見えないものこそ、見つめなければならないのだ―向井豊昭メモ
東條 慎生

※註 本稿は「幻視社第四号」向井豊昭特集のために書かれたものです。


 ここでは私なりに向井作品の特色を、いくつかの作品を例に挙げて述べていきたいと思います。本来は遺族の方や「早稲田文学」に掛け合って許可を得て未発表原稿を借り受け、私よりもずっと作品を読み込んでいる岡和田さんにお任せしたいところですけれども、実に多忙であるため、アイヌについて無知な上、向井豊昭初心者であるところの私がこの項を担当させて頂きます。至らぬところは平にご容赦頂きたい。

 向井豊昭は1933年、東京都で生まれる。その後青森県の下北半島で育ち、北海道のアイヌ・モシリの小学校で25年教員を続けた後、東京へ「逃亡」、同人誌等の活動を経て、1995年、「BARABARA」で第十二回早稲田文学新人賞、第二回四谷ラウンド文学賞受賞を受賞。その後早稲田文学を中心に、また教員生活を送っていた北海道で発行されている同人誌などにも小説などを発表していたが、2008年6月、肝臓癌にて死去。
 と、知られている略歴としてはこうなる。ただ、元々彼の祖父が石川啄木を北門新報に紹介し、札幌で一緒に住んだこともある北海道の詩人の向井夷希微(むかいいきび)であり、向井は彼の詩を読むことから文学上の出発を果たした(「詩集北海道」あとがきより)ということはあまり知られていない。作品にしばしば見られる、詩や歌への強い関心はそうした経緯もあってのことだ。
 向井豊昭を読む時にはずせないのがこの、北海道とアイヌのモチーフだ。そしてもう一つ、教員であったという経歴が示すとおり、子供と教育の問題についても頻繁に取り上げられている。というより、この二つの要素は独立したものではなく、アイヌの学校でヤマト人の自分が教員をやるからには向き合わねばならない問題だったのだろう。
 癌による死期が近づくなか、手作りの同人誌「Mortos」の第四号に掲載されている「思想は地べたから」という、教員生活をはじめて数年の段階で書かれたエッセイには、小学生たちが持っているアイヌ差別の認識を少しずつときほぐしていくありさまが描かれている。アイヌ問題と教育問題はここで差別を介して密接に絡み合っている。差別とはまた同時に、権力と歴史の問題でもある。
 ヤマト人である自分がアイヌ差別問題に取り組むと言うことから来る、自身の立ち位置への問いも向井作品にしばしば見られる要素だ。東京へ「逃亡」と自嘲気味に自身の経歴を綴るところからも伺えるのだけれど、各作品には少なからず、ヤマト人である自分の「ヤマト」ぶりを自虐的に俎上に載せる部分が見受けられる。
 反骨精神を旨とし、差別や体制への強い抵抗を試みるのと同時に、アイヌに対しては加害者側に立つヤマト人である自分がそうしたものに携わることへの批判意識とが渾然一体となり、さらには哄笑的なユーモアと下ネタが加えられ、向井豊昭の独特のエネルギッシュな文体を作り出している。
 以下、いくつかの作品を例に向井作品のモチーフを見ていきたい。

●言語と翻訳・「怪道をゆく」
 作品発表順とは関係ないけれど、まず、アイヌと北海道のモチーフの取り扱いを見るに恰好なのが北海道を舞台にした短篇「怪道をゆく」だ。向井豊昭が釧路空港に降り立ち、風蓮湖のある根室方面へと車を走らせるのだけれど、レンタカー備え付けのカーナビはなぜか尺貫法で距離を告げ、すべてのメッセージを五七五七七の短歌調で発声する。向井はそんなカーナビと「ナビちゃん」と呼んで、怒ったりすかしたりしながら道中を付き合い、北海道のアイヌがヤマトによって被った様々な歴史的経緯を想起する。道中、突如1800年代の北海道にタイムスリップしたりと破天荒な展開をするのだけれど、そうした時間的転移と同時に、ここでは短歌を題材とした言語間の転移、翻訳が大きな主題として浮上してくる。アイヌの地名を日本語化した北海道の様々な地名自体にも翻訳の要素はあるともいえ、さらに、老作家はさまざまな音楽や詩、短歌のアイヌ語のもの、日本語のものを引き合いに出し、自身でもアイヌの言語学者知里真志保のアイヌ語の本や萱野茂の著作などを参照しながら、アイヌ語の翻訳を試みていくことになる。
 さらに、世界初のアイヌ語辞典「もしほ草」をまとめた松前藩の通辞、上原熊次郎のことに記述が及ぶと、この「翻訳」行為のアナーキーな性質が浮かび上がってくる。「もしほ草」には百人一首をアイヌ語に訳したものが出てくるのだけれど、向井はそれをさらに日本語に訳し戻して、その変わり果てた姿を面白がっている。翻訳行為がどうしても含んでしまう言語、文化的な差異によるズレが二重に翻訳されることで増幅し、それが日本らしい五七五七七の短歌をぶちこわしにしてしまう結果となる。まるでネットでも時々冗談めかして行われる翻訳ツールを用いた遊びそっくりのことがここで行われている。つねに五七五七七で語るカーナビの「ヤマト」性、それは向井自身の身体にも脈々と流れるものであることを自覚しつつ、こうした二重翻訳や、五七五七七のリズムでエンジン音や排気音等の擬音を口にしたりすることで、内部から解体させていこうというものだろう。翻訳とタイムスリップの交錯は後半、自動車がこれまでとは違う場所に出て、松前藩の通辞、上原熊次郎に出会ってしまうところでみることができる。
 教育については大きく取り上げられているわけではないけれど、日高地方で教員をしていたとき、アイヌとヤマトの子が一緒の教室でヤマトの言葉だけを使い、「同化教育」の総仕上げをしていた、とやや自嘲的に書かれている。

●言語と権力・「ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ」
 「怪道をゆく」の姉妹編とも言えるのが、自費出版でのBARABARA書房版「怪道をゆく」に収録されている「ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ」(雑誌初出「早稲田文学」」2003年3月号)だ。この短篇は、学校でのいじめによってひきこもった少女が、なぜか現れた児玉花外という詩人と空を飛びながら野球場へ向かう道すがら、なぜか少女と花外が交合し、なぜかすぐさま生まれた子供が第一に発した言葉が表題作になっているという怪作。
 少女は学校でいじめられたことがきっかけで十年引きこもっていて、さらに、彼女に向けられた言葉がまとっていた七五調言葉のリズムそのものに発疹を生ずるという、「五&七アレルギー症候群」を発症している。そんな彼女と二人住まいの彼女の母は、学校で君が代の伴奏を拒否し続けたために矯正室に入れられている。そして児玉花外は戦前、「社会主義詩集」を出版直前に発禁になったという人物で、つねに七五調のリズムで詩を書いている。
 児玉花外は途中で不倫の現場を目撃した少女の母、長田須賀子の旧姓は菅野であることを知り驚く。菅野須賀子とは菅野スガとも呼ばれ、幸徳秋水と不倫関係にあったという、大逆事件で刑死した自由民権運動の重要人物だ。とにかく展開がトンでもないこの破天荒極まりない短篇では、さらに詩人田村隆一すら出てきて、彼のそれまでの韻律とは違うリズムの詩を、少女がそこにも七と五があるとアレルギーを発症してしまう。少女は言う。

五音と七音は、日本語の中に、どうしようもなく食い込んでいるのだ。

 このどうしようもなさを打ち破ろうと少女と花外は七五調に囚われない調子はずれの言葉を延々とつぶやきながら交合する。それでも、七五調の詩の群れが作品に横溢していくが、少女は陣痛に襲われながらそんなものにアレルギーを発症している暇はない、とばかりに出産に手一杯になり、挙げ句産んだ子供が発したのがタイトルの意味の分からない五七五七七のリズムだった。これもまた「怪道をゆく」のように、言語と文化に潜む体制的要素を何とか逸脱しようと試み続ける運動が見て取れるのだけれど、ともに、韻律そのものを崩すよりは、そこに込められる意味を解体していこうという方向を向いているように思う。向井にとって言語は権威、権力の問題と密接に絡み合ったものとして現れることが多い。そして統制された美しい文章と言ったような単一性、権威性への抵抗として、外国語、擬音語、擬態語、意味のない言葉などなどを多彩に引き込もうとする言葉の乱調が横溢することになる。これは向井作品の表題を見るだけでも分かる。
 もうひとつ付言しておきたいのは、自由民権運動にかかわることだ。ここでは大逆事件、幸徳秋水、菅野スガといった人物が現れ、戦前の社会主義運動への関心が伺え、「パパはゴミだった。」でも、秩父困民党事件が重要な題材として取り上げられているように、この時期向井は自由民権運動について関心を持ち調べていたようだ。

●言語の逸脱
 言葉、言語の問題は向井にとってきわめて重要だ。作品に横溢する詩歌などの言語芸術の引用の多さと、方言などの多様な言葉遣いの使用は向井作品のひとつの本質とも言える。前節までは日本語の韻律と、アイヌ語と日本語との関係について書いたけれど、日本語内部でもたとえば単行本「BARABARA」収録の「アイデンティティはアイティティ」において女言葉が採用されているのが注目に値する。しかも、この短篇の語り手は性転換した女性であるため、やや過剰な女らしい言葉遣いに見えるうえ、興奮すると男言葉が出てしまうという分裂的な存在としてある。さらには、カラス半島という架空の土地出身で、カラス弁(東北の方言っぽい)を喋るというひねりが加えられてもいる。ちなみに、主人公はエステによって子を生むべき女性の健全な肉体と精神を退化させ、男性を脱毛し女性化することで国家のために戦おうとする意気を奪い、カラス困民党によるカラス半島独立を手助けした罪で逮捕されるというカフカ的な筋書きになっている。
 また「劇團櫻天幕」では、寺山修司の言葉遣いが俎上にあげられる。彼のアクセント一つない発音のことを、青森訛りだという人があるが、それは違うと語り手は言う。寺山の平板なアクセントは、青森訛りでもなく、東京弁でもないのだという。

「青森のアクセントを捨てようとして、東京のアクセントまで捨ててしまった寺山なのだ。」

 ここに、標準語と方言というヒエラルキーをそのまま受け入れてしまった「上京者」のコンプレックスを鋭く批判する視点を感じずにはいられない。
 「パッパッパッパッパッパッ」というタイトルの短篇では、妻の夫を呼ぶ言葉や赤子の立てる音、乳首を吸う音、笑い声その他様々なものが、この擬音語の形を借りて現れる。他にも「飛ぶくしゃみ」でくしゃみの擬音、「ハックション」を子音で「HKKSYN」と記してみたり、なぜかそれを「SYNKKH」と逆から読んでみたりと、言葉の意味と文脈をさまざまにずらし、異化しつづけるというのは向井の特徴的な手法の一つといえる。

●神話と権力・「熊平軍太郎の舟」
 アイヌの神話と子供の問題を取り上げたのが「熊平軍太郎の舟」だ。ここでは、神武東征の神話のなかで倒される「熊」と主人公の少年の苗字「熊平」という名前の一致と、母親の売春行為(つまり少年はアイヌの貧困層ということ)を一緒くたに同級生らに嘲笑される場面がある。この作は、アイヌ由来の名字である熊平という名が、国家神道による神話の再編とともに貶められてしまった状況が描かれている。

 森羅万象、全てが神々であったことは、どこも同じだ。だが征服者は、自分の論理で、被征服者の文化を斬ってしまう。熊野神社の御神体であると教師が教えてくれた三神は、征服者の神であり、熊野本来の神は家都御子神、熊野速玉神、熊野夫須神なのだ、征服者の鋳型の中で変えられた熊野の神々は、クマピラの崖の上に鎮座し、アイヌ語を放逐してしまったのである。

 とはいっても、この作、ただ単に地方のアイヌの血を引く少年が、国家神道による神話の再編に抵抗する、というようなわかりやすい図式化で済むような話ではない。上記のエピソードは回想のひとつであって、回想する現在においては、軍太郎は肝臓癌に冒されているというのがメインの筋書きだ。しかも、診察するのは「出張クリニック アマテラス」で、皇紀で日付が記された診療結果が郵送され、あとからそこのクリニックから「SM科 天 てるてる」などというアマテラスを茶化しきったような名前のデリヘル嬢みたいなのがやってくるという無茶な展開になったうえ、その女性はいつしか軍太郎の母親になってしまう。
 売春で生計を立てていた母親と皇祖神とが混濁していくわけだけれど、そこから近親相姦的なイメージを描きつつラストへ向かっていく展開は非常に印象的だ。低俗さと茶番じみた荒唐無稽さが聖性に叩きつけられ、カオスじみた複雑さを抱えながら、描写は鋭くなっていく。なかでも、特に印象的な一節を引用する。

見えないものこそ、見つめなければならないのだ。

 これに似た文言が「怪道をゆく」にも出てくる。「怪道をゆく」の老作家も「見えるものは全て醜い」と吐き捨て、見えない国へと行かなければ、と考える。神話と言語というこのふたつの要素は、ともに明治という近代国家成立期において、著しい国家による統一的再編成を被った分野だといえる。今見えるものは、すべてそうした再編の結果としてここにある。だからこそ、言語と神話の向こう側を見つめなければならない。
 この系統の作品として、知里幸恵の「銀のしずく降る降るまわりに」の訳で知られるユーカラを扱った「ぺ、ぺ、ぺ、ぺ、ぺ、ぺ」も挙げられる。


単行本(一般流通もの)
 以下、一般に入手できるものと、今では入手困難な単行本について簡単に説明した。

●「BARABARA」四谷ラウンド(一九九九年三月)
 早稲田文学新人賞受賞作で、ある教員の一日の行動の至る所で自身が分裂していくという多重分身小説。アイヌ、言語、教育、そして昭和の終わった日について等々、向井作品特有のモチーフをもつ。分身は不逞の輩などとも呼ばれ、アナーキーな自己スタイルを宣言するかのような決然としたデビュー作。「アイデンティティはアイティティ」は前述したので略して、「下北半島における青年期の社会化過程に関する研究」。東京に上京してきた贄幸悦という青年が、下北弁による下北論を書こうとしている、という状況があるのだけれど、下北は川内の彼の故郷から、もう一人の贄から「下北弁は喋る言葉であって書く言葉ではない」と電話がかかって来るというこれもまた分身モチーフの小説になっている。方言、そして下北の土地それぞれの格差問題などが、上京者と地元民という分裂のなかで問われる示唆的な作品。三作それぞれにおいて自己の分裂、分身というモチーフが頻出するのは単行本の題通りで、以降も向井作品においても引き継がれていくのだけれど、同時に、アナーキーな快活さも見られる点が向井作品らしさというものの基調を成しているといえるだろう。

●「DOVADOVA」四谷ラウンド(二〇〇一年七月)
 百五十頁ほどの短いものだけれど、著者唯一の長篇小説。主人公犬尻昭男の半生を「うんこ」を軸に振り返るという試みで、表題は水洗便所を流す音に由来している。そもそも、向井作品では、排尿、排便、あるいはくしゃみも含めれば、ほとんどの作品にそうした排泄行為が書き込まれているのが特徴で、この人体の卑しき「生理」への執拗なこだわりは同時に逃亡者である自己への批判とも絡み合う。作品は、ほとんどノンフィクションのようなエピソードを綴ったものと、十返舎一九の作中人物や坂口安吾などが登場する虚実時空を越える幻惑的なエピソードとが混在したものとなっている。方法的な「怪道をゆく」などに比べ、いくつかのエピソードにシンプルな魅力があり、著者の作品のなかでもとりわけ人好きのする小説ではないかと思う。個人的には、向井豊昭を読もうという人にはこれからはいるのが良いのではないかと思っている。とりわけ、「うんこ石」のエピソードは教育にこだわった氏の一面が良く出ている一篇。

●「怪道をゆく」太田出版(二〇〇八年六月)
 「怪道をゆく」「劇団櫻天幕」「熊平軍太郎の舟」「パッパッパッパッパッパッ」収録。すべてアイヌに関わる作品が選ばれている作品集。表題作以外はBARABARA書房版とはすべて異なる作品が収録されている。また、表題作もアイヌ語関係の記述を見直した改稿版となっている。「パッパッパッパッパッパッ」は自身の死期を目前にして、自身の病気を題材にした短篇で、濃厚な死の匂いが漂う不穏な一作。


単行本(自費出版その他)

●「鳩笛」北の街社(一九七四年五月)
 一九七〇年前後に同人誌等に発表された短篇に書き下ろしを加えた作品集。向井作品が今あるような形になったのは、平岡篤頼のクロード・シモン論を読んでヌーヴォー・ロマンに触れてからのようで、今の向井作品からすると、非常にオーソドックスで「文学的」な印象だ。
 幼いころの生活や疎開したさいの出来事をスケッチした「夏の笛」「祝生の学校」、貧困層のアイヌを扱った短篇「石のうた」、啄木の「一握の砂」にも詠まれた祖父向井夷希微の実像を追った自伝的表題作等、興味深い作品が並ぶ。書き下ろしの「貝殻たち」は教員生活、母の死などを書いていて、この短篇になるとぐっと今の向井作品に近い文体になってくる。
●「詩集北海道」(一九八二年五月)
 祖父の向井夷希微、豊昭、妻恵子の三人の詩を収録した詩集。夷希微は時代を感じさせるが力強さがあり、豊昭はまるで散文のようにごつごつとした手触りで、韻律を逸脱せんとする意志と、アイヌ語への関心がやはり見受けられ、恵子は外から来た部外者の感覚があり、特に情念的な印象。恵子が表紙と装幀と豊昭の肖像画を書いていてやたら上手いのに驚く。
●「怪道をゆく」BARABARA書房(二〇〇六年六月)
 早稲田文学に掲載された「怪道をゆく」(雑誌版から改稿。つまり、雑誌版、この版、太田出版版ですべて異なるバージョンが存在している)「ヤパーペジ チセパーペコペ イタヤバイ」に書き下ろし「南無エコロジー」を追加した自費出版本。「南無エコロジー」は戦中、東北の下北半島は川内にある母の実家に疎開した時以来の再訪をする話、なのだけれど、宿になったり日の丸になったり、比丘尼が出てきたりと奇怪な展開と、当地の画家や歌人についての探索とが渾然一体となった短篇。
●「怪道をゆく」太田出版(二〇〇八年六月)
 「怪道をゆく」「劇団櫻天幕」「熊平軍太郎の舟」「パッパッパッパッパッパッ」収録。表題作以外はBARABARA書房版とはすべて異なる作品が収録されている
●「みづはなけれどふねはしる」BARABARA書房(二〇〇六年十二月)
 早稲田文学新人賞をとった麻田圭子との共作小説。いくつかの短篇と中篇からなるこの共著は、どれもが詩を題材にして書かれたもので、作者もジョン・レノンからテニスン、ブレイク、萩原朔太郎、石川啄木と多彩で、そのうえ、中篇の「ブレイク、ブレイク、ブレイク」では向井豊昭の祖父向井夷希微の詩をも題材にしている。この中篇は非常に読み応えのあるもので、時間や生死の境さえ軽々と越えていく自在な小説展開が読める。


単行本未収録作(一部)
 向井豊昭には単行本未収録作が多数あり、「早稲田文学」以外にも自作冊子や地元の同人誌などにもいくつも載っている。手元にあるものと、岡和田さんから借り受けたそれらの作品の一部を紹介してみたい。

●「ゴドーを尋ねながら」21世紀文学の創造 9 ことばのたくらみ―実作集―(二〇〇三年一月)
 岩波書店のペーパーバックの文学叢書の実作部門に収録された短篇。この巻の編者は池澤夏樹で、沖縄出身者が三人、東北出身者が二人(青森出身の工藤正廣がアイヌ語を題材に書いている)、そしてプロフィールに詩人とある書き手が半数を超える特徴的な編集となっているのが面白い。短篇は、恐山のイタコに亡き母の声を訊こうと訪れた冬男が、ベケットの「ゴドーを待ちながら」の登場人物二人と遭遇し、一緒にイタコのお告げを聞くことになるという展開だ。下北の方言が頻出し、それを活かした落語のようなオチがつく。笑いとメタフィクションと言語の側面が強く現れていて、とても読みやすく楽しい一篇。
●「青之扉漏」早稲田文学1(二〇〇八年四月)
 フリーペーパーを経て雑誌として復刊した第十次「早稲田文学」の第一号に掲載の短篇。映画のエキストラをしている妻ハナコは、寺山修司の監督作に会津藩士木本内蔵丞の妻として主演に抜擢されたという奇怪な導入部からはじまる。寺山修司と会津がモチーフとなり、方言の問題も触れられている。個人的にはかなり難解な印象。
●「島本コウヘイは円空だった」早稲田文学2(二〇〇八年十二月)
 死を直前にした病床の向井が、自身の見た幻覚を題材に口述筆記した三ページばかりの掌編。カフカの「判決」にも似た異様な展開がやたら力強くてその迫力に慄然とする。池田雄一による付記では死の直前の向井豊昭と話をした時のことなどが書かれていて、興味深い。ちなみに、この付記には本誌に参加している岡和田晃の名が出てくる。
●「ぺ、ぺ、ぺ、ぺ、ぺ、ぺ」新ひだか文芸第三号(二〇〇八年十二月)
 教員を務めた日高地方で発刊された同人誌(「鳩笛」掲載作が載っていた「日高文芸」はこの前身雑誌かと思われる)に掲載された短篇で、向井は創刊号から書いていたと編集後記にある。知里真志保とその姉、幸恵によるアイヌの神謡(ユーカラ)の翻訳を並べてその相違を考察するという下りがあり、また、松前藩に対するアイヌの蜂起、シャクシャインの戦いにまつわる歴史を述べつつ、主人公の孫がクラスのいじめられっ子をかばって先生に反抗する事件が語られる。アイヌ、歴史、言語、教育の問題が凝縮して詰め込まれた短篇。
●「飛ぶくしゃみ」文藝にいかっぷ26号(二〇〇八年十二月)
 プロレタリア詩人小熊秀雄の詩「飛ぶ橇」を題材に、アイヌと日本人の問題を描いた短篇。死の一月前に同誌に届けられたもの。ラスト近くの家族の描写がとても印象的な一篇。
 ちなみに、今作は小熊秀雄研究者との対話がヒントとなったとか。また、大塚英志がひところ各所で主張していた「小熊秀雄の転向問題」について小説を通して対峙した作品。この件については、向井論序説付記の書簡集で岡和田晃が紹介しているように、大塚の論をでっち上げだと強く批判する原稿がネットで読める。
●「Mortos」(全四号)BARABARA書房(二〇〇七年十月から二〇〇八年六月)
 死を目前にしたこの時期、直筆原稿をコピーしてホチキスで留め、和紙で綴じた自作同人誌が四号発刊された(題名はエスペラント語で「くたばる」の意)。それぞれ三十部という少部数で、終刊号に至っては十五部しか作らなかったらしい。終刊号をのぞき短篇一作とエッセイ一篇という構成の数十ページほどの冊子で、創刊号には「熊平軍太郎の舟」と平岡篤頼の追悼文「やあ、向井さん」が、二号には「パッパッパッパッパッパッ」とエッセイ「日本国憲法二十一条」が、三号には「飛ぶくしゃみ」とエッセイ「バカヤロー」が、終刊号には小説「新説国境論」と、エッセイ「いのちの学校ごっこ」と「思想は地べたから」が収録されている。
 このうち、一号の「熊平軍太郎の舟」と二号の「パッパッパッパッパッパッ」は太田出版版「怪道をゆく」に、三号の「飛ぶくしゃみ」は前掲の「文藝にいかっぷ26号」に、転載されている。エッセイ「日本国憲法二十一条」も、早稲田文学のフリーペーパー版「WB」の11号に転載されている。
 終刊号の目次には、向井宅の写真が載っていて、塀に巨大な「本0円」の黄色い看板が据え付けられているのが見られる(最初はコラージュ画像かと思った)。「いのちの学校ごっこ」は病のためソファーに横たわったままの向井豊昭が孫たちに算数や音楽を教えている様子と、その子供たちの作文が原文のままカラーコピーで掲載されている。最近流行りの「いのちの学校」に対抗してやったことで、やはり自分には教師へのこだわりがあったのだ、と述懐しているのが非常に印象に残る。この同人誌の発刊は死の三週間ほど前の六月七日となっている。

 これ以外の、特に「早稲田文学」に多数存在する作については網羅的なリストが「オンライン百科事典Wikipedia」の「向井豊昭」の項にあるので、そちらを見てください。

参考資料(「怪道をゆく」については以下に多くを拠った)
中山昭彦「〈アイヌ〉と〈沖縄〉をめぐる文学の現在―向井豊昭と目取真俊―」(小森陽一ほか[編]『岩波講座 文学 13 ネイションを超えて』 岩波書店)


●付記 笙野頼子と向井豊昭
 何度かに渡って笙野頼子関連記事をこの雑誌に書いてきた私の個人的関心としては、向井豊昭と笙野頼子を並べて見てみたい。
 笙野もまた、「近代」あるいは権力による中央集権的再編を大胆に読み替えて、隠され、見えなくされたものを見つめようとし続けている。「見えないものこそ、見つめなければならないのだ」というスローガンは笙野頼子にも似つかわしい。
 そのような近代、権力への抵抗の基本的なスタンスは両者が共有しているものだと私は思う。またさらに、神話、幻想、笑い、言語への批判意識(「母の発達」や「レストレス・ドリーム」)、などなど、共通する要素は数多い。 
 とは言ったものの、ここからはむしろ対照的な点を見てみたい。笙野頼子の大きな特徴はやはり、女性というものを鍵にしたところにある。だからこそ、神話の起源にまで批判の矛先を向け、歴史的パースペクティヴが異様なまでに広くなる。古代から近未来までという壮大なスケールを操るのが笙野頼子だ。これは、男女という権力関係を問うに際して必然的に到達する結論といえる。たいして向井豊昭は、江戸以前にまで遡ることはない。戦前から現在の自身の生きてきた時間スケールと、アイヌ民族と日本との関係にかかわる数百年ほどが大まかな範囲といっていいだろう。起源の捏造としての神話と格闘する笙野と、権力との闘争というフィジカルな歴史が扱われることの多い向井では、こうした歴史への視点の差異が生じる。別の言い方をすると、SFの笙野とヌーヴォーロマンの向井の差異、とも言えるだろう。
 もうひとつ大きく異なるのが戦う、という時の立ち位置の問題だ。向井はアイヌではないので、アイヌ問題について語ったり、書いたりという時には必然的に、代理・表象という問題が現れる。何様のつもり問題、と言おうか、そうした自己の立ち位置がつねに問われざるを得ない。この躊躇い、自嘲のスタンス、そして自己が消滅するという展開の多さは特筆すべきだ。逆に笙野は、つねに自身を闘争の起点に置く。女性であること、醜貌であること、数十年本のでない作家であること等々から被る攻撃に、徹底的に身一つで立ち向かっていくわけだ。「金毘羅」がそうであるように、笙野にとっては自己肯定こそがラディカルな攻撃になる。しかし、どちらがラディカルか、と言いたいわけではない。どのような立場からどのような武器でどう戦うか、その違いとしてこの差はあるということだ。

●本誌掲載の未発表原稿について
 三作の短篇をここに掲載致しました。
 「パパはゴミだった」は、キツネの変身といった日本の民話的なモチーフが出てきます。ただ、男はキツネ、女はウサギを受け継ぐ、というのはアイヌの祖先神を継承するしきたりを背景にしたものです。他の未発表原稿に似た記述があり、そこにはそれがアイヌのしきたりだと明記されていました。つまり、これもまたアイヌのモチーフが隠れた作品になっています。秩父困民党が重要なモチーフとして現れる点も見逃せません。
 「〜バンバンザイ〜」は註にあるように、未完の三部作の内の第一部です。家族三人それぞれキャラクターが立っていて、コメディとして楽しく読める明るい作品です。それでいて裏には社会に対する批判意識が伏流していることがわかるかと思います。向井はこのような児童向けとおぼしき体裁の作品をいくつか書いていて、メモでは大きく扱いませんでしたが、教育運動にかかわり、そのことに生涯こだわっていた氏にとって、非常に重要な作品群ではないかと思います。
 「六花」も、児童向けの系列に分類できる短篇です。うってかわって哀しい調子の詩的な作品となっています。
 今回掲載した遺稿は、メモで大きく取り上げた言語、権力といったモチーフを持つ作品群とはやや異なる風合いの作品ですが、それぞれ向井豊昭の意外な一面を見せる魅力的な作品だと思います。

 なお、原稿に日付がないため、諸篇がいつ頃書かれたものなのかは不明です。


 〈了〉

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