参考文献 (すべてではなく、私が2003年時点で目を通していたものに限定しています(『書くことの戦場』以外)。「挾み撃ち」「首塚の上のアドバルーン」講談社文芸文庫にはより詳細な参考文献一覧が載っていますので、適宜参照してください。)
―単行本収録のもの ●対談・インタビュー 富岡幸一郎『作家との一時間』日本文芸社・1990・10 (後藤明生のインタビューを収録) 蓮實重彦「魂の唯物論的な擁護のために」日本文芸社・1994・4 (後藤明生・蓮實重彦対談「小説のディスクール」収録) 柄谷行人「ダイアローグ
5」第三文明社・1998・7 (後藤明生・柄谷行人対談「文学の志」収録) 柄谷行人編『近代日本の批評―昭和篇(下)』講談社文芸文庫・1997・11 (蓮實、柄谷、浅田、三浦などの討議において言及あり)
●後藤明生論 小島信夫『漱石を読む』福武書店1993・1 (第二章の「小説の方法」などの章において、「首塚の上のアドバルーン」にふれつつ、後藤明生を論じている) 蓮實重彦『文学批判序説』河出文庫・1995・7(1981・12『小説論=批評論』) (「『挾み撃ち』または模倣の創意―後藤明生論」) 蓮實重彦『小説から遠く離れて』河出文庫・1994・10(1989・4) (四章において『壁の中』への言及) 蓮實重彦『絶対文藝時評宣言』河出書房新社・1994・2 (「文体の不幸とユーモワ」で「スケープゴート」論を展開) 渡部直己『かくも繊細なる横暴』講談社・2003・3 (「後藤明生の「健康」の企て」において、初期短篇から「挾み撃ち」までを論じる) 平岡篤頼『文学の動機』河出書房新社・1979・8 (数章を割いて『挾み撃ち』などに言及) 芳川泰久『小説愛』三一書房・1995・6 (「笑いと彫像」という論文において『行き帰り』『首塚の上のアドバルーン』に言及) 芳川泰久『書くことの戦場』早美出版社・2004・4
(およそ半分が初期短篇から「挾み撃ち」までの変遷を追う後藤明生論になっている) 中澤千磨夫『荷風と踊る』三一書房・1996・3 (「対話―後藤明生『壁の中』へ」) 古屋健三『「内向の世代」論』慶應義塾大学出版会・1998・7 (「後藤明生論 方法論で身をまとった作家」において、「笑坂」「吉野大夫」「夢かたり」「蜂アカデミーへの報告」などに言及) 多岐祐介『批評果つる地平』旺史社・1985・2 (方法の解読」という「挾み撃ち」についての講演録) スガ秀実『文芸時評というモード』集英社・1993・8 (「マーラーの夜」(『しんとく問答』所収)への言及)
―雑誌掲載分 ●対談・座談
(多すぎるので主なもののみ) 「後藤明生氏に聞く―イエス=ジャーナリスト論、その他」国文学・1996・04 座談会「文学の責任」群像・1996・3
(黒井千次、後藤明生、坂上弘、高井有一、田久保英夫、古井由吉、三浦雅士) ●後藤明生論 月村敏行「裏返った内面―後藤明生論」群像・1979・2 ●書評・短文 若林真「橋上のオブローモフ」文學界・1974・1 秋山駿「内向の世代の文学とは何か」朝日ジャーナル・1974・2・8 神谷忠孝「四十歳のオブローモフ」解釈と鑑賞・1980・6 芳川泰久「後藤明生著『小説は何処から来たか』―百年後の“ペテルブルグ派”」新潮・1995・11 三浦雅士「後藤明生『復習の時代』『小説―いかに読み、いかに書くか』海・1983・07 中野孝次「後藤明生の方法―近作にふれて」海・1977・10 小田切秀雄「“内向の世代”」早稲田文学・2003・7 (同号には後藤明生のソール・ベロー『現在をつかめ』への書評「挾み撃ちにされた現代人」が載っている) 大杉重男「六八年を知るためのブックガイド130」で後藤明生「挾み撃ち」の紹介「重力02」
―WEBでの言及 ●乾口達司『後藤明生と「敗戦体験」―同化と拒絶のはざまで―』 ウェブサイト (なおこのサイトには後藤明生の詳細な著作一覧と年譜がある)
●アクエリアン「後藤明生「壁の中」(02年12月1日)」「後藤明生「吉野大夫」(02年9月1日)」 ウェブサイト
●かちゃくちゃ「9/22 Mon おとはしぐれか -きれぎれ文学考察4
」 ウェブサイト
戻る
|