骨踊り(1)

向井 豊昭


   骨(こつ)  踊  り

向  井  豊  昭

 

 朝は、またの真ん中からくる。鶏のように首をもたげた陰茎を、今朝もまた布団の中の五本の指がにぎりしめていた。
    しゅいん(手淫)[する]
  yayokoyki〔ja-jo-ko-i-ki ヤよコィキ〕
  [yay(自分の)+o(陰部)+koyki(いじめる)]
 知里真志保の『分類アイヌ語辞典』にはこんな言葉が見られるが、『いじめる』とは、うまく言い当てたものである。
 まだ陰茎をいじめる術を知らなかった子どものころ、尻をいじめては楽しんだ。雨戸の節穴から射してくる朝の光を拒みながら、布団をかぶった体はみみずのようにくねりはじめる。パンツをつかんだ右の手は荒々しいサーカスの団長の手であり、それに逆らう左の手はさらわれてきた子どもの手だった。子どもの手は払い飛ばされ、たちまちパンツが引きずり下ろされる。団長の手は鞭になり、むき出しの尻を打ち続けた。打ち続ける快感と、打ち続けられる快感は、螺旋のようにからみ合い体の中を走っていくのだ。
「坊や、起きなさい」
 ふすま越しに祖母の声がする。仏壇の鐘の音、食卓に並べられる茶椀の音、箸の音――一日のはじまりに追いたてられていくサーカスのはかなさに眉根を寄せ、どんよりとパンツを上げながら、この世をうかがうように首を出していく。
 首の先には小さな枕があった。その枕に並んでいるのは一緒に寝た祖母の枕である。
 深夜、知らない時刻に帰ってくる母が隣の布団でぐっすりと眠っていたのは、サーカスごっこを覚える前のことだった。母の布団は、もう隣には敷いていない。
 夕方近く、オツトメに出かける母だった。長屋の小路にただよわせていくお化粧の匂いは、母の着物に咲く花の色をいっそう際立たせたものである。
 花の中でも目を惹くのは、紫木蓮だった。着物一杯に散りばめられた花びらの表の濃い紫は、その裏側の白を引き立て、白は紫を引き立てて咲きほこるのだ。
 オツトメを止め、母が家にいるようになったのは、小学一年になってからだ。母は一日中、布団を独り占めにし、医者が時々たずねてきた。
 医者の最後の訪れは知らない。深夜だった。ゆさぶられ、名を呼ばれ、それでも起きない我が子を見つめながら、母は言った。
「かわいそうだわ。もう起こさないで……」
 朝、母の顔には白い布があった。手拭ではなく、濡れてもいなかった。額の上ではなく、顔のすべてをおおっているというのに、いつものように熱を冷やしているのだとしか思えなかった。
「お母ちゃん、まだ眠ってる」
 そう言いながらいそいそと着替える姿から目をそらし、祖父も祖母も、母の二人の弟も何も言わなかった。その日は学校の遠足だったのだ。品川の海晏寺だという遠足先を考えて、みんなは黙って母への供養を託したという。
 みんなの中に父はいない。父は母のオツトメ先の客の一人だった。
 遠足が終わり、リュックサックは薄くなったが、土産話はふくらんでいた。勝手口のガラス戸を勢いよく開ける。途端に鼻を突く匂いがあった。見知らぬ家のようにかたづけられた空間一杯に、線香の匂いがこもっているのだ。
 ゆっくりと板の間を踏み、茶の間へ入った。ふすまは外され、母の眠る奥の間は丸見えだった。
 布団の位置が変わっている。白布をかぶって眠り続ける母の枕元には小さな机があった。机の上には仏壇の線香立てが移され、細い煙が立ち上っている。母の体の向こうにある縁側には、箪笥や本棚が運び込まれていた。
「もっと押せ」と指図をしているのは祖父である。箪笥に手をかけ力んでいるのは会社にいっているはずの叔父二人だった。
 雑布(*雑巾)がけをしている祖母が顔を上げた。手を止めて立ち上がる。小走りに近づいてくる祖母の手の雑布からしずくが落ちた。
「坊や、おとなしくするんだよ。お母ちゃんが死んだんだよ」
 尻から体が落ち、リュックサックを背負った背中が畳を打った。
「お母ちゃーん!」
 言葉が喉をかきむしり、涙が目から突き上がる。大の字になり、両手、両手が畳を叩いた。
「坊や、泣くんじゃないよ。泣けばサーカスにさらわれてしまうからね」
 孫をなだめるいつもの言葉だった。
「泣け! うんと泣け! もっと泣け!」
 祖父の声が鼓膜をふるわせ、鞭のように悲しみをあやしていった。まどろみの中で尻をいじめるようになったのは、それから間もなくのことである。
 たくさんのものをいじめ、たくさんのものにいじめられてきた。まるでそのことが生の確認であるかのように……
 まどろみの中で陰茎をいじめはじめる。指は膣。女の顔はまだ浮かばない。
 指の動きに呼ばれながら顔が現われてくる。輪郭はまだない。人魂のようにゆれながら唇が近づいてきた。唇の右上の小さなほくろ。一度だけ寝てしまったあの女だ。あしかけ三十三年の遠い昔のことである。
 あっちへいけ。母親の三十三回忌もしなかった男が、今更何で、別れた女との三十三回忌をしなければならないのだ。
 いないのか? もっと新しい女は、一人もいないのか?
「いるよ、先生」
 ろうそくのように声が灯る。淡い光の中に顔が浮かび上がった。艶のない髪がもつれ合いながら肩の上に広がっている。大きな目がうるみ、涙が頬をつたわっていた。
「かわいそうに、かわいそうに。誰にいじめられたの?」
 言葉をかけて抱きしめると歯から笑った。小学三年生のあどけない笑いである。サチコは今日、学校にくるのだろうか?
 目覚ましが鳴った。隣室からはテレビの声が聞こえ、流しの水が音をたてていた。隣の布団はとっくに空っぽになり、妻は昨夜の食器を洗っているのだ。共稼ぎの妻の組んだプログラムである。
 陰茎をにぎった手をほどき、その手で目覚ましのベルを止めた。土曜日まで、あと三日なのだ。土曜の夜は妻の体を相手にしなければならない。それもまた妻の組んだプログラムではあったが、その夜のために体の力を蓄えておこう。
 まどろみをさえぎるように眼鏡をかけた。眼鏡をかけて見えるこの世も、まどろみなしには生き難い。だが、なぜか人は顔を洗い、歯を磨き、櫛を使って、覚めたふりをしなければならないのだ。
 起こしたばかりの上半身を布団に向かって引っぱろうとする力がある。
 ゴキッ!
 骨の外れるような痛みを残して、自分が二つに割れていく。振り返ると、眼鏡を外したもう一人の自分が枕に頭をのせていた。
「サチコと、やりたい」
 枕の上の顔がささやいている。手をのばし、二人目の自分のパジャマのすそを引っぱるのだ。
 手を払い、膝をのばして立ち上がった。ふすまを開ける。三日後のプログラムに囚われた二人目の手である。三日後どころか、とりあえずこなさなければならないのは三十五分間の朝のプログラムだった。
「おはよう」
 妻に言いながら、後ろ手でふすまを閉めた。プログラムの邪魔をする寝床の中の一人目は、閉じ込めてしまわなければならない。
 寝室に面したベランダの日の光がさえぎられ、今は蛍光灯の光だけになった。
「暗いわ」と、妻は台所で背中を向けたまま言った。三本の蛍光管の内、光っているのは二本だけだ。
 蛍光灯の紐をカチャカチャ引くと、三本全部の光がきた。
「節約してたのに」と妻は言うが、ふすまも開けず、紐にも手をかけない彼女である。それは、妻の朝のプログラムには入っていない。 トイレに入り、便器のふたを持ち上げた。一日のはじまりを鼓舞するように小便が便器の水を激しく打つ。硬い陰茎がしぼんでいった。一日のはじまりは、そんなふうに物悲しい。
 電話台のかたわらの椅子の上にパジャマを脱ぎ捨てる。下に隠れるのは、昨夜脱ぎ捨てたズボンとシャツ、背広に靴下である。パジャマの下から一つずつ引き抜いて仕度をはじめる。
「靴下とシャツ、取り替えて」と、妻は食パンにジャムを塗りながら言った。
「これでいいよ」
「たまにネクタイぐらいしてったらいいのに」
「今日は体育朝会だから、この方がいいんだ。上着を脱ぐだけで格好つくだろう」
 襟の汚れたチェックのシャツのボタンをはめ、ズボンのベルトを締める。汚れでこわばった靴下の底は、天地の見分けがすぐについてはきやすい。いくら何でも、背広は顔を洗ってからだ。
 ドアの裏側の新聞受けから朝刊を取り出す。ソファーに座り、膝の向こうの食卓からジャムの塗られた食パンを取った。
 食パン一切れをのせていた皿には、栄養剤が三粒残っている。色と大きさの違う粒だ。コップには牛乳。殻から外れた卵を入れて小鉢が一つ――これが二十数年、一品も変わらずに繰り返されてきた朝食のすべてなのだ。妻の手抜きのせいではない。夫の胃袋に合わせると、これより他に方法はなかった。世の仕組みに合わせてしまった夫のストレスは、とっくの昔に胃袋にきている。食卓の隅におかれた薬袋の中味は、就寝前に飲む胃潰瘍の薬だった。
 左の手で食パンを持ち、右の手で新聞をめくる。拾い読むのは見出しだけだ。老眼の進んだ目に、かけている近眼境は役にたたない。役にたっても、見出し以外に目を通す時間のゆとりなどありはしなかった。
 テレビが鳴り続けている。画像の隅の白い数字は7:17になっていた。栄養剤を牛乳で流し込み食事が終わる。予定通りだ。プログラムは後十八分で消化である。
 灰皿のまわりに目をやる。マイルドセブンの袋はなかった。食卓の下に押し込んだ鞄のチャックを開けてみると、手つかずの袋が一つ入っていた。封を切り、口にくわえた一本に、百円ライターの炎を近づける。
 ゆっくりと吸い、ゆっくりと吐く。無念無想。煙は深山の霧となり、火は遠い漁火となる――そうあって欲しいのだが、時間に追われる人間には、その吸い方がどうしてもできない。吸っては吐き、吐いては吸い、ただガツガツと飲み続ける。
 灰皿に煙草をこすりつける手が乱れ、食卓の上に火が散った。気にも留めず、ズボンのポケットから取り出したのはティッシュの袋だ。昨日の夕方、駅の外でもらったものである。サラ金の広告入りの袋だが、今のところ世話にならずに生きている。
 ¥16743813
 二年前、これだけの金が自分の預金に入ってしまった。二十五年働き続けた北海道では家一軒が楽に建つ。だが、この東京では、家を持つには一桁足りない額なのだ。仕方がないから月に¥160000の家賃を払い、3LDKのマンションに住んでいる。
 小学校のセンセイを五十三歳で辞めてしまった男の退職金は場所を変えると値打ちも変わってしまうが、それでもここはこの世である。金はあるに越したことはなかった。癪なことだが、預金通帳は心の支えなのだ。
 小学校のセンセイをまたやってしまったのも癪の一つだ。テレビ映画のエキストラを三日やり、大井競馬場のガードマンを一日やり、新聞屋の事務を六ヵ月やった果てである。郷愁にかられて応募した産休代替教員の名簿登録がすんだその翌日に、今の学校から電話があった。一年勤め、産休のセンセイが出てくるころ、同じ学校の違うセンセイが産休に入り、二年目の勤めになったのだ……
 洟をかみ、屑籠にほうり込む。鼻汁程度を抜いただけで体は軽くなってくれない。重い体で洗面所に向かい、歯を磨いた。
 入れ歯をしている妻ほどではないが、歯のほとんどに神経はない。金属がつめ込まれたり、模造の歯をくっつけたりの年齢相応の口の中だ。この間、北海道では六つの小学校に勤め、そのたびに引っ越しをし、医者を代えなければならなかった。六人の歯医者の苦心の合作で今の歯は出来上がったのだ。
 七人目は、東京の歯医者だった。新聞屋で働いていたころ、その近くのビルにあった歯医者を利用したのだ。口を開けるなり、「ワー、ひどい歯だなァ。どこで治療したんですか?」と言われてしまう。
「北海道です」
「ウーン、北海道方式かァ。このやり方はひどい。泥縄ですよ」
 北海道を飛び出してきた人間なのに、その時ばかりは、北海道をなじる男が憎らしくてならなかった。
 大東京の歯医者センセイは、その日、歯もいじらずに、ドイツ製の歯ブラシのケースの封を切って言った。
「今日は、ブラッシングの勉強をします」
 まずは歯ブラシで磨かされる。次に錠剤を噛み砕き、口の中に舌で広げる。うがいをして手鏡に映すと歯は真っ赤に染まっていた。染まるのは歯垢がついているからで磨き方が不充分なのだという。懇々と説諭され、使った歯ブラシを千円払って買わされたのだ。そういう押し売りは北海道方式にはなかった。
 予防医学か。百まで生きて、硬く真っ白な自分の歯でバリバリ何を噛むというのだ。噛まなければならないのは、押し売り、押しつけのこの世の中ではないだろうか……
 千円の歯ブラシを水ですすぎ、コップに立てる。歯医者が満足するような磨き方など、やれる時間は元々ない。
 洗面台にタオルをほうり込み、今度は顔を拭く番だ。洗うのではない。拭き面である。時間のためというよりも、これは少年時代の育ちが作った習癖なのだ。
 浅い水にタオルをひたして軽くしぼる。きつくしぼるほどの水は含んでいない。渇水期ならば水道局の表彰ものだ。
 拭いた顔を電気カミソリでこすり、櫛を数回髪に入れると、洗面所に出る。再びトイレだ。今度は尻をむき出して便器に座る。肛門につたわるウンコの力は細く、すぐにとぎれて終わってしまった。まだ体内に残るウンコの重みが肛門の内側をなでている。力んでみたが応えはなかった。
 尻を拭き、思いきりよく立ち上がる。水の中に沈むウンコは小指ほどの太さだった。けばだちを見せ、至るところでくびれている。辛うじて一本につながるそのウンコは、今にもバラバラに崩れそうだった。
 ハンドルを動かすと、水は渦巻き、ウンコを飲んで落ちていく。例えそれが、太く、艶やかなウンコであっても、所詮は砕かれ、処理をされてしまうのだ。ウンコの姿そのままで、化石を残すことはもうできない。
 ウンコ石と出会ったのは五年前、娘が専門学校に入るために上京し、息子が中学二年になった春だった。胃潰瘍の注射をしてもらうために毎日学校を早引きし、バスに乗って町に出かけていた時だ。勤める学校は変わったばかりだった。そのための気苦労ばかりか、息子が登校拒否をするという出来事も重なり、慢性の胃潰瘍を悪化させてしまったのだ。だが、その日の気分は爽快だった。息子の問題は二日前に解決したのだ。
 病院を出ると、軽い足取りで本屋に寄る。立ち読みの本を選ぼうと、まずは雑誌のコーナーに立った。
 真っ先に目についたのは『再現! 古代人の智恵と生活』という文字だった。真っ先だったのは田舎町の本屋のせいである。本の数が少なかった。二ヵ月間、病院の帰り、バスの時間を待つために寄り続けた人間には、どこに何があるのか頭の中に入っている。頭の棚とは違っている新しい本はすぐに目につくはずだった。
 はじめのページを開くとカラー写真がのっていた。牛の面のような形をしているが、それは膝の塗りが残っている櫛だった。
 ページをめくるとカラー写真は続き、土の中から掘り出された日常がどんどん現われてくる。狩猟の弓、石斧の柄、土の器、木の皿、丸木舟――
『化石』という文字と一緒の写真もあった。体を縦に貫いて産み落される人間の分身、ウンコの形と色そのものだ。矢尻のように尖ったもの、眠りのように円やかなもの、祈りのように屈折したものなど、たくさんの化石が並んでいる。説明の文字は白抜きで小さく、読みにくかった。
 眼鏡を額に押し上げ、目を文字に近づける。『糞の化石(鳥浜貝塚)。縄文人の食生活や周囲の環境が再現できる貴重な出土品』
 眼鏡を鼻に戻しウンコ石を見直すと、はじめて眼鏡をかけた日のようにあざやかだった。裏表紙の値段を確かめると千円である。その十倍の値段でも、おそらく買っていただろう。雑誌をつかみ、まっすぐにレジへ向かった。
 ドアを押して外へ出ると、一方通行の自動車が目の前を走っていく。だが、どうしたことだろう。耳には一つの音もなく、あたりはひっそりと静まり返っているのだ。子どもたちの自転車が通り抜け、買い物袋を下げた人たちのサンダルがすれ違い、スーパーの店先では掌でメガホンを作っている店員がいるのに、すべての音は遠のき、人や車や建物も音と一緒に小さくなっていた。心がふくらみ、体がふくらみ、ふくらみの中でウンコ石が輝くのだ。時間の境も、空間の境もない。境に苦しめられたこの二ヵ月が嘘のようだった。N町とS町という二つの町の境のために、息子の問題はもつれたのだ。
 N町の小学校には六年勤めた。六年勤めた者は転勤をしなければならないというきまりのために隣町のS町の小学校に転勤させられたのだが、それは息子の転校を意味するものでもあった。
 教員住宅は、それぞれの町の所有である。S町のセンセイになったということは、N町の教員住宅を出なければならないということなのだ。便利な所に自分の家を建て、自家用車で通勤するセンセイもいたが、そういう時代の流れにのってしまう変わり身の早さは持ち合わせていなかった。
 転校した息子の登校拒否は、始業式の次の日から始まった。下痢という形だった。くる日もくる日も下痢が続き、嘔吐も加わった。バスで通わせるから元の中学校に戻してもらいたいと、妻は転校先の校長に掛け合いにいった。
「奥さん、それは息子さんのわがままというもんではないでしょうか。わがままですよ。そういうわがままを許しては、息子さんの将来のためにならないと思いますよ。御主人も見識のある先生でしょう? もう一度よく息子さんに言い聞かせてやってください。そうすべきですよ。甘やかしてはなりません」
 校長は腕を組みながら妻に言った。
 元の中学の校長、そして二つの町の教育長と、妻は足を運び続け、ようやく区域外就学の許可をもらったのだ。息子は二ヵ月ぶりにN中学へ通いはじめている。
 本屋を出た足は、いつの間にか国道の二つの町の境に向かって歩きはじめていた。
 バスの停留所に立ち止まり、N町いきの時刻表を眺めてみる。時間はまだまだ先だった。一日にたった十三本のバスである。勤め先からそこまで出てくるには、もっと少ない十一本のバスだった。そのバスを乗り継ぎ、息子は二年間も通い続けてくれるのだろうか。そんなことを思うと、道のまわりから家々がのしかかってくるのだ。
 バスをあきらめ、歩き続けた。停留所が三つ過ぎる。家並みが切れ、海が左手に現われてきた。右手前方は丘になって盛り上がる。
 白い標識が見えてきた。標識の青い文字が大きくなってくる。『N町』という町名が読みとれた。標識の足元には小川があり、小川は暗渠となって道の下を横切っていた。境はこれなのだ。
 車が風を残して通り過ぎていく。風を避けて草むらに体を入れた。フキの匂いが鼻に染みる。
 暗渠の入り口へ向かって足を下げながら、ヨモギをつかんで体を支えた。ヨモギの汁が掌を染める。
 砂浜へ飛び下り、暗渠の中をのぞいてみる。汚れたコンクリートを支えて、鉄骨が錆びた姿をむき出していた。水の流れはひどく細い。
 流れのまわりの石を踏みながら、暗渠の中へもぐり込んだ。車の音が体を潰すように響く。耳をふさいで通り抜け、丘の下に体が出た。
 丘は二つに分かれている。二つに割って丘の間を流れる小川には、コンクリートの水門が架けられていた。ここ数年、大雨のたびに何度も崩れ、国道をふさいでしまう丘である。『治山激甚対策特別緊急事業』という文字が水門にはめ込まれたプレートに記されていた。崩れてくる丘が境を埋めないように、コンクリートの水門は両手を突っ張って支えているのだ。
 丘は緑の芝草でおおわれている。潮風になびき、芝草はやわらかに音楽を奏でていた。
 登りはじめた足が滑り、あわてて両手で芝草をつかむ。つかんだ芝草の間から見えるものがあった。太い金網である。足を滑らせたものは、その金網だったのだ。
 丘の斜面に這いつくばり、四方の芝草をつかんでみる。どこをつかんでも、下から現われてくるのは金網だった。金網が丘一面を押さえ込み、水門と同じように境を守っているのである。そのトリックを緑の芝草で隠しながら……
 ウンコの重みが相変わらず肛門の内側にたまっている。もう一度、便器に座ってみた。ウンコの動きはない。あきらめて立ち上がり、出した尻を隠そうとした。
 ゴキッ!
 痛みが走り、自分が一人、また外れていった。
 便器に座り続けているのは、寝床に一人目を外してきた二人目の自分である。ウンコをあきらめて立ち上がった三人目の腰に、後ろから手をまわして離さないのだ。
 まわした手を払うように両ひじを張る。ズボン、ステテコ、ブリーフの三つを一気に引き上げた。あおりを食らってひっくり返る二人目を置き放して、トイレのドアを肩で閉める。
 ズボンの腰を押さえ、居間に戻った。チャックを上げ、ベルトを締め直し、背広を着ると、出勤前のプログラムは終わりである。
 テレビの数字は7:35だ。ぴったりの時間である。鞄を持って、出がけの挨拶をつぶやいた。
「アーア、朝から疲れてるよ」
「いってらっしゃい」
 レンジであたためた昨夜の飯を弁当箱につめながら、妻は笑った。妻の弁当だ。夫には給食がある。一時間後に妻はその弁当と共に会社に出かけ、その三十分後には娘が起きてくるのだ。減食中の娘は朝食もとらず、昼食のおにぎり一つをバッグに入れて会社に出かける。レンジで化けた飯に妻はもうおにぎりの形を与え、サランラップにくるんだ姿で置いてある。
 息子が起きてくるのは、昼過ぎのはずだ。定時制高校に出かける夕方まで、家の中で一人で時をつぶしている。
 玄関のスイッチをつけた。脱ぎ捨てた靴やサンダルが狭い面積を占めている。足の裏で引きずり寄せ、爪先を突っ込んだ。靴の後ろを指で引っ張り、足にはめ込む。
 スイッチを消し、分厚い鉄のドアを押した。
 ゴキッ!
 ドアに背をつけ立ちはだかっているのは、トイレに二人目を外してきた三人目の自分である。体をあずけて彼を押すのは、外れたばかりの四人目だった。
 外に向かってドアが開き、三人目が尻餅をつく。鞄を奪い取ろうとする手が下からのびてきた。勢いよくドアを閉めると、潰れた指の音が背後でした。
 足の下には土の色が続いている。色だけ真似たリノリウムの廊下である。蛍光灯の光を受けて、廊下は水を打ったように輝いていた。
 エレベーターの扉のかたわらの数字に目をやる。ランプをつけて動かないのは一番上の数字、11だった。下から二番目の場所から、わざわざ呼んではいられない。
 階段を下りる。ガラスのドアの外には森があった。丘の上だ。鳥がさえずり、木々の間からは川の流れが細く光る。はるか昔の風景である。森はビル。鳥のさえずりに代わるものは、けたたましい車の響きだった。坂の下への見通しはなく、川はコンクリートに閉じ込められ下水道になっているのだ。尾根づたいの春日通りを気ぜわしく歩いているのは、出勤途上の東京人だ。
 テンポの遅れた足がある。皮靴の先が後ろからぶつかり、つんのめった足は、めずらしいことに下駄をはいていた。
 脱げた下駄が宙に飛び、膝と手を突き体が倒れる。目もくれず、靴底が音をたてて通り過ぎた。
 着流しの着物の汚れを手が払う。血の色はなく、ドーランを総身に塗った舞踏のように不気味な白色を見せていた。そびえた顔も白く浮き、頭には、何とチョン髷がのっている。
 白い顔は、一つではなかった。顔の上の頭髪は、丸髷もあれば、ザンバラ髪もある。藁草履をはく白い足もあれば、はだしのままの白い足も歩いている。獣の皮をまとった白い体、長いたもとからのぞく白い手――あらゆる時代の亡者たちが、舞踏のようにゆれているのだ。
 歩道をのさばる東京人にぶつけられ、一人の亡者がまた倒れる。この世とあの世は重なっているのに、二つの動きは合わないのだ。
 合わせて歩く。亡者をいたわり、ゆっくりと歩く。森の緑がよみがえり、赤子のようにはだかになりたい。
 鞄を捨て、靴を脱ぐ。何もかも脱ぎ捨てて、草の上を転げまわる。転げまわってしゃがんでみる。しゃがんだ尻を草がくすぐり、尻が力んで草に応える。生きる匂いをたち込めながら、尻の下でウンコが渦を巻く。
 緑が点滅した。森の緑ではない。信号の緑だ。この世のしきたりに目をしばたたき、足が動きを速めようとする。
 ゴキッ!
 玄関に三人目を外してきた四人目の自分の手が、外れたばかりの五人目の足首にしがみつく。
 後ろに足を蹴り上げてやった。靴底が鼻を打ち、手が離れる。倒れた自分を背中で見捨てて、横断歩道を渡りきった。
 坂を下っていくと、いつもの場所で、いつもの出会いがある。右の肩を疲れたように下げて歩く白髪の男とすれ違うのは、平成湯の前だ。ついこの間まで昭和湯というのれんを下げていた銭湯は、しばらくの休業の後、平成湯と名を変え、広告塔を店の前におっ立てた。遠赤外線サウナ、ジェットバス、天然岩風呂、ミクロバイブラ、電気風呂――文字を並べたてた広告塔の下を、男は相変わらずの肩で通り過ぎる。
 胸を張り、靴音を響かせ、脂ぎった額を見せて別な男がすれ違うのは、このごろ建ったオフィスビルの前である。首一つ高い男の威圧にねたましい横目を送ると、坂の下の大塚駅は近い。
 人の姿が増え、いつもの夫婦の背中が見えた。妻の右の足首は内側に曲がり、右手の杖が足首を助けながらゆっくりと動く。妻に合わせて並んでいく夫との間に、せせらぎのような会話が今日も聞こえた。せせらぎには目もくれず、人は二人を追い越していく。
 駅前広場が目に広がる。都電の窓が朝の光を反射しながら横切っていた。その向こうの高架線の電車の窓がこだまのように光をはじく。ビルの窓も光のこだまだ。路上に落ちるビルの長い影の重なりは、幾重にも陰影を作りながら、降り注ぐ光を際立たせていく。光の中の人の影は、魚影のようにあざやかに路上を泳いでいた。
 思わず足を止め、あたりを見まわす。雲一つない空だった。空につながるビルの間から、のけぞるほどの力を込めて太陽が目を打つ。太陽は、差別をしない。どんな土地の、どんなものにも、分けへだてなく光を注いでくれる。
 それがどうした。あの日の、あの太陽は何だったのだ――
 数ヵ月前の冬の休日、慥柄(たしから)將(*将)監の墓をたずねた。『東京都の歴史散歩』という本を拾い読みして、たまたま知った墓の存在である。
 慥柄將監は江戸幕府の船手頭を務めた人間であり、伊勢の慥柄という村に祖先が関わっていた。自分と同じ姓の歴史上の人物がいたことを知ったのは、十年ほど前、自分の家系を調べはじめてからのことであったが、自分の姓と同じ土地があることを知っていたのは子どものころからである。
 母が死んだ翌年、一緒に住んでいた叔父の一人も母と同じ結核で死に、その二年後には祖父が胃から血を吐いて死んだ。そして同じ年に、もう一人の叔父が、これも結核で死んでしまい、祖母と二人きりになってしまう。仏壇の引き出しにしまわれていた家系図は、慥柄家の歴史をテテナシゴに教えてくれたのだ。
 家系図は、慥柄喜兵衛からはじまる。『生国勢州慥柄 朋連院生誉乗蓮居士 寛延三庚午年八月二十七日 行年七十二才 墓提(*菩提)所浄土宗大畑宝国寺ニ葬ル』という文字が記されているが、大畑というのは、下北半島の大畑町のことだ。その長男は喜兵衛の名を継ぎ、二代目喜兵衛の跡を継ぐのは、その孫の池田伝蔵である。二代目喜兵衛の娘、サンが、池田新三郎という男との間に産んだ子どもだった。サンには五人の兄弟がいたが、長兄は出家をし、他の四人は早逝をしてしまったのだ。
 慥柄家の養子になった伝蔵の長男は伝蔵の名を継ぐが、ここでやってきたのが明治維新である。木材の積み出しでにぎわっていた下北半島の森林のほとんどは、明治新政府の創る大日本帝国国有林となり、自由な伐採ができなくなってしまうのだ。宝国寺の檀家の一人であった笹沢魯羊の『大畑町史』には『北海道え移住する者があり、離村者続出して耕地は荒廃し、方々に空家が出たが購う者がなく腐朽するに任して、毀ちて薪に焚いた時代である』と、そのころのことが書かれてある。二人目の伝蔵も、こうして北海道へ移住するのである。
 長男の泰蔵は、北海道へはいかなかった。いったのは、新帝都東京である。独学で数学を学んでいた泰蔵は、中村敬宇の同人社のセンセイとなるのだ。明治のベストセラー『西国立志編』の訳者が開いた塾である。
 立志、立志で都を目指した泰蔵が東京にいた時間は短かった。官学出身という箔もない泰蔵である。京都、鳥取、鹿児島、栃木と中学校の職員室を渡り歩き、最後の土地、栃木で天寿を全うしてしまうのである。
 泰蔵には、妻はいたが、子どもはいなかった。養子になったのは、妹のキチの息子、永太郎である。十一歳の永太郎は網走の祖父母、伝蔵夫妻から離れて、鹿児島の造士館中学のセンセイをしていた泰蔵のもとに引き取られたのだ。
 永太郎が母のキチと暮らした期間は短い。新政府に追われて下北に移住した会津藩士とのあやまちで産んだ永太郎を預けて、キチは他家に嫁いでしまったからだ。
 造士館中学を卒業した永太郎は、養父泰蔵の立志の夢を引き継いで東京に出る。あこがれの官学、第一高等学校に入学したのだ。
 一年たち、泰蔵は病のために造士館を退職した。網走の漁業店の支配人をしていた泰蔵の弟は代わって学費を出そうとするが、その申し出を断わって永太郎は北海道へ舞い戻ってしまう。文学に取りつかれはじめたころだ。根室、凾館、札幌と居を変えて働くうちに、夫となり、父となった永太郎だが、立志の夢は滅びなかった。上京し、退職金で二つの詩集を出版。反響はなく、残りの人生はただの燃え滓となってしまった。
 その長男は三比古。結核のため、姉を追って死んだ一人である。三比古に代わって慥柄家の当主に納まっているのが、姉の産んだテテナシゴというわけである。万世一系という言葉があるが、そんなにうまくいくものかどうか。わずか八代の歴史の中に、他家のタネが三人もまじっているのだ。
 家系図のはじめの男、喜兵衛の父母と祖父母を記した紙もある。
『運誉見心信士 俗名慥柄治左衛門 江戸ノ産 元禄十三辰七月二十二日卒』と書かれているのは、喜兵衛の父である。
 祖父のことは、こうである。
『伝誉法山信士 俗名慥柄六右衛門 万治二亥四月十八日 勢州慥柄浦ノ産 江戸ニテ卒』
 立志の帆をはためかせ、田舎を捨てた人間が、ここにも一人いたわけだ。
 同じ慥柄浦に祖先を持つ船出頭が開基したという寺は、隅田川の下流近くにあった。コンクリートの本堂を、コンクリートの塀が囲み、墓地は表から見ることができない。
 白い陶板の表札が塀の表に光っていた。『慥柄』という文字である。賃貸マンションのドアのかたわらに差し込んだマジック書きの『慥柄』とは、品性の違う文字だった。
 思いきって門から入る。足の動きは忍び足だ。忍び足にさせてしまうコンクリートの警護である。
 本堂に庫裏がつながり、二つの間に、地下へ掘り下げた通路がある。通路もまたトンネルのようにコンクリートで固められていた。
 忍び足に、早足が加わる。二度曲がると、突き当たりにたくさんの手桶が見えた。右手から日の光がなだれ込み、墓石のつらなりが呼んでいる。階段をはね上がり、墓地を見まわした。
 トンネルの中から、追手のような足音がする。下駄の音だ。墨染めの衣をまとった坊さんの顔が、眉間に皺を寄せている。
「何か?」と、坊さんの言葉はひどい節約だ。
「あっ、アノー、こちらに慥柄将監のお墓があるっていうんで、きてみたんです」と答えながら、手はコートのポケットを探っていた。歴史散歩の小さな本を、そこに突っ込んできたのである。刑事には、証拠の品を見せなければならない。「この本に書いてあったんです」と、歴史散歩をつかんで示した。
「そこ、そこ」と、坊さんは墓地の隅を指で教えた。蠅を払うような手の動きである。
 目をやると、背の高い石が建っている。刻んだ文字は磨り減り、読みとれる距離ではなかった。
 下駄の音が遠ざかっていく。何か? そこ、そこ。何か? そこ、そこ――坊さんの投げつけた言葉が頭の中を打ち続け、墓石に近づくことを拒んでいた。
 墓地の土を強く踏み、コンクリートの通路に飛び込む。靴の底を叩きつけ、大きなまたで引き返した。坊さんの背中が近づく。振り返った坊さんをにらみつけ、門を出ると、そのままの勢いで歩き続けた。
 何か? そこ、そこ。何か? そこ、そこ――足の運びは、言葉にピッタリだ。東京人の忙しい動きである。

(続く)


編者注記(東條)
表記はすべて原稿通りのままとしました。表記ミスと思われるものについては(*)で注釈しました。
校正協力・ガザミ

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