1 モーニングで身をかためた大将が一人 家臣に守られ回廊を進んでいく 大将の髪の色は 煙幕のように降り続ける今日の雨と同様にくすんでいるが 在りもしない天国の白雲のようなウエーブをかけ 大将の気品をかもし出そうとしていた 裾の跳ね上がった髪型は 白雲というよりもまるで兜のようだった 本殿を狙うテレビカメラの映像に 鉄砲玉のように雨粒がぶつかる 蜂の巣状の白濁が広がり 映像は切り替わった 凱旋門をくぐるように たくさんの幟が神門をくぐっていく 紋所は日の丸 その下の 墨痕淋漓な文字はといえば 「風林火山」などではなかった 「天皇陛下萬歳」 「英霊追悼の日」 「日本はこのままでは滅亡する」 無神の馬が生きていたら 今日のこの出来事に どのような嘶きを見せてくれるのだろう? 2 六十一年前の今日 日本が滅亡した日の 東京のお天気をぼくは知らない 東京を離れ 祖母と一緒に 祖母の故郷である下北半島に疎開していたのだ テテナシゴのぼくに 父はいなかった 酌婦の母と 二人の叔父は結核で死に 失意の祖父は飲んだくれとなり 胃袋から血を吐いて死んだ 祖母はぼく一人を連れて 疎開しなければならなくなったのである 港町の旅館で 祖母は住み込みとなって働いた 二階の隅の天井の低い一部屋が ぼくと祖母の場所だった 神国日本が滅亡した六十一年前 ぼくは国民学校五年生だった 昭和八年生まれのぼくは 本当なら六年生でなければならなかった ぼくは落第をして 東京都下北半島で 五年生を二回やったのだ そのころ 無神の馬が生きていたら ぼくの落第に どのような嘶きを見せてくれたのだろう? 3 無神の馬は もう死んでいた 昭和十五年十一月二十日 豊島区千早町 東荘アパートの一室で 妻と息子に看取られて死んでいた ぼくの母 ぼくの二人の叔父とまったく同じ病気のために
私の虚無は/悔恨の苺を籠に盛ってゐる/私は喰べながら笑ひ泣き悲しみ怒り/朝日が昇るとけろりとしてゐた/愛するものは貝殻のやうに/背中にしがみついて離れない/愛は永遠の喜ばしい重荷だ/町に放された馬/あゝ それは私の無神の馬だ/毛皮は披露して醜く密生し/光のない草地に平気で立ってゐる。
「無神の馬」と題された一篇の詩を まるごとここに書き写してしまった 改行なしに詰めてしまったのは 他人のふんどしで そのまま相撲を取るような疚しさが働いたのかもしれない いや 違う 馬はふんどしなど必要としないのだ 今 ふんどしは おしゃれの市場でブームとなっているようだが 詩人たちよ 無神の馬にふんどしは要らないのだ。 あなたたちは ふんどしを外して 詩を書いているか? 4 ぼくは今 東京の多摩地方に住んでいる ベランダのガラス戸からは畑が見え キャベツの苗の緑が 八月十五日の雨に打たれていた テレビを消し 傘をさして外に出る まろやかな葉が 赤ん坊の手足のように 大の字になって広がっていた 葉の先は土の面に だらりと垂れ落ちている 5 無神の馬は 私有財産制ではない世の中を願った ふんどしのない世の中だ ふんどしをあてがわられ 詩の世界は衰えていく 三十九歳で死んでしまった最後の何ヵ月かを無神の馬は詩にケツを向け 漫画の台本書きに熱中していた プロレタリア画家 芳賀仭(たかし)の紹介だった 漫画も描いていた芳賀は 自分の関係する出版社 中村書店に 無神の馬を紹介したのだ 五月三十日に一册目 十一月十一日に二册目 十一月二十日に命を落とし 四五には 残された二册の台本が漫画本となって世に出る
最晩年の仕事振りは、人格と言った以上のもの、深い森のような森厳と言ってよいような雰囲気のする仕事振りになりました。死を自覚するようになっていたのでしょう。
妻のつね子さんの手記の一部である 森となった無神の馬は 一日中 原稿用紙に向かう 座机の前から 立つ力もなくなり 小便は 便器を便ってすますのだった 小柄な体のつね子さんが 後ろから 無神の馬を抱き上げる 便器を前に差し込むには 空いている足を使わなければならなかった 足の先で便器を押す 便器はなかなか前に行かない 座机の下にはまった膝がつっかかり 体が上がってこないのだ ほどよい空間を作るためには 机の下から 膝を抜かなければならなかった つね子さんの目から 涙がこぼれ落ちる 涙は 無神の馬のたてがみの上を滑って消える 生きることは 消すことなのだ 涙をこらえ つね子さんは 羽交い締めにした無神の馬を引っ張り出す 羽交い締めだ 相手は鳥になっている 痩せ衰えた無神の馬の脚は 鶏の脚のように細くなっていた ただの鶏ではない 夜明けを予告する 一羽の無神の鶏なのだった 6 死の直前に出された二册目の漫画本 『コドモ新聞社』を大雑把に語ってみよう 夏休み 旧制中学生の正夫サンが村に帰省してくる 正夫サンの提案でコドモ新聞社を作ることになり 村の子どもたちは化け物屋敷に集まるのだ 空き家になったカトリック教会である 活版の印刷機を用意して そこをコドモ新聞社の仕事場にしてしまう (無神の馬は かつて旭川新聞社の記者だった) コドモ新聞社社員名簿 編集長 正夫サン 記 者 次郎クン 〃 三郎サン 印刷部 徳チャン 活字工 源チャン 〃 雪夫クン(正夫クンの弟) 伝書鳩 ポッポさん 給 仕 チョロちゃん(ハツカ鼠) 『コドモ新聞』第一号は 製粉所の火事騒ぎを取り上げる トップ記事は 消防ポンプのお粗末 「ぜひ最新式のポンプを消防や村の人のために買ふやうに骨折つてください」 村長に対して 新聞は訴えるのである 火中に飛び込み 猫のミケを救ってくれた消防手 佐々木助左ヱ門を讃える記事もある 第二号は 三十人の婆さんの大騒ぎのこと 地質調査で村に泊まっていた中学の地理の先生 佐藤元吉(五六)が水を飲もうとして井戸水を汲み上げると つるべの底が抜けてしまう 井戸の神様の罰が当たるから 神主を呼んでお払いをしろと 大導寺おそめ(七三)たち婆さん連中に詰め寄られ 佐藤先生は卒倒してしまうのだ 村長の必死の仲裁で婆さんたちは解散するが これらのことが「村の迷信」という題で取り上げられる 第三号は 幽霊探検隊 昔 石炭を掘った後の横穴に幽霊が出るという噂を聞きつけ コドモ新聞社の社員たちは探検に出かける 記事は 「幽霊の正体は握り飯」という題で書かれた 何と 一メートルほどの白いカビが握り飯から生えていて 空中で揺れていたというのだ それが契機となり 少年科学探検隊を作ることになったということも書かれている 一夏の『コドモ新聞』は三号で終わる 終わってならないのは 無神の馬の志だ 十五年にわたる戦争の最中 無神の馬は 子どもたちのために 最後の仕事として漫画の台本を書いたのだ 軍人は 一人も出てこない 村の現実を見つめ 少年科学探検隊へと止揚していくこの漫画で 無神の馬は 神国日本が滅亡した後の国の姿を考えていたのだ。 七 雨傘をさし キャベツ畑のまわりの細い道を歩いてみた ゴツゴツとした舗装の感触が靴の底から伝わってくる 国民学校五年生のゴツゴツとした夏の思い出が ぼくの心で揺れていた つい先日まで 目の前の畑ではとうもろこしの葉が揺れていたが ぼくの思い出の畑では春夏秋冬 とうもろこしが立ちつくすのだ とうもろこし畑をはじめて見たのは ここから余り遠くない清瀬でのことだった 清瀬の結核療養所には ミッちゃんと呼ばれる上の叔父 光彦が入っていた ぼくの家族は ミッちゃんと叔母だけになってしまった時代である 療養所への道のほとりには 軍旗のような房を垂らした実をのぞかせ とうもろこしが整列していた お百姓さんが一人 畑に立って閲兵している 号令をかけるような蝉の声がした 叔母の足が止まる 「こんにちわ 見事なとうもろこしですね 少し分けていただけませんか?」 「駄目駄目」 「病人に食べさせたいんです この子にも食べさせたいし 二本だけでいいんです いえ半分わけにしますから 一本でもいいんです」 お百姓さんの返事は もうなかった 療養所の昼食メニュー
○食パン 一きれ(そのころは配給のコッペパンしかない時代なので ぼくも祖母も目を見はる) ○バター 一かけら(賽の目に切った豆腐ほど 久しぶりのバターの姿 そして見たことのない小ささに ぼくも祖母も目を見はる) ○かぼちゃの茎の煮つけ(祖母と食堂の行列に加わり 雑炊(おじや)を食べた時に入っていたのがかぼちゃの茎だったので 目は見はらない) ○かぼちゃの味噌汁(かぼちゃの量が少なく 煮崩れて 姿は見えない 祖母が指を一本入れ なめて確かめる 「ぼくも」と言ったら怒られたので ぼくは恨めしやだった)
8 ミッちゃんの栄養源を得るために 夏休みのぼくを連れて 祖母は故郷への旅に出る 十六歳で奉公に出されてから 半世紀ぶりの帰郷なのだ 故郷へ錦を飾るのではなく 故郷の錦のおすそわけをお願いするという何ともみじめな旅だったわけである そんなことをぼくは知らない ぼくにとって 旅は初めてのものだった 胸はふくらみ 体ははずむ はずむ体の動きを止めたのは 通路も塞ぐすしづめの乗客だった 風呂敷を通路に敷き 祖母と並んで座りながら ぼくは初めての旅を経験したのだ ふくらむ胸を守るように ぼくは二つの腕で胸を抱き続けていた 9 着いた故郷では 赤痢がはやっていた 三日目 頼っていった親戚の赤ん坊が赤痢になり 付き添う母親と一緒に入院する 玄関には出入り厳禁を告げる赤紙が貼られ ぼくたちは閉じこめられた 窓からは 親戚の家のとうもろこし畑が見える 北の国のとうもろこしは まだ背が低く 実がついていなかった 窓の横桟を物差し代わりに 片目をつぶって伸びていくとうもろこしの背丈を計ることがぼくの日課となった 赤ん坊が退院をしてきたのは 三週間もたってからである とうもろこしは成長し 実はふさふさとした毛を垂らしていた 帰ってきた赤ん坊を囲んで みんなの笑い声がはずんでいる時 「向井イチさんづ人(ふと)ァ居だべがにし?」という声が玄関でした 制服を着た郵便局員が立っている 祖母が立ち上がると 局員は 「電報」と言って 折りたたんだ小さな紙を渡した 局員の去った玄関で 祖母は開いた紙に見入っていた 読み書きが余り得意ではない祖母が 自分の力で読み取ろうとしていることは 張りつめた表情から伝わってくる 手が震えていた 親戚の主人が立ち上がる ぼくも立ち上がった 祖母の手もとを 二人は左右からのぞき込んだ ムカイミツヒコ一五ヒシス 「今日ァ ハァ 二十日だべ」 太い声の響きより早く ぼくの体は外に向かって飛んでいった ぼくの足は とうもろこし畑へ走っていく 三週間をかけて観察したとうもろこしは ぼくの友達となって聳えているのだ もぐり込むぼくの頭を葉がなで ぼくの頬を毛がなでる 「ミッちゃ〜ん ミッちゃ〜ん ミッちゃ〜ん!」と ぼくは手放しで泣き続けた 10 東京に戻り 玄関の戸を開けると 電報が二通 たたきの上に落ちていた 一通は危篤を知らせるもの もう一通は 死を知らせるものだった 一般の家には 電話などない時代である 飛んでこない家族の反応に不審を持った療養所は ミッちゃんの持ちものを調べてみた 手帳の中に 家族の旅先をメモしたミッちゃんの文字があったというわけである 後で分かったことなのだが 三通目の電報が下北に発信された日 ミッちゃんの遺体は火葬場に運ばれたのだそうだ 東京の夏の暑さは それ以上 遺体を保管することを許さなかったのだ 一晩を自宅で眠り 次の日には療養所へ行く そう決めた祖母は 朝になっても布団から出ることができなくなっていた 下痢の症状が続き もしかしたら赤痢にかかったようなのだ お金は使い果たし 医者など呼べない どこに医者がいるのかも分からなかった 夏休みがはじまる直前 ぼくたちは引っ越しをしてきたばかりなのだ 強制疎開のためだった 空襲による延焼を防ぐため 東京のあちこちには 建物をぶちこわした空白地帯が作られていった その図面の内側に ぼくの長屋も入ってしまったのだ なかよしだったヒロユキさん ヨーコちゃん モーちゃん タマコちゃん 図面の外側に みんな消えてしまったのだ 布団の中の祖母の指示で ぼくは全ての切り盛りをした 無神の馬が使ったような便器は ぼくの家にはない 押し入れの中の古い綿を言われた通り探し出し 祖母は それをおしめ代わりにするのだった 汚れてしまうと ぼくは祖母に言われるまま縁の下の奥に隠した 臭いという感覚は ぼくにはなかった 臭いという感覚は 平穏無事を装ったおごれるニンゲンのものなのだ 米は一粒もなかったが 二人がリュックに詰めてきたじゃがいも 人参 大豆 澱粉 りんご そしてとうもろこしなどは 二人を生かしてくれるものだった 祖母にはりんごをすり 澱粉での葛湯を作った 三日たっても 祖母は起き上がれなかった 古綿の量はどんどん減り 食糧品もどんどん減っていく 魔法の国の助けを求めて忍び込むように ぼくはそっと玄関の戸を開けて外へ出た なじみのない町の中をキョロキョロと歩くぼくの目に 薬屋のガラス戸に貼った広告の文字が飛び込んでくる 萬病に効く朝鮮人参 「萬病に効く」という文字は 正に魔法の国の助けのようなものであった 店に入り 薬屋のおじさんに聞く 「あのう 朝鮮人参って 下痢にも効くんですか?」 「下痢にだって 寝小便(オネショ)にだって効くよ」 「いくらで買えるんですか?」と ぼくは顔を赤らめて言った ぼくは時々オネショをするのだ 「二円だよ」 「二円 二円 二円 二円 二円 二円」 つぶやきながら歩いていく 古本屋の店頭に 「一册二円」と書いたボール紙が置かれ 雑誌が積まれていた 我が家の玄関の四畳半の本棚には 本好きだったミッちゃんの本やら雑誌やらが ぎっしりと並んでいる ぼくは家へ向かって駈け出した ミッちゃんの雑誌を売って手にした朝鮮人参は 祖母の下痢をピタリと止めた 朝鮮人参の底力である その九年前 無神の馬は 「長長秋夜(ぢゃんぢゃんちゅうや)」という叙事詩を書き 朝鮮人参のような底力を持つ人間の姿を讃えていた 11 二学期の始業式は八月二十一日 学校はもうとっくにはじまっていた 二つの違う校区を通り ようやくたどりついた五年松組の教室は 机の数が半分に減っていた 夏休み中に集団疎開があり 友達のほとんどは それに参加して田舎へ行ってしまったのである 女子組である竹組の残った子は 男子組である松組の残った子と一緒になる 男子共学の発足だった ベルが鳴り 先生が入ってくる 先生は 学校の中で一番こわい先生に代わっていた 「君、向井君かね?」 「はい」 「前に出てきなさい」 一寸先は闇だらけのこの世を学んでしまったぼくは 図太い表情で前に行った 「どうして無断欠席をしていたのかね?」 ぼくは言葉を探しあぐねていた とても一言では答えられない 「ズル休みかね?」 あわてて首を横に振る 「病気かね?」 (そうです 病気のミッちゃんが死んだんです おばあちゃんが病気になってしまったんです) 心の中でつぶやきながら ぼくは首を縦に振った 「どこが悪かったのかね?」 「肺 おなか」と ぼくの言葉は節約されていた 「贅沢は敵だ」と 街には標語が貼られている フンと先生は鼻であしらうと 教室を見まわして言った 「いいですか 皆さん 自分の体は大事にして お国のお役に立てなければなりませんよ 畏くも――」 そこまで言うと先生は胸を張り 直立不動の姿勢をとった みんなは一斉に立ち上がり 先生の姿勢を真似る 「――天皇陛下の赤子(せきし)として 己の体をないがしろにし 犬死にをするようであってはならない!」 重い足どりで下校する 隣の学校の校区を過ぎ その隣の校区に入る家の近くだった 道ばたで子どもたちがたむろしている 転校するとすれば その子どもたちの学校に行くのだ ランドセルが いきなり後ろから引っ張られる 「何をするんだよ!」と ぼくは叫んだ すぐ先に交番がある おまわりさんが机に座って書類を書いていた 「おまわりさ〜ん!」 おまわりさんはこちらを見たが またペンを動かした 悪童たちは逃げていく おまわりさんの権威を 悪童たちは信じていたのである が ぼくには その日 信ずる正義は一つもなくなっていた ぼくの長いズル休みがはじまり ぼくは国民学校落第生となったのだ 12 下北半島で迎えた八月十五日は ミッちゃんの新盆だった 祖母はお墓に持っていく御馳走を朝から作っていた 重箱には 赤飯や煮しめが詰められていく 母の残した着物が化けたものなのだ その日 正午 天皇陛下の放送があると伝えられ ぼくは正午を待ち続けた それが終わったらお墓に行き そこで御馳走を食べられるからなのである 祖母の実家のお墓を借りて 東京から運ばれてきた家族の骨が納められていたのだ 正午近く 旅館の居間にぼくと祖母は行った 人が集まっている 正午の時報がラジオから響き みんなは崩していた足を正座させた 雲の上からの声のように ラジオは聞き取り難かった 放送が終わる 「敗げだんだべな」という半信半疑の声がした 強い日差しが差し込んでいる ミッちゃんこと光彦の名にふさわしい 新盆の青空だった 13 雨は止まない キャベツ畑の向こうを車が走っていく ワイパーが高校野球の応援団員の腕のように揺れていた 車たちは 何を応援するというのだろう? 四年前 ここに引っ越しをしてきた時は 車の走るあの広い道はなかった 道のあるところは畑で 向こうに聳えるマンションもなかった 聳えていたのは けやきの大木だったが 今大木の姿はない 風景は こんなふうにして変わっていく あの戦争の時代の姿が見えなくなるのは当然だろう が 詩人たちよ 無神の馬の詩人としての名が いくら何でも あなたたちに見えなくなっているということはないだろう 小熊秀雄 あの過激な詩人が 大熊ではないというところが面白い 言葉のズレ ズレの作る辛辣な諷刺 小熊秀雄は 時代と権力を嗤い続け死んでいった その小熊秀雄が 「内務省の担当者佐伯郁郎の斡旋によって(略)中村書店に編集顧問として招かれた(復刻版『愉快な鉄工所』05年5月)」と書かれ 仕事の斡旋者をプロレタリア画家芳賀仭から 特高の元締めである内務省の官僚にすり替えられてしまったことを 詩人たちよ あなたたちは御存知だろうか? 犯人は 評論家の宮本大人(ヒロヒト)である ヒロヒトという名 ぼくはどうも好きになれないが ぼくの名も豊昭 昭和万歳に通じる名なので 他人の名前にケチをつけられる身分ではない が ぼくは今 昭和万歳がペテンだったことを 六十二年目のミッちゃんの日に こうして語ることにしたのだ 宮本大人の発言を鵜呑みにし これもまた評論家 大塚英志は あちらこちらで もっと過激に無神の馬を蹴飛ばしている
翼賛下にプロレタリア詩人から転向し、内務省の斡旋で「まんが原作者」となった小熊秀雄を思い起こせば、「転向文学」は「映画」や「まんが」といった動員力のあるメディアの下働きとしての役割をむしろ担わされている。(『WB』1号05年11月)
まろやかな葉が 赤ん坊の手足のように 大の字になって広がっていた 葉の先は土の面に だらりと垂れ落ちている葉の表面の水玉は垂れ落ちもせず 夢のようにひしめき合っていた 神のようにではない 人間の見る夢のようにである
(了) 2014.9 引用字下げ忘れを修正
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