「怒り」の力を取り戻すこと。その「怒り」は必ずや「革新をもたらす原動力となる」。何やら不穏な宣言で始まる本書は、向井豊昭という不遇な作家の「闘争」の軌跡をたどる評伝である。そこから見えてくるのは、近代日本が隠蔽(いんぺい)し、抑圧してきた負の歴史。本書の原動力はその歴史への「怒り」だ。 岡和田氏は、SFから中世史まで幅広いジャンルを網羅する博学の若手批評家である。最近はこの向井を中心とした北海道文学の発掘と普及にも尽力し、その成果として本年「向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ」と評論アンソロジー「北の想像力」を上梓(じょうし)した。本書はそれらの企画の中核をなす「理論」編と言える。 前羊では日本におけるアイヌ問題というポストコロニアル的課題を、後半は柄谷行人のの近代文学論争への批判を中心に据え、その両者をネオリベラルな政治経済体制との闘争という主題でつなぐ手並みは見事。抽象的な議論を具体的な作品論に接続し、さらに戦後日本文学の置かれた状況の紹介としても成立させるという刺激的かつ野心的な試みだ。 向井は小学校教師として北海道日高地方に赴任し、そこでアイヌ問題を自分の文学の主題として見いだした。初期作品でのアイヌ差別に関わる己の無力と苦悩から「声」を持たないサパルタン(従属的社会集団)を表象することの困難を経て、目本語と近代文学という制度の「暴力」に対する自覚と抵抗へとたどり着く。向井がその後半生でエスペラントと超現実主義に傾倒した理由を、岡和田はこう読み解く。 とりわけ本書で示唆的なのが、向井と同じく「怒る」作家の代表格、笙野頼子との比較。両者の共通点を「近代や権力への抵抗のスタンス」とした上で、当事者性の問題を巡りその立場を異にする、という指摘は鋭い。 批評理論や哲学を血肉となるまで読み込んだ著者は、向井と笙野のポストコロニアル的読解が日本文学史を再構築する可能性を的確に把握している。日本文学を「世界文学」となす道筋が、ここにはある。
(長澤唯史・椙山女学園大学教授) 「時事通信」2014年8月30日配信記事 (著者の許可を得て転載しています)
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