管理者註 本稿は、向井と歌人鈴木佐知さんとの往復書簡の一部です。
蜃 気 楼 向 井 豊 昭 二十年前の秋の夕暮れ、わたしは、勤め先の小学校の勤務を終えて、職員玄関から外へ出ました。出た途端、足は止まり、わたしの目は空に向けられたのです。空一面に、夕日は血しぶきのように光を流していました。あんな濃い夕焼けを、わたしは見たことがありません。 光の彼方には、海に向かって突き出た岩山が聳えています。その岩山の下の砂浜で、その地方のアイヌの長、シャクシャインが、松前藩によって騙し討ちにされたのは旧暦の十月二十三日のことでした。もし、その日、夕焼けがこのように空を染めたとしたら、生き残ってしまったアイヌの人たちは、どのような思いで空を見上げたのだろうとわたしは思いました。 家に帰り、わたしはすぐにアイヌ語辞典をめくり、「夕焼け」に当たる言葉を探しました。何册もの辞典をめくっても、そのアイヌ語はなかったのです。そのような叙情とは違うところで、アイヌは言葉を持っていたのでしょう。 一人のアイヌ、知里幸恵の訳した「梟の神の自ら歌った謡――銀の滴降る降るまわりに」では、「シロカニペ ランラン ピシカン、コンカニペ ランラン ピシカン」という美しい言葉が繰り返されますが、この神謡を歌っているのは梟なのです。梟は、日中、ほとんど動きません。夕暮れになってくると、どっこいしょと動きはじめる鳥ですから、多分、夕焼けを待ちかねていたはずです。が、そっちは置いて、梟は、夜の囲炉裏端で、人の口を借りて歌いはじめるのです。 美しいリフレーンを、知里幸恵は、「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」と訳しました。後年、弟の真志保は、「『降る降る』とするのは正しくない、『降れ降れ』にすべきだ」と言い、新しい訳を載せた本を出しました。が、「降れ降れ」という願いの強さこそ、「降る降る」という蜃気楼となって訳されたのだと、わたしは思うのです。心臓の持病のために、愛する人を諦めなければならなかった彼女でした。 深い傷が、蜃気楼(ポエム)を産む。
、崩れるということの蜜、冬の碑に私をたやすく救わないで、風
あ、これは、鈴木佐知さんの、出来たての短歌(ポエム)でした。
花 序 あなたの歌のお便り、花占いをするように、一つ一つの言葉に指をふれていきました。 窓の外で、のぞくような気配がします。顔を上げ、目をやると、おなじみのブチ猫のようでした。張りめぐらされたブロック塀の上を、いつも行き来しているのです。それはブチ猫の花序なのかも知れません。 塀の内側の山茶花の枝に体がふれ、花が揺れました。腋生花序なる遺伝に従って、庭の山茶花の花々はどれもこれも愛欲のように葉腋から噴き出ています。花にも歌にも目をくれず、猫はしっぽを見せてブロック塀の上を渡っていきました。いや、しっぽはありません。猫にしては大き過ぎるお尻でもありました。黒いスカートのお尻なのです。お下げの髪は黒く、シューズは黒い。そして、白いハイソックスをはいているのです。白いセーターを着ているのです。白と黒のブチですが、ブチ猫ではありません。まぎれもない、ニンゲンの女の子の姿をしているのです。どこから来たのか、見かけない女の子でした。 私有財産の境界線を踏みつけて、女の子は悪びれることなく進んでいきます。もしかしたら、これがニンゲン本来の花序なのでしょうか? 微笑みながら、わたしは首を伸ばして後ろ姿を見送りました。 何軒もの境界線を踏みつけて、女の子の足が止まります。ブロック塀はとぎれ、女の子の目の前は車の走る道路なのです。女の子はこちら側に向きを直し、境界線を戻ってきました。 山茶花が並ぶわたしの家の庭の手前で、女の子の足が止まりました。お隣の庭と見比べています。お隣には山茶花がなく、飛び下りやすいと言えるでしょう。猫のように背を丸め、両手を突き出し、女の子はお隣の庭に飛び下りました。それが女の子の花序なのでしょうか? いや、女の子の姿はなく、黒と白のブチ猫がお隣の庭を走り去っていく姿が見えました。 夕焼けの光が、白い毛を赤く染めています。窓も赤く、わたしの頭髪の白い毛も赤く染まっていることでしょう。 夕焼けは、終わりの色なのでしょうか? 夕焼けが、この世の始まりであってはならないのでしょうか? ニンゲンの花序ではなく、空の花序を知りたいものです。
(了)
●鈴木さんによる本稿についてのコメント 「向井さんとのやりとりについてのお話ですが、早稲田文学の授賞式か何かの集まりの際に、文通のお約束をして、二往復ほど、お便りを行き来させたことが確かにございました。向井さんが少し体調を崩されたと伺って、小説家の萩田(注:洋文)さんと大騒ぎしつつ、それなら連句です、返事ください、ときゃあきゃあ言い立てて快諾していただいたという流れです。(……)二往復目の向井さんからのご返信で、今の僕には難しいかもしれないとのお話でそこで中断と言いますか、一旦、終わりと相成りました。その後、連句をある程度学びまして、いかに自分が乱暴に旋律を投げつけていたか知り、猛省しました。が、その後も、友人の現代作曲家の個展に来ていただいたりと、交流自体は断続的に続いていました。(……)」
Special Thanks 長谷部和美さん
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