用意、ドン!

向井 豊昭


 ピストルの音が祭りのように響く。事件ではない。運動会だ。

「祭りのように」という言い方は陳腐なのかもしれない。ここは東京の小学校の校庭――孫は幼稚園に入ったばかりだ。おまけに幼稚園は札幌なのである。縁もゆかりもない小学校の校庭にボクが入ってしまったのは、散歩の途中、ピストルの音についつられてのことだったが、七十一歳の老人には、祭りのように華やかなものはもう残っていない。頭上に張られたロープには沢山の旗がひらめき、祭りモードではあるのだが、この旗、よく見ると、万国旗ではなかった。クレヨンや絵の具で塗りたてられた紙の旗には、恐龍もいれば、アンパンマンもいた。機関車トーマスもいれば、キティちゃんもいる。子どもたちの手作りなのだろうが、祭りとは伝統的なもののはずだ。どこの小学校にもあるはずの伝統的な万国旗を倉庫に押し込め、手作りの旗で新しがってみたものの、国旗掲揚塔には日の丸の旗がひらめき、コアは少しも新しくないのである。
 おお、日の神、天照大御神よ! 日出ずる国、日の本、日本の象徴であられまする天皇の祖よ! ここはやはり、神を崇める祭りの場なのだ。
 癪だ。あの日の丸を引きずり下ろすことができない、ニセ無神論者の自分が癪だ。せめて、「祭りのように」という言い方だけは引きずり下ろしてしまおう。

 ピストルの音が響く。事件ではない。運動会だ。

「事件ではない」? 運動会のピストルだから平和なのだとでも言うのだろうか?
 運動会のピストルで、連れ合いの不二子が左耳の鼓膜を破ってしまったのは、もう四十年も前のことになる。北海道の小学校でボクが教員をやっていた時のことである。全校児童が十数人という学校だった。校長とヒラ教員が二人――二人の内の若い方のヒラ教員がボクだったのである。
 不二子は、学校のすぐそばの村の集会所を使った季節保育園の園長をやっていた。玄関に近い花壇には、丸太にクロスして打ちつけられた板の看板が立ち、「やまびこほいくえん」という子どもの躍動を思わせるような富美子(ママ)の墨書があった。板と丸太のクロスは、十字架のような毅然とした直角ではない。山また山に取り囲まれた村の風景に小首を傾げるように、板はやや斜めに打ちつけられていた。
 小学校の運動会は、村の祭りのようなものである。万国旗のはためく下、老若男女が顔をそろえ、競技にも参加するのだ。昼ともなれば、茣蓙の上の重箱を開き、男たちは酒を酌み交わす。古びた国旗掲揚塔には旗一つ揚がらず、学校も村も愛国心の育成などというものには無頓着であったが、国家を支える小さな村の共同体には揺らぎがなかった。
 不二子が鼓膜を破ったのは、保育園の子どもたちの幼児競争の時だった。まだおむつの取れない子どもたちも混じっている。おむつ組は、親と手をつないで走ることになっていた。自力で走る非おむつ組が一番目、おむつ組は二番目とし、非おむつ組が走っている間に、おむつ組を親に並べてもらうという時間の効率を考えたのは、園長センセイである不二子だった。それがどうしたと笑うのは簡単だが、ここ東京の小学校の校庭で、目の前の徒競走を描く言葉をいじくっているボクのこだわりも園長センセイと似たようなものである。

「用意」
 ドン!

 天幕の前の直線コースを走っていくのは、東京の小学生だった。幼児競争の思い出は頭の中では重なっているのに、目の前では重なっていない。あれはあれ、これはこれ。この沢山のニンゲンの中で、あれを重ねようとしているのはボク一人なのだ。数ではとてもかなわない。かなわないということがボクを苦笑させる。苦くても酸っぱくても、笑いは笑いだ。笑う門には福来る。そう信じて、ボクは笑いの小説を書き続けてきたのだが、結果は苦笑の連続と言っていい。が、ボクはびくともしない。それがジンセイというものなのだ。

「用意」
 ドン!

 非おむつ組のピストルが鳴った時、ボクは次のプログラムの小学生の遊戯の列を座らせて、離れた場所で待機していた。
「あっ!」
 座っていた子どもたちが一斉に立ち上がる。両手に持っていた旗が揺れた。日の丸ではない。遊戯のテキストでは日の丸だったのだが、ボクは緑星旗に代えたのだ。
 白地には、緑の星が一つある。子どもたちに手作りさせたエスペラントの旗だった。そのころ、ボクはエスペラントに凝っていたのだ。
「おいおい、荒っぽくするなよ。やる前に、旗が破けちゃうぞ」
 スタートに背を向けていたボクには、そこで何があったのかは見えなかった。ただ、放送係をやっていた不二子の生きのいい声が、スピーカーから届かなくなっていることが気にはなった。
 子どもたちの何人かは走り出そうとしている。
「動くな! 座れ!」と、ボクは旗のようにはためく声で言った。緑星旗のはためきではなく、日の丸のはためきのようである。
 子どもたちの体が一斉に沈む。沈んだ体はボクを見上げ、口々に言った。
「おばさんが撃たれたんだよ!」
「ピストル、ピストル!」
「耳のところでね、ピストルの煙が上がったんだよ!」
 振り返ってみると、スタートの辺りでは人だかりがしている。
「ママーッ! ママーッ!」という泣き声が聞こえていた。人だかりのまわりで、息子は保育園のもう一人のセンセイに抱かれながら、身を反らして泣き叫んでいるのだ。放送係の不二子は、放送席を離れずに、若いそのセンセイにママ代わりとなってもらい、息子の手を引いて走ってもらうはずだった。
 不二子が後で語ったことによると、代役のセンセイの手を振りほどいて、息子はスタートラインでぐずったのだという。一緒に走らなければと、不二子は放送席を飛び出した。スターターの背後をまわり、スタートラインに近づこうとした時、非おむつ組のためのピストルは上がったのだ。スターターは、後ろから来た不二子に気づかなかった。不二子は不二子で、第二列のぐずる息子しか見ていなかった。
「用意」
 ドン!
 ピストルは、不二子の耳元で鳴った。耳のそばの髪の毛がチリチリと燃え、すさまじい耳鳴りが不二子の体を前のめりに倒す。耳をおおって膝を突く園長センセイに不審なまなざしを送りながら、第一列の非おむつ組は、それぞれのコースをきちんと守り走っていったそうである。日の丸のような、「用意、ドン!」の力である。
「センセイ、助けに行かなくていいの?」
 小学生の声が、ボクの体を押し出そうとする。ボクがここを離れたら、この列はたちまち乱れ、ボクを追いかけてくるだろう。
 滅私奉公!
 ボクは子どもたちに向き直り、唇を強く結んだ。
「あっ、立ったよ!」
「立った、立った!」
「センセイ、おばさん立ったよ!」
 滅私奉公の体は崩れ、ボクはスタートの方向に首を突き出していた。
 群がりはほどけ、不二子は息子の手を引いてスタートラインに歩いていく。幼児競争の再開なのだ。
 ピストルを持つ青年団長の右手が上がる。
「用意」
 ドン!
 おむつでふくらんだお尻を揺らし、子どもたちは、それぞれの母親に手を引かれながらゴールに向かっていった。
 保育園の席に息子を置くと、不二子は放送席へ戻った。
「次はプログラム10番、全校生徒による遊戯『緑の地球に緑の風』を御覧になっていただきます。子どもたちが手にする旗は、緑の星が真ん中に一つ。これはエスペラントのマークなのです。人類は一つ。理想の旗はひらひらと緑の風にたなびき、地球の一員である子どもたちは、樹木のように枝を張って踊ってくれるでしょう」
 ボクが書いたキザな原稿を、不二子はキザキザに読み上げる。原稿の言葉はもう終わりなのに、不二子の声は続いた。
「元気の良い、日高の山の子どもたち。踊る前から、わたしの不注意による耳鳴りも、緑の風にたなびいて飛んでいってしまいました。ご心配をおかけしまして、申し訳ありません」
 不二子のアドリブが村人の拍手を呼び、拍手が谺を呼んだ。稲妻に引き裂かれたかのような耳鳴りで、不二子は何も聞こえなかった。が、放送席に、代わって座れるような人は他にはいない。放送係をやり抜くしかないと、不二子は心を決めていた。滅私奉公は、どこにでもいるものなのだ。
 肩の力を抜こう。過剰な力は、人を惑わせる過剰な言葉を産む。運動会のピストルだから「事件ではない」と、断言できるものではないのだ。
 左耳の鼓膜が破れた不二子は、その後、その耳の慢性中耳炎に悩み、右耳一つでこの世の音と対応しなければならなくなった。負担がかかった右耳の感度は、歳月を経て弱りに弱り、不二子は自分の声を聞き取るのにさえ大声を出さなければならなくなる。学生時代、演劇部で鍛えたという声の持ち主であったが、その声はさらに張りのあるものとなったのである。
 東京に出てきてからのことだった。ある小劇場に、不二子と二人で出かけたことがある。出し物は、ベケットの『ゴドーを待ちながら』――役者も演出も名の知れたニンゲンで、入場料は小劇場としては破格の高額、一金五千円也というものだった。
 はじまってみると、科白の聞き取り難い舞台だった。ブツブツと、つぶやくように役者はしゃべる。
 演出の意図が、理解できないわけではなかった。多分、ゴドーを、声高な前衛劇としてではなく、日常そのものの低さとして現出させようとしたのだろう。
 低い声の言葉の意味を聞き取ろうとして、客は一心不乱に耳を傾けていた。が、目の前の舞台に、意味などはいらなかったのだ。この世の無意味を感じ取れば、もうそれでよかったはずなのだ。それだけのことに五千円を支払わなければならないこの世の仕組みに、ボクはいらだっていた。
 金勘定がからまってくるボクの思いを煽るように、不二子の声がした。
「科白、聞こえないんだけど」
 傍若無人、辺りに聞こえてしまうほどのお得意の声だ。煽られてはいられない。ボクは、自分の唇に人差し指を当てながら鎮火に努める。左側にいる不二子の耳に、ボクの口をホースのように近づけた。
 不二子の聞こえる方の耳は、ボクに近い側にある。二人のコミュニケーションのために、不二子は、いつもボクの左側にいるならわしとなっていたのだ。
「あんた一人じゃないよ。ボクにも聞こえないんだよ」
「エーッ」と、不二子の目が丸くなる。ボクは、また自分の唇に人差し指を当てなければならなかった。
 ボクの体を押しやるように声が響く。舞台の上のエストラゴンの声が変わったのでもなければ、ヴラジーミルの声が変わったのでもない。ボクの左側、不二子の口から発した言葉の勢いだった。
「聞こえない」
 傍若無人をはるかに上回るボリュームたっぷりのその言葉は、完全に役者を挑発するものだった。
 この国では、観劇の最中、BOOを発するなどという恐れ多いことは許されていない。舞台には、柳の木が一本立っているが、それは日の丸のひるがえる国旗掲揚塔の世を欺く姿なのだ。
 日の丸を信奉する観客たちの首が一斉に動き、非国民の姿を確認しようとする。ボクは首をすくめていた。
 エストラゴンとヴラジーミルは、びくともしない。相変わらずの声で科白を続けていくのだった。
『ゴドーを待ちながら』が真の前衛劇であるならば、ここで役者は台本から離れてしまうべきなのだ。「聞こえない」と言った声の方角に、二人そろってベロリと舌を出し、大きな声で、反吐を吐くような仕草を加えて言ってやるのはどうだろう?

エストラゴン あ〜、い〜、う〜、え〜、お〜。
ヴラジーミル か〜、き〜、く〜、け〜、こ〜。
エストラゴン さ〜、し〜、す〜、せ〜、そ〜。
ヴラジーミル た〜、ち〜、つ〜、て〜、と〜。
エストラゴン な〜、に〜、ぬ〜、ね〜、の〜。
ヴラジーミル は〜、ひ〜、ふ〜、へ〜、ほ〜。
エストラゴン ま〜、み〜、む〜、め〜、も〜。
ヴラジーミル や〜、ゆ〜、よ〜。
エストラゴン ら〜、り〜、る〜、れ〜、ろ〜。
ヴラジーミル わ〜、を〜。
ヴラジーミル エストラゴン ん〜。

 反吐を吐き終え、二人は手の甲で口を拭う。音節を吐き出してしまった二人は、もうつぶやくことさえできない。唇だけを動かしながら、即興的にパントマイムを演じていくのだ。これぞ真の前衛だと思うのだが、この劇は、もう前衛としての旬をとっくに過ぎてしまっているようだ。不二子のBOOなど意に介さず、前衛ぶったつぶやきで、役者はノーベル文学賞受賞作家サミュエル・ベケットの台本を演じていくのだった。
「チョー難しかったよね」
 芝居が終わった劇場の通路で、前を行く若い女が、腕を組み合う若い男にはしゃいだ声でしゃべっている。
「チョー難しくて、誰かさんみたいじゃん」と、男の声もはしゃいでいた。
 女は、組んでいた腕を振りほどく。後ろに続くボクの鼻の頭をかすめ、女の手は男の後頭部を軽く叩いた。
「イテッ」と、男はうれしそうに声を発した。女はもう腕を組み直している。ラブホテルにでも向かうのだろうか? 難解なニンゲン存在の謎を解こうと、二人は互いを探り合っていくのだろう。謎解きに飽きたボクと不二子は、腕も組めずに街の中に吐き出されていくのだった。

「用意」
 ドン!

 ボクたち二人は、真っすぐに駅へと向かう。もしかしたら、この世のもろもろは、「用意」と「ドン」で進行していくのかもしれない。
 不二子に愛の告白をした時は、どうだろう?
 そうだ。ボクは、療養所の図書室へ不二子を呼び出すという「用意」をした。
 二十歳を越えたばかりのボクと、まだ二十歳に満たない不二子は、青森市の郊外にある療養所で結核の療養をしながら詩を書いていた。患者たちの詩のサークルの雑誌を出すために、ガリ版の鑢に向かうのはボクの役目であり、不二子は毎号、表紙の原画を描いていたのだ。ガリ版印刷の作業場でもあり、合評会の場所でもあった図書室へ不二子を呼び出したとしても、不自然なことではない。詩のサークルの相談なのだろうと思って、やってきた不二子なのだ。
 約束の時間は、午後二時だった。安静時間の真っ最中なのだ。これも、もう一つの「用意」である。安静時間に図書室などにやってくる患者は、まあ、いないと言っていいだろう。
 二つの「用意」が仕組まれ、図書室には、一対の男女だけが向き合うことができた。いよいよ「ドン」の出番である。
「ドン」と、心臓が鳴った。「ドン」と、二つ目が鳴る。「ドン」と、三つ目がすぐに続いた。「用意」は二つだったのだから、「ドン」も二つで止めてもらいたい。
「ドン」「ドン」「ドン」「ドン」「ドン」と、「ドン」はきりがなく、ゴールはほど遠かった。走り出してさえいないのである。走り出すということは、愛の告白をしなければならないということであった。
「あのさ、ボグさ、あんだのごど、好ぎになってしまったんだ」
 単刀直入、使い慣れない標準語での五秒フラットの愛の告白である。百メートル競走ならば、断トツでオリンピックチャンピオンにもなってしまうタイムであるが、詩人を志す者の告白としては何ともお粗末な言葉であった。
 いいんだよ。レトリックなんかぶっ飛んでしまえ! ボクの言葉は、不二子に届いたのだ。

 ピストルの音が響く。運動会だ。

 五秒フラットの文になる。もっと削り、新記録を作りたいものだ。

「用意」
 ドン!

 二秒だ。これ、これしかない。間合いを入れても三秒か四秒なのだ。
「用意」と言葉が発せられ、エネルギーは体内に圧縮される。エネルギーを抱え込み、微動もしない肉体が臨介点のように破れる寸前、ドンは響き渡るのだ。
 定時制高校に学んでいたころ、ボクは陸上競技部に入っていた。

「用意」
 ドン!

 目の前を走る小学生たちのスタートは、一斉とはいかない。フライング気味の子どももいれば、逆に出遅れの子どももいた。小学生の時のボクは出遅れだった。家の近くには、百メートルコースのような長い橋があったのに――。
 橋の向こうには、ボクの家の田圃があった。学校に入る前、ボクは父や母の引くリヤカーに乗って、その橋を往復したものである。リヤカーと田圃の畦は、ボクの遊び場だった。
 往復の道は、ゴツゴツとした砂利道だった。上下動を繰り返しながらやってきたリヤカーは、コンクリートの橋にかかると急に動きが滑らかになる。歓声を出して喜ぶリヤカーのボクなのだった。
 ある日、ボクは一人で橋の近くまで行ったことがある。父と母はボクを祖母に預けて、朝からいなくなっていた。
 対岸では、煙が上がっている。炎も見えた。田圃の方角だった。ボクは下駄の音を響かせて、家に向かって走りだした。
「バッチャ! タンボ、モエル!」
 祖母に言うと、祖母は窓の外を確かめて笑った。
「燃えねって、あれァ、ゲンゾーさんが、空さ上っていく煙コだもん」
 対岸の川原には、野天の火葬場があったのだ。
 顔見知りのゲンゾーさんではあったが、ボクはその時、悲しくはなかった。田圃は無事なのだ。リヤカーに乗って、ボクはまた橋を渡ることができるのだ。
 渡してくれるはずの父は、陸軍二等兵として間もなく戦場へ駆り出された。働き手を失った母の肉体には負担がかかり、母は急死をしてしまう。
「リヤカー! リヤカー! リヤカ!」
 母の葬式の日、五歳のボクはひたすら同じ言葉を繰り返し、火葬場へつながる橋のたもとで泣き叫んだ。
 祖母の手が、ボクの手を引っ張った。ボクは体を揺さぶらせて振りほどこうとした。
「我(わら)ど家さ帰るべ」
 ボクの顔をのぞき込むしゃがんだ叔母の手は、胸の前で祈るように組まれている。ボクは首を縦に振った。
 小学校に入り、運動会で走らなければならなくなったボクの心の足に、橋の思い出はからみつく。橋のような直線コースを前にして、ボクはいつも出遅れるのだった。
 橋の向こうに中学校の校舎ができたのは、ボクが中学三年生の時だった。戦後の学制改革で、義務教育となった中学校の最初の一年生になったボクなのだが、校舎はなく、間借りをした小学校にそのまま通っていたのだ。
 小学校は橋の反対――東側にある村の中心部の東の外れにあった。中学校は村の西側――田圃の奥の林を伐ってでき上がる。
 葬式の日の出来事以来、ボクは橋を渡っていなかった。橋はボクのトラウマだった。その橋を渡って、ボクは中学校へ通わなければならなくなったのだ。
 始業式を前にした二月の末、ボクたち生徒は引っ越し作業に駆り出された。椅子を机に逆さに乗せ、それを抱えて、東の校舎から西の新校舎へ運び込もうという大作戦なのだ。
 橋が近づいてきた。ボクの家も近づいてくる。玄関の戸がガタガタと音をたて、ボクは足を急がせた。父の姿が現われるであろうその前に、通り過ぎてしまいたかったのだ。戦争から帰ってきてから、父は昼日中から酒を飲み、田圃は近くに住む叔母夫婦にまかせきりになっていた。父が玄関を出る時と言えば、酔っぱらった姿で玄関先に立小便をするためなのだ。まだ融けないで残っている軒下の雪の山は、立小便の銃撃を浴びて蜂の巣状の穴を開けていた。穴は赤錆のような色を見せていたが、それが父の心の色だったということに気づくためには、ボクはまだ子どもだった。
「ハハハハハ!」
「ハハハハハ!」
「ハハハハハ!」
 通り過ぎた我が家の前から、ボクを呼び止めるように友だちの笑い声が響いてきた。
「餓鬼! 何ァおかしいって!」
 酒でもつれた父の声が響いてくる。
「ワーッ!」と一斉に叫びながら、逃げ出した長靴の音がボクの背中に近づいてくる。それぞれの両手が抱えた机の上で椅子がはずみ、はずんだ音は呼吸のように乱れていた。
 友も父も拒絶して、ボクは走り出していた。橋はもう目の前だ。椅子も机もほうり出すことはできないが、そこを駈け抜けていくことは、ボクにとって、ほうり出すことなのだ。
 凍(しば)れのほどけた橋の雪を、長靴の底が蹴り上げる。しぶきとなって雪は跳ね上がり、ボクの長靴、ボクのズボンに食らいついた。
 ゴールテープの見えないコースを、ボクは懸命に走り続ける。机が何かに代わり、椅子が何かに代わっても、ボクはガタガタと音をたてながら、ゴールテープの見えないコースを走ってきたような気がする。

「用意」
 ドン!

 エスペラント語では、この二つを何と言うのだろう? 「用意」は、多分“preparo”だ。これは名詞。名詞の語尾には“o”がつくが、運動会の「用意」は動詞である。命令形なのだから、語尾は“u”に変化して“preparu”とならなければならない。
「ドン」はどうなる? 分からない。ボクのエスペラント語の力の程度を証明するようなものだが、この「ドン」、ボクが今でも持っている『和エス辞典』には載っていないのだ。
 エスペラント語というものをボクが初めて知ったのは、中学生になってからのことだった。国語の教科書に、その創始者であるラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフの伝記が載っていたからだ。世界を一つの言葉で結ぼうとした人という程度の内容が記憶にあるだけで、彼が、なぜそのようなことを目指したのかという肝心要のことは全く記憶にない。記憶にあるのは、一人の級友のことである。
 級友は、片足が不自由だった。野球でも、鬼ごっこでも、みんなは一緒に遊んだが、不自由な片足のために彼の体は大きく揺れた。
 伸一という名前だった。シンと呼ばれていたのだが、国語の教科書の伝記のおかげで、彼はルドヴィコと呼ばれるようになってしまったのだ。不自由な足の状態を表わす言葉に、ルドヴィコのヴィコは似通っていた。
 ラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフとの二度目の出合いは、それから二十年もたってからである。やまびこ保育園のある村の小学校にいた時だった。
 三岩(みついわ)という村だった。沙流川という大きな川の上流にあり。川のほとりに岩は聳えていたが、たった三つの岩だったわけではない。いや、一枚の屏風のように続いていたから、一岩と呼ぶべきだったのか? いやいや、右岸に一枚、左岸に一枚なのだから、合わせて二岩と呼ぶべきだったのか? いやいやいや、三岩の語源は岩の数にあったのではない。上流の集落の三菜頃(さんなころ)という地名の三と、下流の集落の岩内(いわない)という地名の岩を合わせて作ったものなのだ。何れもアイヌ語に語源を持ち、岩内は「イワ(岩)ナイ(川)」と、その通りの地形がアイヌ語に映し出されてくるのだが、三菜頃はそうはいかない。町史では、それは「鯨の骨」という意味だと述べている。そこが海だった証なのだとも述べているが、ジョン・バチラーの『アイヌ・英・和辞典』では、「サンナコロ」は「鯨の尾」となっているのだ。鯨はアイヌ語でフンペ、骨はポネ、尾はアッコチなのに、どうしてサンナコロには、フンペのフ、ポネのポ、アッコチのアも含まれていないのか? バチラーの辞典に噛みついて『アイヌ語入門』を書いた知里真志保は、そこまで明らかにしないまま死んでしまった。
 村の小学校の校章は、三つの岩を組み合わせたものだった。アイヌ語の語源が消えた小学校に、アイヌの子どもはいなかった。いたのかもしれない。三岩の三にサンナコロのサンを忍ばせ、三岩の岩にイワナイのイワを忍ばせるように、アイヌの血を忍ばせた子どもたちがいたのかもしれない。

「用意」
 ドン!

 アイヌの子どもたちへの差別と取り組む教育運動に向かって走り出したのは、三岩へ来る前の小学校にいた時だった。そこはボクにとって、教員生活の振り出しの場所だった。その土地には、かつて御料牧場だった農林省の牧場があり、土地の名は御園(みその)と呼ばれていた。アイヌ語とは何の関わりもない、大日本帝国の地名である。
 御園と呼ばれる前、そこは市父(いちぶ)と呼ばれていた。アイヌ語、イチプェイの当て字というが、そのアイヌ語の意味は霧の中だ。
 牧場は高台にあり、高台の下、川のほとりの奥まった集落で、アイヌの人たちは差別に耐えながら貧しい生活を送っていた。血気盛んに、ボクは百メートルコースを走るように教育運動にのめり込んだが、問題は百メートルでケリがつくようなことではなかった。ボクはたちまち息を切らし、足を引きつらせ、倒れてしまったのである。
 這うようにして、ボクは転勤をした。アイヌはいないと思われる土地を選んで、ボクは異動の希望を出したのだ。
 挫折したボクをあやしてくれたのは、ザメンホフとの新しい出合いだった。出合いを呼んだ一册の本の名前は、もう忘れてしまった。そのころ流行の共同体について書いた本だった。その中に、ただ一度、ザメンホフの名が出てくるのだ。

 マルクスはユダヤ人だった。アインシュタインはユダヤ人だった。ザメンホフはユダヤ人だった。

 ドン!

「用意」の声はなく、いきなりピストルを鳴らされた感じだった。この世は、元々、「いきなり」なのだ。「用意」はいらない。ボクはエスペラントを走り出した。
 ユダヤとアイヌは、ボクの中で重なっていた。人と人との対等の関係、関係を支える新しい言語の創造――ザメンホフの目指したものは、ニッポン語の教科書で、アイヌの子どもたちをニッポン人化していく教育の否定であり、否定しきれなかったボク自身への鞭だった。

    煙突の言語
        ヴラジーミル・ベークマン

白い冬。吹雪は
戸口を鳴らしている。
冷たい風は涙をこぼさせ
鋭い寒さは頬を刺す。
高く積もった雪の壁が
包囲された家々をにらみつけている。
白い外套にくるまれ
木々は弧を描いて雪面に傾いている。
歩いていく足の下で
小道は光り鋭くきしむ。
銅板のディスクのような
地平線の太陽。
しかし明日はもう湿った風が
冬の寒さを追い払うのだ。
冷たい霧が退散するのだ――
季節は風習を変えてしまう。
湿った息を海が
雪の丘へ吐いている。
水の宝庫へ
したたりを招いている……
雪は輝きを失なうだろう。
まもなく青空が訪れ
屋根の氷柱は
陽にさらされるのだ。

白い冬。吹雪は
戸口を鳴らしている。
冷たい風は涙をこぼさせ
鋭い寒さは頬を刺す。

その冬オリエントヨーロッパに黒い雪が降った……

エリートが来た。
エリートは黒を好んだ――
黒い軍服
黒い鉄
黒い墓を。

その冬オリエントヨーロッパに黒い雪が降った。

人々はいつも
共通の言語で話したかった。
オリエントヨーロッパの
石だたみの街ビアリストクで
小さなユダヤ人の医者
偉大な理想主義者
ルドヴィコ・ラザロ・ザメンホフは
世界語を創造した。
ビアリストクで言語の壁は障害だった。
オリエントヨーロッパのどこもがそうであったように――
まぜこぜの言語の中で
何一つ理解しあうことはなかった。
洋服屋メンデルは
粉挽きの下男ヤンの註文をおぼろげに感じる。
煉瓦工のイワンは日雇いイオナスを理解せず
へべれけで
殴り合い
市場のど真ん中を這いずりまわった。
手代ヤンカはまわりをうろつき
彼等の分からない言語で
彼等をけしかけた。
二人がヤンカに殴りかかるまで……

ビアリストクのドクトルは言語を望んだ。
白夜の北国から
灼熱の南国までの。
それは全ての土地の人々を結びつけるものであって欲しかった。
オリエントヨーロッパの人々をも……
そしてオリエントヨーロッパは
世界の権力者たちから遠かった。
ツァールから遠くバチカンから遠かった――
同胞たちは身近だったが……

同胞たちは共通の言語をしゃべらなかった。
不幸がそれを強制しはじめるまで。
不幸は来た――
エリート。
戦車は石の上で地響きをたて
進軍のドラムは響いた。
エリートは黒を好み
階級を好んだ。
一つの運命――
縞の服。
一つの民族性――
オリエント野郎!

老いぼれた洋服屋メンデル
若くはない粉挽きの下男ヤン
やぎ髭の煉瓦工イワン
腰の曲がった日雇いイオナス
そして頭の禿げた手代ヤンカは
背後のバラ線に追いたてられる――
服を脱げ!
縞が引かれ
胸に番号を持つお似合いのコスチューム。
共通の言語を今学ぶのだ。

エリートは
学問ぶったきっちりとした図面に従い
ガス室と
巨大な煙突を建てた。
みんなのための
共通の煙突を。
煙突はあわれみを感じない。
それは石である。
同胞の不屈さ?
止めろ!
共感?
止めろ!
愛?
止めろ!

おれたちの支配は絶対だ!
ルドヴィコ・ラザロ・ザメンホフは
ユダヤ人の理想主義者
糞真面目な男だった!
最良の論証は銃口の中に残っている――
エリートに間違いはない。
おい おまえたち
おまえたちオリエント野郎!
さあ! 黒い軍服に囲まれ
黒い煙突へ行け。
そこでおまえたちは共通の言語を見出すだろう。
一人残らず!
残らず!

その命令は
白い雪原の上で谺した。
限りない明るみのど真ん中――
黒い軍服
黒い鉄
黒い煙。
そして共通の煙突での
オリエントヨーロッパの共通の言語……

その冬黒い雪が降った。
重く脂ぎった大きな雪片。
そしてエリートが黒い雪を振りかけられ
戻ることのない場所へ
追いたてられた時
オリエントヨーロッパの冬は再び白くなった。

ドクトル・ザメンホフさんは
確かに理想主義者だった――
正にあるべき部分で。
わたし すなわち
ヤーン ヤーニス そしてイオナス
ヤン ヤンカ そしてヤノス
イワン そしてイオンは
それこそ共通の言語をしゃべってはいるが
それはエスペラントではない。
ドクトル・ザメンホフさん
エスペラントを学ぶための時間を持たなかったわたしを許してもらいたい。
わたしは立ち上がらなければならなかったのだ。
あらゆる沼で 山 森で
黒い冬を再び白くするために。
そして今わたしはフィンランド湾からトルコの国境にかけてしゃべっている。
煙突が教えてくれた言語を。

それは共通の運命の言語だ。
兄弟愛の言語。
忘れることのない言語。

それはわたしの母国語であれ。

 ドン!
 ドン!
 ドン!
 ドン!
 ドン!
 ドン!
 ドンの連なりだ。ヴラジーミル・ベークマンは、ドン一発で人を走らせる自信がなかったのだろう。『ゴドーを待ちながら』のヴラジーミルとは何の関係もない詩人だが、自信のなさでは似たり寄ったりと言っていい。ボクがこの詩を翻訳してしまったのは、百連発のドンにだまされてしまったのだ。
 ベークマンは、当時、ソ連邦に属していたエストニア共和国の詩人、そして作家として活躍していた。一九六三年に出版されたエストニア語での叙事詩集『オリエントヨーロッパの光』の中の一つの章がこれなのである。
 エストニアのエスペランチストたちによって、エスペラント語に翻訳された詩集となって現われたのが一九七八年――ボクがエスペラント語を学びはじめて十年ほどたったころである。山の中の小学校から、ボクは海辺の町の小学校に転勤し、不二子はその町の幼稚園で働いていた。山の中の小学校にいた時から、ボクは子どもの絵の交換などを外国の小学校のエスペランチストである教員たちと続けてきたのだが、その中の一人であるエストニアの小学校の教員が詩集を贈ってくれたのだった。
 贈り主が「これだけは読んでもらいたい」と言ってくれた章“Lingvo de Kamentubo”を、ボクは辞書を引き、メモをとりながら読み継いだ。
 メモをつなげ、日本語の詩の体裁に整えたものを、ボクは東京で出されていた詩のミニコミ誌に送ってみた。ガリ版刷りのそのミニコミ誌を、ボクは毎号送ってもらっていた。詩人になろうなどという不遜な考えはもう持っていなかったが、そのミニコミ誌から得る刺激は、田舎住まいのボクにとって必要なものだった。
「煙突の言語」が載ったミニコミ誌数部が間もなく届く。ボクはその内の一部を、文通していた国内のエスペランチストに送った。彼からはすぐに葉書が届く。詩の感想は何一つ書いていなかった。儀礼的な謝辞の後、書かれていたのは、訳語に対する意見一つだった。

「黒い鉄」とした部分は、「黒い兜」とすべきだと思います。この場合、「鉄」は単なる「鉄」ではなく、「兜」を意味する言葉だと思います。

 意味!
 そう、言葉は意味なのだ。ルドヴィコ・ラザロ・ザメンホフの理想さえ、その臍は意味にあるのだ。そして、意味ほど曖昧なものはこの世にはない。
「黒い鉄」という言葉にボクが感じたものは、ナチスのマーク、鉤十字だった。だが、ボクはその言葉を使わず、“fero”という言葉を辞書通りに「鉄」としたのである。“fero”という言葉で伝えたかったものの本当の姿は、ボクには分からない。それはボクの限界でもあるが、言葉の限界でもあるのだ。
 ミニコミ誌の発行者には、『オリエントヨーロッパの光』の全編を翻訳するように勧められた。その気になって取り組んだが、やっている内にボクの気力は萎えてきた。レーニンを讃美する詩行があったり、ハンガリーの民主化を押さえつけるソ連の戦車の制圧を正当化する詩行があったりするのである。ヴラジーミル・ベークマンは、ソ連邦エストニア共和国の御用詩人だったのだ。没落寸前の城の中で、彼は赤旗を振っていたのだ。後進国、『オリエントヨーロッパの光』としての赤旗!

それは共通の運命の言語だ。
兄弟愛の言語。
忘れることのない言語。

それはわたしの母国語であれ。

 詩の結末はこう結ばれているが、「共通の」とボクが訳した言葉は、エスペラント版で、“komuna”が使われている。「コミュニズム」につながる言葉だ。彼の「母国語」とは、共産主義であったに違いない。
 どんな旗であれ、旗は悪だ。赤旗の権威に一役をかった緑星旗もまた悪なのだ。子どもたちに緑星旗を振らせたボクもまた悪だったのだ。

 ドン!

 ピストルの音がボクの心の中で響いた。緑星旗を掲げながら走り続けていたボクの足が止まる。ドンは人を止まらせることもできるのだ。フライングを止めるドンではない。実弾のようなドンだった。

「用意」
 ドン!

 子どもたちは走っていく。「用意」は勿論、ドンさえも揺るぎのない言葉だった。仕切られたコースの中へ、子どもたちは飛び出していくのである。
 尿意がする。スタート直前に尿意を感じるようになったのは、定時制高校に入ってからだった。陸上競技部員になり、校章をあしらったユニホームを身につけるようになると人一倍偉くなったような気分がしたものだが、日の丸のような力が校章にもあったのだろう。緊張感がスタート直前の尿意となったのである。
 定時制高校は中学校を間借りしていた。慣れ親しんだグラウンドで郡の定時制高校の陸上競技会があった時のことだ。ボクは四年生になっていた。定時制高校生として最後のレースの直前、ボクは突き上がってくる尿意をこらえ切れず、スタートの近くを流れる小川へ向かって走っていった。
 校章の入った白いランニングシャツに、白いランニングパンツ――スパイクももう履いていた。便所のある校舎はゴールの向こうだ。そこまで行って戻ってくるのは、もう無理な時間だった。
 二枚重ねのランニングパンツの下部から、陰茎を引き出す。出てきた小便は、出がらしの茶を絞り切るような情けない量だった。小川の流れはびくともしない。
 陰茎をしまい、ランニングパンツを見ると、小便をした証明のハンコのように滴りが滲んでいた。真っ正面の部分である。
 足元の土を急いで手でこすった。土のついたその手でランニングパンツをこする。小便の滲みは土の汚れに変わり、ボクは急いでスタートへ向かった。
 真っ白いランニングパンツの下部に広がる土の汚れは、見栄えのいいものではなかった。が、ボクはそうした。
 小便の汚れよりも、なぜ土の汚れの方がましなのか? ましだと思わせるコースラインが、ボクの倫理の中には既に引かれていたのである。
 尿意がする。七十一歳のボクが、ここで、これから走るわけではない。散歩に出かける前、小便は家で済ませてきたのだが、歳のせいで、近くなってしまった小便なのだ。
 トイレはどこかと、ボクは辺りを見まわした。校庭には、それらしきものの姿はない。小川の流れは勿論なく、勝手の知らない校舎は、取り澄ました顔つきで校庭の奥に鎮座している。そろそろここを切り上げて、不二子が待つ我が家で小便をした方がよさそうだ。「用意」と、スターターの声がボクをうながす。
「ドン!」
 子どもたちの足と一緒に、ボクの足も踏み出ていた。
 尿意がボクを急がせる。言葉という言葉を踏みつけるように、ボクは黙々と足を急がせる。

 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪……

 靴の音は、八分音符の連なりだ。休止符はない。

 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪(イソゲヨイソゲヨションベンタレルゾタレルナタレルナションベンタレルナ)……

 リズムはもう言葉を持って、ボクを追いたてていた。

(了)

入力者註
※1
臨介点出合い、は原文ママ。

※2
ヴラジーミル・ベークマン、Vladimir Beekman(1929-2009)は、エストニアの作家、詩人、翻訳者。日本語での情報がほとんどないものの、下記リンク先の訃報によると、エストニア作家同盟会長で、リンドグレーン、トーベ・ヤンソンのエストニア語への翻訳でも知られる人物とのこと。Wikipediaのエストニア語版やドイツ語版ではそこそこ情報もあり。
訃報:作家 Vladimir Beekman (1929/08/23 - 2009/10/03): エストニア情報瓦版 - Vanapagan pajatab
Vladimir Beekman - Vikipeedia, vaba entsuklopeedia

早稲文掲載時に、生原稿との照合をして見つかった誤記
×「祭りのように」という言い方は陳腐なのかも知れない
○「祭りのように」という言い方は陳腐なのかもしれない

×富美子
○富美子(ママ) 不二子の間違いかと思われる。

×エストニアの小学校の教員が詩集を送ってくれたのだった。
○エストニアの小学校の教員が詩集を贈ってくれたのだった。

×群の定時制高校
の定時制高校

 

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