後藤明生 メモランダム1


以下は後藤明生論のために書いていた下書き、草稿、簡単な感想をまとめたものです。今から見れば未熟かつ訂正を行うべきものもかなり含まれていますが、修正に時間をかけて死蔵するよりは、ここで誰か後藤明生に興味を持つ人に読まれる方が良いと考え、公開します。意見、感想、批判などありましたら以下のアドレスにお願いします。

東條慎生
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目次―刊行年月日順 
再刊されたものの括弧内は原著刊行年
特に断りのない文章はすべて2003年中に書かれたものです

『私的生活』新潮社・1969・9
『笑い地獄』文藝春秋・1969・9
『何?』新潮社・1970・12
『書かれない報告』河出書房新社・1971・3
『関係』審美社・1972・10
『円と楕円の世界』河出書房新社・1972・11
『挾み撃ち』河出文庫・1991・9(1973・10)(解説・蓮實重彦)
『思い川』講談社・1975・2
『めぐり逢い』集英社・1976・3
『夢かたり』中央公論社・1976・3
『嘘のような日常』平凡社・1979・2

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「私的生活」新潮社

 後藤明生の第一創作集として刊行された中篇集。
 四つの中篇が収録されているが、ここに際だって見てとることが出来るのは、病気にかかわる記述だろう。「無名中尉の息子」では、その父の死が団地のトイレからの連想によって繋げられていることを少しの例外とすれば、「S温泉からの報告」では胃腸の病気への疑いから、大学病院での屈辱的な検査の様が語られるのだし、「私的生活」では陰部の痛みから性病への疑いを覚え、辺鄙な性病科へ通うことにもなり、「ああ胸が痛い」ではタイトル通り胸部の神経性の痛みに見舞われる。
 または、性にまつわること。「無名中尉の息子」の冒頭は、長男が死ぬ夢から覚めると夢精しているということから始まっている。その後、トイレで股間の生乾きの感触に耐えながら、父の「硬軟の具合はどうであるかな?」という糞便の様子を確認する言葉を想起させつつ、時代=戦中と場所=朝鮮を跨ぎ越えた語りの飛躍が始まっている。「S温泉からの報告」でも、温泉のなかで射精するシーンがあるし、「私的生活」では不倫や中絶が重要な素材でもある。
 笑い、「笑いの静脈」と後記で書いているが、その静脈とは何なのか。私が思いつくのは、この作中人物達は臆病者という性格を持っているのではないかということぐらいだ。相手から軽蔑されたり、笑われたりすることを恐れているのではないか。そういった関係の非対称性に追い立てられている可能性は?
 また、関係というのはやはり重要な部分でもあると思われる。「ああ胸が痛い」のなかで、キチガイ夫婦にのぞきと間違われ、一緒に交番に連れて行かれ、事情聴取される。主人公は署に連行されるきっかけになった夫婦と併せろと言うが、警察からは主人公とその夫婦は無関係だ、と言われるシーンがある。夫婦は元々気が触れていて警察と知り合いであるが、主人公は単に路上で酔っぱらっていたところを職質されただけだというのだ。
 そのような奇妙な関係の一種は、「無名中尉の息子」の夢からの目覚めや「ああ胸が痛い」の夢と現実の胸の痛みが、夢という虚構と現実との接点をもつところにも見られる。実際に起こったこととは違う夢、嘘が混じった夢のなかで、胸に痛みを感じ、起きると確かに胸が痛い。現実の胸の痛みが、夢のなかの嘘(=しかしそれは現実の胸の痛みの反映でもある)となって現われているわけである。

「お互いに因果関係を持たぬふたつの現実を、因果関係によって結びつけたフィクション」(新潮社「私的生活」233頁)

 その場面については以上のように語られているのであるが、「無名中尉の息子」の冒頭のシーン―便器を覗きこんだ瞬間、戦中の親父の声が聞こえてくる―という、無関係の関係を結びつける方法は、なにより後藤明生の小説原理=語りの方法のように思える。そう考えれば、上の引用文はそのまま後藤明生の小説の特徴そのものではないか?


「笑い地獄」文藝春秋

 「私的生活」と同時期に編まれた中篇集。
 「私的生活」に収録された作品が、団地という場所から出発しているという共通項があるのに比べ、この作品集にあるの共通項は組織という関係だろう。
 「離れざる顔」では、新聞記者の「わたし」を傍観者として、二人のPR会社に勤める人物の関係を描いていく。二人はそれぞれ近い場所に住み、多少の交流があるのだが、その実、片方の男がもうひとりの男の妻と肉体関係を持っている。そして奇妙なのはその関係を両人共に知っていると言うことである。それでも相手に対して平穏な関係を一応維持しているのだが、途中で妻を寝取られた男が、相手に復讐をしないのかと訊かれ、こう答える場面がある。

「スポンサーだって自分と同じ人間じゃないか、と杉山は口癖のようにいっている。だからあいつなら、人間らしく復讐なんてことも考えるだろうじゃないか」(228頁)

  相手が自分と同じ位置にいないと言う認識があり、その認識によって相手を嘲笑しているのだろうか。関係の落差が生み出す軽蔑だろうか。しかし、この男は後に不倫を働いた男によって殴られ、喧嘩することになる。喧嘩という行為が滑稽なのは、それが両者の関係性を超えて同じ平面に立つ人間であることを皮肉にも露呈してしまうところにあるだろう。そのような形で、相手を嘲笑した男は相手と同じ場所に引きずり下ろされることになる。
 組織と個人の関係がより重要なものとして扱われたのは、「人間の病気」においてである。語り手の「わたし」はある週刊誌の社員であり、ここに登場する人間達は社員かもしくは原稿に応じて稿料が支払われる外部の者という風に分けられる。病気とは、その外部社員のひとりである倉田という男の奇妙な行動を指している。発端は語り手の仕事の依頼でインタビューに出た倉田が、何を思ったかインタビューに無関係の当時の裁判に関してのアンケートを採ってきたことである。本人はどうやらこれを何らおかしいこととは感じていないようであるのを見てとった語り手は、彼の病気を疑う。しかし、同僚の数人ははじめそのことを否定する。「コムニストに精神病患者はいない」という論理がその理由である。この作品における「組織」とは倉田たちの属している共産党と、倉田達がまだ正社員にはなっていない編集部というふたつの組織が取り敢えずは指摘できる。倉田の病気は始め、コムニストに精神病患者はいないという論理によって否定されていたのだが、倉田以外の外部社員にして共産党員である山本、佐藤という人物達が、正社員になるために、倉田の病を積極的に主張するようになる。その論理は以下のものだ。

 「クラ(倉田)さんはともかくコムニストであるという理由によって、病人ではあり得なかった。(中略)共産主義者であると同時にコムニストであるという倉田は、佐藤の方程式(上記の論理)では存在として成り立たないのであるから、ガガーリン肖像事件、サンドイッチマン事件などによってもはや倉田が異常であることを認めざるを得なくなった以上、倉田は自動的に共産主義者ではあり得なくなるはずである」179-180頁

 組織から疎外されるということと、病気ということがイコールになっている、それも組織の内部の者の論理によってそうなのである。倉田は自らの病を否定するのだが、分裂病の特質としての自己認識は、自らの病を否定することにあるとする医者の言によって彼は入院することになる。

 「パンのみに非ず」という作品は、上記の作品に比べよりユーモラスな空気を持っている。山の上に建設された断食道場という場所を舞台にしたこの作品は、組織のなかにおける関係の交錯を描く後藤明生の作風を見てとりやすいものであるだろう。語り手は、三年前にこの山にたどり着き、見張番兼雑用係をまかされている人間で、道場から逃げ出す者を見張っているのだが、今まで一度も誰かが脱走したことはない。
 それは、ここに来る者たちは自らの断食を見張らせる権利を持っているためで、その意味で見張番は彼ら入寮者によって見張りを望まれているのである。ここでは見張りとの関係が逆転しており、見張られることは希望された権利なのである。断食を中止し退寮したければ寮長との契約の問題になり、見張番の出る幕はない。

 断食中の入寮者の女性が見張番にこれ見よがしに菓子を送り、自分たちのお土産として煎餅を買ったと言う場面の次の記述はその関係を最も明瞭に示している。

 「わたしはふたりが、自分たちをもっと厳重に見張らないと、この煎餅をこっそり食べるかも知れないわよ、といいたいのだということがわかった。ということは、彼女たちは所定の入寮比を支払った断食療者として当然の、取締られ、見張られる権利を充分に自覚しているばかりでなく、その醍醐味さえ満喫しているといえるのであって、それは昨夜わたしに自慰の現場をおさえられたときの、あの山田のセリフとも共通するものといえる。『これからも、どうぞよろしくお願いします』と、あのとき山田はわたしにいった。つまり、彼らは決して、脱走などを考えたりはしないのである。」

 その後、脱走者が現われる。その男は権利を充分に自覚してない男であるために、語り手の「わたし」によって二度殴られる。その憎悪は、「わたし」こそが実は脱走する権利を持っている囚人であって、男に脱走する権利などないという、関係のずれによって引き起こされている。

 本書のうちで最も面白いのは冒頭にある「笑い地獄」という作品だと私は考える。それまでになされた試みがここにおいてさらに深化し、「笑い」という関係性の病が積極的に現われているからだ。
 語り手は青木の編集する週刊誌に一年前から原稿を書いている「わたし」というゴーストライター。作品の大きな舞台は中谷英子というファッションデザイナーの主催したワイルド・パーティ(どういう言葉なのかよくわからないが、作中事実から判断するに乱交パーティのことである)での出来事である。ここで奇妙な対称関係を形づくっているのは、週刊誌の編集者青木と署名付きライターの馬場である。

「あいつは笑われたくないために、いつも自分から先に笑い出しているのだ」(5頁)

 と青木は馬場を評している通り、馬場はいつも汗を掻きながら顎を引いて体全体で笑っている。
 冒頭の部分は「わたし」が青木から聞いたワイルド・パーティの顛末及び、馬場がある女から性病を移されたという笑い話である。語り手はその時同じパーティに参加したのだが、ハイミナール(ドラッグ)を飲んだせいかこれから本番と言うところで眠り込んでしまう。その為に青木は語り手に馬場がどういうことになったのかを笑いながら話すのであるが、次の段落からは馬場が同じく語り手にパーティの最後に青木がくさくて傷だらけになった(行為の最中に相手が脱糞し始めたことによる)ということを同じく笑いながら話すのである。しかし、語り手はパーティの最後まで眠っていたのではなく、途中で目覚めていたのだが、眠ったふりをしていただけであった。それを二人は知らずに語っているのである。

 「青木がそうであるように馬場もわたしはそのとき眠り込んでいてなにも見ていないと信じているのであるから、そのことと相手が青木だということがさらに重なって、馬場の笑いにいっそうの拍車をかけていた」(18頁)

 眠り込んでいると思われているが、覚めた目で事態を観察している語り手は、まさにゴースト的でもある。

 「いるけれども、いない。わたしであるが、わたしでない。その場にいることはいるのであるが、参加していない」31頁

 語り手はこのような自分をそのような運命の者と観じている。敗戦の知らせを知らずに、眠りこけていた時、上級生が錯乱して木刀を振りまわしていた時も、上級生の制裁を受けるという状況への参加よりも恐怖のなかで眠ってしまう人間なのだ。不参加の人間。安保にも血のメーデーにもすれ違う語り手は、また以下のようにも語る。

 「眠ったふりをして笑われながらわたしが、ボール製の能面をつけてわたしを笑っている青木やあなた方を笑っていた以上、笑われるのは当然の話じゃないか」36頁

 「笑う以上、笑われる覚悟は当然している」という関係は、冒頭の「あいつは笑われたくないために、いつも自分から先に笑い出しているのだ」という言葉への批判である。笑われない笑いというものを笑っているという関係がここでは成立している。語り手はここで、青木と馬場の二人についてこういう。

 「笑うための、あるいは笑われないための演技はやっているわけですよ、ふたりは。お互いにお互いを笑い合いながら、お互いに笑われないための演技をしている。わたしはそれを、しないことにしています。笑われるための演技もやらない代わり、笑われないための演技もしない。これがわたしの仮装であり、不参加というわけ(後略)」36-37頁

 つまり、参加が演技と同列にあり、自分は笑われないための演技、笑われないための参加をしないということであろう。また、仮装というかたちで自分のことを称していることは、そのわたしもまた笑われるものであるだろうという自覚から発しているのであろうか。自分は演技をしない純正な人間であるとも主張しないと言うことは、演技を避ける代わり、仮装への道を開く。

 パーティに参加した女性二人に、自分があの最中、実は目が覚めていたと言い、女性たちとともに二人を笑う権利を放棄するのだが、その直後に酒に酔って嘔吐するという身体のおさえられない生理現象のために、女性二人から笑われる。

 語り手も語られる人々も、笑って―笑われて、いる。後藤明生の笑いとは、ユーモアや皮肉などに止まらず、人間の生の関係性のなかに根源的なものとしてあるのではないか。人と人との関係のなかにある限り、人は滑稽さから逃げることはできない。ある人間の悲惨さも、他人から見れば滑稽なことに過ぎないのであれば、滑稽でない人間など存在しないと言うことになる。後藤明生はエッセイ集「円と楕円の世界」(河出書房新社)所収「〈無名氏〉の論理」のなかでこう書いている。

 「果たして、滑稽でない誰かが存在するだろうか? 少なくとも他人が存在する以上、自分だけは滑稽でないと考えることは滑稽なことだからである。」(前掲書11頁)

 その意味で、誰も彼もが滑稽である人間の関係とは、笑いの地獄を現出せしめていると言えるだろう。

 [補記]「笑い地獄」のなかで最後の方に出てくる知久という人物が死んでしまうのだが、この人物の死が一体、どういうことなのか、いまいち判然としない。この人物はどのように関係づけられるのだろうか。気が向けば再読して考えたい。


「何?」新潮社

「何?」
「誰?」
「隣人」
「嫉妬」
「ある戦いの記録」

 以上五篇収録。とりあえず印象に残ったものについてだけ触れる。

「誰?」

 「男自身が書いた記事が、二つ隣の席の主婦との間で、身をもって実現された場合だ。
 男はおそらく何ものでもなくなるだろう。まず男は、もはやゴーストライターではない。主婦はそれを信じてはいないからだ。しかし主婦はそのとき、他ならぬ男によって書かれた記事を信じるだろう。つまり男は、週刊誌の記事だ。ゴーストライターの男はもはや、彼自身の手によって書かれた記事そのものである。にもかかわらず男は、その記事を信用しているわけではない。だから男はそのとき、男自身嘘かホントかわからない週刊誌の記事そのものだ。すでに男からは、彼自身であることさえ失われている。男は存在しなくなった。ゴーストライターの男はいまや、彼自身の手によって書かれた週刊誌の記事の中に、消滅する。しかもその記事は、他ならぬ男にとってさえホントか嘘かわからないものだ。そしてこともあろうにその消滅は、男があれほどまでに脱出をの希んでいた鉄筋コンクリートの真只中においておこなわれるはずである。」75頁

 ゴーストライターという主人公が、幽霊という比喩通りに書かれたものの中に消滅する。上記の文章を読んで、論理的におかしいところがあると思ったとしても、それは上記の引用が部分的であるからではない。なかば妄想じみたこの奇矯な論理はしかし、後藤明生の小説の論理であるともいえる。「書かれない報告」や「無名中尉の息子」など、「挟み撃ち」以前に書かれた初期作品にはこういった奇妙な関係が頻出する。めまぐるしいまでのこの論理の展開によって、後藤明生の諸作は書かれているといえるだろう。「関係」の小説家後藤明生の面目躍如といったところである。

 上記の引用部分は主人公と語られたものとの得意な関係を示しており、笙野頼子の「硝子生命論」の構造を連想させたりもするのだが、笙野頼子と比べてみれば明らかなように、ここではその関係の変転が幻想の領域に進出することはなく、あくまで日常のなかに展開されていることが重要であるだろう。
 「誰?」と題されたこの短篇には、非日常的なことは出てこない。日常生活の細部が書きつづられていくのみである。しかし、一般の小説と受ける印象は全く異なる。日常の細部を書いていても、それが私小説的な生活雑記に陥らないのは、書き手が、語り手もしくは主人公と全く異なる場所にたっているからである。私小説の絶対性を支えているのは、書き手の内面の絶対性であり、志賀直哉に向ける後藤明生の批判が向かうのもそこである。私小説では、「私」という存在は世界を見据える一つの超越的な視点であり、他者から見られるという観点が欠けているのだと後藤明生はいう。
 内面の絶対性から後藤明生は遙かに遠い。彼の商業誌デビュー作「関係」の特異な語りはここから説明できるだろう。そこでは語り手の女性は、自己の内面などというものに全く頓着しない。そして、冒頭の括弧のなかに括弧をくくる関係代名詞のごとき複雑な文章を用いて、誰や彼やの関係を描いていくのである。当然そこには女性自身も巻き込まれており、その複雑な関係を結びつけるものとして語り手の女性は作中に参加している。そのなかでは女性もまた関係の結び目の一端であり、自らの視点なるものがまたひとつの目でしかない。
 また、ここで如実な「内面」の破棄とは、その相対的で偶然的な関係を描くために必要不可欠でもあった。つまり、私小説の絶対性を超えるためには、内面から関係への方法の転換が必要だったのである。
 「赤と黒の記憶」で自らの悲劇的滑稽さを描いてから十年ほどの後に、後藤明生が選んだのは伝統的私小説の範疇から著しく離れたものであった。「内面」の絶対性、重苦しさ、悲劇性から遠く離れたところで、後藤明生は小説を書く。

 初期の小説が持つ密度は、「わたし」と「小説」や「団地」や「過去」との複雑な関係の探求によってもたらされている。そしてそれが頂点に達するのが、「挟み撃ち」である。
上述、「誰?」という短篇においては「挟み撃ち」に直接つながるのであろうモチーフがいくつか出てきている。

 「ただ、何ものかを失ったという不意の衝撃を受けただけだ。うち砕かれたものは何か? 失われたものは何か? 不明である。そして不明であるが故に、男はその日、とにかく家を出ることに決めたのである。とにかく団地の外へ出ることだ。しかしそれは、失われたものを捜し求めるためだろうか? 男にもはっきりわからない。ただ、生きているためだということだけは、わかったようだ。人間は何ものかを少しずつ失いつつ、生きている。つまり生きるということは、何ものかを少しずつ失うことだ」60頁

 「挟み撃ち」で語り手が外套探索に出発するときの自註のようにも見えてしまうこの文章には「喪失」のモチーフがはっきりと打ち出されている。ここからは、過去を取り戻そうというような態度は感じられない。喪失そのものが生の条件である。外套探索にでたものの、結局その行方は不明のままであるという結末は、この生の条件を確認するためにあるのだろうか。

 「誰?」というこの短篇からは主人公が消える。ゴーストライターとしての彼は、記事の中に消滅し、主人公としての彼は、結末においてコンクリートの溜まった肥料溜に落ちてしまう。ベランダに出ていた主婦が「誰?」という声をあげるが、視界には誰もいない。空転する疑問符が放り出される、いかにも後藤明生らしい終りである。

「隣人」

 隣人の赤ん坊の泣き声によって眠りから起こされた男は、借りているそのアパートの部屋を出ることを決心するのだが、冒頭において書かれていた、「ある日の午後、とつぜん隣の部屋から赤ん坊の泣き声がきこえてきたからだ」という理由は、最後の頁において「赤ん坊の泣き声に腹を立てたからではない」と書き付けられ、問いと答えはともに宙づりにされる。疑問符によって特徴づけられたこの短篇集冒頭三作は、後藤明生の文体が急激に変化したもので、それまでの数行にわたって一文が続く長回しではなく、短い文章と小刻みな疑問符によって加速し始めた頃のものでもある。
 疑問符と後藤明生の小説ほど親和性の高いものもなく、この独特の自問自答文体を手に入れたことが、以降の後藤明生の小説において決定的に重要なものとなっていくのである。ここで用いられている疑問符には確たる答えは与えられることはない。それは場違いであり、筋違いであり、問い違いであり、答え損ねるものである。ずれ続けていく脱線のいわば転轍機として機能するこの疑問符は、同時に、小説そのものに刻まれた「解答不能」なのである。
どういうことか。「隣人」といういかにも後藤明生的なモチーフ(後年、「汝の隣人」という本がでている)がその一つの具体的例証となるだろう。隣人とは、他人であるはずが何の因果か壁を隔てた隣同士に棲むことになってしまうという不可思議な存在である。語り手はここで、その他人に対して何らかのアクションを起こすわけではない。かといって、隣人である以上完全に無関係であるというわけにはいかない。その奇妙な関係の仕方こそが隣人の隣人たるゆえんなのだが、そこには、日本のアパートという住環境がもたらす現代の生活状況が反映していることは確かだ。「団地小説」を書き続けてきた後藤明生において、人間の生と住居という問題は彼の小説において、ほとんど特権的な位置を占めている。団地に限らず、後藤明生は自らの住む場所に非常に強い興味を持っている。場所=都市=住居という軸が後藤明生の小説の性格をよく現わしていよう。生活の場所とわたしの関係こそが、彼の特に強固な関心の所在である。
 隣人とはその関係性が如実に現れている存在である。事実、作中の男は最後まで隣人の妻の名前を知ることができない。「ようこ」なのか「きょうこ」なのか「あやこ」なのか、それすらもわからないのである。何も彼がそれを知ることができなかったというわけではなくて、知ろうと思えば知ることができたのである。しかし、彼は知らない。
 隣人の妻が干していた洗濯物にぶつかって非常に憤激したり、同じアパートに住む女性が作った物干場がすでに、隣人の家族のもので占拠されていたり、細々と男を怒らせるのだが、直接会うことはない。間接性によってしか彼らは関係しないのである。それが冒頭の赤子の泣き声であり、ドアの前を行き交う足音である。
 そもそも男は、なぜそこに住んでいるのだろう。自らを流刑にしていると考える男は、一年中そこでただ居眠りをしていたという。理由は、語られない。最後に疑問符だけが残るのである。
 不条理といえばいえるのだが、そういってしまうことは状況を特殊な物として分別することである。無名の男のこの状況は、住む者たちの関係の変容を示している。
 そこで男が繰り返し怒りを表明していることは注目すべきだろう。そしてまた、その怒りが具体的な行動にはならず、どちらかといえば笑いの発作という結果を生じさせることもまた、重要ではないだろうか。彼は怒り、笑うのである。小市民的滑稽さである。

「ある戦いの記録」

 後藤明生初期からの文体によって書かれた短篇。この作品集のなかではこれと「嫉妬」だけが昭和四十四年のものであり、「誰?」によって文体が急変する前の作品である。
およそこの時期までの作品の文体の特色とは、遅延と急転という相反するかに見えるものの複合だろう。同じことの説明について時間を逆行したり、単語の選択について自問したり、行きつ戻りつして語られる長回しの文体の眩惑から、急転直下の飛躍が出来するのである。この独特の文章の生理が、つまりは後藤明生の文体であるといえるだろう。
 それにしても、ユーモア短篇と呼ばれる小説は数多ある(小島信夫や宇野浩二などがとりあえず浮かぶ)が、この小説はほとんどバカ小説である。
 元々無名であった画家が、ある日自分の生き甲斐を発見する。それはある機械を完成させることにあるのだが、その機械というのが車輪のない自転車の形をした女性用自慰機械なのだ。自分でハンドルを握り、かき氷製造器を改造したというメカニズムで座席の位置にある擬似性器を運動させるというものらしい。ある写真から想を得たその機械は、つまり自分がまたがる部位を自分自身で動かすまことに滑稽なものであるようだ。
  隣室に住む独身女性のため(と思っているのは作っている男だけで、女性はそのことなど何も知らない)にその機械を三ヶ月がかりで製造する男は、その奇妙な情熱を傾けほぼ完成近くまで仕上げる。後は核心ともいえる「偉大なる人工性器」の入手を待つばかりであった。
が、そのとき全国ネットワークを駆使して人工性器を探していた古物商が死に、その機械にまたがるべき隣室の女性が引っ越すという破局が訪れるのである。
 これだけでも充分に奇妙かつ奇怪な小説なのだが、行き場を失った機械と彼がいったいどうなるのか、そこからこの話はほとんどたががはずれてしまうのである。それまででも充分語り手の論理というのは奇妙であるし、機械を作るに至る動機すらも読者にはほとんど理解できない。それは難解なのではなく説明されないためでもあるのだが、自慰機械に全精力を傾ける男の奇怪な情熱は、その情熱的行動は語られても内的論理についてはあまり明確ではない。その意味で、ほとんどはじめから読者はふつうの小説的な説得というものが得られないであろうことを感づくのであるが、ラストに向かって加速する極端な内的論理はほとんどすでにギャグである。

 「当初の計画において、完成された機械は密かに十七号室(隣室の女性の部屋/引用者註)へ侵入させられるはずであった。そのために合鍵盗作もおこなわれたわけであるが、いまや当初の侵入計画はもちろん、真新しい日本の合鍵は文字通り長さ五センチ程のデクの棒と化したのであって、何故ならばすでに井上清子は十七号室にはいないからであり、彼女がいない以上、十七号室など存在する理由はあり得ないからだ。存在するはずがないのであり、また、存在すべきでもないのであって、よし! とばかりにふたたび機械からとび降りたわたしは、十六号室の壁面に赤のマジックインクで、次のような戦いの文字を書きつけたのである。
 合鍵? ナンセンス!
 十七号室? 粉砕!
 あとはただ、この壁をぶち破ればよいわけであって、何故ならばもはや、十七号室の存在を理由づけているものは、この壁だけだからだ。そしてこの壁は、十七号室であると同時に十六号室でもあるのであるから、十七号室を粉砕することは、すなわち十六号室の粉砕に他ならない。ただ、いかに自力で! とはいえ、わたしの性器だけでこの壁は破れない以上、機械もろともであるのは、当然の話だ」212頁

 今作クライマックスである。実際「木偶の坊」と書くのを「デクの棒」ともじってみたり、「ナンセンス!」や「粉砕!」の言葉が、作中たびたび言及される六十年代末の学生運動的な語彙の意図的なパロディである点や、「自力で!」という言葉は作中の二頁ほど前にも出てきており、そのときは、「自力で! マイ・ペニスによって!」と書かれており、この場面での滑稽さを強調したりする、密度の高い部分である。
 それ以前に、この論理の迷宮ぶり! これはほとんど自己パロディのように、奇妙な論理をさらに歪めて、自己解体または自己封鎖の結論へと導くこの急転直下ぶりが面白くて仕方がない。
 後藤明生の「笑い」というのは関係の歪みや、宙づりにされる途方の暮れっぷりなどにあり、どちらかといえば声に出して笑うようなものではないのだが、今作は読みながら何度も吹き出すばかりか声をあげて笑っていたのである。

 「とはいえ、わたしの性器だけでこの壁は破れない以上、機械もろともであるのは、当然の話だ」

そういえば、今作はおそらくカフカの「流刑地にて」のパロディであると思うのだが、どうだろうか。体に罪名を刻みつけられ、その傷によって死に至らしめる機械を作ったものの、当の機械の開発者がその機械によって殺される「流刑地にて」と、隣室の女性のために勝手に自慰機械を作るのだが、完成間近になって重要な人工性器が手に入らず、自分がまさにその部分に自らのペニスをあてがい、隣室とを区切る壁に激突し入院する「ある戦いの記録」とでは、物語の設定や展開においてかなりの類似が認められる。
 そもそも、「ある戦いの記録」というのがカフカの短篇の題名と同じであり(わたしは読んでないので内容はわからないが)、後藤明生がもっとも強く影響を受けた作家のうちのひとりであるカフカの有名な短篇を意識していないわけがない。それにしてもここで注目すべきは、今作での間テクスト的戦略が、「挟み撃ち」でのゴーゴリ「外套」の導入とまったく位相を異にする点である。
 簡潔に結論を言えば、「ある戦いの記録」においてカフカの名が直接に言及されないのと、カフカの短篇との構造的類似とが対応しているように、「挟み撃ち」においては名の言及どころか「外套」の長い引用まで現れるのと、作品それ自体はゴーゴリの「外套」とまったく異なってしまうことが対応している。後藤明生においては、模倣対象を作中に直接取り込むことは、模倣からの逸脱を意味するのである。
 蓮實重彦が「模倣の創意」という後藤明生論を書いている。蓮實重彦は他とは違ったものでなくてはならないという個性の神話が文学の凡庸化を招く事態に意識的であり、であるならば積極的に模倣と反復に身を任せることによって真の新しさをもたらす後藤明生に注目するのだが、その細部については「小説から遠く離れて」の「同じであることの誘惑」という章を読まれたし。じっさい、「小説から遠く離れて」で蓮實が行っている説話論的還元によって、物語の機能や意味を抽出していく形式的な方法は、なにかしら後藤明生の読みの方法を連想させる。スガ(糸圭)秀実などが結局「挟み撃ち」といくつかの短篇だけは評価すると言明しているのに対して、蓮實重彦は「近代日本の批評」のなかでも、柄谷行人や三浦雅士、浅田彰などの討議の他のメンバーの後藤評価に対して一貫して後藤の支持を表明する。渡部直己は蓮實重彦が「挟み撃ち」以前の初期作品にまったく言及しない(厳密には「挟み撃ち」以前である作品を含む「思い川」には言及している)ことを考慮せよ、と「かくも繊細なる横暴」所収の後藤明生論で言っているが、方法的模倣や引用の手法を活用する以前のものを初期作品だととらえるならば、蓮實重彦の不=言及の意味も説明できるのではないだろうか。あくまで、乱暴な推測にすぎないが。
 模倣と引用。渡部直己の分析に欠けていたように思うのはこのふたつの関係ではないだろうか。模倣の身振りについては、蓮實の後藤論を援用しての説得的な言及があったのだが、後に後藤の中心的方法となる引用との関係が掘り下げられていなかった印象がある。それについて、考えてみる必要がある。


「書かれない報告」河出書房新社

「書かれない報告」
 ある日、とつぜん男にかかってきた電話は、「あなたの住居はどんなところか?」という問いを投げかけた。団地に住む男はそれをきっかけに自分と住居との関係を探っていくことになる。

「結びつかぬもの」
 電車の座席で隣になった男との、奇妙な関係を描く短篇。そしてまた、団地の近所で蛇を殺す話が、絡まり合い、主人公である「男」の過去と現在の、不思議な関係が露わになる。
この篇で特徴的なのは、表題にも見られるように、「結びつき」という言葉を非常に多用している点である。電車で隣になった男との関わり合いになる原因が、座席の内と外との関係を間違えて捉えていたと言うことにあり、そこにも内と外とが、見る視点によって反転するという今作の特徴的な構図も現れる。錯覚、誤解による、本来無関係であるはずの人間との結びつきが、「男」に自らの過去をもまた思い出させる。蛇を殺した場所が、そもそも、団地と団地に「挟み撃ち」にされた〈稲作調整実施田〉においてであり、そこで蛇を見つけたのは七年間住んでいて始めてである。その奇妙な発見が、「男」に蛇との出会いが二十五年ぶりであることを思い出させる。その蛇の記憶が「男」にとって気がかりというか、ひどく気になっているのは、それが二十五年を通して、朝鮮にいたときの自分と、今現在の自分を「結びつける」もののように思われたからである。

 「したがって男がおぼえた満足は、北朝鮮の蛇を殺した男と、現在の日本で生きている男とが、日本の蛇を殺すことによってはじめて結びついたための満足であったと考えられる」103頁

 男には、過去と現在とがまるで結びつかぬもののように思われていたのだろう。それが、「結びつき」として言い表されているものの根底にあるのかも知れない。
いまだ、団地で蛇を見つけてないときに、北朝鮮で蛇を殺した記憶を妻に語った事を回想しながら、男はこう考える。

 「北朝鮮の蛇を殺した男を疑わなかった妻との結びつきからではなく、明らかに記憶と名づけられるものによって、今日本に生きている男と北朝鮮で蛇を殺した男とが結びつかぬために、男は妻の前で冷静さを装わずにはいられない程、冷静さを失っていたのだろうか?」97頁

 そして、友人と蛇を殺した話をしているとき、友人は強硬に、男は蛇を殺してはいず、したがって本当に蛇を知ったとは言えない。本当に知るためには食わなければならない、と言う。が、男は自分は確かに殺したと思っており、食わなければならないとも思っていないため、ふたりの蛇は結びつかないのだ、と思っている。

 本篇はそのようにして、視点の違いによるものの性質の反転や、日常のなかのかすかな違和を、結びつく/結びつかないという概念によって、ばらばらに解きほぐして行こうとする試みでもあるだろう。「不思議」なものとしての日常を、いかに語るか、この時期の後藤明生の試みはそういった視点に支えられていると考えられる。それは、「何?」と題された短篇から用いられ始めた「?」マークの多用による文体の著しい変化を見てもわかる。日常に違和を持ち込み、思考を攪乱する装置として現れた疑問符は、ここでとりあえず「結びつき」と「挟み撃ち」という語を引き出した。二つのものの間にあること。二十五年を介した現在と過去の結びつきをモチーフとする本篇においてさまざまな変奏を経て、その奇妙な結びつきを語っていく。

「一通の長い母親の手紙」

 「ある晩、男は母親からもらった長い手紙を大学ノートに写しはじめた」125頁

 本篇と、後に後藤明生が書くことになる作品群との関係において重要なのは、「書き写す」という行為が作品の中心的行動となっている点にある。それまでは方法的ではあっても、形式的な逸脱はそれほど目立ってはいなかったのだが、本篇にはかなりの量の他人のテクストが混入している。旧かなで綴られているそのテクストは、先に引用したように母親からの手紙である。その手紙はつまるところ、男が朝鮮にいたあいだのことを綴ったもので、男も覚えてないような出来事を細かく連ねた膨大なものである。
 特徴的なのは、そのテクストを書き写すという行為が、書き写している男にとって、「格闘」と呼ぶべきものであるということだろう。物理的にも三十五頁もの長さを持つ手紙は、確かに格闘と呼ぶべき物量なのだが、それだけではなく、母親からの手紙に書かれている「記憶」と男の「記憶」がそこでは奇妙な関係におかれており、その関係をもまた「格闘」と呼んでいるのであろう。母親が書いた手紙である以上、そこには男のことも、男の父親のことも、男と母のこともまた書きこまれており、健忘症であるという自覚を持つ男にとって、それはまさに膨大な量の記憶であった。
 本篇はまた、その母親の手紙を「読む」ということに費やされている。ここにおいて「読む」と「写す」(書く)という営為が、連続していることを見てとれよう。書く=読むという定式を後に後藤は提示するのだが、その方法的実践の端緒がまずはここにあるのかも知れない。それは措くとして、ここで読むという行為が特権的なのはそれが対象とのたゆまぬ格闘であるからだ。その、読むという営為を通じて、また、それとの格闘を通じて、テクストを分析し、みずからの記憶との関係を探っていくのである。

 「すなわち、男への一通の長い〈手紙〉を母親に書かせたものは、〈年金〉でもなければ、〈勲章〉でもなく、母親の〈記憶〉そのものなのだ。〈手紙〉は他ならぬ母親の〈記憶〉自身のために書かれたのである。そしてその〈記憶〉は、さらに呑み込むべき新しきあひるの卵を、いつまでもどこまでも求め続けてやまない」180頁

 「母親にとって男の父親は、もはやすでに母親の中に〈記憶され尽くした〉死者だった」181頁

 モンスター的な母親の記憶が、自分を飲み尽くそうとしているように男には思われていることが、〈格闘〉という言葉の背後にある。図式的にまとめればとりあえずそういうことになるだろうが、朝鮮の記憶が本格的に小説の素材になり始め、「カーキ色の陸軍歩兵外套」がはじめて現れる本篇の感触は捉え切れてない。男の「記憶」と、母の「記憶」との「格闘」的な関係がとりあえずは本篇の構造であるとは言える。それがまた「挟み撃ち」へと至る重要な契機であることは確かであり、「引用」と「模倣」の関係、または「記憶」と「回想」、「文章」と「歌」などの諸関係について、興味深い視点を提供しているとはいえる。


「関係」皆美社

 後藤明生の初期作品とそれからある程度の時を隔てたいくつかの作品を収録した短篇集。初期作品とは、全国学生小説コンクールなる催しで佳作に選ばれ「文芸」誌に掲載された、「生まれて初めて文芸雑誌に掲載された作品」である、「赤と黒の記憶」。それから数年のブランクを経て読売新聞主催の短篇小説賞に応募して落選した「異邦人」。また表題作でもあり、関係の〈眼〉をのりこえるべきものとして自覚した運命的作品と著者が呼ぶ「関係」の三つである。
 「赤と黒の記憶」は、著者の小学校時代から中学時代のことを素材にしているだろうと思われる。著者はその時朝鮮にいた。そして彼が中学生の時に戦争は終わった。しかし、著者の経歴と作中の主人公の経歴はおそらく一致しない。後藤明生は自分自身の生活を素材にすることはあってもそれを「そのまま」書いてはいないのではないだろうか。本書収録の他の短篇を見ても、家族構成や細かな事実に違いがあり、意識的に後藤明生自身が作中人物と重ならないようにしているのかも知れない。
 で、「赤と黒の記憶」の赤とは、親族達が火葬に付されていく赤煉瓦造りの建物の印象であり、黒とは、主人公の心の中に埋め込まれた「黒い一銭銅貨」のことである。火葬場で扉のなかに閉じこめられる死者は主人公にある恐怖を与えた。それはポオの「早すぎる埋葬」から受けた恐怖=「予期せずに、自分の撰択を踏み躙って襲いかかる死がぼくに与えた、あの屈辱感」によって引き起こされた死への恐怖である。そしてその恐怖は彼のなかに「黒い一銭銅貨」として埋め込まれ、その銅貨は彼を「空中戦による死、体当りの自爆死、火花のように、文字通り一瞬にして砕け散る死を撰」ばせることになる。幼年学校への入学を希望するという形でそれは現われる。
 しかし、戦争は終わった。島尾敏雄に特攻隊の出発が訪れなかったように、主人公に特攻隊への道は開かれなかった。ここには戦争がどこか遠くの出来事でしかないという感覚が強く働いている。それには主人公が朝鮮という本土から遠く離れた場所にいることも関係しているだろう。空襲や殺戮がどれほど報道されようとも、結局戦争が他人事のようにしか感じられない。
 いわゆる内向の世代にとって、戦後派の多くの作家たちが戦争を扱ったようには、戦争は扱われない。島尾敏雄はその青春と特攻体験の切り離せない結びつきが、その精神の根底に打ち込まれたくさびとして後々まで影響を残す。が、古井由吉や後藤明生、阿部昭たちには、戦争はおよそ状況として、批判も肯定も出来ないものとして現われているように思う。古井由吉には空襲体験が何度も反復(「円陣を組む女たち」など)されるのだし、阿部昭では父=司令への感情は、父への反抗というようなある意味分かりやすい批判的な展開をしない(「大いなる日」で、父は「最も古い友達」と表現されている)。

 「不自由を不自由と感じ得ず、また、自由を自由と感じ得ない、悲劇的で滑稽な役割を負わされた自分に気付いた時、屈辱以外に、一体何を感じ得るだろうか」(皆美社「関係」119頁)

 「赤と黒の記憶」の印象深いのは、ある作家が戦後の風景に自由を見るという文章を読んだ後に、以上のよう感想を漏らす箇所だった。また、ここで気付いたのは、「悲劇的で滑稽」という文章である。悲劇だと自分を感ずる滑稽さという喜劇、その構図が後の作品のモチーフを予告してはいないだろうか。

 「異邦人」は朝鮮で小学校の学芸会において朝鮮人の役をすることになった主人公がその台詞をどうしても言えないということが問題となる。
「わたしは、生まれは朝鮮人ですが、今はもう立派な日本人です。ですから、お国のために喜んで息子を兵隊にやります」という悲惨といえば悲惨な、滑稽といえば滑稽極まりない台詞を言うことを義務づけられる日本人として、作中の語り手はある。
 そのうちに主人公はうまく台詞を喋れるようになるが、その分、舌と足が自分の意思を離れて動いているような感覚を覚えることになる。異邦人たちのなかで異邦人として自分の身体を意識すること。そのような「異邦人」は朝鮮の子と共謀して、牢屋に飯を運ぶ手伝いの娘をやっつけようとする。が、娘の他に、見知らぬ少年が現われ、喧嘩になるのだが、それを止めようとするドイツ人神父(この人物もまさに異邦人である)の制止の声が響くところで作品は終わる。「ハヤクオヤメナサイ」とリフレインされる他者の言葉。その言葉さえもが滑稽な印象を残す。

 「関係」は週刊誌編集部といった職場を舞台にして、ある関係と関係の交錯を冷めた女性の目で見る奇妙な作品。劇的な感情を排除した奇妙な語りが用いられていて、方法的に関係を見ていこうとする。要約は難しいのだが、冒頭の入り組んだ人間関係の素描や、その関係が、相手が知らないと言うことをこちらは知っているという仕方で繋がっている部分など、滑稽な関係が出現しているとは言えるのだろうか。何ともコメントに困る作品だ。

 それ以降の作品は、「青年の病気」をのぞいて、団地における人間関係を扱った「団地小説」という一連の作品である。奇妙な関係を通して、住居に影響される生活の変化などに思考を走らせていく、独特の作品群だが、今はとりあえず終わり。


「円と楕円の世界」河出書房新社

 後藤明生の第一エッセイ集。
 およそ「関係」が出る辺りまでのエッセイを集めたもので、当然話題のいくつかもそれまでの諸作と、そしてそれらで扱われているものを扱っている部分が多い。それはつまり、それまでの作品をどう作者は位置づけているか、を知ることができるということでもある。
 冒頭の「〈無名氏〉の論理」には、やはり後藤明生の基本的な世界認識の枠組みである、「滑稽でない誰かが存在するだろうか」という論理が掲げられている。そしてこのエッセイの末尾はこうなっている。

 「ところで、〈無名氏〉とは一体何者であろう? おそらくそれは、たちまちにして悲劇を喜劇に、そして悲劇を喜劇に変換させる〈眼〉とでも呼ぶべき存在ではないだろうか。あるいはその〈眼〉によって、自分だけは決して滑稽ではあるまいと考えているものの意識を、突如、逆転させる論理、とでも呼ぶべき存在であるに違いない。そしておそらく、同時に自らもそのような〈眼〉によって常に眺められ、そのような論理によって逆転させられる存在であることを、常に意識せずにはいられないような存在ではあるまいかと考えられる。」24P

 この〈眼〉とは、「関係」から始まった彼の「自覚的作品」群を駆動してきた原理そのものでもある。私は「笑い地獄」をその極点の一つと考えているが、これはまさしく上記の〈眼〉によって書かれている。詳しくは下記の「笑い地獄」の感想に譲るとする。
 さて、「〈無名氏〉の話」と題された、『書かれない報告』に収録された後記には、その〈眼〉と作品の関係について書かれており、初期作品を考える上で外せない文章だ。それによれば、『笑い地獄』をめぐる関係は、〈笑う⇔笑われる〉という笑いのダイナミズムであった。その〈関係〉=〈眼〉によって成立していた。

 「しかしながら、笑っているものが、笑われている〈他人〉以外の〈眼〉によっては捉えられなくなった以上、〈わたし〉もまたその地獄においては、一人の〈他人〉以外の何ものでもあり得ないことに、同時に気づかざるを得なくなったのである。(中略)いったい〈他人〉以外の〈わたし〉はどこにいるのだろう?」149P

 という次なる問いにさらされた後藤明生は、「外部」から見る目である〈関係〉というレンズを外し、〈無名氏〉=誰からも呼ばれることのない、いかなる関係をも持たぬ〈男〉を主人公に据えて、小説を書いていった。
 それが、『私的生活』に収録された作品群であり、その後記にある〈笑いの静脈〉とは、〈関係〉を軸とした〈笑いの動脈〉=「笑い地獄」に対して、〈わたし〉の内部における関係をめぐるものであった。
 それを考えて見返してみれば、『私的生活』の諸作が、〈わたし〉自身に対して内部から〈わたし〉を笑う生理現象などをめぐって書かれていたことを、そのように位置づけることができるだろう。後藤明生は〈内部〉=〈わたし〉とは何者か? という〈関係〉を〈結びつき〉という言葉で指し示している。
 〈関係〉と〈結びつき〉。それは後藤明生の「一対の複眼」であった。「〈無名氏〉の話」にはこれまでの作品はおよそ、どちらか片目をつぶって見た世界であると書いている。しかしまた、その瞑った片目はそのうち誰かの声によってこじ開けられるだろうとも書いている。
その声は「われわれを直視せよ!」そして、「文句をいわずに、黙って小説を書け!」である。


「挟み撃ち」河出文庫

 「われわれを直視せよ!」そして、「文句をいわずに、黙って小説を書け!」の声によってこじ開けられた〈複眼〉によって書かれた小説が、おそらくこの後藤明生初の書き下ろし長篇『挟み撃ち』である。(ちなみに、『四十歳のオブローモフ』という新聞連載小説があるらしいが、未読。タイトル(オブローモフとはゴンチャロフの小説『オブローモフ』に出てくる「眠り男」のことであろう)から考えると、〈結びつき〉によって書かれた小説ではないだろうか)
 じっさい、わたしがこの小説を読むのはこれで三度目だが、その度に見えてくるものは違っている。興味深かったことのうちのひとつは、その文体上の特色である。初期作品の文体は、一度読めば分かるように、延々と句点(。)なしで続けられ、文章の途中に突然違うことが入り込んでくるような朦朧した文体であったが、「挟み撃ち」では、一センテンスの短い文章が、ぽんぽんと繋げられる非常に調子のいい文章である。試しに冒頭の一段落を引用する。

 「ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことであるだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得、わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。」7P

 冒頭の「とつぜん」も小説のなかでは重要な語句であるが、そもそも書き出しの内容自体が読者にとって突然すぎる。また、早起き鳥から夕方の話に飛ぶのも、突然である。書き出しの文章がとつぜんであるように、この作品にはとつぜんが横溢している。とつぜん、偶然がこの作品を動かしているものでもある。しかし、それだけではない。
 そういえばわたしはこの作品を読むのは三度目だと書いたが、実はわたしは文庫の『挟み撃ち』を三冊持っている。それぞれ集英社文庫、河出文庫、講談社文芸文庫の三つであり、今のは出た順に書いていった。とすれば私はそれぞれ一度ずつ読んだのだろうか? そうではなく、私はまず始めに講談社文芸文庫のを読み、後藤明生を知った後、大学でゼミのレジュメを書くために、もう一度読み返したのである。その後、それぞれ古本屋とブックオフで見つけた両文庫を解説目当てに確保したのだ。そのうち集英社文庫のものには、シナリオ作家養成講座開講の新聞広告が挟まっていた。作家志望の放出本だろうか? それは分からない。分かるのは、初版帯付きのまま古書店に売られたものであるということだけだ。
 と、雑談風にいくらでも話を繋げていくのが、この奇妙な小説の饒舌体なのだが(もちろん文体模倣としてはなってないくらい適当に書いたものなので、参考にされないように)、ここで突出しているのは疑問符の多用である。詳しくは原文に目を通して欲しいのだが、この小説、余りにも疑問符が多い。頁ごとに二、三回、いや、場所によってはもっと出てくるだろうか。「罪と罰」に「とつぜん」が何回出てくるか実際に数えた学者がいるらしい。私はそこまでして見ようとは思わないが、おそらくこのページ数250程の小説には、頁二回と考えても500の疑問符が、多めに見積もれば千?もの疑問符が使われている。疑問符が出たからには何らかの謎が提示され、提示されたからには何かしら結論が出てくるはずであるのだが、数多くの疑問符が、明解な答えを伴っていることは少ない。そもそも、二十年前の外套を探しに出たこの小説の大筋には、「外套はどこに行ったのか?」という作品全体を引っ張る大きな疑問符が付いているのだが、結局その行方は分からないままになる。河出文庫の解説で蓮實重彦がいっているように、この小説の語り手は、いつも何かを忘れているばかりか、忘れていることすら忘れているという否定性によって特徴づけられている。それの最たるものは末尾の山川に関する部分だろう。そこでは山川という橋の上で待ち合わせている相手の男について、七つの疑問を自ら提示しておきながら、次の段落でこう言い放つ。

 「わたしは右の七つの疑問符に対して、ほとんど充分に答えることが出来る。まず、最初の疑問符に対する答えは、「忘れた」あるいは「思い出せない」であり、第二、第三の答えはいずれも「ナシ」である。しかし、第四以下、第七までの疑問符に答えるためには、このあと少なくとも一時間近くこの橋の上に立っていなければならないだろう。」253P

 読者を翻弄するような愉快な回答が提示されている。一時間近くこの橋の上にいなければならないというのは、その質問=疑問符(この言い換えにも注意すべきだろう)に答えるためにはそれぐらいの時間がなければ充分に答えられないということである。本文自体も、このような人を食ったような展開、記述がばらまかれているという状況であるが、ひとつ気がつくことは、この語りかけ=疑問符は一体誰に放たれたものなのか?
 『挟み撃ち』の語りは、ある橋の上で佇んでいる男の突然の回想である。回想であるが、上記の引用部分だけを見ても、単なる一人称語りとは多少位相を異にしていることがわかる。疑問符と回答にならない回答の応酬が浮き上がらせるように、何らかの言い訳じみた感じを受けるのだ。『挟み撃ち』の小説上の企図のみならず、明らかに、読者の存在を意識した=読者への語りかけを織り込み済みの文体なのである。一人で立っている人間の語りかけのような独白。そこに明らかに話し相手=二人称が現われるのは、以下の部分である。

 「しかし諸君、人生とはまさしくそのように単純で、ごまかしの利かないものなのである! もっともわたしが、「諸君」などと呼びかけてみたところで、誰かが「ハイ!」などと返事をするわけではない。もちろんこの橋の上にただ立っているだけの男の人生など、現在の諸君の人生とは何のかかわり合いも持たぬはずだ。いったいわたしは何者であるのか、一向に諸君にはわかっていないからである。ただ、もしも、いったいこのわたしが何者であるのか、ほんの一瞬間だけ通りすがりの諸君に興味を抱かせるものがあったとすれば、それはわたしの外套のせいだ。」P11-12

 「諸君」と呼ばれているのは、小説内虚構のうちで考えれば通りすがりの通行人なのだが、この小説を外から読む我々にしてみれば、通行人という障子紙を通して読者である我々への声に他ならない。また、そうであるならばより強固に、語り手「赤木次男」のむこうに「後藤明生」もまた透けて見える。いってみれば、通行人や語り手に擬態した、現実の作者と読者が虚構の内に侵入している。『挟み撃ち』の語りとは、そのような位相の元に、疑問符を瞬く間に連発しながら、明解な回答を与えることを颯爽と無視し、とつぜんの結びつきに駆動された昔語りの渦へと読む者を巻きこんでいく。
 語りの擬態だけに止まらず、『挟み撃ち』の語りは、複層的な構造を持ち始める。現実と虚構の往還として、語りの文体があるとすれば、『挟み撃ち』中盤から終盤にかけて語られる、兄への語りかけは、虚構内虚構への語りかけでもあるのだ。ここは作中問いかけられた〈わたし〉とは何者か? という『挟み撃ち』を構成する最も巨大な疑問符(=もちろんこれは、「外套はどこへ消えたか」という疑問符と関連している)にかんして非常に重要な場所でもある。それは後にまわすとして、ここの部分の語りは、いもしない兄からの言葉らしきものがとつぜん文章中に侵入してくることから始まる。

 「それは、お前、決してとつぜんではなくて当然だよ。
 (中略)
 これは誰の声だろうか? 兄の声? あるいは母だろうか? それとも、誰か見知らぬ他人だろうか?」165P

 ここで導入された他人の声=兄の声は、語り手の語りを変形させる契機となっている。また、唯一入り込んでくる他人の声であるが、このあと語り手は延々とその声の主にむかって自らの〈脳髄〉について語り始めることになる。つまり、ここでは明確に対話の相手が設定されているのである。それまでの語りにおいては一応諸君と名指される無名の他人が存在しているだけだったテクストのなかに、突如挿入された兄の声、その声にむかって語りかけるこの部分は、およそこの作品の最大の疑問符の一つである、〈わたし〉とはいったい何者か? という問いへの躓きながらの応答が語られるのである。それはまた、『挟み撃ち』のほとんどの部分を占めていた、無名の他者への語りかけから、兄という明確な対話の相手の出現が生んだとつぜんの変貌であった。

 とつぜん。兄への語りかけで集中的にあらわれる、とつぜん、とはこの作品の冒頭に現われたものでもある。そして、この小説の原理でもあるだろう。そればかりではない。『挟み撃ち』の語り手、〈赤木次男〉が自分で自分を規定する瞬間に用いる言葉が、他でもない〈とつぜん〉なのである。それを説明するにはまるまる十ページ分のその箇所を引用したいところだが、さすがにそれは厳しいものがある。できる限り整理してみたい。
 そもそも、この語り手は朝鮮生まれの人間であり、中学校から陸軍幼年学校へ行くことを望んでいた少年だった。しかし、彼の知らぬ間に戦争は終わった。

 「わたしの知らないうちに、何かが終っていたのである!」P153
 「何故だろうか? もちろん、わからなかった。わからないから、とつぜんなのだ。なにしろ、わたしが知らないうちにとつぜん何かが終ったのであり、そして今度は早くも、わたしが知らないうちにとつぜん何かがはじまっていたのである。」P164
 「昭和七年にわたしが生まれてから生きながらえて来たこの四十年間というもの、とつぜんであることが最早や当然のことのようになっているわけです。」P166
 「ある日とつぜん、得体の知れないものにへばりつかれ、「とつぜん」を濫発することになったわたしの脳髄を、何と名づければよいでしょう? 運命? やはり、そうとしか呼びようはないのかも知れません。」P171

 そのような運命としてある〈わたし〉も、高校で書いた作文が民主主義を否定する「危険思想」だと思われたのだが、彼は直後にこう語っている。

 「誤解されたわたし自身が、何ともあいまいなものに思われて来て仕方がなかったからです。もちろんわたしは「危険思想」などの持ち主ではありませんでした。しかしそれでは、わたしとはいったい何だろうか?」P174

 という風に、とつぜんであることを運命づけられた〈わたし〉はいつも自分とは何者かという問いを手放すことができなくなっている。『挟み撃ち』のプロットを引っ張る外套探索も、同じ展開を持っているため、やはり彼の探索である「外套を見つける=どこでなくなったか」を知ることができない。

 〈わたし〉が何者であるか? その疑問符に解答が出ないこと。おそらくそれを否定的に捉えてはなならない。『挟み撃ち』のなかで語られるのは、そのような形でしかわれわれは自分自身を捉えることができないという認識であるだろうからだ。記憶と現在に『挟み撃ち』されている語り手は、今と過去を繋ぐものを直線として捉えることはできない。むしろ、とつぜんが当然であるというように、とつぜんであること、偶然であること、そのような形で関係を探っている。また、この部分の語りが兄への語りかけである点を思い出して頂きたい。わたしが何者であるか、それを語るには他人に語るしかないという認識がここで示されている。そして、一対の複眼=〈関係〉の眼と、〈結びつき〉の眼を思い出して頂きたい。自己自身との関わりである〈結びつき〉と、他人との関わりである〈関係〉の綜合として、他人との関係のなかに自分を探っていくという試みが、この『挟み撃ち』ではないか、と私が考えるからだ。
 しかし、その問いは上記のように、明確な根拠として現われるわけではない。ゆえにいつでも〈わたし〉とは何者か? という問いを完結させることはできず、疑問符がわれわれにはついて回るのである。大きな大きな疑問符が、消えない疑問符がついてまわる。


 ところで、〈わたし〉をめぐる記憶を挟み込むように、ふたつの特徴的なエピソードがある。九州筑前土着の人間から発された、「ばからしか、ち!」という笑いの言葉(それは、筑前の訛り言葉を完全には習得できないことから発する違和感を語り手に与えている。また、この言葉は、語り手に空手をやってみませんかと誘った者に対する言葉である)と、兄の「お前は、子供の時から兵隊になりたがりよったとけん、よかやないか」というふたつの言葉に「挟み撃ち」されて、「見よう見真似で覚えてしまった拳突きの格好から繰り出されたわたしの拳を、あの板の五寸手前で停止させたのである」という挿話。もうひとつは、二等兵の格好でいわゆるサンドイッチマンをする準備中、いかにもインテリといった格好の男のゲートルをわざわざ巻いてやっている時に受ける屈辱から、見よう見真似の「空手一発も見舞わなかった」という場面である。前者の場面でも後者の場面でも、「見よう見真似」の拳一発の暴力が停止されている。これをどう考えるべきだろうか? もともとその「空手一発」の暴力自体が物まねであることも注意すべきであろうが、後者、二等兵の仮装をしている場面では自分の格好そのものが物まねであるのだ。ここで、「笑い地獄」の仮装と演技という言葉を思い出す。それは以下のものである。

 「笑うための、あるいは笑われないための演技はやっているわけですよ、ふたりは。お互いにお互いを笑い合いながら、お互いに笑われないための演技をしている。わたしはそれを、しないことにしています。笑われるための演技もやらない代わり、笑われないための演技もしない。これがわたしの仮装であり、不参加というわけ(後略)」36-37頁

 演技でないにもかかわらず、それが純粋な自然状態と称するわけでもないとは前に書いたが、「二等兵の格好」は「演技ではなく仮装である」と『挟み撃ち』に書かれている。仮装とは自らが笑い笑われる存在であるという自覚から発した言葉ではないかと思われるが、では、その自覚が上記の場面で語り手の「空手一発」を停止せしめたのだろうか。果たしてそうか?
 この問題にはまだ何の方針も立たない状態であるが、一応今の段階では上記のような疑問符=問いへの補助線を引いておくことにする。まだ、外部テクストの引用についてまったく触れてない以上、『挟み撃ち』論としては余りにも未完成であるが、これは、虚構と現実の対立軸の溶解(記憶とテクストの等価性)、または、擬態=仮装としての語り手の問題を繋げて考えることができるかも知れないと思っている。どうだろうか。

●矛盾を矛盾のまま追求していくこと
(この項はbk1に書評として投稿したものです)

一体どのようにしてこの作品について書くことができるだろうか、と思う。まごうことなき後藤明生の代表作であり、日本文学のなかでも異質な方法的意識でもって書かれた「挟み撃ち」はいつも私にとって一つの謎である。その全貌を描こうとすれば逐一書いていくしかなく、それでは字数の限られたここでは不足に過ぎるだろう。あえてここは作品を迂回しよう。

矛盾があるとして、その矛盾を解決しようとせず、矛盾を矛盾のまま追求していくこと、と後藤明生は自身の作家的態度を表現した。矛盾とは、われわれ現代人の生の実相である。現代とは誰もが故郷喪失者である時代であるともいう。

中学生の時に敗戦を体験し、軍人になろうという夢を抱いていた後藤少年は、初期の短篇「赤と黒の記憶」にこう書き記している。

「不自由を不自由と感じ得ず、また、自由を自由と感じ得ない、悲劇的で滑稽な役割を負わされた自分に気付いた時、屈辱以外に、一体何を感じ得るだろうか」

戦中と戦後とに「挟み撃ち」された少年の述懐である。また、後藤明生が生まれたのは朝鮮の永興であるのだが、そこは敗戦直後、日本でなくなる。現実的な意味で、後藤明生は故郷喪失者である。だが、彼はそれを何かしら特殊なものとして称揚したり、特権化したりはしない。それが現代の様相であるという視点だからだ。

また、引用のなかでの「悲劇的で滑稽」という文言が後藤明生にとっては決定的に重要である。現実に引き裂かれた自分を、悲劇的であると見る自身の目と同時に、滑稽であると見る他人の目、もうひとつの目が、彼の主要なモチーフであるからだ。見る=見られる、それは、笑う=笑われるという関係の変奏である。この世はつまり、いつも誰かは他人に笑われているのだという関係。私と他人とが同じ地平に立っていて、どちらもが相対的なポジションであるという「楕円の世界」とは後藤明生の基本的な世界の捉え方である。
それがまた、「喜劇」の舞台装置なのだ。絶対的な神の退場により、すべてのものが同じ地平に立っている近代とは、まさに喜劇の時代ではないか。喜劇とは、物語の構造の問題であり、実際に笑う笑わないという判断によるものではない。それはレトリックである、と後藤明生は言う。

そろそろ、「挟み撃ち」に戻ろう。ここで後藤明生が試みようとしたのは、現代人の様相を、様々な方法を用いて、喜劇として書くことだった。現代とは何か、現代人の矛盾とは。そのような問いが頭にあったであろうことは推測できる。

ある朝、主人公である語り手はとつぜん思い立ち、過去に上京してきた時に着ていた陸軍歩兵の外套を探すことにする。外套はもちろん今手元にない。どこに行ったのかも思い出せないし、いつどこで無くなったのか、それすら分からない。だが、まさにとつぜんそれを探すことにして、今まで自分が移り住んできた土地を訪ねていくことを決める。

ここから、語り手は探索の旅に出る。注意しなければならないのは、実は小説の始めと終わりでは数分しか時間が経っていない点だ。語り手は最初から最後まである橋の上に立っており、作品全部は回想なのだ。語りに仕掛けられた罠こそが本作での主要な部分である。どんな素材でもそれを喜劇に変換するのが文体であるという後藤明生の考えは、ここで遺憾なく発揮されている。
過去から現在を縦横無尽に繋ぎわたり、あらゆるテクスト(ゴーゴリ「外套」、永井荷風「墨東奇譚」、獅子文六、島崎藤村など)を引用し、テクストと今とのズレを露わにし、畳みかけるように疑問符を連ねたものの解答を放り出し、本題から逸脱し続け、標題の「挟み撃ち」という言葉が作品の主題でもあるというようにさまざまな「挟み撃ち」的状況を構成していくのだ。

果たしてこれは喜劇たり得ているのか、現代を描くことができているのか、そのような問いを「挟み撃ち」に投げかけることはできるだろう。


「思い川」講談社

 『挟み撃ち』の後に書かれた、父や朝鮮の思い出を探るというモチーフを共有する中短篇集。
 何者かに挟み撃ちにされたものとしての〈わたし〉を描き出そうとするという方法を用いた『挟み撃ち』とくらべて、幾分穏やかな印象を受ける。原典は失念したが、誰かも『挟み撃ち』には奇妙な緊張感と不安定さが見られると言っていたはずだ。それは『挟み撃ち』が、語り手のいわば存在の根拠とも言うべき場所に触れているためであるだろう。それが奇妙な緊張感と、語りの切迫性とを読者に意識させたのだと言える。詳しくは過日の『挟み撃ち』感想を参照して貰うとして、「父への手紙」は、『挟み撃ち』の中盤で展開された兄への手紙にもにた語り文章によって全篇貫かれた作品である。まず父への呼びかけからはじまり、父の知人に会いに行った顛末を、今は亡き父に語りかけるという設定で書かれている点が今作の特徴である。 また、今作が父への手紙という形式を用いているのは、父の知り合いを訪ねることで、今はもうおぼろげになってしまった記憶が、錯覚でなかったことを確かめるという、訪問の動機にかかわっている。父との結びつきが錯覚でなかったこと。軍歌であるとか、剣道の練習であるとか、その他の朝鮮の地、永興でのことごとが、実際に話を聞くことで確かめられるプロセスを中心とするこの作品は、その父との結びつきを形式とする手紙という形によって語られねばならなかったと言えるだろう。「父への手紙」とは、自身の根拠をある形で探索することに一区切りをつけた後藤が、その記憶から派生するさまざまなできごとを、とつぜん思い出したり、忘れていたりするできごとを、その錯覚的結びつきを確かめてみるというモチーフによって駆動されている。
 宇野浩二の短篇と同名の「思い川」は、川の土手に土筆を取りに行くことと、川にまつわる朝鮮での出来事を重ね合わせる作品。川を隠喩として見るならば、末尾での川の上流へ行こうという行動は、記憶の遡行が重ねられているとも取れる。が、知人に会いに行くことと、川を遡ってみたい、ということがじっさい、並置されてはいるものの、それらが遡行=起源への遡行と同一視されることをそのまま承諾してしまっていいものか、どうか。もっと、淡泊で、好奇心の単純な発露のようにも見える。じっさい、後藤明生の語り口の淡泊さはいったい何なのか。ぽんぽんと、記憶と記憶がつなぎ合わされ、過去と現在(それは近過去であるのだが)をないまぜにする独特の語り口は、連想が次々と連想を呼ぶように、後を引かずに繋がっていく。とつぜん思い出し、とつぜん忘れ、ふと思い立って父の知人を訪ねようとすれば、偶然にも死後四十九日に満たないことがわかるという、偶然のしぐさ。
 語り手の感情というのはそれでも結構起伏があり、長女にかみついた犬の飼い主に腹を立てたり、土筆を食べなかったことにも腹を立てている(かも知れない)。しかし、それが暴力に繋がろうとする時、ふと喜劇がそこにあらわれ、その怒りは中断される。長男が食べなかった土筆を自分で食べようと箸を持っていくと、長男が無理矢理口に入れられるのと思ったのか、うつむいてしまった時、語り手はそこに自らの怒りがあったのかも知れないと思う。そしてその場の気まずさに、思わず「あらあら」という悲鳴にも思える声を出してしまった妻と、自分と長男とが形づくる感情の緊張の場面は、緊迫しているが、それぞれすれ違っている言葉や思いが、滑稽になる場面である。
 怒りというものはいつも滑稽なものであって、それが滑稽でないのはただ自分のなかでだけだ。怒っていた理由が単なる勘違いであったり、下らないモノに怒っている自分を見いだして笑ってみたり、ひとたび怒りが自分自身のなかから外にさらけ出されてみれば、なんと滑稽であることか! 後藤明生の喜劇性というのはそうしたものだと感じている。後藤自身のエッセイには、喜劇を好む人間とは、腹を立てることは多いものの、実際に他人に対して怒ることの少ない人間であるというようなことが書かれていたと思うが、それは自分の怒りの滑稽さを知っているからではないだろうか。


「めぐり逢い」集英社

 新聞連載であるためかどうか知らないが、文章がより読みやすいものになってる。一言で言えば軽い。内容は、猫嫌いであった主人公が、猫を飼いたいという家族みんなの希望に添う形で、ペット禁止の団地のなかで猫を飼うことになるという話である。猫嫌いであることと団地の生活に全体の五分の一が使われ、最初っから大胆な脱線をしているのだが、そこに出てくる偶然であった男の猫沢という名前だったりする。猫沢はもちろん無関係なわけではなく、話の節々で微妙な関係を持つことになる。信濃追分(ここは、後藤明生が『挟み撃ち』執筆前後に、譲り受けた山小屋があり、年に何度かそこに籠もって小説を書くところだ。後に『吉野大夫』や『笑坂』で中心的に描かれることになる)で、ネズミが駆けまわることに業を煮やした語り手が、猫の必要性を感じるのだが、その気持の微妙な変化が現れ始めた頃、ネズミが出るわけでもない団地において、猫を飼うことになる。
 その猫との生活や、近隣の住民たちが秘密に猫を飼う様子なども書きこまれていて、団地における生活、人間の在り方といった後藤明生の中心的テーマに向かっていくのだが、謎の女から掛かってくる電話や、奇妙な噂の存在など、どうも既視感の強い話になっている気がする。
 ここでもやはり猫と言えば漱石の『吾輩は猫である』が何度か引用され、後記においても後藤明生自身が、「猫」の本歌取り式のことをやってみたいと書いている。破れた垣根から苦沙弥先生の庭に迷い込んできた「猫」と団地のベランダに現われる猫と、その生活空間の違いによって変わってしまった猫と人との関係。また、語り手が嫌っていた猫をどうして飼うようになったかという心境の変化。心境の変化とは言っても結局語り手が猫を好きになるわけではない。偶然の出会いから結びついた奇妙な関係である。その為、猫は最後ふらりと消えてしまう。


「夢かたり」中央公論社

 十二回にわたり、文芸誌「海」に連載された長篇小説。
 長篇とは言っても、「めぐり逢い」「挟み撃ち」のように、一連のシークエンスとして連続しているわけではない。主題やモチーフの共通した短篇を連ねていったようなおもむきである。
 ではその、連作を連作たらしめている共通性とは何か。まず分かることは、作者後藤明生の生まれ故郷である朝鮮の永興というとちにまつわる記憶や人を訪ねていくということである。さらに、後藤が後記で語っているように、ある方法の共通性もあるだろう。その方法とは、「現在から過去へ向かう時間と、過去から現在へと向かう時間との二色刷り」という「時間」、その時間を書くのに用いた方法である。その方法が一般の回想小説や歴史小説と異なっているところは、現在と過去との関係であるだろう。何者かが現在の立場から昔を回想し語るという、「昔語り」の形式は、それこそさまざまな小説に見られる基本的と言っていい手法である。たとえば芥川の「舞踏会」を例に挙げてもいい。これは、鹿鳴館のパーティに参加した女性が、ピエール・ロチと出会った時のことを回想しつつ、一介の作家に語っている、そのことを書いた小説である。聞き書きという形式と回想小説との組み合わせは他にも見られるものだろう。
 これには物語ると言うことの原始的な意味が現われていると考えられる。回想という形で行われる語りは、そのとき、ある形を持った物語として語られるのが常である。「舞踏会」がそうであるように、若かりし頃の思い出であれ、挫折の苦い過去であれ、それらの記憶はことごとく物語となり、すでにしてそこにあるものとなる。または、語る時であるか、思い出された時であるかは問わないが、記憶とは不断の物語化を行いつつあるものであるのかも知れない。
 しかし、「挟み撃ち」にはまだ辛うじてパロディとして存在していた物語も、すでにここにはない。
 「夢かたり」にあるのは、時間と時間との関係、過去と現在との関係であり、その中にいる人間の時間との関係である。後記には「二色刷り」の世界を書く方法を、「夢かたり」と呼び、「だからこれは、この小説の題名であり、同時に方法であり、またスタイルであったといえるだろう」と書かれている。しかし何故、「夢かたり」が方法であるのかは具体的に示されているわけではない。

 とりあえず第一章の「夢かたり」を見る。
 そもそもこの章の書き出し自体が、「夢かたりと言っても夢を書こうというのではない」などと、語り手と小説の書き手とが同一平面上にあることを示していて奇妙だが、中身について言うと、まずはじめに漱石の「夢十夜」が出てくる。引用されているのは、護国寺に運慶を見に出かけた第六夜である。ここでは彫刻師は、木のなかに元々埋まっているものを、ノミと槌で掘り出すだけだという芸術論を語る。そして夢を見ていた男が帰ってから運慶の言葉に従って木を掘るがうまくいかず、「明治の木に仁王は埋まっていない」と悟る。後藤はそこで、その構図を現代に置き換え、希望が出てきそうだと書いている。つまり、昭和の木からも運慶は出ないと言うことを意識している。ここで後藤の方法の一面が出ているように思う。それは、何かを模倣しようと言う欲望を露わにする語り手が、それでも=それゆえに、模倣が失敗し続けるというアイロニカルな事態である。( 「挟み撃ち」でのゴーゴリ、荷風、「夢かたり」での漱石とツルゲーネフ。)したがって、語り手がその日に見たという夢を書き付けている時も、それが漱石のようなはっきりとした明確な夢ではなく、ひどく意味の分からないものになっているのは当然である。
 ここで夢を語る際に用いられている方法は、回想として過去が現われてくる時と似た語られ方をしている。
回想はいつも完全な形での物語にはなりようがなく、いつも不分明な事実の混乱や、記憶違い、忘却などによって物語への挫折を抱え込んでいることである。夢もまた、明確な物語性を備えていることはほとんどなく、単なるイメージの羅列でしかないような淡泊さと唐突さで、我々に語りかけてくるのであるが、その構図はそのまま、「夢かたり」で採用された方法なのではないだろうか。
 つまり、夢を語るようにして過去を語ると言うことであり、「夢かたり」の方法とは、何かが掛け違ってしまったかのようにして現われる現在と過去との関係を描くことだったと考えられる。
 「片恋」という章はこの作品にあっては特異な位置を占めている。「夢かたり」という長篇の骨組みを自ら露呈しているのだ。まず、章の冒頭に二葉亭訳のツルゲーネフ「片恋」の話が出てくる。また、ツルゲーネフの「夢」を二葉亭が訳した「夢かたり」から、タイトルを借用したことも書かれている。そして「片恋」の話になるのだが、重要なのは語り手の「私」への注目である。「片恋」は、昔知り合いになった女性が、後に突如として失踪してしまったことを、二十年後に回想するという「いかにも物語らしい物語」である。しかし、次に語り手(「夢かたり」の)はツルゲーネフの興味の持ち方は、原題が示すとおり(原題は「アーシャ」)、女性に向かっている。対して二葉亭の興味は「私」に重点があると考えている。ただし、平凡すぎる「私」ではなく、「二十五歳の青年を四十歳の中年にした、時間である。またその間の「人の喜憂」さえ、果たして現実であったのか夢であったのか、我ながら心もとなく思わせてしまうような、時間である」。これはそのままではないのだが、おそらくは「夢かたり」の方法と深い繋がりを持っているだろう。方法としての時間、それは現在と過去の奇妙な繋がりを浮き上がらせるものだと言える。そこから現われる、昔と今の「わたし」というズレのオカシサを描く。それこそがこの「夢かたり」の方法だと言えるだろう。
 漱石の「夢十夜」の出てくる、「夢かたり」。ツルゲーネフの「片恋」が出てくる「片恋」という各章を見るに、先行する元テクスト群と、後藤明生の描く現テクスト群との間の差異が浮き上がってくる。これら先行テクストの引用という手法には、ある共通する性質がある。先行テクスト群に対しては、語り手が模倣の欲望を持って接しているのだが、その次に綴られるのは、その模倣の失敗なのである。模倣の欲望が描き出す事態が、逆説的に差異を描いてしまうのである。「片恋」では、「わたし」の永興時代に同じ教室で学んでいた女性に関する記憶が扱われるが、そこに繰り返し書きつけられるのは、彼女のことを書けないと言う言葉であり、彼女のことを何度も描こうとしたのだという述懐なのである。この、語りの欠落と、語ることへの欲望は、奇妙な混淆を見せつつ、何度も彼女への接近、遭遇を匂わせるものの、「彼女の姿が見えるや否や、わたしはハンドルの向きを変え、全力でペダルを踏んで家へ帰って」しまうのである。この、一つの章の書き方=方法を作中の描写と重層的に描かれるシーンは、また、ユーモアの匂いもある。この場面における喜劇性、対象へは決して遭遇することのないという迂回、それこそが、ここで重ね合わされているように、後藤明生の「生」の様態そのものであり、なおかつ、後藤明生の小説的方法論なのである。
 それにかんしては「挟み撃ち」と「外套」、「吉野大夫」と「吉野大夫」などを見れば明かである。各作品における具体的な記述については今は書く能力もないのだが、ひとまずはそのように整理できるだろう。
 「政治」というものに対して、後藤明生はいつも奇妙に距離を取ったスタンスを保っている。初期のエッセイなどにも見受けられるし、「夢と夢の間」での政治情勢にまつわる考えも、何らかの決定をしないこと、それが彼のスタンスである。これはまた、「笑い地獄」での敗戦体験やメーデー体験において、直接その時代と接触することのなかったことと重要な関係を持っているだろう。一言で言ってしえば、そのような決定的場面に対していつも仲間はずれ、傍観者、周縁として位置づくこととなってしまった後藤明生は、その自らの生の様態そのものを、彼の小説ほ主要な方法としたのだ、と。そのことの批評的意味について書くことは私には荷が重い。そのような態度がどのような意味を持ちうるかについてもまた、書く能力を未だ持たない。が、それについて考えることは重要であるだろう。


「嘘のような日常」平凡社

 父の三十三回忌をめぐって書かれた連作集。
 日常の些事が主に書かれている。そのなかでクローズアップされるのは母である。母の、それも授業参観の日、語り手が感じた、母の違和感。それは、その場所にいることがひどく場違いであるかのような印象を語り手に与えている。その、場違いである感じ、違和感を作品の象徴的なものとして、作品は書かれていく。母の、耳が聞こえず、父の墓の位置をどこに決めるかということについても無頓着である母は、一様に内心のうかがい知れない存在として現われる。母と対称的な場所にいるのが語り手なのだが、彼の特性は「不思議」という言葉によって提示されている。母と、わたし、それらをある点で共通させているのは、日常というものに対するスタンスではないだろうか。
 母の特徴的な属性は、父へ嫁いだことや、その結果朝鮮に移り住むようになったこと、母であることに対する決定的な違和感である。それが特異な存在としての母を、この作品のなかに位置づけているものである。
 この作品では、これまでの後藤作品を貫く一つの主題として登場していた父が後景に退き、母が前景に引き出されている。
 また、日常的なるものの不思議さ、という感覚が語り手である「わたし」の記述を特徴づけている。場違い、不思議、その結節点として出現する「日常」の奇妙なシラフの顔。日常が日常であることの不思議さ、とでも言ったらいいだろうか。現在と過去との繋がりのアイマイさ、そういったテーマが現われている。
 「日常」に、嘘のような、という形容詞がつけられていることは、そのように理解できる。


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