国民学校落第生

向井 豊昭


 

     1
「相模の国の住人、鎌倉の権五郎景正といふもの、先祖より名高きつはものなり。十六歳にて敵の大軍に向かひ、命を捨てて戦ふ折から、敵の矢にて右の目を射られぬ。矢は、首を貫ぬきてかぶとに射つけたれば、たやすく抜けず。矢を折り捨てて、その場に敵を射倒しけり」
 国語の教科書を読む女の子の声が一つ、五年竹組の教室から聞こえていた。甲高い声が跡絶え、新しい声がそれを引き継ぐ。新しい声も、やはり甲高い女の子のものだった。
「景正、帰りてのち『手を負ひぬ』といひて、のけざまに伏したれば、三浦の平太郎為次といふつはもの、景正が顔をふまへて矢を抜かんとす」
 まるで薙刀の掛け声のような声である。武道の時間、竹組は薙刀を使い、松組は木刀を使う。竹組は女の子の組であり、昭男のいる松組は男の子の組なのだ。
「景正、すなはち刀を抜き、為次がよろひの草ずりをあげて下より突かんとしければ、為次、おどろきて、『などて、かくはするぞ』と問ふ」
 男の子の勇ましい声が一つ聞こえてくる。五年松組も国語の時間だったが、こちらも武道のようなものである。担任の中臣(なかとみ)センセイの持つ教科書には赤鉛筆の書き込みがあって、ページの頭には『烈々たる武士の気魄』という文字があった。
「よし」と、中臣センセイが朗読の声を止める。
「ハイ!」
 指名を求める子どもたちの声がピタリと重なり、上がった右手の爪の先から飛んでいった。
「徳山」と、中臣センセイが指名する。昭男の名字ではなかった。第一、彼は、手など上げていなかったのだ。
 彼は勉強が得意ではなかった。おまけに、その日は、次の日の日曜のことばかり思っていた。日曜日、彼は祖母に連れられて、オニイが入院している清瀬の結核療養所に行くことになっていたのだ。
 オニイというが兄ではない。三年前に死んだ昭男の母の弟だったが、昭男が小さい頃から、よく遊んでもらった相手だった。
「景正、『弓矢に当りて死するは、つはものの望むところなり。いかでか、生きながら足にて顔をふまるることあらん。汝を殺して、われも死すべきなり』といふ。……」
 教科書を読む声に、昭男の心がふとうごめく。『烈々たる武士の気魄』が少しは乗り移ってきたのかもしれない。いや、久し振りに手を上げ、教科書を読んで、オニイに自慢をしてみたくなった昭男なのだ。
「……為次、ことばなく、ひざをかがめ顔をおさへて、矢を抜き取りけり」
 文章は、そこで終わりだった。
「よし。もう一度、初めから」と、中臣センセイが言う。
「ハイ!」と上がった手の中に、今度は昭男の手もあった。
 中臣センセイは気づいてくれなかった。彼の頭の中では、手を上げさせる前から次の子どもが決まっていたのだ。
「小森」
 指名されたのは、五年松組の級長だった。級長は、その日を最後に、親戚のいる信州へ疎開をすることになっていた。
 歯切れのいい朗読の声が響く。口を尖らせた昭男の右手が教科書から離れた。机の上に開いて立てた教科書を左手だけで支え、右手で握った鉛筆がノートの上を動いていた。
 鉛筆は、指の中に隠れてしまうほどの短いものだった。茶色いニスが薄っぺらく塗られた鉛筆の長さは、まだまだ捨てられないものである。
 欠乏の時代なのだ。ちびた鉛筆はノートの隅を小さく動いた。ノートも又、全面にいたずら描きができるような学用品ではなかった。
 昭男の尖った口のような円が一つ、鉛筆の先から生まれる。グイと直線で円を割り、その中心を刺すように鉛筆の芯をやった。えぐるように点を描くと、絵はもう出来上がりである。
 友達がするように、昭男は『デンポウ』と文字を書き添え、ノートの隅を千切った。
 デンポウは窓際の後ろの席の昭男から、間へ前へと手渡されていった。誰かがそれをした時と同じように忍び笑いが伝わり、昭男は満足だった。しかし、不運なことに、その忍び笑いは高過ぎた。誰がデンポウを発信しても、大抵は途中で止まってしまうのに、その日に限ってデンポウは前へ前へと何処までも進んだからだ。忍び笑いの数は増え、もう忍んでいることはできなかった。
「誰だ!?」と叫んだのは、中臣センセイである。手は、デンポウを取り上げていた。一瞬デンポウを眺めると、彼はあわててそれを国民服のポケットにしまい込んだ。
 前の席から首が揺れる。デンポウを手渡された子どもたちは、将棋倒しのように後ろを振り向いた。
 一番後ろの昭男には、振り向く後ろはもうない。頬が火照り、それはデンポウを受け取ることのできなかった者の目をも、一斉に引き受けなければならなかった。
 中臣センセイの荒い足音が近づく。昭男は襟首をつかまれると、猫のように教壇の前へ引きずられていった。
「小森の最後の日だというのに、君は何という汚らしいことをするんだ!」
 頭髪は薄いのに、声は全然、薄くない。声より激しい往復ビンタが昭男の頬を襲った。
「そこに座れ!」と、言葉が追いかける。関節が外れたように、昭男の体が沈んだ。
 床の上に正座した昭男から目を離すと、中臣センセイは急に優しい口調になって、朗読を止めて立ったままの級長に言った。
「小森、どうした? 続けなさい」
 級長の朗読の声が再び響く。文章の最後の一字まで、彼は一人で読み通した。
「主題をよくつかんだ朗読だった。『烈々たる武士の気魄』そのものだったね。田舎へ行っても、その気魄を持ち続け、恐れ多くも―」
 言葉を区切り、中臣センセイは、右足のかかとを左足のかかとに勢いよく引きつけた。靴の底が床をこすり、ぶつかり合ったかかとが音をたてる。子どもたちも、机の下の両足をそろえ、ももの上の両手をそろえ、あごを引き、胸を張った。床に上に座らせられた昭男も又、涙をこぼしながら胸を張らなければならなかった。
 言葉を止めた中臣センセイの口が、おもむろに開く。
「天皇陛下の御為に身を捧げることのできる神州不滅の日本男児として、立派に成人しなさい」
 不動の姿勢を解いて、中臣センセイのかかとが離れ、胸の張りが崩れる。それをならって、子どもたちの体も緊張を解いた。天皇陛下は、通り過ぎていったのだ。
 中臣センセイは、ほほえみながら級長への言葉を続けた。
「田舎の空気は都会のように汚れていないからね。おいしいよ。日本男児たるには最適の環境だ。頑張るんだよ」
「ハイ! 力一杯頑張ります!」と、級長は又、関から立ち上がって言った。
 鼻で大きく息をして、昭男は教室の空気を嗅いでみた。鼻水がグスグスと音をたて、彼はあわてて嗅ぐのを止めた。
 
      2
「大日本青少年団綱領! 我等は大日本青少年団員なり! 一つ! 大御心を奉体し! 心をあはせて奉公の誠をつくし! 天壌無窮の皇運を扶翼し奉らん! 一つ! 肇国の精神に基き! 正大の気をあつめて確固不抜の志操を養ひ! 力をあはせて大東亜の興隆に邁進せん! 一つ! 心身一体の鍛練を積み! 共励切磋して進取創造の力量を大にして挺身! 各々其の職分を務めん!」
 家の中で、昭男は大日本青少年団の綱領を暗唱していた。力が湧いてくる。旗竿を握る手が汗ばんでいた。
 短い竿の先には、小さな班旗が結ばれている。二羽の鷲をかたどった大日本青少年団の赤いマークが白い絹地に染められ、絹地の隅には『大井第一青少年団倉田第一分団第五班』という文字が染められていた。
 大井第一青少年団の団長は、大井第一国民学校の校長である。校庭では閲団式というものがおこなわれ、校長は白手袋をはめて壇上に立ち、子どもたちの行進を見下すのだった。
「歩調トレーッ! 頭ァー右ッ!」
 六年生の張り上げる号令と共に、一斉に礼を捧げる子どもたちの動きは子どもとは思えぬそろい方をしていた。校庭は練兵場であり、そこにいるのは背丈の低い兵士だったのだ。
 登下校は、班旗を掲げた班長を先頭におこなわれていた。班長になるのは六年生だったが、昭男は五年生なのに班長だった。田舎の親戚を頼って疎開する家庭が増え、第五班の六年生はいなくなってしまったのだ。五年生も昭男一人になってしまい、彼は残された班員の先頭で、班旗を持って登下校をしなければならなくなったのである。
 班長になった昭男が特に緊張しなければならないのは、登校の時だった。出勤するセンセイたちと顔を合わせるからである。厄介なのは、後ろから追い越しをかけてくるセンセイだった。班列に近づいてくる足音に心を配り、班長は「歩調トレーッ!」という例の号令をかけねばならないのだ。
 号令は、早過ぎても、遅過ぎてもならない。班列の最後尾にセンセイの足が届こうとする時にかけねばならなかった。早過ぎては「頭ァー右ッ!」までの間合いができてしまうし、遅過ぎては礼を捧げるより先にセンセイが班列を越してしまう。後ろを振り向きながらタイミングを計るのなら簡単なのだが、それは絶対に許されないことだった。
 気苦労な班長の役について一ヵ月――六月に入ると第五班の残った班員も次々と縁故疎開で消え、とうとう班長だけになってしまう。回りはグルリと空家になり、このあたりに住む人は、昭男の家族だけになってしまったのだ。
 家族といっても、住んでいるのは昭男と祖母だけである。オニイは五月の末に東京の郊外、清瀬の療養所に入り、その三日後に、祖父は脳いっ血で急死していた。母は三年前に肺結核で死んでいたし、父は昭男が生まれた時からいなかった。一緒に住んでいる祖母は、昭男の母の親なのだ。
 ♪若き者 朝日の如く 新なる
  われら 大日本青少年団
  ああ御稜威 あまねくところ
  空は晴れたり 空は晴れたり
  いざ共に 聖恩の旗 仰ぎつつ
  勅語(みこと)を胸に われら起たん
 綱領の暗唱の次は、団歌だった。班旗を持ち、昭男は歌に合わせて部屋の中を行進しはじめた。この月曜日から、集団の登下校はおこなわれていない。一人になってしまった五班だが、一人も残らぬ班もあったのだ。
 勇ましい歌詞に合わせて、昭男の足も勇ましい。皇国の明日へ向かう進軍のようでもあった。でも歌いながら、昭男は洋服屋のヒロユキ君の顔を思い浮かべていた。金物屋のモーちゃん、運送屋のタマコちゃん、同じ棟の長屋に住んでいたヨーコちゃんの顔を思い浮かべていた。みんなと一緒に遊びまわった昨日をめざすように、昭男はももを高く上げ、畳を踏み締めていた。
 昭男の目の下は紫色だ。前の日のビンタのおかげである。ビンタのことを昭男は口を固くして語らなかったが、祖母は学校に問いただすこともできなかった。
 祖母がしたことは、昭男を留守番に置いていくことだった。紫色の顔を病人のオニイに見せることは、彼女にはできなかった。
 ギ、ギーッ!
 バリバリッ!
 昭男の歌に伴奏をつけるように、けたたましい物音が響いてくる。外に飛び出すと、勢いよく立ち働いている人夫たちがいた。
 空家になった家々の塀の板がバールで殴られていく。七分通り剥し終わると、剥し残した板を付けたまま、人夫たちは塀を揺さぶった。
 身をくねらせて塀は倒れる。折れ残った塀の柱が、人夫たちの膝をえぐるように土の中から突き出ていた。
 あたりは強制疎開区域なのだ。住民を追い立てた後の空家はぶちこわし、空地にしてしまう。空襲による火災の広がりを防ぐための空地を政府は作ろうとしたのだ。まだ空襲を一度しか経験していない昭男であったが、いずれ東京が火の海になるだろうことをエライ人たちは予測していたのだ。
 人夫の襲撃は続いていく。家々の側板はこじ剥され、白壁は叩き割られていった。骨組みだけとなった家々に、彼等はロープを掛けて引き倒す。威勢のよかった動きは消え、人夫の掛け声は重くよどんでいた。その掛け声に似たきしみをたてながら、骨組みはどんよりと倒れていった。
 昭男には、まだ、こわれていく家々の悲しみ、こわしていく人々の悲しみが分からなかった。もう、とっくに立ち退きの期限が過ぎ、焦り続ける祖母の気持ちも分からなかった。その日、オニイのところに行ったのも、引っ越し先についてのオニイの友人からの返事が届くことになっていたからだ。
 家々がこわれた後に現われてくる空間を追って、昭男は終日、飛び歩いた。だだっ広い空間の中に、たった一棟取り残された長屋の姿は、昭男にとって王者の砦のように思われた。
 喉が渇くと、井戸端の跡へ走っていく。そこに残った手押しポンプで水を汲み上げると、水はおしゃべりのように勢いよく汲み上がってくるのだ。
 昭男は、大きく開いた口で水を受けた。顔一杯にしぶきがかかる。それは、紫色の頬に気持ちよかった。
 夕方、祖母は帰ってきた。散らばったおもちゃを集めるかのように釘を拾う昭男めがけて、祖母は遠くの方から声をかけた。
「坊や、引っ越しだよ!」
 昭男は、自分も又、そこから立ち退かねばならなかったことを初めて知った。
 
     3
「日下(くさか)クーン!」
 学校帰りの昭男の背中から呼び止める声がする。振り返ると、同じ五年松組の猿谷クンだった。座席も離れ、家も離れ、遊んだことは一度もなかった。
 立ち止まった昭男の横には、大井警察署のいかめしい建物がある。後ずさりをして建物から離れ、昭男は猿谷クンを待った。
「日下クンの家、こっちだったの?」
「引っ越したんだよ」
「強制疎開?」
「うん」
「ぼくのとこも強制疎開。遠くなっちゃってさ、中延から通ってるんだ」
「中延って、こっちの道?」
「そうだよ。日下クンの家はどこなの?」
「伊藤町だよ」
「じゃあ、ぼくより近いじゃないか。転校しないで、二人でがんばって来ようよ」
「うん」
 道連れができたうれしさに、二人の足取りが弾んでくる。道端のポストの赤い色が、二人の心を映して鮮やかだった。
 ポストの前の雑炊食堂には、暖簾が掛かっていない。引っ越しの日、手伝いに来てくれた元の隣組のタマコちゃんと、リヤカーの後を押しながら通った時は、弁当箱や小鍋を抱えた人たちの長い行列が続いていたものだ。
「いい匂だ! 力が出るぞ!」と、リヤカーを引きながら大きな声を出したのは、タマコちゃんのお父さん、運送屋の蒲田さんである。声とは逆に、リヤカーのスピードは落ちていた。
 女の人が一人、向こうの方から歩いてくる。縮緬のもんぺだった。足を止めた縮緬は、号列の中のスフのもんぺにたずねていた。
「この行列、何の行列でございますの?」
「雑炊ですよ」と、スフは、でこぼこの鍋を叩きながら答えた。
 目を丸くした縮緬が列を離れる。彼女の独り言が椿油の匂と一緒に擦れ違った。
「おかわいそうに」
「てやんでーッ!」と、蒲田さんは、振り向きながら大きな声を上げた。リヤカーのスピードが突然変わり、昭男とタマコちゃんは、荷物につかまりながら走り出さなければならなかった。
『欲しがりません勝つまでは』という電柱の標語が目をよぎる。もう少し以前、標語は『ゼイタクは敵だ』というものだった。
 配給制度になった米が配られず、大豆や小麦が代わりに配給になる時代である。大豆や小麦ならいい方で、油を絞り取られた大豆の粕や、干からびた玉蜀黍の粒など、牛馬の飼料さえ配られる始末である。困っていたのは一般家庭だけではなく、病院も同じだった。
 オニイが入院した日、昭男も風呂敷包みを持って、祖父母と一緒に送っていった。療養所に着いて間もなく昼食の時間になり、オニイのベッドにもお膳が運ばれてきた。
 皿の上のトマトの色が昭男の目を捕らえる。もう何年も、それを食べたことも、見たこともなかったからだ。
「トマト」と、昭男はうれしそうな声を出してオニイの顔を見た。もしかしたら、分けてもらえると思ったのだ。
「トマトは、オニイの薬だからな」と、祖父は横から釘を刺した。
 たった三切れのトマトだった。塩汁のように色の薄い味噌汁には、さいの目に切った豆腐が数切れ浮かんでいるだけだった。水っぽいお粥の上には梅干しが一つ。それが、入院したオニイの、その日の昼食の全てだったのだ。
 
「さようなら!」
 玄関の戸の閉まる音がする。寄り道をした猿谷クンが帰っていったのだ。引っ越し早々、昭男が新しい友だちを連れてきたのは祖母にとってもうれしいことだったが、学校から帰ってきたら、早々に頼もうとしていたことが祖母にはあった。
「坊や!」と呼びながら、祖母は文箱の中から一枚の新しい葉書を取った。
「なあに?」と、昭男が玄関から戻ってくる。
「葉書、書いてちょうだい」
「どこに?」
「川内に」と、祖母は答えた。川内というのは、祖母の故郷の町の名前なのだ。
「いいよ!」
 昭男は、引き出しの中からインキの瓶とペンを取り出し、ちゃぶ台の上に置いた。祖父が死んだ時も、入院してしまったオニイに代わって、あちらこちらに知らせを書いた昭男なのだ。
 祖母は、文字を書くのが苦手だった。簡単な文章ならば、時間をかけて、まあまあ読めるという程度である。
「何て書くの?」
「トウキョウハ、ヒマシニアツクナッテキマスガ、ソチラハイカガデショウカ。オウカガイモウシアゲマス。センジツ、シュジンノシニサイシマシテハ、カブンナゴコウデンヲタマワリマシテ」
「一寸待ってよ! おばあちゃんのしゃべり方、速くて速くて書き切れないよ!」
「ハイ、ハイ、待ちますよ。待ちますよ」
「ねえ、イカガって、どういう漢字?」
「かなでいいよ」
「じゃあ、タマワリマシテは?」
「それも、かなでいいよ」
「かなばっかりじゃ駄目だよ。ねえ、タマって、勾玉の玉なのかなァ」
「そうかもしれないねえ」
「じゃあ、そうしよう」
 こんなやりとりを繰り返しながら、一通の葉書は書き上がったのだ。
 
東京は日増に暑く成って来ますが、そち等はいかがでせうか。御うかがひ申上げます。先日、主人の死にさいしましては、か分な御香でんを玉はりまして暑く御礼申上げます。さて長わづらひの息子は今、療養所に入り療養に勤めて居ますが東京は食りょうが少く、中々栄養を着ける事が出来ません。来月は御ぼんでもありますし、久振に御じゃまし、野菜の一つ等、病人の為に持って帰りたいと思ひ、御便りしました。御返事を御持ちして居ります。かしこ
 
     4
 祖母の妹の名前で返事が来たのは、半月ばかりたってからのことだった。輸送は滞り、出した郵便物が届かないということも珍しくなかった時代にしては、上々の往復である。
 その日、昭男は学校から一人で帰ってきた。いつも寄り道をして遊んでいってくれる猿谷クンは、用事があるというので早退してしまったのだ。
「ただ今」
 気の抜けた声で昭男が家に入ってくると、祖母は元気よく言った。
「川内に行くわよ!」
「エッ!? 返事が来たの!?」
「来ました、来ました!」
「来てもいいって?」
「そうよ、ほれ、いいって書いてるでしょう」と、祖母は苦労して読み取った葉書を差し出した。
 昭男は目を走らせる。
「『いい』なんて書いてないよ!『心より御待つすて居りまし』って書いてるじゃないか!」
「それ、『いい』ってことと同じでしょう」
「うん、だけど、『つ』だとか、『す』だとか、『し』だとかって、間違って書いてるよね」
「それでいいんだよ。東北の人から見たら、間違ってるのは東京の人なんだよ。つべこべ言わないで、早く支度しなさい」
「いつ行くの?」
「いつか分からないの。今晩、上野の駅で並んで、明日の朝の切符の売り出しを待つからね。うまく買えたら、そのまま汽車に乗るんだよ」
「学校に黙って行っていいの?」
「あと四、五日で夏休みでしょう?」
「うん」
「だったら大丈夫よ。さあ、準備、準備!」と、祖母は箪笥の前に立った。
 その夜、上野駅の行列の中で、昭男と祖母はうとうとと眠った。コンクリートの床の上に敷いた風呂敷が二人の布団である。昭男の枕は、教科書のつまったリュックサックだった。
 翌朝、運よく切符を買い求めることのできた二人は、そのまま東北本線に乗った。昭男にとって、東北への旅は初めてのものだった。
 
     5
 激しい下痢のため、祖母の妹が避病院に入院したのは、昭男たちが訪れて間もなくのことだった。
 赤痢である。その年の夏から秋にかけ、下北半島の川内町では、赤痢のために八十二人が隔離され、十七人が死亡するという事態が発生したのだ。
 患者の出た家の表には赤い紙が貼られ、家族の外出は禁止された。閉じ込められたのは息子夫婦、その子どもたちが三人、そして昭男である。祖母の妹の連れ合いは、もう死んでいなかった。そして、昭男の祖母は、妹に付き添って避病院に行ったのだ。
 リュックにつめて持ってきた折角の教科書を、昭男はパラパラとめくっただけだった。生きた教科書を相手にするように、昭男は自分より小さい三兄弟と家の中を走りまわった。喧嘩を止め、あやし、引っ掻かれ――それは、一人っ子の昭男にとっては初めての体験だった。
 隠(かぐ)れ鬼(おんこ)の時、昭男は納屋の二階の小さなまどから外をのぞくのが楽しみだった。
 はなますの咲く砂浜がある。砂浜の向こうには陸奥湾が広がっていた。波頭に乗って反射する海藻の光の明滅は、波を相手の隠(かぐ)れ鬼(おんこ)のようだった。
 綿菓子のような雲の下で隠(かぐ)れ鬼(おんこ)をするのは、はるか対岸の八甲田の山々である。雲はしんこ細工のように姿を変え、太陽も又、隠(かぐ)れ鬼(おんこ)の仲間になった。潮の流れが描く縞模様の海面を光と影は走っていくのだ。
 家の中に閉じ込められながら、昭男は大自然と隠(かぐ)れ鬼(おんこ)をしているようだった。
 祖母の妹が退院できたのは、三週間を過ぎてからだった。
 その日、一通の電報が届いた。療養所からのものである。予想もしないオニイの危篤の知らせだった。
 土産どころのさわぎではない。ありあわせの澱粉と白米をリュックの底にいれてもらい、二人はバスで、汽車の駅へ向かった。
 
     6
 オニイの臨終には間に合わなかった。腐敗を恐れ、遺体はもう火葬場に送られてもいた。遺体どころか、肌着一枚、オニイの遺品は療養所に残っていなかった。
「馬鹿にしてるよ。お棺にみんな入れただなんて――嘘もああまで見え透くと、あきれ返って物も言えないよ」
 玉蜀黍の葉がゆらめく清瀬の田舎道を戻りながら祖母は昭男に鬱憤をぶちまけた。あの強制疎開の立ち退き期限が切れた時でさえ、途方にくれた心をけっして昭男に見せなかった祖母である。しかし、オニイに死なれた今、彼女は五年生の子どもを相手に自分の心を吐き出すより他はなかったのだ。
 その朝、上野駅からまっすぐに清瀬へ向かった二人は、火葬場に保管されているというオニイの骨を受け取りに、再び電車を乗り継がねばならなかった。
 ある駅のホームでは、乗り継ぎの電車を待って三十分ほどの時間を二人は過ごした。単線だったその路線を電車が発った直後のためである。大井町駅の近くに住み、京浜線の頻繁な発着に慣れていた昭男にとって、三十分も電車が通らぬ駅での待ち時間は、まるでさいはての地に立たされたようなうそ寒さを感じさせるものだった。そういう感じにふさわしく、その駅の名は武蔵境といった。
 その夜、疲れた体を横にしたきり、祖母は立つことができなくなった。執拗な下痢が続き、それは赤痢の症状に似通っていた。しかし、医者を呼ぶほどの金はもうなかった。そんな家計のことは昭男には分からなかったが、分かったとしても、彼自身の裁量で祖母の病気に対処するには、彼はまだ幼かった。彼は祖母の支持する通り看病をした。
 祖母の指示は三つあった。その一つは、常備薬の正露丸を母の掌に渡すことだった。その二つは、便の始末だった。ボロ切れに取ったその便を、祖母はそのまま庭で焼くように言った。三つ目の指示は、食事のことだった。川内からもらってきた澱粉で、祖母は葛湯を作らせたのだ。昭男にも、それを口にすることをすすめたが、彼は祖母の分だけしか作らなかった。下痢の続く祖母にとって、それが家にある唯一の適当な食物であることが昭男には分かっていたのだ。祖母のために、それは残しておかなければならなかった。
 祖母がリュックサックの底に忍ばせてきたものは、もう一つ、白米があった。昭男がそれまでに見たこともない真っ白なものだった。それを炊いて一人で食べるように祖母は言いつけるのだが、昭男は、その言葉にも従わなかった。もし澱粉がなくなってしまったなら、代わりの食べ物を作ってあげなければならない。純白の米の姿は、重湯を作るにはぴったりのものだった。日に三度、昭男は台所の布袋の中に残っている大豆を炒っては囓った。
 戸外からは、時折、子どもたちの遊び声が聞こえてくる。午後になると、その声は帰宅した学童たちの声でいっそうにぎやかになった。二学期はもう始まっているのだ。
 昭男には、その声の持ち主がどんな顔をしているのかよく分からなかった。そして、その子どもたちが通う学校がどこにあるのかも分からなかった。
 数日たった昼近く、昭男はこっそりと外に出た。細い通りの両側には、立派な家ばかりが並んでいる。オニイが借りてくれた家も、生け垣に囲まれた二階家だった。田舎へ疎開をしたために、留守番代わりに安い家賃で貸してくれたのだ。
 民家の家並みが切れ、学校らしい建物が見えてきた。恐る恐る近づいていくと、歌声を乗せたピアノの音が流れてくる。それは、昭男がまだ習っていない曲だった。
 二階建ての校舎は、道路際からせり上がるように建っていた。校舎の裏側のようである。のしかかってくるような重味を感じながら、昭男は建物を仰いだ。
 コンクリートの建物には、至る所にひび割れが走っている。昭男は大井第一を思っていた。一棟は木造、もう一棟はコンクリートの大井第一の校舎の内、昭男の教室はコンクリートの方だった。そのコンクリートもやはりひび割れ、夏休みの直前に補修をしたばかりなのである。
 その日、セメントを塗り終わった人夫が帰った後、昭男は人気をうかがい、壁にそっと掌をやってみた。粘土のように濡れたそのセメントの質感は、彼を無邪気に誘惑したのだ。そっと当てたはずの壁から掌を取った時、彼は見事についた自分の手形を発見した。
 伊藤国民学校の校舎を仰ぎながら、昭男は自分の残した手形を気にかけていた。
 ベルの音がする。昭男の知らない顔たちが彼をうさん臭そうに見下し、彼はあわてて歩き始めた。
 秋の空の澄んだ色彩が、昭男に空腹をなだれ込ませる。空腹は、彼に、葛湯を待つ祖母を思い出させた。足を急がせ、彼は校舎の裏側をめぐって表通りへ出た。
 表通りには、数軒の商店があった。どの店の戸も閉まり、戸のガラスは埃をかぶっている。
 細く切った紙がガラスを押さえていた。黄ばんだ紙は放射状にガラスをおおい、ガラスの部分はほとんど見えなかった。爆弾の衝撃でガラスが飛び散るのを防ぐために貼られた紙なのだが、爆弾とは関わりなく、ガラスは割れるものである。ガラスのあちこちには割れ目が走り、放射状の紙の押さえに助けられていた。割れたガラスを取り替えようにも、ガラスは売っていないのだ。
 そんなガラス戸の中に、昭男はふと、丸ごと一枚貼られている半紙を見つけて足を止めた。広告である。
『萬病に効く漢方薬 朝鮮人参』
 筆で書いたその半紙は、まだ黄ばんではいなかった。昭男は胸をときめかせて店内をのぞいた。がら空きの陳列ケースの真ん中に、チョコンと小袋が積んである。
 昭男は広告へ目を移した。『萬病』という文字が、昭男の鼓動をあらためて速めた。
 人の気配がして、ガラス戸がきしみをたてながら開いた。おかみさんが首を突き出す。頭のてっぺんから足の先まで、おかみさんの視線が注がれた。
「おばさん」と、昭男は思いきって言った。
「何だい?」
「朝鮮人参って、何にでも効くの?」
「そうだよ。坊やのオネショにもね」と、おかみさんは昭男をからかった。
 昭男は顔を赤らめた。彼は時々、寝小便をすることがあったからだ。
「下痢には?」と、彼の声は小さくなる。
「効くよ」
「いくらで買えるの!?」と、昭男の声は一変した。
「五円」
 昭男はもう走り出していた。板のように磨り減った下駄を割らんばかりの勢いだった。
 威勢よく玄関の戸を滑らせ、下駄を脱ぎ散らして昭男は叫んだ。息が切れ、喉は苦しかった。
「おばあちゃん! 五円ちょうだい!」
「どうしたの?」
 いぶかしげな祖母の声を聞きながら、彼はふすを開いた。
「五円あればね、お薬買えるんだよ!」
「お薬?」
「朝鮮人参なんだって!」
「朝鮮人参?」
「萬病に効くんだよ! ねえ、買ってみようよ!」
 昭男は、祖母の枕の下へ手をやった。その手首を、祖母の手が押さえた。力のない手だった。振りほどいた昭男の手は、祖母の財布をつかんでいた。
「よこしなさい!」と、祖母の声は思いもかけぬきつさだった。昭男は、肩をすくめて財布を差し出した。
 けわしい表情で祖母は財布を受け取り、掛け布団の上で強く握った。仰向いた体のまま黙って天井を見つめている祖母の表情から、けわしさは容易に去らなかった。
 財布の口金を静かに開いて、祖母は言った。
「こだけしかないよ」
 昭男は、祖母の胸の財布の中をそっとのぞいた。数枚のダラ銭が入っている。昭男は頭の中で足し算をした。それは、一円にもほど遠い額だった。
「どうしてさ、どうしてもっとないのさ」と、昭男は口を尖らせて言った。
 祖母は唾を呑込むと、思い切ったように言った。
「どうしてって、川内に行ってお金を使ってしまったでしょう」
「チェッ、つまんないな」と、昭男の口は相変わらず尖っていた。
「おばあちゃん、すぐ直ってみせるからね。そしたら働いて、お金を儲けてあげるよ。さあ、葛湯を作ってちょうだい」
 祖母は、ようやく微笑を作って言ったが、その頬は硬かった。
 台所で、昭男はいまいましそうに水道の蛇口をひねった。情けない水圧である。薬罐の底にゆっくりとたまっていく水の量を見つめながら、彼はまだ朝鮮人参のことを思い続けていた。
 水は薬罐の三分の一ほどになっていた。彼は蛇口を閉めると、薬罐の口を傾けて茶椀に水を受けた。彼の頭には、その時、五円の捻出方法がひらめいていたのだ。茶椀の水を、昭男はうまそうに飲み干した。
 慎重な手つきで黄燐マッチを擦ると、彼はガスに火をつけた。スプーンですくった澱粉を茶碗の中に移す。もう一度蛇口をひねり、水を澱粉にしたたらせた。スプーンを動かし、茶椀の底で澱粉を溶く彼の手つきに合わせ口笛が鳴った。予科練の歌だった。
 薬罐が快適に音をたてる。待ちかねたように、彼はガスを止め、薬罐を取った。湯を注ぐと、茶椀の底から白濁した澱粉が盛り上がってくる。透明な艶が現われ、かきまぜるスプーンの動きが止まった。
 朝鮮人参の求め方は、もう決まっている。盆に乗せた葛湯の茶椀とスプーンを祖母の枕元に置くと、彼は階段を駈け上がった。
 二階は昭男の部屋である。五段に仕切られた本棚には、ぎっしりと本が並んでいた。少年講談、のらくろ、高垣眸、山中峰太郎。講談社の絵本もあり、少年倶楽部もある。怪人二十面相も、タンクタンクローもあった。
 このところ、その書棚の本は雑誌以外ふえてはいなかった。出版物は減り、書店の多くは貸本屋に転向し、単行本は買い難くなっていたのだ。手持ちの本を昭男は繰り返し読まなければならなかったが、それだけに本は貴重なものだった。
 一册一册を引き抜きながら、昭男は思い出を噛みしめていた。その本の中には、まだ家族のみんなが元気で生きていた頃、三つ又地蔵の縁日の夜店で買ってくれたものもある。アセチレン灯の下に広がるあまりの本の山に昭男が選ぶのを迷っていると、祖父はさっさと数册を選び、「これがいい。これにしろ」と、昭男の手に押しつけたものだ。
「その本は駄目。まだ難しいわ」と、昭男の手から取り上げるのは母だった。
「難しそうね」と祖母が言い、「難しい、難しい」とオニイが合槌を打つ。
「何だ。寄ってたかって俺を責めるのか」と、祖父は口を尖らせるのだ。
 思い出が、昭男の頬を濡らしていた。もう会うことのできない母の声、オニイの声、祖父の声が、この本棚につまっていたことを昭男は今さらのように感じたのである。しかし、彼は手離さなければならなかった。朝鮮人参を求めるために、彼はこれらの本を古本屋に売らねばならなかった。縁故疎開をしていった友だちの一人に古本屋の子どもがいて、店の中での取り引きを何度も昭男は見ていたのである。
 その日、十册の思い出が昭男の本棚から消えた。ちょうど一枚の五円札を、彼は生まれて初めて手にすることができたのである。
 それを得るために、昭男は風呂敷包みを下げながら、ついこの前までの友だちの家の前を何度も通り過ぎ、何度もためらわなければならなかった。
 大人だけが残り、店は続けられていた。そして顔見知りのおじさんと初めての取り引きをしようとする昭男の行為は、彼をためらわせるには十分な行為だった。
 事情を打ち明ける昭男の言葉を聞きながら、祖母は嗚咽をこらえて朝鮮人参を飲んだ。不思議なことに、それは祖母の体によく効いた。
 
     7
 脱ぎかけた下駄の鼻緒に指を戻し、昭男は校舎の裏手にまわった。教室に入る前に、彼はあの自分の手形を見ようとしたのだ。
 お前は誰だとでも言うように、昭男の頭の上を赤トンボが行き来する。二ヵ月ぶりに接する学校の空気は、昭男のまつ毛に小さな痒みを伝え、瞬かせた。遊び声は、まだどこからも聞こえてこない。いそいそと朝早く出てきた昭男ではあったが、無人の校舎は冷ややかなたたずまいを彼に感じさせた。
 手形をはめたセメントは、もうすっかり乾いていた。あたりを見まわし、人気のない裏庭の様子を確かめると、昭男は自分の掌をゆっくりと手形に当てた。
 粗い感触が掌一杯をふさぎ、手形は掌になじまなかった。粘っこい質感はもうなく、手形は乾いた化石だった。
 おどおどした足どりで、昭男は玄関へ戻った。脱いだ下駄を下駄箱に入れると、ためらいがちな素足が廊下を踏む。『五年松組』という教室の礼を見上げると、昭男の心は少しばかり安らいでいたが、戸を開く手は、やはりおどおどしたものだった。
 たてつけの悪い戸の向こうに机の列が現われてくる。昭男は目を疑い、頭の上の札を見直した。それは、やはり、五年松組を示している。ところがどうだろう。教室の中では、女の子が一人、ランドセルから勉強道具を出しているのだ。机の数も半分に減っている。
 彼女は、怪訝な顔を昭男に向けた。男の子の話し声が玄関から聞こえたのは、その時である。昭男は、救われたような眼差で彼等を見た。
 猿谷クンがいる。五年松組の子どもたちだった。
 はだしの足たちは器用に足音を殺し、廊下の上を走ってきた。
「日下クン、今までどうしてたの!?」と、猿谷クンが真っ先に言う。
 昭男の喉で言葉がつかえた。彼の二ヵ月は、とても一口で語れるようなものではなかった。
「みんなが集団疎開しちゃったの、知ってる?」と、別な声が言う。
「集団疎開?」
「知らなかったの? 田舎で、みんな一緒に泊まりながら勉強するんだってさ。残った生徒の数が少なくなっちゃったから、松と竹を合わせたんだよ」
「先生は?」
「同じだよ。集団疎開についていったのは、松島先生なんだ」
 竹組のセンセイの名を言う猿谷クンの答えを聞き、昭男はがっかりした。
「日下クンの席、どこかんだろう?」
 同級生の一人が、昭男の座席を心配して言った。
「そこじゃないか? そこ、一つ空いてるもん」
「そうだね。そこに座りなよ」
 彼等は昭男の背からランドセルを取り、椅子の背中に掛けてやった。
 教室を昭男は見まわした。黒板の上、正面の壁には、額縁に入った宮城がある。その左手の額縁が取り外され、壁には額縁の四角い跡が残っていた。又、あれを書き直すんだろうかと、昭男の心臓は高鳴っていた。
 
 あれを書いたのは、小学校が国民学校になった二年生の時だった。母の死んだ直後のことである。
「お父さんと、お母さんの名前をみんなに書いてもらって、今度、額に入れて掲げることにしたから、小筆を使って家で練習してきなさい。明日、学校で清書してもらいます」
 そう言ったのは、中臣センセイである。彼は、昭男が二年生の時からの担任だった。
 家に戻るなり、昭男は祖母に聞いた。死別したばかりの母の名前は知っているが、生まれた時からいなかった父の名前は知らなかったのだ。
「おばあちゃん、ぼくのお父ちゃんの名前、何ていうの?」
「お父ちゃんは、死んだって言ったでしょう」
「死んだら、名前、なくなるの?」
「そうだよ」
「じゃあ、お母ちゃんはどうなの?」
「この世の名前はなくなって、あの世の名前になったでしょう。釈妙月信女だよ」
「じゃあ、お父ちゃんのあの世の名前は?」
「古いことだから、ちょっと思い出せないね」
「困っちゃったなァ。明日、お父ちゃんとお母ちゃんの名前を筆で書くから練習しておいでって、先生に言われたんだよ」
「日下証子とだけ書けばいい」と、脇から言ったのは祖父だった。怒りん坊の祖父の一言に、昭男は、もう質問ができなくなっていた。
 次の日、半紙を広げた一つの机に代わる代わる座って、みんなは名前を二つずつ書いていった。
 番が来て、昭男が座る。彼は目の前の半紙をにらんだ。
 物差しを使って引いた鉛筆の線が、きれいに並んでいる。上下に取られた枠の中を、みんなの両親の名前が埋められていた。それなのに、一つ外して書くというのだ。
 息を止め、昭男は下の枠に筆を下ろした。上の父から書くという常識をくつがえす行為だった。
 昭男のまわりの空気がゆらぐ。指を震わせ、ようやく片親の名前を書き終えると、昭男は棒のように立ち上がった。
「日下クン、お父さんの名前、書かないの?!」
「どうして書かないの!?」
「日下クン、テテナシゴ!?」
 言葉が突き刺さり、「静かにしなさい!」と、中臣センセイの声が響いた。その場の騒ぎはおさまったが、昭男の心はおさまらない。
 
 ♪海ゆかば 水漬(みづ)く屍
  山ゆかば 草むす屍
  大君の 辺にこそ死なめ
  かえりみはせじ
 教室では、毎朝、『海ゆかば』が歌われるようになった。それを歌う時、昭男は、パクパクと口を動かしてごまかした。次に来るものが恐しくて、どうしても声が出てこないのだ。歌が終われば、今度は、声をそろえて言わなければならなかった。
「お父さん! お母さん! 今日一日! 真剣に勉強します!」
 大きな声でみんなは叫ぶのに、一番初めの『お父さん』という言葉を昭男はどうしても言うことができなかった。額の中の一つの空白は、教室の後ろの昭男の席からでもよく分かる。彼の口のパクパクは、ここでも続くのだった。
 
「日下クーン! 待ってよーッ」
 呼び止める猿谷クンの声を背中で振り切って、昭男は校門から走り出した。こらえにこらえた一日が、ようやく終わったのだ。
 朝、教室に入ってきた中臣センセイは、座席に座る顔の中に昭男を見つけると、大きな声で言った。
「日下! 今までなにしてたんだ!?」
「……」
「ずる休みか!?」と、中臣センセイはたたみかけた。
 昭男は、あわてて首を横に振った。
「病気か?」
 昭男は、大きくうなずいた。中臣センセイは舌打ちすると、詰問するように言った。
「一体、どこが悪かったんだ?」
「おなか」と、昭男の声はすくんでいた。
「フン」と、中臣センセイは鼻で笑うと、教室を見まわしていった。
「いいか、みんな、自分の体は大事にして、お国の役に立てなければ駄目だよ。恐れ多くも――」
 中臣センセイは、いつものように胸を張り、直立不動の姿勢をとった。いつものように、教室中の体がこわばる。
「天皇陛下の赤子として、己の体をないがしろにし、犬死にをするようであってはならない!」
「ハイ!」と、一斉に緊張した返事が返った。
 昭男は心の中で、「犬死に」とつぶやいていた。
「起立!」
 思わぬ説教に号令をかけ遅れた二学期の級長の声が、遅れを取り戻そうとするかのような大声で響いた。みんなと一緒に昭男の体も立ってはいたが、彼の心はうずくまっていた。うずくまった彼の心は、「犬死に」と再びつぶやいた。
『海ゆかば』の斉唱が始まる。いつも以上に昭男は声を詰まらせていた。彼はオニイの死を思っていたのだ。
 元気ならば、オニイは芝浦の電機工場で産業報国の戦士として働いているはずだった。もしかしたら応召を受け、戦場を駈けめぐっていたのかもしれない。しかし、オニイは結核になり、ろくな栄養もとれぬまま死んでしまった。そんなオニイの死は、犬死にには違いない。しかし、それは、オニイが犬だったということなのだろうか? オニイは、それほど卑しい人間だったのだろうか?
 
 下駄の歯を路上に叩きつけ、昭男は、まだ走り続けていた。
 
     8
「くッさァかクン!」
 猿谷クンの歌うような呼び声が玄関でする。二階の階段を下りる昭男の足は、呼び声のように軽くはいかなかった。前の日、置いてきぼりにして帰ってきた罪の意識が、彼の足に枷をはめていた。
 階段のきしみと一緒に、頭痛が昭男を襲ってくる。朝からの頭痛で、彼は学校を休んだのだ。その日、仕事に就くための面接があった祖母は、仕方なく彼を置いて出かけていった。
 居間を横切り、昭男は縁側に出た。庭の木戸を押して、猿谷クンは顔を突き出していた。
「どうして休んだの?」
「頭が痛かったの」
「頭くらいなら、このパン食べられるよね」と、猿谷クンは、手に持った包みをのべてよこした。ザラ紙でくるまれているのは、昨日も学校でもらったコッペパンである。昭男がいない間に、パン給食が始まっていたのだ。
「後で食べるよ。ありがとう」
「休んでも、二日間は届けてくれるんだって」
「ふうん」
「でもね、休んでばかりいると落第するって先生が言ってたよ」
 猿谷クンの言葉が頭痛を強くする。昭男は眉をしかめた。目の前にいる猿谷クンがスパイのように思われてきたのだ。
「ぼく、寝るからね」
 コッペパンを強くにぎり、昭男は猿谷クンに背中を向けた。
「日下クン、ぼくね――」
 猿谷クンの言葉も聞かず、昭男は階段を駈け上がった。半ズボンの股が裂けてしまいそうな大きな動きだった。
 
「くッさァかクン!」
 猿谷クンの声は、次の日もした。昭男は股、学校を休んでしまったのだ。蒲田の町工場に家政婦の仕事を見つけ、祖母は、その日から勤めに出ていた。
「くッさァかクン!」
 何回呼んでも、昭男は姿を見せず、猿谷クンの声は悲しそうだった。
「くッさァかクン!」
 声が近くなる。庭に入り込んで呼んでいるのに、二階の昭男は降りてこなかった。猿谷クンは縁側にコッペパンの包みを置くと、肩を落としながら帰っていった。
 忍び足で昭男が階段を降りてくる。人気がなくなったのを確かめると、彼はコッペパンをつかんだ。
 そっと歯を当てる。静かに喰い千切り、ゆっくりと噛んだ。舌に伝わる優しいパンの味が、猿谷クンへの後悔と重なっていた。
「明日、学校に行こう」
 
 せっかく学校に行ったのに、次の日、猿谷クンはいなかった。縁故疎開で、五年生は、その日から又一人減っていたのだ。それだけでも悲しい昭男だったのに、追い討ちをかけたのは中臣センセイだった。
「日下! どうして学校に出てきたんだ! パンが欲しいから出てきたのか!」
 そう言って、中臣センセイは昭男をなじったのだ。二日休み、もうパンを届けてもらえない三日目に、運悪く学校へ出てきた昭男だった。
 授業が終わり、昭男はとぼとぼと家へ帰った。
 赤いポストがくすんで見える。そこは、もう原国民学校の校区なのだ。その先、品鶴線の踏み切りを渡ると、右手には伊藤博文の墓所がある。そこからは、伊藤国民学校の校区だった。
 踏み切りの先の道は、ゆるい上り坂になっている。坂の途中には交番があり、交番の手前の路上で男の子が相撲をとっていた。取り組みのまわりでは、三、四人が出番を待ってしゃがんでいる。その中の一人の視線が、そこにさしかかった昭男の視線と重なった。
「原だ!」
 敵意を込めた声と共に、彼等の視線は一斉に昭男へ集まった。
「お前、原か?」と、彼等は口々に言いながら、昭男の前に立ちふさがる。
「第一だよ」と、昭男は肩をすくめながら、小さな声で学校の名前を言った。
「第一? 何が第一なんだよ?」
「相撲が第一か?」
「喧嘩が第一か?」
 昭男はうつむきながら、横隊に立ち並ぶ彼等の左手をすり抜けようとした。彼等は一斉にそちらへ動き、昭男は右へ方向を変えた。彼等の列は、昭男について一斉に動く。
「どけてよ」と、昭男は上目づかいに哀願した。勝ち誇った彼等の肩越しに交番が見える。昭男は満身の力を込めて彼等の列を突き破ると、交番めがけて駈けだした。
 喚声が昭男を追った。衝撃が肩を引く。ランドセルがつかまれたのだ。肩に食い込む重みを引きずったまま、昭男は交番の前に倒れた。倒れる瞬間、机に座ったオマワリさんと昭男は目が合った。
 学帽がむしり取られる。昭男は助けを求め、大声で泣きだした。しかし、オマワリさんは、もう一瞥もくれず、机に向かって書きものをしている。
 あまりの泣き声に驚いた子どもたちは、学帽を路上に投げ捨てて逃げていった。
 昭男は尚も泣きわめいた。センセイも、そしてオマワリさんも、尊敬するに足りない人間なのだ。真理の一角がぐらぐらと崩れてゆくのを感じながら、彼は泣き続けた。
 
     9
 働きに出るため、祖母は毎朝、大森駅への近道を歩いていった。それは、大井第一国民学校への道とは違っていた。そして朝、分かれ道で祖母に手を振った後、昭男が歩く道も、大井第一へのいつもの道とは違うものになっていた。いじめっ子を避けるために選んだ遠まわりの道なのである。
 知らない道を選びながら、知らない町のたたずまいを眺めていく彼の足は、ふと思わぬ方角にそれてしまうことがあった。そこに見つけた映画館のスチールを眺めては、ついつい時間を過ごしてしまうこともあった。
 やがて、彼の足は、映画館そのものの中に向いてしまうようになった。彼は古本屋で銭を得ることをもう覚えてしまっていた。
 
     10
 冬が来ると、アメリカの爆撃機、B29の来襲が激しくなった。昭男の道は、祖母との別れ道から、今来た道を戻るようになった。
 本棚に一杯だった本は、もう、ほとんどなくなっている。二階に寝転び、彼はぼんやりと時を過ごした。
 退屈の果てにある昭男の唯一のめあては、何食わぬ顔で祖母を玄関に出迎えることだった。しかし、空襲警報が解除になる合間をくぐり抜けての祖母の帰宅は、不規則なものだった。黒い布でおおわれた電灯の下で、昭男は心細く祖母を待った。空襲警報のサイレンが鳴ると、彼は防空壕代わりの縁の下に一人で潜り込まなければならなかった。
 B29の高度は、肉眼では捕え難いほどの高さではあった。それらしき微かな爆音、雑音のひどいラジオの情報、走りまわるメガホンの声、サイレンの断続音――それらは、戦場になりつつある東京の緊迫感をかもしだしはしたが、昭男の頭上に、まだ爆弾は落ちていなかった。
 遠い夜空を染める火の色は、『我方ノ損害ハ軽微』という大本営の嘘を隠すような、単なる夕焼けの空に似てもいた。かなり近く、昭男のまわり道の途中にあった光学工場が襲われた時でさえ、彼は二階の窓から、炎の夜空を野次馬気分で眺めたものである。
「坊や」
 一緒に炎を眺めながら、祖母は緊張した声で言った。
 がらんどうの本棚が、その傍には立っている。昭男が長期欠席をしていることを祖母はもう感づいていたのだ。
「なあに?」
「坊や、川内で暮らすの嫌?」
「暮らすって?」
「疎開するのよ」
「本当!?」と、昭男の声ははずんでいた。
 旅の記憶が、彼の心によみがえっていた。オニイの死と、祖母の病気――それにまつわるもろもろの陰惨な記憶ではあった。しかし、隠(かぐ)れ鬼(おんこ)の納屋の窓から眺めることのできた海の姿は、彼には忘れ得ぬ豊かな記憶だった。あの憎らしい中臣センセイ、いじめっ子の待つ通学路、映画も見られぬ頻繁な空襲、そして不規則な祖母の帰宅――そんな東京に比べるならば、あの明るい川内の海は、昭男の声をはずませるに十分なものだった。
「ぼく、又、川内に手紙書いてあげるよ」
「ありがとう。でも、今度の手紙は、石川さんの奥さんにかいてもらうから」
「石川さん?」
「おばあちゃんが働いている工場の奥さんだよ」
「ぼく、書きたいなァ」と、昭男は口を尖らせて言った。
 
     11
 返事が届き、荷作りが始まったのは、三月に入ってからのことである。運送屋の蒲田さんが、タマコちゃんを連れて、また引っ越しの作業に来てくれた。今度は、奥さんもついてきた。
「旦那さんには、お世話になりましたからねえ」と言って、蒲田さんは、祖母の包んだお金を受け取ってはくれなかった。強制疎開での引っ越しの時も、同じように断わった蒲田さんである。役所などに出す運送屋の書類を祖父が何度か書いてあげただけのことだった。
 荷作りが終わった夜は、北風の強い、冷えた夜だった。蒲田さん一家が帰り、二人きりになった昭男と祖母は、木星の状差しで暖をとった。踏み台ならお盆まで、いろいろなものが火鉢の中で燃料となってしまっていたのだ。
 燠が残ると、それは行火の灰の中にていねいに移された。昭男は祖母の布団に入り、一つの行火に足を当てて眠るようになっていた。
 十時半、警戒警報のサイレンに、祖母は昭男を起こした。ラジオの明かりだけがつく暗い室内で、二人は行火に掌を当てながら東部軍管区情報に耳を傾けた。
 警戒警報は間もなく解け、二人は着たきりの姿でまた布団をかぶった。B29は洋上はるかに遁走したのだという。
 昭男はあどけなくすぐに寝入り、祖母はまだうたた寝をしていた。その祖母の耳に、すさまじい爆音が響いたのは、十二時をわずかに過ぎてからである。もう、三月は十日になっていた。
「空襲だ! 空襲だ!」
 戸外を叫び声が走っている。サイレンは鳴らず、ラジオは沈黙していた。祖母は飛び起きると、縁側の雨戸を一枚開けてみた。
 サーチライトの光が、空の四方に走りながらぶつかり合っていた。初めて見る、激しい光の放射なのだ。
「坊や! 坊や!」と、祖母は昭男の頬を叩いた。
 祖母の掌の音に次いで、昭男の鼓膜には爆音が響いた。飛び起きた彼の手は防空頭巾を頭にやり、軍手をつかんでいた。祖母の動作も、昭男とほとんど同じだった。
 二人は玄関へ走った。まばゆい光を反射しながら、ガラス戸は風にゆれている。あわてた昭男は、地下足袋の爪をかけそこねたまま外へ出た。
 空は、二人の足を思わずすくませた。耕作するサーチライトの光を浴び、銀色に輝いたB29の巨体がある。地べたを押しつぶそうとするかのように、B29は低空をうなっていくのだ。一機、二機、三機と、それらはまるで、一つずつが空であるかのように巨大だった。
 B29を狙う高射砲の弾丸が光跡を引きながら夜空を走ると、それを上まわる速さで応えるのはB29の機関砲である。東の方角には火の手が上がり、それは天頂に反射していた。せめぎ合う光の下で意味の通らぬ叫び声をたてながら、人々は路上を走りまわっている。
 ようやくサイレンが鳴り始めた。呆然と空を見上げる昭男の手を引きながら、祖母は隣家の庭へ駈け込んでいった。
 隣家の庭には、たくさんの人が押しかけていた。竹の林が立ち並び、築山のある広いお屋敷の庭には、このあたり一番の立派な防空壕が作られてあるというかねてからの噂だった。
 防空壕の内部は、トンネルのように長かった。頭上と周囲は、太い角材と板によって透き間なく土をふさいでいた。ベンチまであり、鉋のかかった板が尻を支えてくれるのだ。縁の下への避難だけしか知らなかった昭男の目は、暗がりに慣れるに従い、防空壕の内部を映していった。
 昭男はふと、雑炊食堂の列に同情したあの縮緬のもんぺの女性のことを思い出していた。そして又、『ゼイタクは敵だ』という標語をも思い出していた。教え込まれた言葉と現実は、どこか食い違っている。センセイも、オマワリさんも、そして防空壕の大きな格差も――。
 背を丸める昭男の網膜には、恐怖の空が尚も光っていた。それは、神州不滅の言葉を裏切る確固とした現実でもあった。あの縮緬もんぺ、あの中臣、あのオマワリが生き、昭男も生きる国家そのものが、今はなすすべもなく襲われているのだ。
 いつの間にか、昭男はすすり泣いていた。祖母はあやすように抱きしめたが、昭男の涙の本当の意味は祖母には分からなかった。
 下町を狙ったその夜の東京大空襲は、山の手の昭男の町には直接の被害を与えなかった。しかし、それは、昭男の心に深い傷を与えて去っていったのだ。
 
     12
 罹災者のうごめく上野を発って二日目の夜、昭男と祖母は、下北半島の大湊駅に着いた。汽車は、そこで行き止まりである。駅前の旅館に一泊し、二人は翌朝、川内への二十キロの道のりを歩くことになった。
 沿岸の町村を結ぶ船の運航は止まっていた。大湊は軍港であり、潜水艦の攻撃が恐ろしかったのだ。
 バスも動いてはいなかった。三月の北国には、まだ雪が積もっている。しかも、その冬は記録に残る大雪で、家々のひさしの高さまでも積もったまま二人を迎えたのだった。
 ありがたいことに、出発の日の朝の空は青かった。リュックサックを背負った昭男は、旅館を出る前から浮かれていた。自分の持つ小さなトランクを、祖母の大きなトランクと取り替えるほどの張りきりようだった。
 大きなトランクの内袋には、昭男の在学証明書と、通知表が入っていた。髪質の悪いその通知表の裏には、『皇国ノ道ニ則リテ初等普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス』という国民学校の目的が刷り込まれている。二学期の評価の欄と、三学期の評価の欄には、まるで判を押したように、同じ筆跡、同じ文の青いインキの文字が二列に並んでいた。
『長期欠席ニツキ成績評価不能』
『長期欠席ニツキ成績評価不能』
 そして三学期の備考欄には、『原級留置』と書いてあるのだ。
 それを中臣センセイからもらった日は、昭男が職員室というところに初めて入った日でもあった。
 何か月も床屋に行かず、坊主刈りだった昭男の髪の毛はすっかり伸びていた。中臣センセイは白い歯を見せて昭男を迎えると、ぼうぼうの頭を優しくなでてくれたものである。
「青森は寒いから、こうやって行くといいのかもしれないね」
 中臣センセイの突然の変身が、昭男には謎だった。謎でも何でもない。それは、一緒に来た昭男の祖母に見せるための演技だったのかもしれない。厄介者が一人消える安堵感から生まれた表現だったのかもしれない。最後の日の優しさで、心のつじつまを合わせようとしたのかもしれなかった。ただの一度も、昭男の家をたずねなかった中臣センセイの一度きりの優しさだった。
 
 雪道がざくざくと音をたてはじめる。久しぶりの太陽を浴びて、雪が溶けてきたのだ。
 二人の地下足袋が濡れ、重くなる。歩き難くなった二人の頭上で、今度は太陽が雲に隠れた。
 鉛色だった。切れ目なく雲は広がり、溶けかかった雪はザラメのように固くなっていった。
 大湊の町の家並みが跡絶え、海が黒々と吼えている。風が走っていた。降り始めた雪は風に乗り、つぶてのように二人を叩いた。
 防空頭巾から覗く顔を、昭男は海風にそむけて歩いた。しかし、風は渦だった。そむけた昭男の小さな顔面に、吹雪は執拗にまつわりついた。顔を伏せれば伏せた顔へ、吹雪は足元から舞い上がった。吹き上げながら、それはまるで煙幕のように雪面を走り、視界をまどわせた。
 防空頭巾は次第に濡れ、それは針のような冷たさで頬をくるんでいた。まゆ毛も又、雪をかぶって濡れていた。そのしたたりはまつ毛を伝わり、昭男の目をくらませた。風圧は鼻孔の呼吸を狂わせ、唇は放心しきったように吹雪を飲んだ。
 呼吸の狂った鼻孔からは、鼻汁が涙のように流れ出す。昭男は軍手で幾度もそれを拭った。
 彼の手の大きなトランクは、もう祖母の手に戻っている。小さなトランクも、祖母の手にあった。
 祖母の軍手も、昭男の軍手も、どっぷりと濡れている。そして昭男のズボンには、軍手の下の冷えた手を隠すポケットはなかった。ポケットは糸で縫われ、ふさがれていた。それは小国民に対する学校教育の方針だった。
 昭男にとっての初めての吹雪は、祖母も経験したことのない強烈なものだった。コートもない二人の衣服は、下着まで濡れている。地下足袋の中の指は、もうすっかり感覚を失っていた。
 あの夏の窓から眺めた自然は、しょせんは額縁の中のものだったのだ。人間の力を越えて自然は呼吸し、走っていた。飛び、転がり、食らいついてくる恐ろしさは、『空気がおいしい』の一言で、片づけられるようなものではなかったのだ。
 昭男は、最早こらえかね、立ちすくんだ。
「東京へ帰るよーッ!」
 涙が声をふるわせ、昭男は同じ言葉で泣き叫んだ。
 
     13
 センセイの靴の音が教室の中に響いていた。鉛筆の音が昭男を取り巻いている。黒板には、『国民学校五年生になった決意』という綴方の題が書かれていた。
 始業式の次の日、一時間目からの難題である。動かない鉛筆を握り締め、昭男は掌の中で汗をかいていた。
 靴の音が近づき、昭男の横で止まる。まだ題名も書いていないザラ紙の上から、昭男は助けを求めるように目を上げた。
 彼の目を読み取って、センセイの表情が動く。唇と一緒に、その上の白いひげがゆれた。
「日下は、川内さ疎開してきて思った事ば書きなさい」
 センセイの足音が離れていく。昭男の鉛筆は、やはり動かなかった。それも又、彼にとって難題だったからだ。
 センセイの足音が又、近づいてきた。追いつめられたように、昭男は鉛筆を走らせた。
 
  川内にそ開して来て思った事
       五年一組 日 下 昭 男
ぼくは東京から川内にそ開して来ました。
東京の空気はにごって居ます。
でも川内の空気は汚れて居ないので、とてもおいしいので、よかったなあと思ひました。
 
 センセイが立ち止まる。昭男の綴方を覗き込み、センセイは大きくうなずいて言った。
「その調子、その調子。どんどん書いで行ぐべ」
 センセイの足音が離れる。昭男の文字は、もう続かなかった。掌が又、汗ばんでくる。

住所 東京都板橋区小茂根**―**―**
   ************
本名 向 井 豊 昭
性別 男
学校名 北海道退職教職員連絡協議会会員
略歴 一九三三年 東京に生まれる
一九四五年 青森県に疎開。前年度の「登校拒否」に対する「原級留置」の措置により再度国民学校五年生に転入となる。
一九六二年 玉川大学の通信教育で小学校教諭二級普通免許状を取得し北海道のセンセイとなる。北海道教職員組合に加入し各地で分会長や支会長等を務めた。
一九八七年 平教員で退職。東京へ出て来て各種職業を体験。現在駿河銀行東京支店使送員だが十二月末日でクビの予定。
年齢 六十二歳


入力者註
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庵点 - Wikipedia
また、住所は伏せました。

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