六花
向井 豊昭


  長い体が風のような速さで走っていました。乳色の体に沿って、草色の縞がまっすぐについています。縞蛇の珍種のようでありました。
 左右に三本ずつの縞のうち、真ん中の太い一本にはたくさんの四角い穴が並び、透明な、硬い皮膜がはめ込まれています。皮膜を通して、呑み込まれた獲物の姿がたくさん見えました。
 蛙ではないようです。ねずみでもないようです。皮膚の色は多種多様で、色での判別はしかねました。
 実を言えば、皮膚は何重にもなっているのです。一番上の皮膚をはぎ、縞蛇の腹の中にズラリと掛けているのは、そこが暖か過ぎたからでした。縞蛇の血で暖かいわけがありません。ダンボウというもので暖かくなっているのでした。
 縞蛇に呑み込まれてしまったというのに、獲物たちはうろたえる風もありません。うろたえる力もなくなってしまったのでしょうか? 後肢を突き、上体を起こし、後ろへ向かってひっくり返る寸前なのです。
 危ない姿勢を支えているのは、背中に当てられた平べったい突起物でした。それは縞蛇の腹の中に無数の腫瘍のように突き出しているのです。
 ひっくり返る寸前なのに獲物たちは死んでいません。目の開かない獲物は、安らかに寝息をたてていました。
 開いた目もたくさんあります。前肢の指が持つ束の上に目を注ぐ獲物もありました。
 緑、黄、赤、と春秋の葉の色が重なった束です。一枚一枚も葉のように薄いのですが形だけは違います。縞蛇の横腹の穴の形に似せられていました。
 のぞき穴なのか、落とし穴なのかはわかりませんが、一枚一枚には、大小入りまじった絵があるのです。
 雄と雌の動きを追って描かれていました。何重にも着込んだ模造の皮膚をはがしたり、はがされたりしていくのです。本来の皮膚一枚にようやく戻って、つがいは交接するのでした。
 太古からの行動にとって模造品は邪魔なのでしょうか?
 食べるのも、飲むのも、太古からの行動のはずなのに、獲物たちはあちこちで模造の皮膚をつけたまま飲み食いをしています。
 鳴き声も聞こえました。カーでもなく、ウオーッでもありません。多様な音が入りまじり、鳴き声は実に複雑です。
「シャチョーハネー、フルイタイプノニンゲンナンダヨ。ワルイヒトジャナイケドサー、アレジャー、ダレモツイテイカナイヨ」
 鳴き声の主は、髪の毛の薄くなった獲物でした。若い連れの獲物に向かって、しきりにシャチョーの悪口を鳴いているのです。
 ワルイヒトジャナイならば、どうして悪口を鳴くのでしょう? 複雑なのは音声だけではなく、その内容も複雑なのでした。
 縞蛇の動きが遅くなります。体長に合わせた長い丘が近づいてきました。土と緑の丘ではありません。石の粉を四角に固めた丘なのでした。
 丘に沿って、縞蛇は動きを止めました。体のあちこちに皮膜のない穴が開き、獲物たちが出てきます。腹の中にいた時のように、後肢だけを突いていました。前肢も突いて逃げ出せばいいのに、獲物たちは二本足で歩いていくのです。
 走る獲物も、いるにはいました。シャチョーの悪口を鳴いていた獲物です。連れの獲物も一緒になって、二本足で走っていました。
 走りながら、それぞれの左の前肢に巻きついたものに目をやります。お日さまの形をしたものがついていました。
「ジカンガナイ! タクシーデイコー!」と鳴くのは、相変わらず髪の毛の薄い方でした。
 何がなくなったと騒ぐのでしょう? お日さまは見えませんが、なくなったわけではありません。鉛色の空に隠れているだけなのです。間もなく雪が降り出すのでしょう。
 縞蛇の中には、まだ獲物がたくさん残っていました。新しく呑み込まれてくる獲物さえいます。
 縞蛇はまた動きはじめます。北へ向かっていました。鉛色に熟した空から、とうとう雪がはじけてきます。
「ママ! ハナ!」と、子どもがさえずりました。
 初めて雪を見るのです。南の町から、子どもは母親と一緒に揺られてきました。
 母親は黙って雪を見ていました。雪国で生まれ育った母親なのです。それなのに、ハナジャナイワ、ユキナノヨと、教えてはくれません。
 ハナが間違いなのではありません。昔、雪は六花とも呼ばれていました。六角形の結晶が花のような形をしているからでしょう。六つの花片を輝かせ、雪は天樹から舞い下りてくるのです。
 母親が黙っていたのは、そういうことを知っていたからではありません。母親は夫婦げんかの果て、子どもを連れて飛び出してきたのです。重い気持ちの母親は、口を開くのが面倒でした。
「ママ! ハナ!」と、子どもは共感を求めて、またさえずりました。
「シーッ」と、母親は左隣から音を返します。その左からにらみつけてくる横目があったのです。
 子どもが口を閉ざすと、横目の主は目を戻しました。掌に置いたものを指一本で叩きます。
 指の下にはいろいろな形が縦横に並んでいました。1、2、3、4、5があり、6、7、8、9、もありました。十、一、×、÷、などもあります。指の動きと一緒に、1、2、3、4は組み合わせを変え、横一列になって上の場所に並ぶのです。
 叩き続けているのは、指だけではありませんでした。縞蛇の横腹を雪が叩き続けていました。透き通った皮膜を通して雪を見ることはできますが、さわることはできません。子どもは掌をのばしました。
 皮膜の向こう側で雪の掌が呼んでいます。白い袖がありました。白い襟があり、胸のふくらみの下には、白い帯が締められています。
 雪女が子どもをさらうというのは、北の国の言い伝えでした。さらった子どもを旨に抱き、「ダイテケヘー。ダイテケヘー」と、雪の中から呼びかけるのだそうです。呼びかけに惑わされた子どもを抱き取ると、その冷たさと、思いがけない重たさに動けなくなり、雪の中に埋もれてしまうというのです。
 そんな風に雪女は恐れられてきましたが、彼女は子どもとたわむれたかっただけではないでしょうか? 雪女とたわむれてくれるのは、子どもだけしかいないのです。
 雪と同じように、子どもは六花なのでした。水の滴が六花の輝きに変わるように、ヒトもまた滴から生まれた輝きのはずだったのです。滴の重みを忘れてしまったヒトたちは、ついうっかりと子どもを抱き取り、雪の中に埋もれていったのではないでしょうか?
 ガラスと呼ばれる皮膜をはさんで、子どもは雪女と掌を合わせました。掌はさえぎられても、心をさえぎることはできません。おでこを合わせ、鼻を合わせ、子どもと雪女は見つめ合いました。
 六花の輝きが子どものひとみを澄ませ、子どもの全身は六花の光で満ち足りています。
「エーッ?! ドーシタノーッ?!」と、母親が叫びました。
 母親の右隣で、ガラスに向かって寄りかかっているのは、子どもの形をした雪のかたまりでした。
 母親の左から横目がまたにらんできます。目が戻り、1、2、3、4が続いていきました。


 〈了〉

(打ち込み作業担当 東條慎生)

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