Trois contes
渡邊利道

 

 『ウィニー・ザ・プー・マグカップ・コレクション』


 A・A・ミルンがやや神経症気味の息子クリストファー・ロビンと、彼の縫いぐるみの動物たちのために書いたといわれる童話『クマのプーさん』の続編にあたる『プー横丁にたった家』の書き出しは次のようにはじまる。

「ほかに何もすることがなかったので、プーは、散歩することにしました」

 あるいは僕の記憶違いだったかもしれない。最初の登場人物(?)ははたしてプーだったろうか? 「散歩することにした」というのは「出かけることにしました」ではなかっただろうか、という気もするのだが、いま手元に『プー横丁に立った家』を所持していないので確かめることができない。しかしさしあたってそんなことはどうでもいいのだ。僕の記憶の中で重要なのは、ちょうどボッティチェルリの絵画の背景をなす神話の中で海の泡から生まれるアフロディーテのように、ふと何気なく書きはじめられる(同時に読みはじめられる)小説の一行目として「ほかに何もすることがなかったから」という以上に適切な言葉はないだろうということである。そう思ったのはなにも僕だけではなかったようで、アメリカの小説家スティーブ・バーセルミはその処女短篇集に収めたひとつの作品を、

「ほかに何もすることがなかったので、彼は恋に落ちる話でも読んでみることにした」

という書き出しではじめている。しかもその小説のタイトルは「ほかに何もすることがなかったので」というのだ。これではいかにもやり過ぎというものだと僕は思う。その上こういったかたちで引用されてしまっては、もう僕がどれだけ嫉妬していようとも「ほかに何もすることがなかったので」と書き出すわけにはいかない(ほかの誰だってそんなことは出来ないだろう)。確かに、小説というものはいったいどういう風に書きはじめてもいい文学形式なのかもしれないが、やはり人格の問題として羞恥心というものは大切なのだ。ところで現在時刻は午前九時四十二分である。二〇〇九年七月十五日午前九時四十二分で、僕は満三十歳七か月と六日、それにおそらく(というのは、僕は自分が生まれた日付は知っているものの生まれた時刻までは知らないので)数時間か十数時間かあるいは数十時間か、それから何分かたったところ、まだいまもたっている最中である。昨夜は一睡も出来なかった。不眠症というわけではないし、本を読んでいたわけでもない(だいいちそれで眠れなくなるなどということはない)、ましてや小説を書こうとしてその一行目に苦吟していたというわけでもない。単に眠くならなかったので寝なかっただけである。詳しい事情はややこしくなるしあまり自分でも話して楽しい物語ではないので僕の(あるいは〈僕ら〉の)現在の境遇についての説明は省かせてもらうことにして、ごく大雑把にいって僕は長い間僕を縛ってきた労働の軛から解放されて長期休暇に入っており、決まった時間にはじまる仕事のために決まった時間に起きなくてはならない生活の習慣から自由になり過ぎてしまって昨日の(つまり二〇〇九年七月十四日の)昼間にたっぷり眠り過ぎてしまったのでどうしたってその夜に寝られるわけがないのは分かりきっていたからあきらめて起きていたというだけのことだった。カーテンがきっちり閉まっていて(薄い白レースと柔らかいクリーム色の地肌に三原色のさまざまな――簡略化された花とか草叢とか川面とか船(あるいはそれはボートかもしれず、また豪華客船かもしない、すると川面に見えたのは大海原だったのかもしれない)、猫であるとも犬であるともしれない小動物たち、星(あるいはヒトデ?)、それに太陽(あるいはクラゲ?)や月(あるいはタツノオトシゴ?)の記号――模様の描かれた厚手のカーテンが二重になっている)、朝の光を遮断している六畳の部屋は薄暗く、窓際のベッドに躯をまるめて彼女は眠っている。タオルケットが優しくその姿態を(ふとももの上あたりからおなか、そしてふたつの乳房のふくらみの下あたりまで)覆っているのは、僕が真夜中に素裸同然でおそらく暑さのためだろう掛け布をベッドのしたに放りだしてしまっているのを見かけ押し入れから引っ張り出して(冬用の布団の間に挟まっていた)掛けてやったからなのだが、それはしかし「覆っている」というよりもむしろ「辛うじてひっ掛かっている」といったほうが正確であまり役に立っているのかどうか判然としないくらい彼女の肌は露呈しているのだけれど(真っ白な皮膚の下に水と少量の空気が入っていると想像――というよりもむしろ夢想――される彼女が微かな本当に聞き取れるかどうかというほどのごく小さな鼾をかいて呼吸する度に微妙に表情と輪郭を変えるのが僕に見える彼女の肌)、それでも彼女はそのタオルケットをまるで雌鳥が卵を暖めているようにあるいは母猫が子猫たちに授乳してやっているかのように後生大事に躯を折りたたみ抱え込んでいるので、少なくとも精神的にはなんらかの安息を彼女に与えているらしい。
 と、ここまで書いたところで僕は煙草に火を点けた。もう一時間たっていた。しかし読み返すのには五分とかからない。まったく、割りの合わない話だ。
 規則正しい彼女の寝息が聞こえる。その微量の、紙と紙を擦るような音が聞こえなければ彼女はまるで死んでいるようにあるいはヘレニズム期の横たわる女神像のようにみえる。寝返りひとつ打たないのだ。僕の方から見れば向う側、すなわち南を向いて躯を折り曲げているので性器を隠す布切れがあまりにも小さすぎて臀部と背中の間の三角形をかたちづくる窪みが薄光の中に浮かび上がって見える(いやそれが浮かび上がって見えるようになるまで僕は彼女の肉体を凝視している)。美しい尻だった。僕にはなんとなく自分に一緒に暮らしている女性がいるのだという事実がとんでもなく不自然なことのように思われてくる。
 僕は立上がり、打ちのめされたような気分になってキッチンに行き、コーヒーをいれる。
 ウィニー・ザ・プーのマグカップは彼女とお揃いで、実際彼女はウィニー・ザ・プーのマニアと言ってよかった。そしてその収集癖は食器類だけに限定されているのだった。
 はじめて彼女が僕の部屋にやってきた日(それは日曜日で、確か十二月ですっきりと晴れ上がった青空から細かい雪が降ってくる変な天気だったのをよく覚えている)に、彼女はなぜかいま僕がコーヒーをいれているマグカップが置いてあった水屋の棚のすぐ隣に配置されているウィニー・ザ・プーのマグカップを持ってきた。それはいつものように――といっても当時の僕はそれほど『クマのプーさん』に詳しかったわけではないのだからむしろそのときはじめてぼくはウィニー・ザ・プーのイラストをまじまじと見つめ(というのももちろん真っ赤な嘘でそのとき僕が一生懸命見つめていたのは彼女の豊満な身体と皮膚の裏に燠火を据えたみたいに薄桃色に輝く肌とくるくると表情の変わる、けれど性格的にはクールな印象を与える彼女の仕草であったのに違いないのだから僕がウィニー・ザ・プーに持っている記憶というのはそれからの長い時にわたって蓄積されたむしろ断片的なイメージだろうと推察される)たのだったけれど――うすぼんやりとした見ようによっては瞑想的といえばいえなくもないような表情をして両手両足をぶらんと投げ出して座っているプーさんの絵柄のマグカップで、プーさんの周囲には黄色いひしゃげた形状のふたつの二等辺三角形を頂点のところでくっつけただけの単純な図柄の蝶ちょが飛び回っているのだが、やっぱりプーさんはそんなことにはまったく関心がないようなのだ。
 その時――すっきりと晴れ上がった空がしだいに色彩を変容させる一日の終りのはじまりに、まるっきり非現実的なコントラストで降り出した細かい雪が窓外に見える部屋(それは現在の僕らが住んでいる郊外の一軒家ではなくてその頃僕が働いていた人材派遣業の会社の独身寮の一室で、)には、十二月だというのに暖房器具のひとつも存在しなかったから僕と彼女は真っ昼間からおでんを食べて熱燗を飲んだのだった。
「あたし、お酒は苦手なの」と彼女は言い、窓枠に頭を凭せかけちょっと俯向いてひどく切なげなためいきをつき、両手両足をぶらんと投げ出して座ったままの姿勢がそのまま崩れて寝っ転がってしまいそうでその寸前でぴたりと止まり、
「大丈夫かよ」と僕が聞くとにっこり微笑んで少し顔を上げ、その動作でバランスを崩したのか仰向けにひっくり返った。オレンジ色と紫が入り混じっていく空が見えた。ついで僕の顔が見えた。僕はきょとんとしたような、何も分かっていない無邪気な子供のように単純に大丈夫かなと思って彼女の顔を覗き込んだのだった。そして彼女は僕の頸を下からかきいだくようにして抱え(僕の短い髪の間を彼女の白い指が意外に強い力で滑り込んでしっかりと頭を掴み)唇を突き出して頤をあげ接吻したのだった。
 唇を離し、口中に残る酸っぱ味はやはりコーヒー豆のせいではなくてお湯の味がおかしいのだとしか思えないので、やれやれ、去年買ったばかりだというのに湯沸かしポットがおかしいのか、それともここらへんの水道管の問題なんだろうかと思いながら部屋に戻ると、とつぜん空気を激しく振るわせて ん、んんんっっ、と彼女が声というか息というかというよりもむしろケダモノの呻き声か機械の動力部のスウィッチを入れたときの音みたいな調子っぱずれな叫び(実際それはそんな感じだった)とともに寝返りを打つのか――というよりもむしろ飛び上がるのかと僕には思われたのだけれど――と思った瞬間に躯を真っ直ぐに伸ばして仰向けになり、まだ目を閉じたままなので何気なく僕がベッド脇までふらふらと近寄っていくとまるでイエスの奇跡によって黄泉の国から無理矢理引っ張り戻された善人のようにその時間に目を覚ますのが当たり前、とでもいった調子でごく自然に瞼を開けた。

 おはよう。
 
 これからどうなってしまうとしても。


                         (了)


 『人狼』

とても寒い冬の夜、町外れの街路の片隅で、狼男が死にかけている。満月が出ているのだが、すでに体力が尽きかけているので変身は中途半端なままで止まり、狼男は全身がまばらな獣毛に覆われ爪がのび背骨が曲がり四つ足になるべく腕と足の関節が歪んだ状態でアスファルトの上に転がっている。牙も中途半端な長さで黄色に汚れ月明かりがキラキラ反射して、それがちょうど狼男のささやかな墓標のようでもある。満月に変身して愛する人の血を啜り不老不死の生を謳歌してきた狼男は、あるとき人の血を啜ることに疑問を覚えもう二百年も不死の霊薬を口にしていないのだった。永遠に生きることに疑問を抱いたわけではなくて、愛する人の血を啜るという行為で生きながらえる自分の生を浅ましく思ったのだった。それももう終わる、と狼男は思っていたが、何も死にかけているときに満月が昇らなくても良いようなものだ、と皮肉な運命に苦笑いする。変身するのはとても身体に負担をかけるので、まるで薔薇の蔓に全身を縛りつけられているみたいに激しい苦痛にのたうち回り、もはや身じろぎすることも叶わず、狼男は静かに最後の刻を待って転がっている。とても寒い夜なのだが、変身するときは身体に沸騰した鉄棒が差し込まれたようになるので、まったく震えもしない。それはちょうど良かったように思う。月は狼たちの太陽といわれるけれど狼男は不思議なことに本物の太陽のほうが好きで、燦々と降り注ぐ陽光を浴び、ぽかぽかと陽気に微睡むのに至福を見出していたので、温かな、というよりもむしろ熱いくらいなのだが、ともあれ冬の寒さを感じずに死ねるというのは幸福だ。そこに一人の少年が通りかかる。とても上等な材質のダッフルコートを着た、こんな町外れの街路を真夜中に一人で通りかかる人間としてはあまり似つかわしいとは言えない少年である。少年は狼男を見ると、しずかに、けれどとても深いはっきりした溜息をついた。そういうのはやめてほしんだよ、と少年は狼男に言った。何が? というかあんた誰? と狼男は少年に答えたかったのだが、死にかけている狼男は声帯を震わせることさえできない。少年は肩をすくめる。その仕草はとても愛らしく、狼男は身体に走る痛みも熱も一瞬忘れあたまがぼうっとしたようになった。不死が狼男に与えられた機能なんだよ、そういう勝手は許されないってことぐらい、ちゃんとわきまえておいて欲しかったな、と少年は冷ややかに狼男を見つめて言う。と、そこへ五人ほどのストリート・キッズが現れる。ストリート・キッズたちは夜の町に潜む理不尽で暴力的な集団で、その五人もいずれ劣らぬ兇悪な面構えをして、全身に入れ墨を施し(冬場なのでそれは衣服の下に隠れて見えない)、手に手に角材や鉄パイプなどの獲物を握っている。低所得者層家庭の捨て子である彼らはナイフや拳銃と言った武器は持っていないが、理性も持っていないので単に殴る蹴るだけでも殺人はおてのものなのだ。「いい服着てるじゃねえかよ、ぼっちゃんよ」と五人の先頭に立っている少年がダッフルコートの少年におらぶ。ダッフルコートの少年はふりかえりもしない。ね? と、小首を傾げ、狼男に片目を瞑って見せる。「なんだこいつ!」と怒声があがるとほぼ同時に角材と鉄パイプがダッフルコートの少年に殺到し、鈍い音を立てて少年の頭蓋骨は破壊され、噴水のように脳味噌を飛び散らかせどす黒い血液が流れ、そのまま前のめりに狼男に倒れかかる。狼男が愛する者の血を啜るのには何も牙を立てる必要はない。ちょうど地面に雨が染み込むように、狼男の皮膚に生き血は吸い込まれ、みるみるうちに狼男は回復する。そういうことなのか、と狼男はダッフルコートの少年が言った言葉を理解する。そしてめりめりと音を立て変身を完遂する肉体の変化を感じながら、いまや少年の影から現れた体長二メートルを超える巨大な狼の姿に恐怖すら忘れて驚愕して立ち尽くすストリート・キッズを屠るために、ゆっくりと動き出す。


                         (了)


 『discipline』

 もうすぐ夏がやってくる。
 今年の夏は凍るような夏だ。アンジェロがそう言っていた。アンジェロは僕が住むマンションの、この部屋のちょうど上に住む占い師で、彼の占いはよく当たると評判だった。朝と夜の九時にアンジェロは歌を歌う。とても音痴な歌を。それさえなければいい奴なのに、と巧が口唇を尖らせてよくこぼしたものだ。その口唇を僕は僕の口唇で塞ぐ。漏れた息が熱い。でも今年は凍るような夏で、僕らは凍てつく夏を待っている。
 そんなことを思いながら、僕は部屋の真ん中にビニールシートを敷いて、巧と二人で素裸になり寝そべっている。言葉は何もない。夜はまだ浅く、浅い眠りを経由した身体には、黄昏の熱気の名残に混じって腐臭のように夢の残滓が沈殿している。雨が降っていると思う。けれども窓外に見える一五○センチ×二五○センチの空はすっきりと晴れ上がった夜の青を湛えていて、すぐに巧がシャワーを出しっぱなしにしている水音が部屋に響いているのだと気づく。巧は目を閉じている。毛先には水滴がまだついている。僕が眠っている間に彼はシャワーを浴びたのだろう。まったく点けたら消す開けたら閉めるという日常的な訓練が出来ていない子供なのだと僕は思う。

「ん」と、短い息のような声を出し、身体を震わせて巧は目を覚ました。ぼんやりした表情で僕を見るのとほぼ同時に、巧は身体を伸ばして僕の胸に口唇を寄せる。吐息がくすぐったい。僕は巧の両脇に手を差し入れ、とても軽い骨格だけのような巧の身体を持ち上げるようにして抱き寄せる。股間の性器に血が集まって柔らかく勃起しているのが目の端に映る。ゆっくりと身体を押し開いて、僕は巧の性器に接吻してやる。びくっと巧の身体が痙攣する。見上げると切なそうな苦しげな表情をしている。その表情は巧の気持ちを映しているのものなのか、それとも僕が巧の身体上に予想している快楽の反映をそこに読みとっているものなのか、僕には判断不能なのだった。充血した海綿体をおしつつむやわらかい肉の筒を口蓋に擦りつけるようにして、じゅうぶんな唾液で滑らかにしごいてやると強張りはすぐに最終的な大きさになるのだが、薄い尻肉の間にぽっかりと口を開けた穴に指を差し入れることも忘れてはいない。その穴に僕は自分の性器を補填するわけだが、そういうふうに、欠如を埋めることで快楽を終結させる枠組みが、いつのまに僕に身体に、いや、僕と巧の身体の関係に《規律・訓練》化されてしまったのか、それがどうにも僕には謎なのだ。巧は確かにとても念入りに作られた楽器のようにどんな動きにも反応し良い声を出す。けれども、そういう一連の動作手順が内面化された身体の自動性を感じてしまうということは、僕はもう性交によって快楽ではなくて、快楽の記憶を想起しているに過ぎないようにしか思えない。
「どうしたの?」と巧は言う。僕の手が止まったからだ。
 僕は身体を起こし、巧にほんの軽い、口唇が口唇にそっと触れるだけのキスをする。完全勃起していた性器が、やんわりと萎えていく。それを手のひらに取り、また愛撫してやると、亀頭の先からじんわりと白い液体が雫れだしてきて、「ああ!」と巧が切ない声を恥ずかしそうに出した。真赤に顔を染め、潤んだ瞳で僕を見つめ、「入れないの?」と訊く。
 僕は何も応える気がしない。そして、ふと思いついて、海へ行こうと思う。凍てつくといっても夏だし、バカンスの季節なのだ。ビニールシートの人工的な青ではなくて、海の、波飛沫の白い泡立ちからぬっと現れる深い青とその向こうの空の透明な青。強い太陽の陽射しを全身に浴びるために海へ行こう。そして身体いっぱいに爽やかな風を受けとめるのだ。我ながら馬鹿げたことを考えているな、と思い、僕は苦笑する。
「どうしたのさ」と、不満そうに巧が僕の顔を覗き込む。
「飽きたの?」と、もう一度訊く。
 そうだな、と僕は思う。そしてそう言ったとしても、巧は怒りもしないだろうし、そう言った途端にすべてはあっさり終わってしまうのだということが、はっきりと理解できたのだった。
「ああ、たぶんな」と、僕は言った。
「そりゃ、まあ、しかたないねえ」と巧は言って、にやりと笑った。手元にあるティッシュを取って性器を拭うと、「シャワー借りるね」と言って、雨の音のほうへ歩いていった。一人部屋に残り、僕は魂の平穏についてそこではじめて考えた。これは平穏ではないだろうか。ふらりとやってきた巧と性交渉を持ち家族的な規律を内面化して、その快楽の想起装置に飽きて、それを素直に語り、そこで関係が清算されて記憶だけが残るのだ。時間は過ぎていく。雨の音が止まる。そのまま、巧は部屋を出ていく。僕もこの部屋を出て行くだろう。僕は時折巧のことを思い出すだろう。そして柔らかく勃起した性器を自分で愛撫して、白い液体を垂れ流すだろう。巧の切ない表情は、その切なさは僕のものだ。僕の記憶のものだった。巧はそれを僕に教え、そして退場する。僕はもう海へは行かないだろう。僕はまた何処かの部屋へ行くだろう。魂の平穏はすでに僕の胸中にあるのだった。扉を開け、そして閉める音が聞こえた。
 僕はビニールシートを片付けて、シャワーを浴び、そして眠った。
 夢の中では夏なのだ。凍ったマンションが燃えている。アンジェロが歌う声が聴こえるが、それは夢の中ではなく、確かにいまアンジェロが歌っているのだと僕は知っている。夢の中で夢を見ていると思っているとき、人は目覚めに近いところにいる。

                         (了)


 〈了〉

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