パパはゴミだった。
向井 豊昭


 パパの死臭は蜜のように甘い。
「甘い甘いあの世だよ」と、わたしを誘うように、パパは今朝も布団の中で安らかに死に続けていた。いや、安らかなどというものは、この世にも、あの世にもありはしない。もともとキツネ目のパパなのだが、不安そのものを跳ね除けるようにいっそう目尻を上げ、腐敗の時へ向かって窪みはじめているのだ。キツネ目に挟まれたパパ特有の高い鼻も、やがては腐ってしまうのだろう。腐敗を告げる死臭がもしも蜜の香りなら、窓という窓、戸という戸を開け、世の中に向かって漂わせてあげればいい。窓という窓、戸という戸を閉め切って世の中におびえているわたしは、本当は蜜とは思っていないのだろう。
 本当って何? パパは本当に死んだの? 違う。パパは布団の中から語りかけている。血の気のない唇はもう開くことができないが、パパの声は聞こえてくるのだ。
「遺言状。一、拙者木立葉太郎が死したる後は、拙者の死体をゴミとして処理する事。一、ゴミに葬儀は無用也。一、ゴミに棺桶は無用也。一、ゴミに念仏は無用也。一、ゴミに着衣は無用也。拙者の身ぐるみ剥ぎ取ってゴミとして処理する事。以上、くれぐれも怠ることなきよう申し付くるもの也。平成十五年十月吉日。木立葉太郎(印)。木立実子殿」
  声ではなく、文字なのだ。文字には声が詰まっている。パパのポケットに入っていた一册の手帳をパパの枕もとに広げ、三日四晩、その声を聞き取ろうと努めてきたわたしなのだ。
 目覚ましが鳴る。会社に行く時間なのだ。会社になど行っている場合ではないはずだが、夜になると目覚ましをセットしてしまうわたしだった。頭が痛いと三日も休んでしまったが、これ以上、仮病を使うことはできない。いや、仮病ではない。パパの遺言は、わたしの頭をガンガンと責めたてるものなのだ。
 添い寝をしたわたしの体がパパの布団から抜け出る。掛け布団は、ほとんど凹まなかった。手足を突き上げ獣のように死んでしまったパパの体は、掛け布団を高く持ち上げ、死臭のこもる空間を抱き締めているのだった。
 こもっていた死臭がわたしを追いかけてくる。追いかけられるわたしにとって死臭はもう蜜ではなく、追い剥ぎのようなものだった。パパへのいとしさ、パパへの悲しみは剥ぎ取られ、わたしの心の裸体は憎しみではち切れていた。
 床を踏みつけ、自分の部屋へ戻る。乱れたわたしの心を整えるように、カレンダーが整然と数字を並べていた。
 今日は何日?
 数字をたどり、ビリッと一枚、十月を破る。今日からは十一月――会社は休みの土曜日なのだ。日曜日が続き、月曜日は文化の日――何と三連休というありがたさである。
 カーテンの透き間から空を見上げる。青い空がわたしを抱いていた。よし、遊びに出かけよう。パパは勝手に腐っていけ!
 シャワーを浴び、死臭を流す。下着を取り替え、柿の実のデザインが編み込まれた思いっきり派手なワンピースを選んだ。ニットのノースリーブだ。木立実子は生きています。二つの腕をさらし、秋の光を反射して、実子はどこを歩くべきなのか? 考えは先へ送り、わたしはお化粧に集中した。
 いつもの出勤の朝と同じようである。わたしはどこで働くべきなのか? 考えは先へ送り、わたしはいつもお化粧に集中していたのだ。
 いつもの道の最初の信号は赤だった。赤でも青でも、わたしには関係ない。地下鉄の駅へ向かうためには、横断歩道を渡らずに、通り過ぎていけばいいのだ。
 それでいいの?
 立ち止まり、わたしはようやく考えた。勤めの道と同じ道を歩くなんて、情けないこと、この上ない。地下鉄よりは遠くなるが、横断歩道を渡った先には、東武東上線の駅があるのだ。
 信号が変わる。足が動いた。ローヒールのかかとがキツツキのように音をたて、わたしは歩き慣れない道を進んでいた。
 パパとママに連れられて、この道を歩いたことがある。小学校に入って初めて迎えた夏休みのことだった。電車に乗ったわたしは靴を脱ぎ、座席の上で膝を折って窓に向かうと、変化する風景に見入ったものだった。
 線路に沿って、コンクリートの建物が並んでいる。広告の文字が小学一年生のわたしの脳味噌を試すように、現われては消えていった。駅が近づくと広告は密集しはじめ、わたしの頭は痛くなるのだ。
 時間と共に、文字は点在するだけとなる。田んぼが現われ、遠くの団地は山に変わる。山は次第に迫ってきて、モルタルの民家だけがたたずむのだ。
 全ては変わる。パパがゴミに変わったとしても何の不思議もないはずなのに、わたしはパパを捨てることができないのだ。 

  寺のババのしゃべくり
 良ぐ考えて呉(け)へ。お前(め)さまの墓所(はがしヨ)の草取りだきゃ、出面賃払ってやってもらってらんだはんで。銭(じエん)コァかがってらのす。おらも、年だおん。腰コァ痛くて、草取りも、たんだでねんだおん。如何(どん)ですべ? 一年に一度(ひとけり)でも、来られねべが? 二十年も来ねもんだものハア、それだば親(ちか)しくなれねでばす。住職も年だはんです、代ァ代わってまればお前(め)さまァ何処(どご)の人だが、訳(わけ)つ分がんねぐなってまるでばす。お前(め)さまだけんた年コになれば御先祖さまば大事にするもんだばって、お前(め)さまァ、何処(どご)さ年コ取ってらもんだべ? ほったらがされだ御先祖さまァ、不憫だでばす。此間(こねだ)も東京がら電話コ掛がってきてせ。したきゃ葬儀屋だど、葬儀屋――そちらの檀家の何々づ人ァ死んで、田舎のお墓に入れたいって、ここに奥さんァいて言ってるんだけど、どうしたらよろしいでしょうかづ話コなんだおん。東京さ出はったきり、何十年も音信不通だった人だもんだおん、子供(わらし)の頃の顔(つら)コだきゃ、すっかど忘れでまったおん。年寄った顔(つら)コだきゃ見だごどもねもの。明日ァ骨納めに来るんだばって、顔(つら)コも思い浮がばね人さ、どうやって戒名つければいいもんだべ? 住職も何(な)も困ってるでばす。

 パパの遺言が書かれた手帳のはじまりのページに、同じパパの文字で書かれたものだ。一年前、この文を書いた時のパパの姿をわたしは知っている。津軽にある先祖のお墓にお参りして帰る車中でのことだった。列車の座席に座ったかと思うと、パパは真新しい手帳をポケットから取り出したのだ。東京を発つ前夜、近くのコンビニから買ってきたものだ。連れ立って出かけたママも一册、同じ手帳を買ってきた。二人とも、旅の俳句を書きつけるために買ってきたのだ。趣味の集まりで知り合ったというパパとママなのだった。
「なあに、それ、津軽弁の俳句なの?」
 パパと並んで列車の座席に座ったママは、ボールペンで刻み込むように文字を書きつけているパパの手元をのぞいて言った。
 ママの手が開いているのは手帳ではない。駅の売店で買い求めたおやつの包みだった短册形の蒸したお餅がくるまれている。砕けた胡桃がお餅の表面に凸凹を作り、お餅は胡桃の澁を吸ったように濁った色をしていた。パパが何を手帳に書いているのかは、向かい合った席に座るわたしにはよく見えなかったが、お餅の姿は、その時のパパの気持ちによく似ているように思えた。パパはお寺の奥さんに厳しい言葉を浴びせかけられてきたばかりなのだ。奥さんの津軽弁は、わたしにはほとんど理解できなかったが、奥さんの語調と表情から、わたしは怒りの塊を充分に感じることができた。住職は、そんな奥さんの言葉を止めようともしなかったのだ。
 お墓は、パパのお父さんが建てたものだということを、わたしは以前、パパから聞いたことがある。パパは一人息子だったが、集団就職で東京に出てきた。パパの両親は津軽で暮らし、津軽で死んだのだ。パパとママはもう結婚していたが、わたしはまだ生まれていなかった。わたしにとっては、はじめての津軽への旅だった。
 お墓参りを一家三人ですることになったのは。パパが勤める印刷工場の倒産が原因だった。「御先祖様を粗末にしてきたからだ」とパパは言い出し、二十年ぶりのお墓参りとなったのだ。
 列車は長いトンネルの中を走っていた。包みをむいた短册形の胡桃餅を掌の上にのせ、ママは、眉根を寄せて手帳に向かうパパに言った。
「わたしもここに書いてみよう」
 短册に見立てた胡桃餅の表面をままごとのように人差し指が走る。走らせながらm文字を読み上げるようにママは言った。
「梢は棘、紅葉千本、旅さやか」
 列車はトンネルの外に出ていた。お盆の海が光っている。緑色の小島が浮かんでいた。ママのペテンに、わたしは「ウフ」と笑った。手強い現実を追いやるためには、ペテンの仕掛けにはめる以外にはないのかもしれない。
 パパは笑わなかった。ボールペンを握った手を振りかざす。振りかざした手は、ママの掌の胡桃餅に向かって振り下ろされた。ボールペンが胡桃餅を突き通し、ママの掌を強くつつく。
「痛い!」と、ママは叫んだ。パパはボールペンを勢いよく持ち上げる。突き刺された胡桃餅がはばたきをみせて持ち上がってきた。
 もう一つの手にあったパパの手帳がわたしの足もとに飛んでくる。空いた手で胡桃餅を引き抜くと、パパはママの口に思いきり叩きつけた。
「!」
 言葉にならない声がママの口から飛び出す。胡桃餅はママの足もとに落ちると、断末魔のような震えを見せた。
 パパの体がかがむ。相手は胡桃餅ではなかった。わたしの足もとでページを開いて落ちているパパの手帳だった。文字の線が毒蛇のようにくねっている。パパは蛇使いのように素早く手帳を拾い上げると胡桃餅を踏みつけ、わたしとママの膝にぶつかりながら通路に出た。
 座席を離れて座ったパパは、新幹線に乗り換えてもわたしたちと一緒にはならなかった。家についても一緒にはならなかった。叩きつける胡桃餅はなかったが、パパは自分の平手をママの頬に叩きつけるようになったのだ。逃げ出したママの行方は不明である。行方不明になる勇気はわたしにはなく、わたしはいつもより早く会社に出かけ、いつもより遅く会社から帰るようになった。
 四日前の夜、帰宅したわたしはいつものようにこっそりとドアを開け、忍び足で玄関に入った。いつものように電気はついていない。闇の中を手足で探ってわたしは玄関に近い自分の部屋に入るのだが、どうしたことか、闇の先には青白い光の点が二つ見えた。
「コン、コン」と音が響く。わたしは、脱ぎかけた靴に足を突っ込み直そうとした。
 投げ縄のように、廊下の向こうから青白い光が走ってくる。わたしの目の下で光は止まり、わたしを見上げた。
 二つの光は、二つの目玉だった。目尻が釣り上がり、目玉の間からは高い鼻が突き出ている。目も鼻も顔も体もパパだった。手もパパだったが、パパは手を廊下に突き、四つん這いになってじゃれてくるのだ。
「ふざけないでよ。あっちへ行って!」
「コン」と、パパは鳴く。ニンゲンの声とは思われない、巧みな鳴き声だった。わたしを見上げる青白い目の光もニンゲンのものとは思われない。
 壁のスイッチに手をやり、わたしは廊下の電気をつけた。ニンゲンの光にさらされ、青白い光は消えてしまう。四つん這いのパパはおびえたようにズボンのお尻を向けると、四つの手足で廊下を蹴り走り去っていった。パパの部屋からは「コンコンコンコンコンコン」と立て続けに鳴き声が響く。「コ〜ン!」と一声震わせて、鳴き声は止まった。
 わたしの心臓が代わって強く響きはじめる。出来事の意味がもつれ、わたしの頭の中は出口のない迷路だった。
 意味を手探るように一歩進む。二歩、三歩、四歩――パパの部屋には近づいていくのだが、頭の中のもつれはかえってひどくなるばかりだ。足ももつれ、わたしはようやくパパの部屋の前にたどりついた。
 開けられたままの部屋の中には、廊下の電気の光が射し込んでいた。万年床の上でパパは手足を縮め、けもののように横になっている。見張るように、顔がこちらを向いていた。青白い光の目はもうない。パパの目は硬くつむられ、眉根には深い皺が刻まれていた。
 枕もとには、見覚えのある手帳が落ちている。ページが開き、ボールペンで刻まれた皺のような文字があった。津軽弁の文字の雰囲気と全く同じものだったが、わたしにも読み取ることのできる文章だった。
『遺言状』という文字ではじまる文章に、わたしは目を走らせた。『ゴミ』という文字が何度も現われ、わたしの目をつまずかせる。もしかしたらキツネになってしまったのかもしれないが、ゴミとはとても思われなかった。
 恐る恐る肩を揺さぶる。横向きの体が揺れ、手足を縮めたパパの体はそのままの姿勢で上を向いた。小さかったわたしを手足で支え、飛行機ごっこをしてくれた時と同じ姿勢である。
「パパ、またやってる! それは男の子の遊びよ! お転婆になっちゃうわよ!」と、ママはいつも口を尖らせてパパに言ったものだ。
 ママ、心配しないで。木立実子は、これ、このとおり、名前にぴったり、季節にぴったりの柿の実のワンピースを着て、女らしく腰を振って歩いています。
 わたしの後ろで足音がした。速度をゆるめ、足音を先にやろうとすると、足音の速度もわたしに合わせてゆるんでしまう。
 歩きながら、首を後ろにまわしてみた。わたしの目に映ったのは、鼻の高いキツネ目の男だった。アルバムに貼ってある若い頃のパパの写真と瓜二つなのだ。
 心臓のリズムと一緒に、わたしの足音のリズムも速まる。彼の足音も、わたしと同じリズムを打っていた。
 彼の手の先で揺れている鞄の音が伝わってくる。休日だというのに、ストーカーがお前さんの仕事なのかい? それともパパが化けて出たのか? 化けたとしたら、下手な化けようである。
 足音が増えてくる。駅へ向かって駈け抜けていく足音もあった。男たちは鞄を揺らし、女たちはバッグを揺らす。多様な音、多様なリズムと響き合い、わたしはまるでオーケストラを演じているかのような気分になっていた。今日は休日ではなかったのか? 通勤交響曲を奏でるために。わたしは家を出てきたのではない。わたしは、一体、どこへ行けばいいのだろう? あそこへ行こうとわたしは思った。パパとママに連れられてこの道を歩いた小学一年の夏の日に帰ってしまおう。あの日、秩父の長瀞へ三人で行き、川下りの舟に乗ったのだ。水のしぶきをもう一度かぶり、わたしは何もかも洗い流してしまいたい。
「ケッキョク、ナガレテイクンダヨナ」
 パパの言葉が耳に響いた。まさかと思いまわりを見まわしたが、パパの姿はどこにもなかった。キツネ目の男が、わたしの後ろを相も変わらずつけている。
「パパ、助けて」と、わたしはつぶやいた。声は小さいが、わたしの歩幅は大きかった。
「ケッキョク、ナガレテイクンダヨナ」と、パパの声がまた響く。
 小学一年のわたしの手が、パパのポロシャツにつまかっていた。パパの腕に体を預け、わたしはこわごわと川面に目をやっていた。
 ピチッ、ピチッ、ピチッ、ピチッ……。
 ママのお得意の天ぷらの油が跳ねるような音がする。音だけではない。沸騰するように川は跳ねていた。跳ねた飛沫が油のように勢いをつけて舟の中に飛び込むと、「キャーッ!」というお客の叫び声が渦を巻いた。
「ケッキョク、ナガレテイクンダヨナ」
 舟下りの終わった川岸に立ち、パパはつぶやいていた。川の水面はつぶやきのようにおだやかになっている。
「一句できた?」と、ママはパパに言った。
「とてもとても、この流れに言葉なんかかなわないよ。でも、来てよかった。ケッキョク、おれは秩父のニンゲンじゃなかったんだ」
「そんなことないわよ。この風景の中にいると、縁もゆかりもないはずのわたしも、ここにつながってるんだって思っちゃうわ」
 ママはウェストポーチから俳句の手帳を取り出した。パパと並んで川の水面を見つめている。仲間外れになったわたしは、大きな声で叫びながら二人の間に割って入った。
「パパもママも、わたしのニンゲンだよ〜ん!」
 パパのひいおじいさんが秩父のニンゲンだったらしいということをわたしが知ったのは、ずっと後のことだった。秩父困民党という集団の武装蜂起に加わり、明治政府と戦ったのだという。戦いに敗れ、ひいおじいさんは行方不明になってしまった。
 パパのおじいさんが、まだ生まれたばかりの時だったらしい。参加しなかった村人は、困民党の家々を「暴徒」と罵る。冷たい村人の目を逃れて、パパのおじいさんが津軽にやってきたのは、十五歳の時だったという。
「パパもママも、わたしのニンゲンだよ〜ん!」
 流れていったわたしの言葉が、わたしの脳味噌に波となって戻ってくる。脳味噌の外には、駅の券売機があった。
 壁に掛かった運賃表を見上げる。右端には池袋という文字があった。わたしの勤め先がある場所だ。左の端に目を飛ばす。寄居という文字があった。780という料金の数字がその下に書かれてある。長瀞には、寄居で電車を乗り換えていくはずなのだ。
 財布を開くと、一万円札が一枚だけ入っていた。千円札はない。小銭はどうかと調べてみると、一円玉の白い色だけが目立っていた。
 一万円札を券売機に入れる。小銭の流れる音がして、数枚の釣銭が先に出てきた。右手でつかみ。左手に渡すと、渡した手は、乗車券と釣りの札を待った。
 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒……。
 出てこない。呼び出しのボタンを押すと、小窓が開いて、駅員の目が見えた。
「どうしました?」
「一万円札を入れたのに、乗車券が出てきません。お釣りも」と言って、小銭を握った左手を開いてみる。
「二百二十円出てきただけです」と言葉をつなげると、返事の代わりに小窓が閉じた。
 乗車券が出てくる。
 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒……。
 残りの釣り、九千円は出てこなかった。呼び出しのボタンを押すと、小窓が開いて、いぶかしそうにわたしを見つめる目が見えた。
「乗車券は出てきたけど、残りのお釣りは出てきません」
 小窓が閉じ、ドアが開く。制服のやわらかな色とは裏腹に、駅員の目はきつかった。
「お釣り、出ませんでしたか?」
「出ません。これだけです」と、わたしは小銭を握った手を開いて見せた。
「機械の記録では、全部、お支払いしたことになってるんですよね」
「エッ!? わたしがごまかしたとでもいうんですか!? 見てください! わたしの財布には何も入っていません! 一枚だけあった一万円札を使ったんです!」と、わたしは財布の中を見せながら抗議した。
 まわりに人が立ち止まる。キツネ目の男もいた。
「ここでは何ですから、中でお話ししませんか?」と、駅員は出てきたドアの方角を指して言った。
「中に入れて、わたしを尋問するってわけ!?」
「そうじゃありません。機械を見ていただきたいんです。お釣りは、全部お支払いしたことになってるんですから」
「機械の間違いです。わたしは小銭しかもらっていません!」
「機械には、間違いなど、ありません」
「それは、言い過ぎじゃありませんか?」と、二人の間に割って入る声がした。体も割って入ってくる。キツネ目の男だった。
「わたしは、この人の連れの者です。連れですから、九千円の釣りをこの人がごまかされても、わたしの持っているお金でこの先は何とかなります。でも、一人だったら、どうなるんですか? 二百二十円の釣りだけ持たされ、長瀞へ行かされるんですよ。遊ぶことができますか? 帰ってくることができますか? 機械への過信は、よくありません。二百二十円の旅に客を追いやるなんて、あなた自身が機械みたいに情のない人間になっているではありませんか。今すぐ機械を分解し、中を調べなさい」
「今すぐと言われましても、それはできかねます。後ほどメンテナンスの担当者が点検し、機械にミスがあった場合には御連絡しますので、お名前と電話番号を教えていただけませんか? その時はこちらに受け取りに来ていただくことになりますが」
「受け取りに? そちらのミスなのに、こちらがわざわざ来るんですか? わたしたちは普段有楽町線の小竹向原駅を使っているんですよ。ここまで来ることは、ほとんどないんです」
「……」
「じゃあ、こうしましょう。暗くなってからだと思いますが、帰り、この駅で降りた時、メンテナンスの結果をお尋ねします。問題の一切は、その時に済ませてください」
「分かりました。そうさせてください。で、お客様の名前だけでも、メモをしておきたいのですが」
「コンコンと申します」と、キツネ目は言った。
「コンコン? どういう字をお書きになりますか?」
「字など、ありません」
 駅員は、困った顔でわたしに目をよこした。
「今という字を書いて、コンと読みます。それが苗字です」
 わたしの口からとっさに言葉が出た。津軽の我が家のお墓の隣に建つ、『今家先後代々之墓』という文字が頭をよぎったのだ。今をコンと読むのだと教えてくれたのはパパだった。縁もゆかりもないはずの今家だが、ここで一役買って欲しい。コンコンなどというキツネのような名を名乗るこの助っ人が、ただのストーカーだとは思いたくなかった。キツネの化身だとも思いたくない。が、この男、わたしが長瀞へ行こうとしていることを知っていたり、普段は小竹向原駅しか使わないことを知っていたり、かなり怪しい存在なのだ。
 駅員はポケットから携帯式のコンピューターを取り出した。指が動く。
「あった、あった。これが上のコンだ。で、下のコンは?」
 駅員が、わたしの言葉を催促した。さて、パーソナルネームはどうしようか? 困った。ならばこの際、『困(コン)』としようか? このキツネ目と連れ立って長瀞まで行かねばならぬとしたら、正に、困(コン)。昏(コン)でもあり、恨(コン)とも言えよう。わたしの魂(コン)に、痕(コン)となって残ってしまう。が、とりあえず、このキツネ目と懇(コン)にならなければ、わたしは長瀞への旅を取り止めにしなければならないのだ。混迷! 混沌!
「パーソナルネームはね、混沌、混迷の混です」
 駅員の指がまた動いた。
「あった、あった」
 声に続けて、駅員の指はまた動く。無機質な音に乗って細長いペーパーが流れ出し、『今混』の二文字がプリントアウトされてきた。
 駅員はペーパーに手をかけ、処刑のように引きちぎった。駅員の赤い舌が出る。ギザギザの入ったペーパーの端をペロリとなめると、駅員は唾のついたペーパーを自分のおでこにパンと貼りつけた。
「お名前を大事にしま〜す!」
 大きな声で唱えると、駅員は背中を向けて去っていく。キツネにつままれたように、わたしは駅員の背中を見送っていた。
「さて、わたしも乗車券を買うとしましょうか」
 今混は、ズボンのポケットに手を突っ込んだ。ガサガサと、ポケットの中から音が聞こえる。手が出てきた。手の先には、一枚の枯れ葉があった。
 わたしをだました券売機の穴に、枯れ葉が吸い込まれていく。野を走るように、今混の指がボタンを押すと、券売機はたちどころに反応して音が続いた。
「帰りの旅費が出てきましたよ。たりなかったら、また向こうで何とかしましょう。欲張りはバブルの元です」
 お礼と小銭を無造作にズボンのポケットに突っ込むと、今混は鞄を揺らしながら改札口へ向かっていった。もう一つの手は、頭の上で躍っている。乗車券がオイデオイデをするように手の先にあった。わたしがついていくものと信じきっているのだろう。振り向きもしない今混の無邪気な手の動きに、わたしの足は子どものように走り出してしまうのだった。今混がキツネの化身であろうとも、パパの死体と一緒にいることと比べるなら、こわいことは少しもない。
「今混さん、待って!」
 ホームへ下りる階段を一段外しで飛んでいった。ホームにたたずむ今混の手にすがりつくと、わたしは荒い息を吐きながらたずねる。
「ねえ、あなた、だれ?」
「あなたは、だれですか?」と、今混は、わたしを見つめて逆に問いかけた。土色の目の真ん中に、種子のようにまかれた鋭利な眸があった。
「わたしはね」と言ったきり、わたしの言葉は続かない。「木立実子」と答えるだけでは言いたりないのだ。「パパに死なれ、ゴミに出さなければならないわたしなんです」とつけたせば、ますます言いたりない感じがしてくるだろう。なぜ、ゴミに出さなければならないのか? なぜ、パパはそういう遺言を残したのか? 『だれ』の中味は、わたしのことからパパのことにつながっていく。ママにつながり、ママのお父さん、お母さん、パパのお父さん、お母さんのことにつながっていくはずだ。わたしの体に詰まったものを、わたしはとても説明できない。
 電車が近づいてくる。問いをはぐらかし、「電車が来ました」と、わたしは言った。
「わたしは、実子さんのお父さんと血のつながりがあるんです。一人になった実子さんを守るためにやってきました」
 電車の音に張り合って、今混の言葉が響く。ドアが開き、今混の足はホームから電車へ移っていった。
 わたしって何? 実子さんって何? お父さんって何? 血って何? つながりって何? あるって何?
 底の底まで問いつめてはとても生きてはいけないのに、底の底まで踏むように、わたしの足は鋭くホームを蹴っていた。
 下りの電車は空いている。並んで座った二人の近くには、人の姿はなかった。そう言うこちらは、はたして人なのか? もし今混がキツネならば、パパもキツネということになり、わたしもキツネということになるだろう。
「今混さんって、キツネなの?」
「コン」
「わたしのパパも、キツネなのね?」
「コン」
「パパって、今混さんによく似てるのよね。高い鼻が突き出てさ。でも、その娘のわたしはこうなのよ。低い鼻が居座ってるじゃん。これはキツネの顔なの?」
「コン」
「何がコンよ。コン一つで済ませようなんて、横着もいいとこだよ。今混さん、さっきまでニンゲン語を使っていたわよね。ニンゲン語を使いなさい」
「使いますよ。使うけど、実子さんはキツネ語への偏見があります。意味ばかりを受け取ろうとして、コン一つに込められた感情の変化、多様性に対して鈍感なんですよ。『これはキツネの顔なの?』って実子さんが聞いた時のわたしの『コン』は、簡単に言うとNOのコン、先の二つはYESのコンだったんですけどね」
「NOのコン? ていうことは、わたしはキツネじゃないっていうことね?」
「コン」
「YESのコンだァ」
「コン」
「ちょっと、ちょっと、見学旅行のバスの中じゃないんだから、YESだとかNOだとかってゲームを続けるわけにはいかないのよ。パパがキツネで、どうしてわたしがキツネじゃないの? ニンゲン語で答えてよ」
「実子さんはですね、キツネじゃなくて、ウサギなんです」
「ウサギ?」
「そう、ウサギなんです。実子さんのママも、ウサギなんです。実子さんの鼻の形、ママとそっくりですよね」
「団子鼻で悪かったわね。鼻高々の今混さん、枯れ葉をお金に変えたりして、得意満面だもんね。注意した方がいいよ。化けの皮を剥がされるっていう言葉があるんだから。だけど、分かんないなァ、ママというウサギと、パパというキツネが結婚してできたわたしなのに、どうしてわたしにはキツネの血が入っていないの?」
「男の血は男へ、女の血は女へと代々受け継がれていくものなんですよ」
「ウッソー」
「嘘じゃありません。これはフォークロア的真実です。いや、遺伝学的に考えてみても、ミトコンドリアDNAは、女性を通して受け継がれていくものだということが分かっています」
「意味、分か〜んない」
「分からなくてもいいんです。ニンゲンがいくら威張っても、脳味噌の大きさは宇宙の大きさにかないっこないんですから、無理をして考え込む必要はありません」
「考え込まないわよ。パパの遺言のおかげで、わたしの頭、パンク寸前なんだから」
「心配しないでください。帰ったら、キツネ一族を総動員して、お父さんを捨てにいきましょう」
「遺言のこと、知ってたの?」
「知っていたからこそ、こうして、実子さんを助けるために出かけてきたんです」
「コン」と、感謝の思いがわたしの喉を震わせ、空気を震わせた。
「ア、いけない。わたしウサギなんだから、ウサギ語で言わなきゃなんないんだよね。ウサギ語って、どう言えばいいんだろう?」
「ウサギ語だとか、キツネ語だとか、ニンゲン語だとかって、区切る必要はありません。繰り返すようだけど、大事なのは、そこに感情が込められているかどうかなんですから」
「コケコッコーキャッキャッカッコーワンワンブーブーホーホケキョモーモーメーメーヒヒーンガーガーウオーッコンコン」
「分かります。分かります。お父さんのことなんか忘れて、このまま遠くまで行ってしまいたいって言ったんでしょう?」
「ピンポーン。けどさ、今の言葉、分かってくれるのは今混さんだけよ。わたしたちのこと、小説仕立てで進行してるんだからさ、もし読者というものが現われた時、今の言葉じゃチンプンカンプンだよね。やっぱ、ニンゲン語でいくしかないよ」
「ニンゲン語にしたところで、読者にはチンプンカンプンだと思いますけどね。いいですよ。そうしてください」
「そうするわよ」
 さて、何をしゃべったらいいものか――改まってみると、ニンゲン語は、なかなか口から出てこない。意味なんか分からなくてもいいんだって今混さんは言ったけど、わたしが口にしたいことは、みんな意味を突きつめる言葉なんだよね。なぜキツネは化けるのか? なぜキツネは枯れ葉をお金にしてしまうのか? なぜパパは自分をゴミにしてくれと言ったのか? なぜ死体をゴミに出してはいけないのか? わたしの脳味噌を言葉はグイグイと突いていた。
 頭が痛む。言葉は捨てよう。アメーバのように丸くなってしまいたいものだ。
 靴を脱ぎ、座席の上で足を丸めた。座禅の格好のようである。パパを悩ませた仏教の正体とはこれだったのだ。人の心をアメーバのように丸め、ひたすら従順、ひたすらお布施――。
「いやだも〜ん!」
 叫び声と一緒に足が伸びる。置かれた靴に足を戻すと、わたしは車両の通路を駈けだしていた。
 進行方向に逆らって駈ける。ひたすら従順に席に着き、目的地に向かって運ばれていく自分の存在に、わたしは嫌気がさしてしまったのだ。
 運ばれていく客の視線が、わたしを刺す。追いかけてくる今混の足音が、わたしのスピードを加速させた。
 最後の車両の車掌室がとおせんぼをしている。車掌の姿が現われ二つの手を広げると、正真正銘のとおせんぼをした。
 胸もと目掛けて、頭の先から飛び込んでやる。車掌は仰向けに引っ繰り返った。
 ボタッ!
 車掌のかたわらの床を打つものがある。熟れた柿だった。わたしのワンピースに散りばめられた柿が一つ、衝撃で落ちてしまったようなのだ。
 ベルトの下、真っ正面の真ん真ん中に、柿が抜けた穴が一つ、名残を見せている。ピンクのスリップがいぶかしそうに顔をのぞかせていた。もっといぶかしい顔つきで柿の穴を見つめているのは、引っ繰り返った車掌である。
「エッチ!」と叫び、わたしは床に転がる柿をつかんだ。車掌目掛けて投げつけようと振りかぶった時、わたしの腕は後ろからつかまれた。
 振りほどこうとするわたしの手の動きと一緒に、今混のスーツの袖が揺れる。立ち上がった車掌は、わたしを取り押さえようと両手で構えた。目の先は、柿の穴のスリップに注がれている。
「手をふれるな!」
 車掌に向かって今混は叫んだ。いや、今混の声ではない。パパの声だった。今混は消え、わたしの腕をつかんでいるのはパパだったのだ。
「離してよ! こいつに柿をぶつけてやるんだ!」
「サルカニ合戦をやっている場合じゃないんだよ。第一、実子は、サルでもなくカニでもない。ウサギだもんね」と、パパは手を離してくれない。力のはいるわたしの手の中で柿は潰れ、果汁が手を伝わっていた。
 力が抜ける。電車の力も抜け、駅が一つ近づいていた。
 力が入ったのは、車掌一人である。仁王立ちになると、「次の停車駅で下車していただきます!」と叫んだ。
「もう下車するんですか? わたしたちは、寄居までの乗車券を買ったんですよ」
 わたしの手の柿の汚れをハンカチで拭きながらパパが言うと、車掌は、「あなたに言っているのではありません。この女性に言っているのです」と、人差し指を突き出していった。指の先は、わたしの下腹部の柿の穴に向けられている。目の先も相変わらずだった。
「『この女性』って言ったよね。パパのことを『あなた』って言って、どうしてわたしが『この女性』なの!? この男性、女性差別の確信犯で〜す!」
 座席に座った男性も女性も、面白そうにわたしたちを眺めていた。
 電車が止まる。車掌が寄ってくる。
「手をふれるな!」と、パパがまた叫んだ。わたしの胴に腕をまわす。
「コ〜ン!」と、パパは鳴き声を震わせた。
 ドアが開く。なぜか闇がなだれ込んできた。時間と空間を切る風が、ワンピースの裾を旗のようにひらめかせる。どうやらわたしは、フェミニズムの旗手になってしまったようである。
 光が走る。緑が走った。柿の実が成る山里が目の下にある。
 風景が押し寄せてきた。落葉が積もる神社の境内がクローズアップし、鳥居をかすめて、パパとわたしは落葉のように舞い落ちた。
 尻餅をついて引っ繰り返るわたしの格好は、通路に倒れたあの車掌によく似ている。もしかして、わたしは車掌だったのだろうか?
 車掌ではなかった。その証拠に、わたしはまたもや見つめられている。柿の穴のスリップどころではなかった。股を開いて転がったわたしのパンティを突き破るように、見下ろすものがあったのだ。
 ペニスだった。左右には、振り分けの旅の荷物のように睾丸が下がっている。
 どこへ旅をするのだろうか? ペニスはわたしを見つめているのに、目はわたしを見つめてはいない。伸ばした左手の人差し指が指す方向を見つめているのだ。右手では松明を掲げている。
 男は、真っ裸だった。性の営みの真っ最中でも、男というものは光を掲げ、あらぬ方角を指差すものなのだろうか? そう言えば、かつてわたしをラブホテルに誘ったカレシにたちも光を欲しがった。松明を掲げるカレシはさすがにいなかったが、懐中電灯を用意してきたカレシはいる。光の下でわたしのワギナをもてあそんだ指は、本当は、はるか遠くのものを指していたのだろう。その証拠に、カレシたちは、みんな遠くに行ってしまったのだ、
 目の前の松明の男は、動こうとはしない。女の爪の痕なのだろうか? ひっかき傷のようなものが表面の至る所に走り、ブロンズの肌はひどく荒れていた。立像の台座には、『秩父事件百年』という文字の浮き出たブロンズ板がはめ込まれている。
「腰が痛い」
 両足を地べたに投げ出し、パパは腰をさすっていた。冥土への往還に歩き疲れたパパなのだろうか? いや、往還なんかしていない。遠くへ旅立ったふりをして、パパは布団の中で手足を縮め、目を閉じ続けていたのだ。腰が痛くなって当然である。
 足もとの落葉に両手をやる。すくい上げると、ブロンズ像の指差す方角をわたしはにらんだ。
 太陽が、わたしの目をくらませる。くらむような光へ向かって進めというのは、度の外れた命令である。
「バァカァ!」
 立ち上がり、一声叫ぶ。空高く、わたしは落葉を投げ上げた。わたしごときの腕の力で、空高くなど、とても投げ上げられるものではない。わたしの身の丈を少し越えると、落葉は力を失ってわたしの頭の上に落ちてきた。ワンピースの柿の穴に引っかかり、下着をのぞく落葉もある。
「ヘ〜ンタ〜イ!」と叫んで、引っかかる落葉をわたしはつかんだ。
 手の中で、落葉は一万円札に変わっている。ウサギの血筋のわたしだというが、キツネの血筋も間違いなく伝わっていたのだ。
「ワーイ!」と叫んで、一万円札を投げ上げる。一万円札は風に吹かれ、ひらひらと飛んでいった。ブロンズ像の人差し指とは逆の方向である。
 人差し指に相手にされない一万円札は、多分、卑しいものなのだろう。だが、二百二十円しか財布に入っていないわたしにとっては、目先の卑しさを追いかける方が自然というものである。
 自然に足が地を蹴った。自然に逆らい、目の先には金網のフェンスが張りめぐらされ、自然の姓名をいただいた木立実子をとおせんぼする。金網は崖の切り岸を囲み、目の下には、自然を覆った舗装道路が延びていた。道路を挟んで、クリーム色の二階家が建っている。背後で息づく秋の山の自然の色をとおせんぼして、クリーム色はのさばっているのだ。
 柿の木が一本庭に立っている、これは自然といえるのだろうか?
 道にはみ出た枝々には、やたらに実が成っていた。自然そのものに手を加えた品種改良の成果なのかもしれない。
 一万円札は、柿の枝に引っからまり、葉っぱのように揺れていた。ようにだ。自然そのものは、この山里でも見つけ難い。道を探すわたしの足の動きも、キツネのようでもあり、ウサギのようでもあり、ニンゲンのようでもあった。わたしを追いかけるパパの足音も、キツネのようでもあり、ウサギのようでもあり、ニンゲンのようでもあった。
 神社の横手には駐車場があり、下りの坂道が延びている。金網を越えて滑り下りれば柿の木はすぐそこだったのに、まわり道をしてようやくたどりついたわたしは、どうやらニンゲンのようである。一万円札と見たのはわたしの厳格で、枝で揺れる茶色い葉に、一万円札は一枚もなかった。
 舗装された道の隅にしゃがみ込む。うなだれたわたしの目の下では、ワンピースの柿の穴がスリップの肌をのぞかせていた。のっぺらぼう――性の快楽にふける時のわたし自身の顔のようだ。通り過ぎていったカレシたちの顔が、青空の中に足跡のように浮かんでいた。
 道の上まで垂れている庭の柿の実に手を伸ばして、パパは一つ、もぎ取った。
「その穴、みっともないから、これでふさごう」
 そう言って、パパはわたしのワンピースの穴の上で、柿の実を手放した。スリップの上で、わたしをくすぐるように柿の実は小さく弾む。くすぐられた子どものようにわたしが笑うと、弾みは止まり、柿の実はデザインの一つとなって穴をふさいでいた。
 柿の実が一つ抜けた枝の空間には、神のスリップも仏のスリップも見当たらなかった。何事もなかったように、青い空が空間をふさいでいる。
 自然の中にエロスはないのだ。死もない。ニンゲン界の諸々を背負い込んだ肩の凝りを急に感じ、わたしはトントンと肩を叩いた。わたしに合わせて、パパも自分の肩を叩いている。
「一度、ここに来てみたかったんだ」と、パパは満ちたりた表情を作って言った。
「ここって、長瀞じゃないよね?」
「ああ」
「どこなの?」
「吉田町の椋神社の下――ブロンズ像の建っていたところは、境内なんだよ。秩父困民党の旗揚げの場所さ」
「御先祖サマも、ここに集まってきたんだね。何だか、胸が熱くなってきたわ。体の中に松明がともってるみたい」
 体の外にも、松明はともっていた。崖の上の境内には無数の光がゆらめいている。わたしとパパがしゃがんでいる崖の下の坂道も、松明の光で埋められているのだった。青空は消え、頭の上では星が光っている。頭の上の柿の実はなかった。枝もなく、幹もなく、わたしとパパは、すすきの立つ草むらの中にしゃがんでいるのだった。
 道路は幅を狭め、土をむき出した細い坂道になっていた。松明という松明が道を下っていく。つり上がった目が燐のように青白い。幹のように耳は立ち、土色の毛は逆立っていた。腹を走る純白の毛は、松明の明かりを受けて赤々と輝いている。
「コ〜ン!」
「コ〜ン!」
「コ〜ン!」
「コ〜ン!」
 叫び声が冷えた空気を震わせる。パパは鼻汁をすすった。
 バッグを探り、ティッシュペーパーの包みをパパに渡す。パパは数枚を抜き取ると、わたしに包みを戻した。
 ティッシュペーパーを鼻に当て、パパは力を入れた。鼻汁をかむ音が響く。それは目の前の秩父コンコン党の戦士たちの叫び声と全く同じ音だった。
「コ〜ン!」
 パパの体が、見る見る内に小さくなっていく。体そのものが鼻汁であったかのように、パパの全てはティッシュペーパーの中にかみ取られ、姿を消していた。
 すすきの穂の先に、ティッシュペーパーが引っかかっている。風に揺れ、穂の先を渡りながら、ゴミはどこかに吹き飛んでいった。


 〈了〉

(打ち込み作業担当 東條慎生)

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