モヨロの人たち
向井豊昭


      1
 京谷勇次郎という名前を、わたしは子どものときから知っていた。仏壇の上に立てかけられた一枚の古い写真をとおしてのことである。その写真には、羽織をまとった三人の男がうつっていた。男たちの顔は似通っていたが、左の椅子にすわっている男の髪はかなり白く、右の椅子にすわっている男の顔は、真中に立つ男の顔よりは老けていた。その真中の若い男が、網走で死んだという京谷勇次郎の青年時代の姿だったのだ。
 勇次郎は、そのころ東京でわたしと一緒に暮らしていた。わたしの祖父、向井永太郎の叔父であり、左側の老人は、勇次郎の父、向井伝蔵。もう一人は、勇次郎の兄であり、わたしの祖父の父であった向井泰蔵であった。それを説明してくれたのはわたしの祖父であったが、親子三人の写真の中で、なぜ一人だけが京谷を名のるのかということを不思議に思わないそのころのわたしの年令であった。
 わたしが、そのことを祖母に問いただしたのは、小学校も五年生のころであったと思う。祖母は、勇次郎が京谷という家にもらわれていったことを、養子という聞きなれぬ言葉を使って説明してくれたのである。勇次郎の子どもも、やはりまた養子であったこと。そして、その養子は、どこにいるのか分らないということを、祖母は道楽者というやはり聞きなれぬ言葉を使って説明してくれた。
 写真をのせた仏壇は、子どもの腕でも抱えられる小さなものであった。表側は黒、内側は朱でいろどられた仏壇のその色あいは、そのころでさえ、すっかりくすんだものであったが、それは、わたしの曾祖父、写真の中の一人である泰蔵の手づくりのものであった。金箔で色どられた仏壇を拝んで育った泰蔵のはずである。やはり写真にうつっている泰蔵の父、伝蔵は、南部藩大畑村の庄屋をやっていたからだ。明治維新でその立場を失い、伝蔵は北海道に渡った。長男の泰蔵は、独学で中等学校の数学の教師となり、鳥取、鹿児島、栃木などの学校をわたりあるくのだが、そんな彼にとって、小さな手づくりの仏壇はふさわしいものであった。それが旧家につたわる大きな仏壇であったなら、わたしの代まで持ち歩くことはできなかったろう。いつのまにか北海道へ流れついたわたしは、その仏壇を守る一家の主となっている。とはいっても、あの古びた写真は、もう仏壇には見えない。老人が死に、わたしの妻が仏壇に供えものをするようになってから、その写真は姿を消したのだ。

 昨年の秋、わたしはある集まりに出るため、網走に近い北見へ行った。集まりのある市民会館のそばには図書館があり、わたしは昼の休みに、その図書館に入ってみた。「北見市史」をふと読んでみたくなったからだ。そのわけは、あの仏壇であった。仏壇の引出につめこまれた古文書の中には、京谷勇次郎が、鹿児島の造士館中学に勤める兄の向井泰蔵に宛てた一通の手紙が残っていたのだ。
 和紙の細い封筒の裏には、こんな住所が墨で書かれていた。

 北海道北見国網走郡北見町 藤野支店方

 北見町という地名を、わたしは北見市に重ねていた。それは、わたしの知識の浅さを示すことであったのだが、一方では、藤のという店の名が、そのころの北海道の水産業を牛耳るものであったことを、私は何かの本で知ってもいた。
 書架の前でめくってみた「北見市史」は。わたしの見当を外した。 わたしはそれを戻し、隣にあった「網走市史」の下巻、開拓時代篇を開いてみた。
 目次を追うと「北見町誕生」という文字が目に入った。わたしはいそいで本文を開いた。北見町というのは、今の網走の市街地のことであったのだ。

 ここは、昔から又十藤野家の出稼ぎの根拠地であり……

 そんな文字も書かれている。
 わたしは、また目次に戻った。「藤野家の改革」という節がある。その節を拾い読み、わたしはまた目次をたどった。たどっていくと藤野家についての一節が他のページにもまだあった。再び拾い読みをはじめたわたしの目にこんな文字が飛びこんでくる。 

 網走支配人の業務を帳場の京谷勇次郎に任せ……

 わたしは、もう拾い読みを止めていた。書架から離れ、係の人からそれを借りると、わたしは机に向って一字一句を追いはじめた。昼の休みは終わろうとしている。わたしは、集まりをなまけることにきめこんだ。

 京谷勇次郎は、藤の網走支店の支配人だっただけではなく、網走の図書館の館長もやっていた。館長になったのは明治四十三年。市史によると、その年、彼は藤野を退職している。「戸数八百に過ぎず、しかも開拓途上にあった北辺の小都市に、道内でも先駆的な公共的文化施設が誕生したのである」と書かれている市史の中で「図書館事業にはきわめて熱心で」「京谷の熱情」というような言葉で語られている彼であった。

 北見から帰った日、子どもたちに土産をわたすと、わたしは仏壇の引出をのぞいた。何度かわたしは仏壇の古文書を開いたことがある。それらの草書体はまったく読みとることができなかったが、京谷勇次郎の手紙の文字はほとんどくずれていなかった。しかし、漢字の多いその手紙を読み通すだけの気持ちもなく、その内容をほとんどわたしは知らなかった。

 啓上仕候久々御無音ニ打過候処兄上御儀弥御多祥御奉務之段欣喜ノ至ニ奉存候

 巻紙にしたためた書き出しの言葉を、どうやら大づかみに読みとったわたしの目は、右肩のやや上がる墨の跡をゆっくりたどった。兄の勤める造士館が文部省の直轄になり、兄が判任官五等になったことを祝う言葉が書き出しに続き、近況を勇次郎は語りはじめる。

 小弟ハ客年五月ヨリ当支店回勤相成爾来無事勤仕罷在候当地ハ別海ヲ距ル三十二里余戸数凡六十郡役処所在ノ地ニシテ先ツ北見中ノ一小都会ニ候得共何義僻遠ノ地ナルヲ以テ文化未タ給シカラス住民ハ進取ノ気象ニ乏シク只旧慣ニ安ンスルノ風習有之候青年ノ小弟方今開明ノ時節ニ遭逢シ一ノ学科ヲモ修ムル事ナク追々無用ノ輩ニ属スルハ到底免レサル所ニシテ固ト是レ生計上止ヲ得サルト出タル義トハ申乍ラ実ニ是ノミ遺憾ニ不堪候御賢察被成下度候

 封筒にはられた二銭の切手には五月六日の網走局の消印が押され、それと並んで五月二十七日の鹿児島局の消印が押されてある。網走から鹿児島まで二十一日をかけて届いたその手紙の書かれた年は明治二十一年、勇次郎が二十三才の時であった。彼が図書館長になるのは、それから二十二年も後のことである。

        2
 生まれた時、赤ん坊は目を見開いて生まれてきた。人々は赤ん坊をサラと呼んだ。目玉という意味である。まだ立つこともできない小さなころ、サラはよく洞穴の外へ這いだしては、黒曜石を割る男たちのそばへ行った。するどく割れたその石をにぎり、口でしゃぶろうとするサラに気づくと、男たちはいつもあわてた。黒曜石のするどい刃が、サラのやわらかい手や口を裂いてはならなかったからだ。
 石をにぎったサラの指を一本々々ていねいに開き、黒曜石を取りあげると、男たちは丸い石ころを代わりににぎらせた。石の槌で砕きながら刃物の形はつくっていく男たちの手の動きをサラはまねる。与えられた石ころがひどくやわらかなものであった時、槌になったその石は、サラの目の前のありふれた石の上ですぐに割れてしまった。それでもこぶしで打ちつづけるサラに気づくと、男たちはあわててまた石を与えた。
 二つの足で立つことをサラが覚えたころ、サラはもう、男たちにだまされなくなっていた。男たちが黒曜石を取りあげると、代わりの石をはらいのけ、サラは足を踏んで泣きつづけた。
 かんだかい海辺の泣声は、森の中でくるみを拾う女たちにも届くほどだった。耳をふさぐ男たちが黒曜石をもどしても、サラは機嫌を直さなかった。もっと大きな黒曜石をサラは狙っているのだった。男たちは、サラの望みにまかせるようになっていた。サラの泣声はごめんであった。
 石割りにあきると、サラは、目の前の波打ちぎわで石投げをした足もとから広がる岩礁に、石は当たってはねかえる。どうかして、岩礁のくぼみに石が当たると、そこにたまった海の水はしぶきをたててはねあがった。そんな時、サラは顔をくずして笑うのだった。くぼみを狙い、サラは石を投げるようになった。
 石の好きなサラであった。若者になったサラは、村一番の漁の名人、狩の名人になっていた。サラの作った銛の先で黒曜石はするどく尖り、サラの槍は空の鳥さえ落とすのだった。

 鳥が飛んでいる。白い羽が青空にさえていた。サラは目で高さをはかった。サラの槍なら仕留められる高さである。輪をえがく鳥の動きを、サラは目で追い槍をかまえた。羽の広がりが大きく近づく。息を止め、サラの手は槍を放った。羽音がする。サラは、目をうたがった。落ちてきたのは、槍である。
 突然、羽ばたきとともに、鳥の姿が広がってきた。
「落ちたっ!」
 サラは叫んだ。やはり鳥は落ちてくる。白い鳥の胸には、貝のような赤い点がにじんでいた。赤いにじみはみるみるうちに広がり、鳥の形をつくっていく。
 赤い鳥が飛んでいた。真白な空の中で、鳥は火を噴きあざやかに赤かった。サラは目をしばたたいた。しばたたいたサラの目に、強い光がなだれこんだ。サラは掌で目をおおい、うめきさけんだ。
 気がつくと、サラをのぞきこむいくつかの顔があった。夜の洞穴の中でサラを取りまく目の光は、鳥の光におよびもつかなかった。
「違う」と、サラはうめくように言った。
「……」
 顔たちは、息を呑んでサラを見つめた。
「火の鳥は、どこに行った?」
「火の鳥?」
「火の鳥だ」と、サラは、いきなり上半身を起こしてあたりを見まわした。顔たちは、目と目を見あわせた。
「燃えてるんだ。つばさも、くちばしも、しっぽも、火を噴いてるんだ。太陽のようにはげしく。真っ暗じゃないか。ここは真暗だ!」
 洞穴のすみで祈りの声がした。
「止めろっ!」と、サラは立ちあがり、声に向って言った。祈りの声は炎のようにふるえたが、消えはしなかった。
「たしかに、槍はとどいたんだ。おれの槍だ。あの高さで、とどかぬはずはない。おれの腕が、間違うはずはない」
 洞穴にさしこむ淡い墨の光をさえぎって、サラの影が立った。
「サラ!」
 女が叫んだ。毛皮の下で、女の腹はまろやかにふくらんでいた。
「呼ぶな。魔物にとりつかれたんだ。いい男なのに」
 女の肩に手をかけて、置いた男が言った。
 サラの影はもう見えなかった。女の心を痛みが走り、痛みは腹へ突きぬけた。女は、腹を押さえた。
 朝の光が海をそめはじめた時、女は子どもを産んだ。男の子だった。
 女と赤ん坊を洞穴に残し、人々は、岩礁の上で踊りつづけた。
 一面の流氷である。その面で、日の光は怒りのようにきらめいていた。怒りをあやす踊りの群れは、日が暮れるまで岩礁を踏みつづけた。

 赤ん坊は、ピルピと名づけられた。反吐、という意味である。反吐ならば魔物にさらわれることもないだろうという知恵が名づけた名前であった。

 曇りと雨の日が続いた。流氷は去ったが、木の芽はほころびない。ほころびても、葉の広がりはすすまなかった。
 鮭が川を上るころ、森の木の実を拾うために女こどもは血まなこになった。
 木の実はとぼしく、木の実のとぼしい森の中で鹿の姿もとぼしかった。男たちは鮭をとりつづけ、女こどもはそれを干した。冬のたくわえを、いつもの年より多くしなければならないことは明らかであった。
 祈りと踊りは何度もおこなわれたが、太陽は聞きとどけてくれなかった。人々は、ピルピを、ピイルピと呼ぶようになった。反吐、という意味に変わりはなかったが、最初の母音をのばしてしまう強いアクセントには、赤ん坊を忌みきらう人々の感情がこめられていた。
 流氷が二度、海を埋め、二度、去っていった。木の芽のほころびは、やはりはかどらず、芽さえつけない木もあった。飢えた野ねずみに樹皮をかじられた森の木は、木の実をいっそう少なくさせた。

 三度目の流氷が、また海を埋めたある日のことである。洞穴の中で火をかこみ、人々はその日のはじめの食事をしていた。あぶった干鮭をむしっている人々の手には力がない。
「鹿の肉を食いたいなあ」
 ため息まじりで、一人の男が言った。
「荒れているなあ」と、洞穴の外をうかがって別な男が言った。風が鳴り、雪は宙で渦を巻いている。
「荒れがおさまったら、また森へ行ってみようか」
「えさもない森に、うろつく鹿なんているもんか。いたとしたら、ピイルピのようなもんだ」
 男は憎々しげにピルピに目をやった。女の膝の上で、ピルピは口をあけている。女のむしる鮭を待っているのだ。三度目の誕生日がくるというのに、ピルピは、まだ自分の手で鮭をむしることができなかった。
 洞穴の口が陰り、たき火が明るさを増した。
「誰だ!」
 叫び声が重なり、男たちは身がまえた。
「土産だ」
 洞穴の口から声がかかり、投げこまれたものは、足をのばした鹿だった。
 人々は息を呑んだ。鹿を飛び越え入ってきたのは、サラである。
「皮を剥いたらどうだ」
 自分を見つめる冷たい目に、サラは言った。答えはない。サラは、腰につるした毛皮の袋に手を入れた。
 黒曜石のするどい刃を当て、サラは、鹿の喉もとから下腹めがけて一気に線をひいた。肉の匂いが人々の鼻をついた。
「肉だ!」
「肉だ!」
 人々は叫び声をあげながら、皮を剥くサラをとりまいた。サラを手つだう者もいる。串ざしの肉が、たき火のまわりに立てられ、知らせを聞いた村人たちは、近くの洞穴から集まってきた。
「どこで鹿をとった?」
「両手の指だけ山を越えたところだ」
「両手の指?!」
 人々は驚いた。鹿をたずねて、片手の指の数だけしか山を越えてはいなかったからだ。
「どれだけ山を越えても、もう無駄だと思っていた」
「地上は広いもんだなあ。鹿の走る山がまだ残っているなんて」
 肉をほおばりながら、人々はしゃべりあった。生まれてはじめての鹿の肉を、ピルピは口にほうりこまれる。顔をしかめて掌に吐きだすと、ピルピは、湯気のたつ肉を不思議そうに見つめた。
「食べられるんだよ」と、女は、ピルピの掌から肉をとった。ピルピの口にもどそうとすると、ピルピはくちびるをかたく閉じた。
「ピイルピ、うまいんだぞ」
 そばの男が、ほほえみながら言った。ほほえんでいるのに、ビイとのばす軽蔑のアクセントは消えてはいなかった。
「ピルピか?お前の名前」
 アクセントを消し、皿は、向かい側から声をかけた。
「ピロ」と、ピルピの舌はまわらない。
「まだ、よく舌がまわらんな、ピルピは、生まれてから二度目の流氷かな」
「四度目」と、女が言った。
「四度目?」
「はじめの流氷は、もう消えていくころだったもんね」
 女は、膝のピルピに語りかけるように言った。
「おれが消えたころだな」と、サラはつぶやいた。

 吹雪が止んだ次の日の朝、サラは、若者たちをつのって狩にでかけた。雪穴を掘り、何度も夜を過ごさなければならない遠い土地への出発である。出発をかざり、雪は日の光にきらめいていた。

 サラは、かけがえのない指導者になっていた。長く続いた例外の後、ふたたび戻ってきた太陽の光の下で、サラは人々のために働きつづけた。火の鳥は、若者のみる一度きりの悪夢であったのだ。サラの髪には白いものさえ目だちはじめたが、もう火の鳥をみることのないサラだった。

 銛が水を切った。鱗が光る。突きあげた鮭を、サラは素早く両手でかかえた。
 銛を抜き、足をのせた杭にさすと、サラは、杭に巻きつけた木のつるをつかんだ。そのつるには、えらを通された鮭がひしめき川の水を打っている。
 川底に打たれた数十本の杭は、川の岸から深みへ向かって足場をつくり、五、六人の男たちが銛を振りあげ呼吸をととのえていた。ピルピの立つ杭には、まだ一匹の鮭もくくりつけられてはいない。
 サラの動きを横目でにらみ、ピルピは銛を突きだした。鮭の尾ひれを銛はかすめ、勢いあまって、ピルピは手から川へ落ちた。銛が手を離れ、頭を沈めて流れだした。
 川の中に、サラは飛びこんだ。サラの腕から鮭がはね、サラより早く川に飛びこむ。川の面に鮭の血が広がり、流れに沿って糸をひいた。
 糸の先をピルピの銛が流れていく。たくみに手足をあやつって銛に追いつくと、サラは、それをつかんでふたたび泳いだ。
 頭の沈んだピルピの手が、水の面を打っている。サラは泳ぎを止めた。川の底に足をつくと、川の流れは、肩の高さで音をたてる。
 サラは、ピルピの腕をつかみ、持ちあげた。ピルピの足は、水の中でちぢまっている。
「足をつけろっ!」
 水の中のピルピのすねをサラは銛で強く叩いた。おそるおそるピルピの足がのびる。爪先立つと、水の面はあごの下にあった。
 笑い声が、ピルピの耳にうずまいた。腹をかかえるみんなの顔が杭の上からピルピをながめている。
 サラはさっさと杭に上ると、つるをほどき、帰りじたくをはじめた。
「ピイルピだもんなあ!」
「ピイルピ、どうしたっ?」
 杭の上からはやしたてるみんなの笑いは止まらない。
「上げてくれよう」と、ピルピの顔はくずれていた。
「自分で上がれ、ピルピ」と、サラは帰りじたくを続けながら言った。どんな時でも、ピイとは言わないサラである。
 ピルピは、うらめしそうにサラを見つめた。ふりむきもせず、サラは、川に漬かったつるの鮭を引きながら杭の上をわたっていく。
 鮭は跳ね、サラの力にさからった。サラの足に乱れはない。たくみに鮭を引きながら、サラは岸に飛びはねた。
 杭の上によじのぼり、ピルピは息をあえがせた。男たちは笑いにあき、ピルピのまわりで杭のつるをほどきはじめた。サラほどではなかったが、どのつるにも鮭はひしめいている。
 水をたたく鮭の音と一緒に、杭の上を足音が遠ざかっていった。杭の上に残るものは、ピルピと一本の銛だけである。
「ピルピ、来いっ!」
 川岸からサラが呼んだ。ピルピは動かなかった。
「ピルピ、来ないかっ!」
 ピルピはのろのろと銛をとりあげ、杭の上をわたりだした。
 川岸には、もうサラだけしかいなかった。
「さ、獲物を一緒に引いて行くぞ」
 サラはほほえみながら言った。ピルピは首をたれた。
「お前の力がいるんだ。手を貸せ」
 サラはうながす。ピルピは上目づかいにサラを見た。サラのほほえみは変わらない。
「手を貸せ」
 サラがまた言った。ピルピはつるに手をかけた。
 繁みを縫う道は細い。サラのからだが先を歩き、一足後をピルピが行った。踏みつけられた枯草の上で鮭の勢いはおとろえない。つるにつたわる鮭の力をサラはピルピと分けていた。
 分けられた力の重みを、ピルピは、サラの重みのように感じていた。前を行くサラの肩はばはたくましい。首一つ高いサラの背は、ピルピをしのいで歩いて行く。
 葉を落とした小さな枝が道の上に突きでていた。サラは肩で枝を受けとめ、足を運んだ。運びにつれて枝はしなる。
「気をつけろよ」
 声をかけ、サラは肩をひねった。よけそこねたピルピのほほを枝がたたいた。
「痛い!」
 ピルピの声に、サラはふりかえった。ピルピの手が、ほほを押さえている。サラはじっとそれを見つめていた。サラの見つめるものが、けっして自分のほほではないことをピルピは感じていた。

 サラの腕から鮭が跳ねる。しぶきをあげ、鮭は川へ飛びこんだ。川の面に血が広がり、流れに沿って糸をひく。糸は、うずを巻いた。うずの中から、鳥の形があらわれてくる。サラは息を呑んだ。火の鳥である。頭の上で、鳥はゆっくりと輪を描いた。サラは、槍をかまえようとした。槍は重く、腰の高さから上がらない。突然、空を切る音がした。しなやかな枝が一本、弧を描いて空を走っていく。枝の先が、火の鳥の首を叩いた。炎を噴いて、鳥はサラの頭に落ちてくる。サラは逃げだそうとした。岩のように重い槍がサラの逃げ足をにぶくする。サラは槍を投げすてようとした。槍は掌から離れない。炎のつばさが羽音をたて、サラは思わず目をつぶった。つぶったサラの目の奥で稲妻のように光が走る。声を殺して、サラは光に耐えていた。光は消え、闇がくる。
 心臓が鳴っている。寝息が聞こえた。火の鳥を追ってさまよった遠い日々をサラはなつかしく思いうかべた。その火の鳥を落としたものは、たわいもないただの枝であったのだ。ピルピのほほもたたいてしまう、たわいもない木の枝であったのだ。

 人々の眠りの中で、風を切る音がする。目をこすり、人々は繁みの中に入っていった。
 サラである。
「こんなに早くから、何してる?」
 たずねると、サラは枝をしのらせながら言った。
「新しい道具を考えてるんだ」
 手を離すと、枝は弧を描いて宙を打ち、小刻みにゆれつづけた。人々の後ろで、ピルピはそっとほほを押さえた。
「何の道具だ?」と誰かがたずねた。
「悪いけど、一人にしといてくれ。気が散ってだめだ」
 問いには答えず、サラはみんなを追いかえした。

 太陽が空をめぐり、夕やけの色が丘の上から消えた時も、枝の音は止まらなかった。
 人々は、ピルピを使いにだした。
「サラ」と、繁みの外からピルピは声をかけた。
「……」
「サラ!」
「何だ」
「腹へらないかって、みんな言ってたけど」
「だいじょうぶだ」
 枝がまた音をたてた。サラの声はもうしない。戻りかけると、繁みが激しく音をたてた。獲物が倒れる音に似ている。ピルピはからだをこわばらせた。海鳴りだけが聞こえてくる。
「サラ」と。おそるおそるピルピは呼んだ。返事はなかった。繁みの中に、ピルピは足を踏み入れた。黒い影が倒れている。獲物ではない。
「サラ、どうした?」
 声をかけても、サラは動かなかった。仰向けになったサラの右手には、一本の枝がにぎられている。切りとられたその枝は半月のようにしのり、枝の両端には、一本のぶどうのつるがくくりつけられていた。
 サラのそばに落ちているまさかりをピルピは取りあげた。両手でにぎり、ピルピはそれを振りあげる。サラの手がにぎっている見知らぬ道具、いや、見知らぬ魔物さえ砕いてしまえば、サラは立ちあがるのに違いないのだ。
 まさかりが振りおろされた。不器用なピルピの石の刃は、サラのにぎった枝を外れ、枝をにぎる手首を砕いた。
 まさかりを捨て、ピルピは駈けだした。駈けだしながら、ピルピは泣きわめいていた。わめきながら、ピルピはどこまでも駈けて行った。

        3
 モヨロ貝塚は、網走川の川口にある。何千年の昔、まだ弓を持たなかった人々の住んだ洞穴は、もう海の底に沈んではいるが、そのころの暮らしの道具は、貝塚の第三地点とよばれる所に埋まっている。第三地点は、貝塚の中では最も海から離れた所であり、海に近づくにしたがって、より新しい暮らしの道具や人の骨が掘りだされるのだという。川の流した土や砂は、千年単位の時間の中で、少しずつ海へ広がり、古い暮らしを埋めていったのだ。

拝復
寒気の厳しい折柄愈々ご清栄のこととお慶び申上げます。本館の基礎を築かれました京谷勇次郎氏の事蹟につきましては私も詳細を承知致したく高田太郎氏(京谷氏の前に藤野の支配人であった高田源蔵氏の孫)にもお聞きしたのですがよくはわからず、本館にもその筆蹟、記録は皆無でございます。
唯一冊、「日露戦役紀念私立網走図書館一覧・自明治三十九年一月至明治四十四年十月」という三十九ページの小冊子があり、これは多分京谷氏の編集と察せられますが、その内容から当時開館の事情が判明して珍重しております。
本年は図書館の七十周年に当り、記念行事として文書館の増築、記念誌の発行、記念式の挙行を計画、予算の要求をしておりますが、この際に京谷勇次郎氏の血縁の方が判明するとは、何という因縁であろうかと感に堪えぬものがございます。
京谷氏の生地、没地、性格、体形、生活、習慣など、ご判明のことがあれば是非お知らせ下さいますよう、逆にお願いとなりましたがご高配のほど切に期待申上げます。
                    敬 白

 網走市立図書館長から、わたしに宛てた手紙である。京谷勇次郎の書きのこしたものが、もしや図書館に残ってはいないだろうかと思いたち、わたしは、勤めが休みになった十二月の末に館長へ宛てて手紙を書いたのだ。
 一月のはじめ、早速もどってきた返事は、わたしを網走へ旅立たせた。

本桐入口発(国鉄バス) 一一・〇三
静 内 着         一二・〇三
静内発(えりも2号)    一三・四七
苫小牧 着         一五・二〇
苫小牧発(ちとせ7号)   一五・三九
札 幌 着          一六・三九
札 幌 発(大雪5号)  二二・一五
網 走 着         七・五二

 肩をすくめて、わたしは毛布からぬけだした。上着もズボンもつけたまま、寝台車のベッドで寝てきたわたしであったが、冷たい朝の空気は、衣服の上から肌をさす。
 洗面道具の袋を持って、わたしはベッドの上段からおりた。窓ガラスには霜が一面にはりつき、景色をかすませていた。鼻の奥がいきなりうなずき、くしゃみがたてつづけに出はじめる。
 鼻をおおって、わたしは洗面所へ行った。たちこめる湯気のぬくもりが、鼻のうずきをようやくいやす。
 顔を洗うと、わたしはまたベッドの毛布にもぐりこみ、寒さを避けた。あわてることはない。大雪5号の執着は網走なのだから。
 列車が止まり、通路には人々の足音がひびく。わたしは、みんなの後からホームにおりた。舞いおりる雪の光が、ホームの向こうでわたしを出迎えた。駅前の小さな広場には、銛を持ったモヨロ人の像が雪をかぶって立っている。
 わたしは、あたりの看板に目をやった。コーヒーを飲み、トーストを食べたい。すぐそばの喫茶店で思いどおりの朝食を頼むと、わたしは、京谷勇次郎のあの手紙を読みなおした。

青年ノ小弟方今開明ノ時節ニ遭逢シ一ノ学科ヲモ修ムル事ナク追々無用ノ輩ニ属スルハ到底免レサル所ニシテ固ト是レ生計上止ヲ得サルト出タル義トハ申乍ラ実ニ是ノミ遺憾ニ不堪候御賢察被成下度候

 それから二十二年、四十六才の働き盛りで、彼は藤野の支配人の地位を去り、町の有志でつくりあげた私立図書館の無給の館長となったのだ。明治四十三年、まだ汽車も通らぬ北の網走である。その時、彼には、十五才になる養子がいた。

 コーヒーをすすり、わたしは、バッグの中から除籍謄本を取りだした。灰色のコピーの紙が心に重い。勇次郎が死ぬ四年前の大正十一年に、養子のKは離縁をされているのだ。二十六才で離縁をされたその男には、妻と三人の子どもがいた。長男は三才、長女は二才、二男は八ヵ月である。
 三才の長男を京谷の跡取りとして勇次郎は残すが、Kは翌年、妻と離婚。三才になった長女は、京谷の養子として迎えられる。その後、長女は十八才の若さで函館で死に、その八年前、勇次郎の妻、スエも、やはり函館で死んでいる。スエの実家は、函館に近い上襖なのだ。
 Kの長男は函館で結婚、二度目の結婚を帯広でおこなっている。生きていれば五十七才、二人の子持ちである。
 二男は利尻島で結婚。はじめの子どもは網走で生まれている。
 それら三人の親であるKは、生きていれば八十才。妻と離婚した六年後、三十三才の時、二度目の結婚を小樽でしている。
 やはり三人の子を産ませ、四十一才でKはまた離婚。上の男の子が八才、真中の男の子が五才、下の女の子が二才の時である。函館にいたKは、それら三人の幼い子をあらいざらい養子にやり、その後、六十三才になって、本籍を利尻島にうつしている。
 網走市役所、函館市役所、帯広市役所と、おいかけるように手紙を書き、わたしが集めた除籍謄本である。そこから先を、わたしはもう集めようとは思わない。

 時計の針は、九時を指そうとしていた。もう図書館は開くだろう。バッグをととのえ、わたしは伝票をつかんだ。相変わらずの雪である。


初出 「小説集 ここにも」一九七六年十月発行)

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