<書評>裏側の人たちの裏はどこに?
――「反体制エスペラント運動史」を読んで――

向井 豊昭


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 この本を、わたしは青森市で見つけた。NRKK青森大会があったときのことである。鶴岡市へ向かう夜汽車の中で、わたしは一気にそれを読んでしまった。この本に出てくる人のほとんどは、表向きの歴史の本には顔を出さない日本のエスペランチストたちである。
 ローマ字運動にも力をつくした斉藤秀一のことも、三ページほどにわたって書かれてあるが、この本を夜汽車で読んだ次の日、わたしは鶴岡市立図書館に、斉藤秀一に関わる資料を読みにいった。そこには、離婚をしなければならなくなったころの、妻からのあわれな手紙もあった。
 わたしが強く心をひかれたのは、 ロ―マ字文で書かれた1932年の日記であった。日本のローマ字社で作ったその日記帳の9月13日から17日にかけては、“ Hatesi naki Gironno noti"という題ではじまる詩が書きつけられている。
 石川啄木の、あの有名な詩をローマ字書きにしたものであり、 9月13日は、小学校の代用教員だった彼が、はじめて警官にしょっぴかれた日なのだ。勇ましい詩であり、勇ましい彼である。しかし、その一週間前には校長に思想をなじられ、始末書をとられてしまっている情けない彼でもあり、山の中の代用教員ぐらしを嘆いてもいた彼なのだ。そういう男の裏は、「反体制エスペラント運動史」にはない。
 ページには限りがあり、それらは仕方のないことだ。しかし、裏側の人間の裏を書ききっていないそのことは、そこに出てくる人たちを、しばしば、極めつけるような言葉でさばくことにもなっている。「あなたはどうなのですか? どうすれば、かつての反体制の心意気を、エスペラント運動は取り戻せるのですか?」と、わたしは書き手に問いかけてみたくもなる。
 その書き手は「人民の間に普及することに全力を注ぐべきだ」と言い「われわれの目を、今やアジアに、さらにアフリカ諸国、ラテンアメリカ諸国に注がれねばならぬ」と言うのだ。しかし、ただ目を注ぐだけでは何事も始まらないだろう。ただ普及するだけでは、「世界観光旅行団。何々エスペラント会御―行サマ」を作りだすだけだろうと、わたしは思う。

(大島義夫、宮本正男著「反体制エスペラント運動史」三省堂刊 1200円。Mukai‐ Toyoaki Sanは、北海道三石町ケリマイで小学校教員をしておられる。NRS、NRKK会員、小説集「鳩笛」の著者)

(了)

 【追記】
 向井豊昭と生前交遊があった、北海道エスペラント連盟の星田淳氏から、次のような情報を寄せていただきました。
 「あの書評で彼は「書き手に問いかけてみたくもなる」と書いています。あの本の書き手、大島義夫、宮本正男は私とも長い付き合いがありました。二人とも治安維持法時代の弾圧、投獄に会い(大島は、斉藤秀一の関連でつかまっています)敗戦・解放後は民主主義擁護・エスペラント運動のために努力を続けた人です(2人とも故人)。向井はこの二人をどう理解し、どんな答えを期待して問いかけたかったのか、よくわかりません。向井は一貫してidealisto(理想主義者)だったようで、エスペラントに対しても期待が大きいだけ現実にぶつかる中で問題を感じていたのでしょう。」
 向井豊昭の書評は時として言葉が厳しい。私たちは時間をかけて、向井豊昭の闘いと、大島・宮本両氏の闘いを、考えぬかねばならないだろう。(岡和田晃)

●注
大島義夫、宮本正男著「反体制エスペラント運動史」三省堂・1974年
同「新版 反体制エスペラント運動史」三省堂・1987年

NRS  = 日本ローマ字社
NRKK = 日本ローマ字教育研究会

星田淳氏による同書の書評
「反体制エスペラント運動とかくされた歴史の暗部」

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