明治二十五年の作文

向井 豊昭


 市立函館図書館には、明治二十五年(一八九二)に出された『活文』という函館の教育雑誌の一号と二号があるが、ここに載っている子どもの作文は面白い。
 
    提灯を返す文
       豊川小学校尋常三年生
                     池 田 カ ツ

昨夜、拝借の提灯、只今以使、御返し申上候間、御受取可被下候、先は御怱々礼拝謝仕候也

 借りたということは、函館の誰でもが持っていたものではないということだろう。普段は暗がりを苦にもせず(あるいはお化けの恐怖をこらえながら)歩いていた函館人なのだろう。
 
    注文催促の文
      幸小学校尋常四年生
                     伊与部 ト ク

兼て御注文致おき候机未た御送り之れなく殆んと差支へ迷惑致候間早速御作り下され度願上候頓首

「綿入御仕立下され度」という別の子どもの作文もある。わたしの祖母は明治の函館の北海裁縫女学校で学んだ経験があり、仕立てをしてわたしを育ててくれたので綿入れの件はよく分かる。が、机を『御作り下され度』というのには意表をつかれてしまった。わずか四十年後に生まれたわたしなのだが、出来合いの机しか知らないからだ。それにしても、「殆んと差支へ迷惑致候間」とは、結構きつい言葉である。お客サマは、やはり神サマなのだろうか?
 
    軍艦見物に誘はれたる返事
        堀川小学校尋常三年生   
                     佐 藤 太 郎

只今は軍艦見物御誘ひ下され難有存候至極御同意に御座候間御供可致候拝復

    パノラマ見物に友を誘ふ文
        堀川小学校尋常三年生   
                     小田井 な か

拝呈今日は休日に候へば此頃より興行之東京パノラマ御見物如何に候哉御誘ひ申上候也

 
    元寇幻燈会に人を誘ふ文
         幸小学校尋常四年生
                   山 崎 ヨ 子

一寸御知らせ申上候陳者今晩六時より元町本願寺別院に於て元寇幻燈会有之候由あなた様御閑暇に候はゞ御同伴仕度候間御出之程待上候以上


 
 若い人たちのために口を挟む。元寇(げんこう)というのは、鎌倉時代の元(中国)の水軍の襲来のことなのだ。二度にわたる襲来とも、元は台風に遭遇し、軍船を沈めてしまうのだが、わたしが子どものころの戦争ではこれを神風と呼んでいた。原子爆弾が落ちた後も、「今に神風が吹いて日本が勝つのだ」と、国家は戦意をあおったものである。
『活文』の同じ号には、秋田県、和歌山県、愛知県などの尋常中学校の生徒たちの元寇についての長い文が載っている。その戦いで戦死した日本の兵士の招魂祭をおこなうことを訴えているのだが、『活文』と同じ年に創刊された札幌農学校の学生自治会、学芸会の機関誌『恵林』の三号にも「弘安の役」という題で、やはり元寇のことが載っている。
 日清戦争の二年前のことである。玄界灘に注意を向け、国民の意思を統一しようとする時代の流れがあったのだろう。

 文章の高尚にして年級に不相応は、余の論ずる所にあらざれども、成るべく丈け、年代相応なる文章をこそ望ましけれ、

『活文』の二号には、こんな感想が載っている。いくら遠い明治とはいえ、小学生にこの文章ではあんまりだとわたしも思ったが、当時も、同じことを思った大人がいたわけだ。が、このように指導した教師がいたのも事実である。
 この作文の欄には、「筆戦場」という名がつけられてもいる。教育の場を元寇の戦場と考える大人は、今もたくさんいる。
 
(了)  

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