はもう消えていた。
 小便はすぐに止まり、残尿感を引いて滴がたれる。力みは無理に与えない。力みは肛門にもつたわり、残便感をもあおってしまうからだ。
 自分を押し込むようにチャックを上げる。手はどこでも洗わない。縦18cm・横9.5cmの掌である。縦×横という大ざっぱな計算をしてしまうと、その面積は171cm2だ。右と左を合わせても342cm2――たかがそれだけを清めたからといって、この世の汚れに太刀打ちできるものではない。
 人のとだえた改札口を遅れて出る。一息ついた駅員は、挨拶を忘れ、黙っていた。
 目の前には、タクシーに乗る勤め人の列ができている。離れた所で、ワンカップを片手に、仕事にあぶれた山谷の男たちがしゃがんでいた。手配師に集められたたくさんの男が電車につめ込まれていったのは、もっと早い時間だった。
 道は四方に分かれている。その一つの道から、大道寺将司は、この駅へ向かって歩いてきた。土砂降りの朝だった。ワンカップを持つ男たちの姿もなく、代わってそこにたむろしていたのは、公安の刑事たちと、情報を嗅ぎつけた一人の新聞記者だった。
 傘の下の大道寺が近づく。青い背広の刑事が一人、傘もささずに正面から寄っていった。不吉な予感が大道寺をかすめ、青い背広がすれ違う。後ろにまわった二つの目が背中を刺した。タクシーの流れを狭める駐車の数は、ただならぬものである。要所を固めて立っている刑事たちの緊張は、大道寺のさす傘の骨にもつたわっていた。
 傘の握りが強くなる。左手の紙袋は胸に押しつけられていた。紙袋の中には、雷管の作り方を解説した『腹腹時計』の第二号が入っていた。
 手薄と見られる左の道へ大道寺は走り出した。常磐線のガードは目の先である。ガードの奥の日比谷線の駅の方から、大道寺へ向かって走ってくる者たちがいた。
 挟み打ちだった。前後左右を刑事が取り巻き、脇の下から両腕が取られた。逮捕状が早口に読み上げられる。拒む大道寺の両足が浮き、靴の先が雨の流れる舗道を掻いた。新聞記者がたて続けにシャッターを押す。車が次々に急発進をし、柳の枝がゆれた。
 その日、都内では七人のゲリラが逮捕された。近くのアパートで逮捕された妻のあや子と大道寺将司は、北海道の釧路の出身だった。逮捕後、毒を飲んで自死した斉藤和は、北海道の室蘭の出身である。大道寺あや子などと共に、日本赤軍によって海外へ連れ出された佐々木規夫は、北海道の小樽の出身だった。
 釧路も、室蘭も、小樽も、その地名はアイヌ語から発している。釧路はクッチャロ、喉という意味で、釧路川の川口近くの沼の出口の呼び名だったらしい。室蘭はモ・ルエラニで、小さい下り道。小樽はオタ・オル・ナイで、砂浜の中の川という意味のようだ。
 自然の姿で呼ばれていたかつてのアイヌの土地は、釧路市となり、室蘭市となり、小樽市となり、アイヌは片隅に追いやられてしまった。その北海道の歴史は、東アジア反日武装戦線に集まり、爆弾を炸裂させ続けた彼等の思想を育んだのだ。
 爆弾の時代だった。北海道のセンセイだった一人として、アイヌのことは忘れられない。壊さなければならないと思った。教育委員会でしゃべり、テレビでしゃべり、たくさんの機関誌に原稿を書いた。だが、言葉では壊れなかった。爆弾以外に、壊せるものはないようだった。言葉だけの人間をなじるように、次から次と爆破が続いた。
 北海道庁が(*ママ)爆破があった次の日、学校に出勤すると、教頭が寄ってきて心配そうに言ったことがある。
「きのうの夜、警察から電話があってね、慥柄先生、欠勤しなかったかって聞くんだァ。ちゃんと出てきて、授業しましたって言っといたから」
 苦笑だけを教頭に返した。アイヌのことには、もうすっかり疲れていた。……
 大道寺が逃げようとした方角に背を向けて歩いていく。まるで大道寺を見捨てるようだ。
 見捨てたのはずっと以前、入学式の日だった。朝、職員室で椅子を出してストーブにあたっていると、制服を着た警察官が一人入ってきた。入学式には来賓として招かれ、交通安全についての退屈な話をするのがならわしだった。
「ご苦労さまです」と、挨拶の言葉を儀礼的に投げかけ、椅子をすすめ、茶を入れた。職員室には、たまたま一人しかいなかったからだ。
 茶を一口すすると、初対面の警察官はいきなり言った。
「ヤー、いつもアイヌの子どもたちのためにがんばっていただき、先生には感謝しているんですよ」
 警察に感謝されるいわれはない。顔がひきつった。警察官は身を乗り出し、声を落とす。
「アイヌモシリを乗っ取る道庁を爆破とか何とか、わけの分からないことを言って、先生のように真面目にアイヌのことに取り組んでおられる方には、まったく迷惑な話ですよねえ。一体、どんな人間が、ああいうことをするんでしょうか?」
 警察官の後ろの掲示板の情報提供を呼びかけるポスターが大きく目に入ってくる。押し戻すように、声が飛び出した。
「何ですか、あなた! そんなこと、知るわけないでしょう! あなた、ぼくを犯人だと思ってるんですか!」
 尻が椅子を蹴り、足が床を強く踏んだ。職員室から廊下へ出る。後ろ手で閉めた戸の音と一緒に、心で響く言葉があった。
――犯人だと思ってるんですか!
 犯人、と呼んでしまったのだ。犯人、と呼ぶことで境を作ってしまったのだ。あちらは爆破、こちらは緑。金網におおわれたみせかけの緑は、心の内にもあったのだ。……
 白い手がゆれている。白い肩には血糊がこわばり、肩の上の首はなかった。首どころか、胴から上を持たない亡者たちが裸足の指で地べたを探り、さ迷ってもいるのだ。斬首の刑にあった上、試し斬りにされてしまった者たちである。小塚原刑場は、コツ通りと呼ばれているこのあたり一帯にあったのだ。ガードの先には山谷がある。
 はやりのコンクリートで身を固めた回向院の駐車場の壁には、解体新書の扉を真似た銅板がはめ込まれ、それに並んだ御影石にはこんな文字が刻まれている。
    蘭学を生んだ解体の記念に
一七七一年・明和八年三月四日に杉田玄白・前野良沢・中川淳庵等がここへ腑分を見に来た。それまでにも解体を見た人はあったが、玄白等はオランダ語の解剖書ターヘル・アナトミアを持って来て、その図を実物とひきくらべ、その正確なのにおどろいた。
その帰りみち三人は発憤してこの本を日本の医者のために訳そうと決心し、さっそくあくる日からとりかかった。そして苦心のすえ、ついに一七七四年・安永三年八月に「解体新書」五巻をつくりあげた。
これが西洋の学術書の本格的な翻訳のはじめでこれから蘭学がさかんになり、日本の近代文化がめばえるきっかけとなった。
さきに一九二二年奬進医会が観臓記念碑を本堂裏に建てたが、一九四五年二月二十五日、戦災をうけたので、解体新書の絵とびらをかたどった浮彫青銅板だけをここへ移してあらたに建てなおした。
 一九五九年 昭和三十四年三月四日
  第十五回日本医学会総会の機会に
    日本医史学会
    日本医学会
    日本医師会
 信号は赤だ。足を止める。首なし亡者がまた一人近づいてきた。胸も腹も切り開かれている。胃も腸もスッポリと抜け、骨盤が丸見えだ。肋骨もむき出しだった。その下には心臓も肺もなく、肋骨は空を抱いていた。着衣はなく、しなびたまたの割れ目をおおう陰毛は、白いものをまじえながら言葉のようにゆれている。
「青茶婆ァ!」と、思わず呼びかける。
 ゴキッ!
 八人目が二つに外れ、九人目の自分がたしなめる。
「青茶婆ァはないだろう」
 一夜の間、灰汁につけて蒸す、下等の茶の青茶である。
「じゃあ、何て言えばいいんだ?」と、たしなめられた八人目の口がとがる。とがった口をまた開いて、今度は目の前の亡者にたずねた。
「ねえ、お婆さんの名前、本当は何て言うの?」
 陰毛はゆれ続けるが、陰毛の言葉を聞き取るのは、オランダ語より難しそうだ。
 杉田玄白が『蘭学事始』の中で、『其日の刑屍は、五十歳ばかりの老婦にて、大罪を犯せし者のよし、もと京都生れにて、あだ名を青茶婆と呼れしものとぞ』と書いているお婆さん――後世の医者たちが御影石に刻ませた文の中で、『ターヘル・アナトミアを持って来て、その図を実物とひきくらべ、その正確なのにおどろいた』と、『実物』の二文字でかたづけられているお婆さん――
 大道寺は見捨てたのに、二百年前のお婆さんは見捨てられない。こだわる八人目を置き放して、信号の変わった道を渡りはじめる。善人面でたしなめたはずの九人目は、お婆さんを見捨てるのか?
「虎松のお爺さんは、どうしてるんだろう?」
 渡りはじめた善人面に、ふさわしい問いが生まれる。
虎松といへるもの此事に功者のよしにて、兼て約し置しよし、此日も其者に力を下さすべしと定めたるに。その日、其者俄に病気のよしにて、其祖父なりという老屠、齢九十歳なりといへる者代りとし出たり。健なる老者なりき。彼奴は、若きより腑分は度々手にかけて、数人を解たりと語りぬ。
 これも『蘭学事始』だ。玄白も、良沢も、淳庵も、腑分けのために、自分の手は汚していない。手は辞書をめくるためにあり、解体新書の執筆のためにあった。牛馬の皮をはぎ、刑死人の腑を分ける最下層の身分であった虎松の祖父は、どんな気持ちで腑分けにのぞんだのだろう。彼にとって青茶婆は、ただの『実物』だったのだろうか?
 ゴキッ!
 九人目が二つに外れる。虎松の祖父をたずねてきびすを返す自分を背中に感じながら、十人目の自分は横断歩道を渡りきった。
 まだシャッターの開かない酒屋の表には、自動販売機が並んでいる。山谷の男たちは、そこでもワンカップを手にして寄り合っていた。尻を突き、背をかがめ、亡者に空間をゆずるように体を縮めて座っているのだ。
 まくり上げた作業ズボンから、すねを出した一人がいる。すねの真ん中に、あせた藍色の入れ墨があった。ハートを矢が貫いている。ハートも矢も、たどたどしい線だった。男の頭から噴き出る髪には、もう白いものがまじっている。
 たどたどしく生きてきた山谷の男に、お面を一本取られたのは前の年だった。社会科の勉強で、子どもたちを連れて近くの商店街にいった時のことだ。
 商店街の中央にある公園を集合場所にして、子どもたちは鉛筆と画用紙を持って散らばっていった。画用紙には、商店街の略図が印刷されている。何を商っている店なのか、一軒一軒を、そこに書き込んでいくのだ。
 二百メートルはたっぷりある長い通りだった。十二時十五分から給食がはじまる。それまでには帰らなければならなかった。二時間目の授業が終わってから公園へ歩き、時計は十時五十分を指していた。十二時には公園を出発したい。一時間そこそこの時間で、調査をしなければならないのだ。
 公園の片隅に五人の子どもが残っている。五人で一つのグループを作らせていた。グループごとに行動するようにと言っていたのだが、通りの東からはじめるのか、西からはじめるのか、意見がまとまらないのだ。
「オイオイ、いい加減にしないと時間がなくなるぞ」と、そばへいって追いたてようとする。意見はそれでもまとまらない。しびれを切らし、右手を突きだして右にやった。
「あっち、こっち。あっちからはじめな!」
 右手を突き出したのは、右利きだったからに過ぎない。それでも子どもたちは、センセイの右手の気迫に突き動かされて歩きはじめた。
 ベンチに座ってワンカップを飲んでいた男たちが笑った。笑わない男が一人いる。コップを持ったまま、男は近づいてきた。
「あんた、センセイかい?」と、男の顔がにらみを利かせる。「どこの学校か知らないけど、急がせるのはよくないよ。急がせちゃあ、いいスケッチはできないよ」
 後ずさりをして男から離れる。向きを変え、買物客の流れの中にまぎれ込んだ。男はスケッチと間違っていたが、それは些細な間違いである。現場監督に追いたてられ、手抜き工事の騒音の中で、汗をしぼり取られた男なのだろう。センセイは明らかに現場監督と同じだった。……
 細い通りを折れると、学校は突き当たりだ。亡者はしつこく、ここにもいる。体まるごとの肉を失って、ゆれているのは骨である。骨から骨が外れ、叫びのように飛び散っていく。人の骨格を失って、骨はバラバラに分かれたまま、宙にゆれて訴える。訴えながら、人の姿に戻ろうとして、骨は悶え、骨は再び組み合うのだ。
 子どものころ、下北の芝居小屋で、同じようなあやつり人形を見たことがある。軽快なバックミュージックにのせた骨の動きのおかしさを真似て、次の日の自習時間の教室は大騒ぎになったものだ。ブラブラと手足を振り、首を振り、教壇の上で一人が踊りだすと、我も我もと教壇に押しかける。教壇はたちまち埋まり、まるで陣取り合戦のようになった。見た者も、見ない者も一つになり、押し合いへし合い、出任せの音をがなりたてながら乱舞したものだ。
 ♪バラバラバラバラ
 おかしさ一色の乱舞は、目の前の骨たちにはなかった。おかしくもあれば、恐ろしくもあり、そしてまた悲しくもある無言の骨の動きなのだ。
 バックミュージックどころか、車の音一つしない通りである。音の強いる感情や意味づけから遠ざかり、骨は骨そのものとしてゆれながら、外れては寄っていく。劇用語では、それを骨寄せというらしいが、その言葉は、どうもぴったりと心にこない。寄せられているのではなく、寄っているのだ。いや、寄るなどという一極集中の調和ではない。おかしく、恐ろしく、そして悲しい、このごった煮のダイナミズムには骨踊りという言葉がいい。
 かつて焼場道と呼ばれた通りである。江戸時代から明治のはじめにかけて、道の両側にはたくさんの寺が建ち、それぞれ死者を焼く火屋を持っていた。
 今は、一つの寺もここにはない。宗教臭いものといえば、ピアノ教室のポスターを張ったキリスト教会が一つあるだけだ。サンダルを並べた店や、文房具を並べた店などが、永遠の昔から根を張り続けてきたように建っている。
 百年前になくなった火葬場の風景が追い払われているからといって、不思議がることはないのだろう。四十年前の戦争で焼け野原になった風景さえ、もうどこにもないのだから……
 風景が一つ浮かんでくる。しわくちゃの新聞紙が乱れ重なり、待合室の床は一面におおわれていた。上野駅だ。はだしの足を引きずりながら、少年が一人、動いている。足の動きと一緒に、床の新聞紙は音をたてて掻き分けられ、その下にも、埃をのせて新聞紙は乱れていた。焼夷弾の炎をくぐり抜けたはだしの足は膿でふくれ、膿はくずれていた。
 はだしの上にはかぎ裂きだらけのズボンがたれ、少年の動きと一緒に、かぎ裂きは窓のように開いた。窓からのぞく、少年のすねや、ももや、尻の肉は、助けを求める声も出せない。泥で汚れた黒いズボンの下で、肉もまた泥の鈍さで押し黙っていた。
 かぎ裂きだけではなく、すっぽりと抜けた穴もあった。焦げた匂いが穴のまわりにこびりつき、穴は体の上半分をおおう一枚のシャツを同じようにむしばんでいた。
 シャツの裾はズボンの上にたれ下がり、その腰を藁縄が巻いている。黒いへそがおびえるようにのぞいていた。
 バリカンを忘れた少年の髪は逆立ち、口はどんよりと開いている。まばたきもない目を足元にやりながら、少年は待合室をさ迷っているのだ。
 少年の足は時々止まった。手が伸び、新聞紙を拾い上げる。握り飯を包んでいたものだった。たった一粒残っている乾いた飯粒をつまみ取り、口に運ぶ。丹念に噛み砕きながら、少年はまた一粒をたずねて足を引きずった。
 祖母の膝の上で音がした。少年から目をそらす。開いた包みの中に、握り飯などというぜいたく品はない。さつま芋が二本、輪切りになって並んでいた。
 少年の足が掻き分ける新聞紙の音が大きくなった。ベンチに座る祖母の前に少年が立つ。にごった匂いが鼻を突いた。少年の喉がふるえる。
「ンーッ」
 言葉にならない音を洩らし、少年は右手を突き出した。
「かわいそうに」
 祖母はつぶやくと、輪切りの一切れを垢のこびりついた少年の掌にのせた。のせた掌に口を近づけ、少年は一気に頬張った。負けるもんかと、祖母の隣から手を出す。その手に向き合い、少年の手がまた伸びてきた。
 祖母は二切れ目を与えると、包みを丸めてさつま芋をくるんだ。その隣でまだ一切れ目を頬張っている口もとに、二切れ目を食べてしまった少年の手が伸びてくる。
 あごを引いて、上目使いに少年をにらんだ。光のない少年の目は空の方角に外れていく。空はなく、くすんだ天井が広がっていた。
「リュックサックを背負いなさい。あっちへいって食べましょう」
 祖母のささやきにうながされ、膝のリュックに手をかけた。立ち上がると、同じ背の高さの少年だった。
「いくよ」と、祖母はまたうながした。
 少年から目をそむけ、リュックを背負う。歩きだした鼻に、少年のにごった匂いがまつわりついていた。匂いの中から、ぬくもりを持ったウンコの匂いがただよってくる。
 足を止めた。思い出が激しく心を打った。
 咳一つ許されない天長節の学校だった。身動きもせずに立たなければならない。首はたれ、目を足元にだけ許される。真っ白な手袋で校長が広げ持つ教育勅語も、校長の背後の壁に祀られる天皇、皇后の写真も、盗み見ることは許されなかった。
 勅語を読む校長のおごそかな声に逆らって、しめった音を腹が奏でる。冷や汗が足の先からもにじんできた。
 音を押さえようと、腹をへこませる。その途端、尻の穴にかかったのはウンコの圧力だった。
 穴をすぼませ、全身でこらえる。体が火照った。息ができない。
「御名御璽」と、校長の最後の声が響いた時、ニョロニョロとパンツの中に溢れていくウンコを、引いていく血の気と一緒に感じていた。
 匂いがたち込め、まわりの顔がゆがんだ。すぐ後ろの子どもの目は、ズボンの裾から現われてくるウンコをすぐに見つけた。見つけた子どもの右の指が右隣を突つき、左の指が左隣を突つく。突つかれた子どもの指がまた動き、子どもたちはゆれた。
 教育勅語を巻き戻す校長の手は、ざわめきを受けてふるえていた。首をそろえて並んでいるセンセイの目が、一斉にざわめきをにらむ。にらまれた子どもたちは、匂いと笑いをこらえながら、ざわめきを止めなければならなかった。
 校長の式辞がはじまった。涙が流れ、ウンコで汚れた足元の床にたれ落ちた。
 式が終わり、みんなの足がまわりを通り過ぎていく。わけを知った担任が、荒い足取りでやってきた。こわばった体で立ちつくす足元の汚れに目をやると、担任は舌打ちをして出ていった。
 新聞紙を右手につかみ、水と雑布の入ったバケツを左手に下げて、担任は戻ってくる。
「うちへ帰れッ!」と、彼は体をふるわせながら呶鳴りつけた。……
 待合室の少年のくるぶしには、細い、黄色い流れが一本つたわっている。それは足元の新聞紙に小さなしみをたらして終わっていた。一粒の飯粒にふさわしい貧しいウンコであった。芋二切れで逃げられる少年の涙のようなものであった。
「何してんの?」と、祖母がうながす。祖母に追いつき、黙って歩いた。歩く体に匂いがまつわり、黙ることはできなかった。
「あの子、ウンコたれてたよ」
 自分と祖母を責めるようなまなざしで言う。
「おばあちゃんがいるだけでも、坊やはしあわせなんだよ」と祖母は言った。
「ねえ」と、不意に現われた思いを言いたくなる。
「なあに?」
「天皇陛下も、ウンコするの?」
「シーッ、憲兵さんに連れていかれるよ」と、祖母はけわしい顔になった。
 祖父母の故郷、下北へ疎開する日のことである。東京との長い別れになったのだが、其の日の少年とは、まだ別れることができない。……
 鉄の枠に、太い鉄線の網を張った学校の塀である。塀は道と校庭を区切っていた。校門に仕込まれているのは思い鉄の扉だった。このいかめしさが分かるのだろう。亡者の影はとだえ、怪獣の口のように開いた校門へ飲まれていくのは子どもたちだった。
 チャイムが鳴る。八時十五分だ。このチャイムが鳴ってから、校舎の中に入ることを許されている子どもたちだ。玄関の前にかたまっている集団が崩れ、それぞれの教室に向かって散らばっていく。
 子どもたちの流れは追わず、校門の前を通り過ぎる。看護当番の日だった。学校の近くの四つ辻に立ち、登校する子どもたちを見張ることが仕事なのだ。八時十五分からである。センセイの勤務時間は八時三十分がはじまりだから、十五分のサービスである。誰のためのサービスなのかは分からない。
「おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。……」
 四つ辻に立ち、子どもたちに声をかける。まるでJRの改札係だ。改札係は切符を調べ、定期券を調べる。看護当番が調べるのは子どもの服装であり、挨拶の声である。
 帽子は、かぶっているかな?
 帽子とは校章を正面に染め抜いた紺色のつば付き帽のことである。なくしたから、家にある野球帽で間に合わせようなどというわけにはいかないのだ。あの帽子はウチの学校の生徒だ! ウ、ウン、あれは何だ? 道草を食ってるな! と、遠目にも見張れるための帽子なのだ。
「おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。……」
 猫なで声の見張りの結果は日誌に書き、必要があれば職員朝会で注意をうながす。うながし手の一番は、腹の出た生活指導主任である。
「袖がダブダブデー、手が隠れてしまうほドー、長い上着を着てる子がいるんですけドー、みっともないですかラー、教室デー、注意してください」
「ポケットニー、手を突っ込んでる子どもガー、目立つのデー、転ぶと危ないですかラー、教室デー、注意してください」
 彼の言葉は、テレビと同じだった。街角のインタビューで、やたらに言葉を区切り、語尾を強めてしゃべる東京の若者を眺めながら、何だこりゃと、北海道で思ったものである。その言葉が、何と職員室で使われていたのだ。そうまで強めねばならぬほど、大事な言葉だというのだろうか。そうまでとぎれてしまうほど、言葉に自信はないのだろう。
「おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。おはよう。……」
 無帽も、ダブダブも目には入れない。味方のようなフリをして声をかけるが、味方ではない証拠に、挨拶の声がほとんど返ってこなかった。
 裏切られた思いが点火し、立て続けに自分が外れる。
 ゴキッ! ゴキッ! ゴキッ! ゴキッ!ゴキッ! ゴキッ! ゴキッ!

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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