健康な歩行 ―後藤明生覚書
東條慎生


 後藤明生はいまだ汲みつくされてはいないし、その小説についても充分な検討が加えられたとは思えない。特に最近発表された芳川泰久や渡部直己の後藤明生論はそれぞれ興味深い分析を加えているが、そろって七十年前後の短篇を集中して扱っており、せいぜい『挾み撃ち』を論じるくらいで、それ以降の、特に八十年代以降に書かれた『壁の中』や『蜂アカデミーへの報告』『首塚の上のアドバルーン』などについては言及がほとんどない。蓮實重彦による『壁の中』への言及や、芳川氏による『首塚の上のアドバルーン』論や文芸文庫版解説や、また中澤千磨夫による『壁の中』論があるにせよ、まだかなり物足りない。
 それら後期の作品群が論じられず、また取り上げられることも過度に少ない原因のひとつは、その作品としての非文学的な放縦さにあるだろう。『壁の中』などはほとんど「奇書」とも言える構成となっていて、文章そのものは平易なのに、全体を論じようとすれば相当に難解になってしまう。なんといっても後半永井荷風がとつぜん現れ、小説内の語り手と延々数百ページにわたる対話が始まってしまうのだ。前半部分も大学の一コマ講師である語り手の日常と、誰かもわからない相手に日夜書きつづっている、文学論じみた膨大な書簡体部分とが入り交じっており、そこでは内外の文学作品、ドストエフスキー、ゴーゴリ、カフカはもとより、ギリシャ神話、聖書にいたるさまざまなテクストが渉猟され、つなぎ合わされ、重ね合わされていく。その膨大な引用は特別、何かにむけて収斂していくわけでもなく、どんどん拡散していく指向性を持っていて、小説に求心性を持たせることをまったく放棄している。むしろ、一貫性、求心性、唯一性といったものから、いかに逃れうるかという試行のようだ。しかし、これらの引用がまるでペダンティズムに見えないのが後藤明生の顕著な資質である。
 その理由は端的に、後藤の引用というのが手品師がタネを隠しつつ煌びやかに自己を演出するというような引用ではなく、その場その時で出会い、読んでいる当のテクストに沿う形で引用を行うというところにあるだろう。後藤にとり、読むとはつまりそういうことで、一度読んだものでも再読した折に見つけた新しい発見や驚きを、どうにか手放さずに、テクストを読むことで近づこうとする。そして、そのテクストを読んでいるあいだに、何かしら昔の記憶やら、ある類似を持つ全く他のテクストのことが思い浮かんでくるのだ。そして後藤はその偶然の繋がりへと果断に突き進んでいく。『首塚〜』でアミダクジ式、と名づけた彼のテクスト遍歴はそうしたダイナミズムによって駆動されている。
 『首塚〜』もそうだが、『しんとく問答』『愚者の時間』『汝の隣人』などの連作形式による小説群は、そういったアミダクジ式のテクスト遍歴を中心的な方法として活用した後期の作品だ。読むことの快楽をその主要な駆動因として書かれるこれらの作品では、もはやその他テクストの引用を、引用と呼ぶことすらためらわれる。ほとんど引用が主であるかのような趣を持っており、そこではまさに遍歴と呼ぶにふさわしい読みが実践されているのである。
 ここで重要なのは、それらの作品のなかで引用されるテクストというのは、なにも唐突に、恣意的に出て来るのではないということだ。遍歴型としては最初期にあたる『吉野大夫』に顕著だが、後藤が引用するのは、その土地にまつわる歴史的な書物であることが多い。『吉野大夫』は浅間山の近く、追分の土地に伝わる「吉野大夫」という遊女のことを調べる小説だし、『首塚〜』は引っ越した千葉幕張で馬加康胤なる人物の首塚を発見することからテクスト遍歴がはじまる。他にもあるが、とにかく、土地とテクストというのが密接な関係を持っているのが後藤明生の引用である。
 後藤明生においては読むことが偶然を呼び寄せると書いたが、それと同時に歩くこともまた偶然を呼び寄せる。というより、歩くことが引用を駆動するというメカニズムがある。
 特に『首塚〜』がわかりやすいのだが(芳川氏の指摘と重なるところもあるが)、最初は引っ越し先の新居である高層住宅から眺めた幕張の土地、というのが大きなモチーフであり、高所から見た景色のなかをじっさいに歩いてみるというところが、冒頭の三篇(全七篇)の主要な内容だ。ある時、ベランダから見えた「こんもりした丘」が気になり、歩きまわっているうちに偶然にも首塚を発見し、そこから『太平記』や『平家物語』などをはじめとするテクスト遍歴が始動する。あまり指摘されないが、後藤明生はテクストを読むだけなのではなく、偶然住み着くことになった土地を歩きまわりつつ、土地と関わりを持つテクストを渉猟するのである。これを忘れてしまうと後期作品を決定的に読み損なう。後藤の関心は明らかに土地にあり、テクストだけにあるわけではないからだ。その点、渡部直己の後藤論における場所にかんする指摘は踏まえておくべきだと思う。
 後期の後藤明生は都市をもフィクションとみなし、都市小説をフィクションのフィクションとしてドストエフスキーの小説を分析していたように、都市そのものの成り立ちや人工性に関心があった。つまり後期後藤作品にとり、読むことと歩くことは相即的な関係にあり、いわば読み歩きとでもいうべき運動を、その小説の基軸に置いていたのである。
 読むように歩くことと歩くように読むこと。それが後藤明生の発明の一つであったのではないかと思う。歩行という視点で後藤明生を読むならば、『挾み撃ち』に先立つ『何?』所収の短篇で、団地の住人が団地の外に出ることにより小説が書かれていることを無視できないだろう。『挾み撃ち』は何よりまず、歩く小説だからであり、ここからはじまる運動体としての小説内人物のあり方が、後藤明生独特の健康さの秘訣だろうからだ。
 そろそろ紙幅も尽きるのでひとこと言えば、後藤作品の魅力の一端は、いかに小説が形式的に特異であっても、後藤明生自身はますます健康で快活に見えるということだ。それはひとえに日本近代文学を相対化しうる視線を彼が獲得したためで、青春の病としての日本文学を、日本の大人となることを拒絶したからだろうと、思うのだ。


戻る