15号で、わたしは根室実修学校の卒業生、尾後家省一と桂井当之助のことについて書いた。その一人、早稲田大学在学中の尾後家が、1905(明治38)年、同郷の古川繁次郎としゃべり合った根室弁の記録が、同年8月4日発行の根室郷友会の機関誌『北友』の第6号に載っている。書いたのは古川芭蕉海。ペンネームになっているが、これは古川繁次郎のことである。尾後家より5つ年下の古川は、当時、独逸協会中学校の生徒だったが、その後、麻布獣医学校に進み、根室に戻ってからは獣医師として、根室の酪農の振興のために尽力した人である。 古川芭蕉海の記録は「日曜日の狼狽」という題で、当時、小石川区水道町に住んでいた古川のところへ、早朝6時、尾後家が散歩に行こうとやってくる場面から書き出されている。標準語がハバを利かす大東京で根室弁を使いながらの2人の散歩はまことに愉快なものなのだが、この中で、方言辞典にも出てこないめずらしい言葉が使われているのだ。 「おい、古川君、今日は日曜だし、天気もよいから、目白の方さ行って見べや」と誘う尾後家に対して、古川が言う言葉なのである。 「よかべ。しかし、僕はまだご飯前だよ。待っていてけたまえな」 この「けたまえな」、「くださいね」という意味だと思うが、かなりの数の方言辞典をめくっても記録されていないのである。 よく似た言葉が、わたしの故郷の青森県下北群では今も使われている。「けさまえにし」だ。「くださいね」という意味であり、北海道の板前地方では、今も、「ください」に当たる「けさまえ」が老人の間に伝えられているようだ。 下北弁の「けさまえにし」と、根室弁だった「けたまえな」が同じ系統の言葉なのかどうか、学者でもないわたしにはわからないが、100年前の先輩が残した雑誌には、思いがけないお宝が埋まっていたのだ。 東京で死んだ尾後家省一は、子どもたちが幼かったころ、よく根室弁を口にしては解説を加えたものだという。「しばれる」という言葉など、特に耳に残っているというお子さんの思い出をお聞きしたが、「しばれる」もやがては死語となってしまうのだろうか? 根室の皆さん、「しばれる」という言葉なしで過ごせますか? これもまた、まぎれもない生きたお宝ですよね。
(了)
※入力者註 (1) 冒頭に「15号」とあるのは『根室市博物館開設準備室だより』の2000年発行の15号のことを指す。向井氏はこの雑誌に14、15、16号と2000年前後の計三回寄稿している。冒頭からして本稿は16号以降の誌面のために準備してあったものの、実際には掲載されなかったものだと思われる。根室市のホームページに総目次があるので参照頂きたい。
歴史と自然の資料館 根室市博物館開設準備室だより
(2) 冒頭に出てくる二人の人物、尾後家省一と桂井当之助はともに元早稲田大学の教授で、根室実修学校というのは明治半ばに創設された私立の中学校の模様。 2023.03
リンク切れに従い注釈を改訂。
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