津軽と南部ァ親戚(オヤグマギ)
向井 豊昭


「そうだ(ほんだ)から(ハンデ)駄目(マイネ)じゃ」
「ほんだハンデ、マイネたたって それだばマイネね」
石ころ(クラ)だらけの下北の街道(ケンド)ば
足駄引(ふ)きずって歩(あさ)きながら
学生達(ド)ァくっちゃべってらじゃ。
足駄の歯ァ異様(いっぱだ)に高く
いっぱだに厚くてのう。
歩くたンびに
ケン道(ド)の石クラほちくり返り
土ぼこりァ舞い上がるんだね。
ポマードだずんだが
コールタールだずんだが塗たくって
テカテカ光らへた帽子(シャッポ)の白線ァまぶし(まつこ)くてのう。
尻(ケッツ)さぶら下げた手拭コァ
大名行列の毛槍みたく揺れで
品格(おごらみ)あるごと、おごらみあるごと。
土下座しねえばマイネよんたな。

  ワイ マイネだど。
  マイネァ津軽弁だね。
  南部下北の吾達(ワド)ァ
  マイネでなく
  ワガンネって言(へ)るんだハンデ。

  ワイ ハンデだど。
  ハンデァ津軽弁だね。
  南部下北の吾達(ワド)ァ
  ハンデでなく
  シテって言(へ)るんだシテ。

「ほんだハンデ マイネじゃ」
「ほんだハンデ マイネたたって それだばマイネね」
南部下北からうんと(うって)離れた津軽の高校から
夏休みの学生ドァ戻ってきた。
金持ち(オオヤケ)の息子ァ
みんな津軽さ留学するやだね。
まンだ四ヵ月コの一年生まで
東京弁みたくキンキンって
津軽弁ばくっちゃべるもんだもの
地元の定時制の吾(ワ)
いじ(こち)けてまるでばな。
見栄っぱり(エフリコギ)や この!

"I am a boy. My name is Toyoaki Mukai."
もう一(ふと)つのエフリコギァEnglish
町にも村にも新制の中学校ァでぎで
英語の授業ァ始(はし)まったもんだ。
詰襟の新米先生(へんへ)ァ
「鉛筆(エンペチ)はペンセルと言いまシ」って
鼻モホラモホラさえながら
教(おへ)だもんだきゃ。

教科書より早ぐやってきのァ
アメリカの兵隊。
吾(ワ)ドァ「アメ」って呼ばったもんだ。
大湊のアメァ
ゲイシャ探しに
川内までジープ走(はけ)らせてのう。
吾(ワ)の親友(ケヤグ)に声コかけたずじゃ。
「ハロー! ジャパンゲイシャ プッシュ プッシュ!」
アメァ ゲイシャば抱く真似したどごで
「ゲイシャOK! チューインガム!」って言(へ)て
ズルスケだケヤグァ
手コ出したんだど。
したきゃアメァ
ポケットからガムば出して
ズルスケの手コさ
のへてまったずじゃ。
さあ ズルスケァ
ゲイシャ屋さ案内さねばなくなってまったばて
ゲイシャ屋どごろが
飲み屋もねえ
昭和二十年の川内だね。
そいでもズルスケァググと歩(あさ)いで
町の外れの薮(ヤンプ)カラさ
アメば連れてったんだど。
晩ゲになれば
薮(ヤンプ)カラから男(おどご)と女の声コァ聞こえてくるもんだして
そこさ行けば何とかなると思ったんだべが。さァて 薮(ヤンプ)カラさ着いたばて
お日様ァまンだ空のてっぺんで
ギラギラ光ってるもんだもの
誰(ダ)へば真昼間から声コ聞こえるもんだってよ。
ズルスケァ
ワッタワッタと薮(ヤンプ)カラ踏ん(こい)で逃げ出したんだど。
手も脛カラも鼻っぺも
トゲで掻っちゃかれて大変(ワヤ)!

アメの言葉コァはやってはやって
今だば
日本中どこさ行っても
英語塾の看板ば見つけるに良(え)ね。
したばて
もう一(ふと)つのエフリコギだ津軽弁の塾ァ
何(な)してどごにもねえのだべ。
南部弁の塾ァどごにもねえのと同(ふと)じだじゃ。
まンず
オヤグマギみたもんでねえべが。
否否(いやいや)
はやったずが
はやんねえずがって
そったらだ貧しい(しぴたれた)関係でねえ
三十年前(メ)
南部下北の吾(ワ)
津軽浅虫の娘(メラシ)ば嫁コにもらったもんだもの
津軽と南部のオヤグマギせ。

下北の奥戸(おこっぺ)小学校で
吾 先生(へんへ)になったばりの時(ドキ)
浅虫の彼女から電報ァきたもんだ。
開いてみたきゃ八文字――
ハナシタスグ コイ だど。
ハナシタ?
何ハナシタもんだべ?
犬でも放してまって捕まらねんだべが?
応援頼むずごとだべがのう……
したばて
彼女の家(エ)に犬ァいるず話
聞いたごどねえな。
犬でねえ。
へば何だべ?
風船ば空さ放してまって
泣いてるず話だべが?
まさか 赤ん坊(オボコ)であるめえし……
待てど。
ハナシタスグ コイ。
あの話ばしたずごとたべがな?
それだね!
吾(ワ)と結婚してえずごと
親さ話したして
すンぐ挨拶に来いずごとだ。
ワイ 身震いする(うじゃめぐ)じゃ!

一張羅さ着がえて
吾(ワ) バスさ飛び乗ったおん。
大畑からァジーゼルだね。
駅の売店(みへやこ)で売ってるものァ
マーブルチョコだずんだが
カルミンだずんだが
子供(ワラシ)の菓子コばりで
土産にするよんたものァ何(な)もねえ。
したばって
嫁コもらいにくずのに
てぶらずのも何だが具合(アンベ)悪(わり)な。
ほンだ
彼女の家(エ)ァ浅虫だもの
浅虫さ降りたら
店(ミヘ)屋コァ沢山(ずっぱど)あるァね。
そこで探すべ。

浅虫さ着いだきゃ
あるある。
店(ミヘ)屋コァずらっと並んで
盆と正月ァ一緒じにきたよんたもんだね。
あっちの店(ミヘ)屋コばキロキロ
こっちの店(ミヘ)屋コばキロキロって
吾(ワ) 土産コば探したじゃ。
こりゃどんだ? 浅虫名物くじら餅――
  誰(ダ)ァへば! 浅虫の人(フト)さ 浅虫名物買ってぐバカァ どこにあるのよ!
こりゃどんだ? 浅虫名物村井のうに――
  誰(ダ)ァ! くじら餅と同(ふと)じごとだべや!
こりゃどんだ? 南部名物南部煎餅(へんべ)――
  吾(ワ) 南部下北の人(フト)だもの
  これァいいべかな?
  したばて
  結婚申込みず大時な時(ドギ)に
  南部煎餅(へんべ)ボリボリだば
  煩い(かちゃましね)な
ン 栗むし羊がん?
こりゃどんだ?
何だかさおごらみあるど。
ずしらど重(おも)で
これだじゃ。
これにするべ。

場面ァ変わって
今ァ東京のマンションだね。
ソファーさのたばった吾(ワ)の頭の先さ
額縁ァ飾らさってのう。
去年の『津軽弁の日』
嚊の詩ァ入選して
賞状ばもらったんだね。
青森さ行ったのァ嚊一人(フトリ)――
「パパも一緒に行きましょうよ」って誘われたばて
吾(ワ) ヘッチョ曲がりだもんだおん
「『南部弁の日」でなきゃ行かないよ」って言(へ)てまったもんだ。
したきゃ嚊カッカと来で
「ワイハ! 『津軽弁の日』だたって 南部弁ァ参加(かた)ても可能(ケね)べさ!」だど。
東京弁のメッキァ剥(は)げで
ベロリスケ津軽弁――
吾(ワ)も南部下北弁ベロリスケで言い返したおん。
「南部弁だら 読む人(フト)いねえシテ困るべや!」
「役者ァ沢山(ずっぱど) 青森にいるもんだもの 研究して読めばいいでばす!」
「そうやって言(へ)たたって そったらに簡単にいくもんでねえシテ!」
「ワイハ! いかへればイクべせ!」
ふすまァガラリと開いて
息子ァ顔(ツラ)突き出して言(へ)たもんだ。
「ここは日本だから 外国語の喧嘩は 外国に行ってやってくれよ」

(『津軽弁の日』ァ まンだ来るなァ)
額縁の賞状さ目(マナグ)ばやって
ソファーさのたばってらきゃ
嚊と息子のしゃべくる声ァ耳さ入ってきた。
「ねえ パパがママにものを頼まれた時 マイネジャって言う時と ワガンネジャって言う時があるよね」
「そう言えばそうね」
「あれ どういう意味の違いがあるの?」
「さあ それはパパに聞いてみないと分からないわ」
「どうして? ママだって青森県人なんだもの 意味の違い 分かるはずじゃないか」
「マイネジャは ママのお国の津軽弁―― ワカンネジャは パパのお国の南部弁なんだけどさ どっちも同じ意味なのよ。駄目っていうこと。でも パパが二か国語を使い分けてるってことは 何か意味の違いがあるのかもね。パパに聞いてみたら?」

吾(ワ) 狸寝入りば決め込んでまったね。
意味の違(ちげ)えだなんて
何(な)もねえ。
その時(ドギ)の成り行き(アンベシギ)で
南部弁だっったり
津軽弁だったり――
津軽のメラシば嫁コにしたきゃ
いづの間にか
津軽弁も
ヒョコラと出はるようになってまったいのう。
津軽と南部ァオヤグマギ――
マイネでも
ワガンネでも
いいハンデ
ワガンネでも
マイネでも
いいシテ
オヤグマギのつきあいば
長(なげ)く長(なげ)く続げてえニシ。

(了)
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