岐阜 神岡鉱山栃洞鉱

2005年十月はじめ。カミオカンデで有名な神岡にあるという鉱山に行った。私自身はカミオカンデもちょっと見たかった。
上の写真は鉱山で働く人のための住居らしく、いまは誰も住んでいないようだった。

場所があまりよくわからなかったため、適当な小道を上っていったらこんな場所に出た。
絶対渡れなさそうな階段(橋)を行った先は工事が進行しているらしく、機械音が聞えてきた。
道がこの階段しかなかったので行き止まりと判断し、引き返す。

山をもっと登って行くと、狭い駐車場のような場所があり、そこに車を止め、鎖で通行止めに
なった道を進む。

資材置き場。
このあたりを通る時、明らかに地元の人と何回か遭遇した。どうも地元の人の散歩コースか何か
に使われているようだった。

資材置き場を過ぎると、本格的に鉱山跡が見えてくる。

上の写真にも見えるが、これは有名な「團結」小屋。

中を見てみると、ビール缶や酒瓶の山。撤去工事作業をしているひとの残したものだろうか。

もう少し進むと、ゲートが閉じられたエリアがある。閉じられているが、ここからが
本番なので乗り越える。

トロッコが通る通路に入る。遠くの方まで見渡せる。

トロッコ通路の先に、人を乗せるための小さな列車を発見。むちゃくちゃ狭い。
遊園地で走っている小さな子供用機関車みたいな感じだ。

 

すぐ真上。天井の骨組み。

道なりに歩いていくと、天井が崩落して通れなくなっている場所に出た。
隙間をなんとか通った向こう側から撮ったのが下の写真。

上は誰もが同じ構図で写真を撮るという有名スポット。
神岡鉱山を探索している他のサイトでもほとんど同じ写真を見ることができる。
私は帰ってきてからいろいろなサイトを見たので、 ここがそんなに有名な場所とは知らなかった。
ちなみに、この写真を撮るためには、ぼろい木でできた各所穴が空いている橋らしき場所
に乗らなければ ならない。軽く命の危険を感じる。

写真の奥のほうをよく見るとわかるが、建物がすっきりと取り去られて更地になっている。
このとき、そこまで撤去が進んでいた。
本当はこの先も廃墟があったらしいことが 他のサイト見るとわかる。

この廃墟は山肌に沿って斜めに建てられていて、どんどん下に降っていくことができる。

撤去前線の境界線。この左の建物に進入した。

入ってすぐ下への階段があり、かなりの空間があった。

上の部屋の脇に下への階段があり、それを降りると下の写真の通路に出る。

空中に渡された通路はカンカンと音を立て、かなり怖い。

通路を渡り、下のエリアに出る。

さっきの通路をしたから見た図。

隣の建物は爆撃でも受けたかのように破壊されていた。この建物に行くには下までいってから
横へ向かう通路を通らなければならず、けっこうな遠回りをする必要がある。

どんどん下降中。

この先は行き止まり。

崩壊が進んでいる隣の建物に進入。右奥には水をためてあるタンクがある。

タンクの上に通路があり、水がたっぷりと溜まった上を通る時は少しひやりとする。
雨水が溜まっているのだろうが、元もと何が入っていたのかわからないし、
落ちるとやはり危険だろう。

天井が破れて陽が射してきている。

トロッコか何かを引きあげる機械だろうか。かなり広い空間に、屋根の残骸が飛び散っている。
この部屋を隣から撮った写真が上にある。

この崩落は冬の雪の重みで崩れたものらしい。

左にある長細い建物はトロッコの通路。

途中、事務所を発見。書類が散乱していたり、なんかの鎖が落ちていたりした。
和室の更衣室、風呂などがあった。

精錬所を後にし、住居跡の探索に向かう。

団地の跡があったが、ほとんどがツタに覆われていた。

規模が大きすぎて全体を把握できないほど広い。何度も来てみる価値はある場所
ではあるが、当時既に撤去が進んでおり、いま現在どこまで残っているのだろう。

また、残っていたとしてもここはかなり危険度が高い。
そもそも、山に無理矢理建てているので常に崖っぷちであり、足場が壊れかかっている所も多い。
崩落のせいで床には釘の突き出た木材などが散乱しており、注意しないと鉄錆の浮いた釘が足に
突き刺さることになる。じっさい、一人がスニーカーで釘を踏んでしまった。ゴムの部分に刺さった
ので傷は負わなかったが、踏む場所によってはかなり危険な事態に陥った可能性がある。

 

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